万年青が枯れる原因、理由 風水 スピリチュアル
植物、万年青が枯れる原因、理由と枯らさないための対処法を様々にみてきました。万年青が枯れる原因は、肥料のやり過ぎ、水のやり過ぎ、病気などと具体的に見ていきましたが、今回は、万年青が枯れる原因、その意味として古くから伝わる風水やスピリチュアルなことについてご紹介します。
霊草 瑞草
万年青は、江戸時代の文献にも、また、中国の書物にも霊草と書かれていることがあります。霊草の意味を調べると、大辞林には『不思議なききめをもつ草。また、神仏の加護を受けられるというめでたい草。瑞草ずいそう。』とあります。古くからただの植物ではなく、何か不思議な力をもった植物を考えられてきました。
引越しおもと・天福の霊草
万年青は薬草
日本人は古くから万年青を薬草として病気を取り除いたことから、邪気を払うものとして考えられてきました。その邪気払い、魔除けとして、風水では鬼門の方向(悪いものが入ってくる方向)に、引越しした際には万年青を置き、魔除けに使っています。そこから今の引越しおもとの風習は日本中に広まっています。
風水 身代わり万年青
では、霊草であり、瑞草でもある万年青、薬草として魔除けでもある万年青が枯れるのはどういった意味があるのでしょうか。古くから風水の人たちが伝えているのが、万年青が悪いものを吸って、身代わりになって枯れてくれた、ということです。徳川家康公が3鉢の万年青を江戸城入城の際に真っ先にもっていったのも、何かあっても3体も身代わりになってくれる万年青があるから安心だ、と考えたのかもしれません。
まずは基本に忠実に万年青を育てていくことが大切ですが、それでも原因がわからずに枯れてしまうことはあります。そんなときは万年青が身代わりになってくれたのだな、と思うと少し心がすっとしますね。
まとめ
万年青が枯れた原因をきちんと探すことは大切。ですが、霊草として、魔除けの植物として尊ばれてきた万年青が枯れるということは、万年青が何か悪いものを吸って身代わりになって枯れてくれた、と思えますね。
7/7の七夕の日に、全捨離、開運で有名な櫻庭露樹(さくらばつゆき)先生、開運アドバイザーの崔燎平(さいりょうへい)先生が万年青は最高の開運の植物なんだよ、引越し先にはまず万年青を置くといいんだよ、とYoutubeで紹介してくれました。
万年青と100年以上付き合ってきた私たち万年青の豊明園として、様々な地域や先代の万年青の話をご紹介して、開運の萬年青、引越し万年青といわれる由縁をご紹介したいと思います。
まず、地域に残る引越し万年青のお話について。私たちが親子孫と3代、大葉万年青の本場、鹿児島でお世話になっている万年青屋さん、Y(米山)さんのお話です。鹿児島は島津のお殿様が万年青が大好きだったことでも有名で、江戸時代は鹿児島では万年青は門外不出でもありました。その鹿児島では、新築をしたら何も入れないうちに、まず万年青とお味噌を床の間に飾って、家が栄えるように、食べ物に困らないようにとお供えをしています。もちろん万年青商の米山さんも新築の際には万年青とお味噌を真っ先にいれたそうです。鹿児島には武家屋敷が多く残っていますが、どの家にも丈夫な万年青が植えられています。
お隣の宮崎県には、初代天皇である神武天皇が万年青が青々と繁っていくように、日本が栄えていくようにと万年青を大切にした石碑が残っています。
1827年(文政十年)、江戸時代の文献『草木性譜』には、当時代表的な45種の中に万年青を紹介し、万年青は新築、引越し、結婚、出産などのすべての喜び事、めでたき事に万年青を用いる、縁起物であることが記されています。
引越し万年青
引越し万年青でやはり一番有名なお話は、慶長11年、徳川家康公が江戸城に入城する際、愛知県三河の国長沢村の長島長兵衛から贈られた、斑入りのおもと3鉢を抱え入城しおもとを床の間に飾り平和な江戸の世を築いた。このお話が引越し万年青として広く広まっています。
このお話を裏付けるように、徳川家康公や三代将軍家光公が建てた神社仏閣には万年青の彫刻が彫ってあります。徳川家康公がなくなった際に最初に祀られた久能山東照宮では、万年青の彫刻が家康公を守る結界のように、家康公の方を向いて、参拝者からは見えない位置に、隠し彫りのように彫られています。
福呼ぶ万年青 子宝万年青
万年青を贈られることで長年不妊に悩んでいた方に子供ができた、いやなことが続くが万年青を飾ることで好転した、など万年青が何かのきっかけになって子宝に恵まれたり、福を呼び寄せることがあります。
古くは邪気払いとして万年青を鬼門の方角に植えましたが、悪いものが寄ってこないように、万年青の力強い生命力にあやかったのでしょうか。
実際、台風で万年青が飛ばされ、1か月以上持ち主が探してやっと見つけたしおれた万年青も、水をあげて復活した、というお話も残っているように、非常に生命力の強い植物です。
他にも、秦の始皇帝の探し求めた不老長寿の薬草は万年青という伝説や、沖縄、琉球王国のおもと山、九州、宇佐八幡宮のおもと山と神聖な山、神様が住む山には万年青という名前が多いこと、3鉢の身代わり万年青、という言い伝えがあったりと万年青のお話は事欠きません。
是非、地域やご実家で万年青の話が少しでも残っている場所がありましたらお知らせください。万年青の古い言い伝えや伝説を大切に後世に伝えていきたいと思います。
引越し万年青、子宝万年青
引越し万年青
引越し万年青で一番有名なお話は、慶長11年、徳川家康公が江戸城に入城する際、愛知県三河の国長沢村の長島長兵衛から贈られた、斑入りのおもと3鉢を抱え入城しおもとを床の間に飾り平和な江戸の世を築いた。このお話が引越し万年青として広く広まっています。地域によってバージョンが異なり、岡崎には家康公自身が3鉢抱えて最初に入城した、静岡では三河の家臣ではなく静岡の家臣が3鉢の万年青を献上したなど様々なバージョンが言い伝えとして残っていますが、江戸城に入る最初に万年青を入れる、という筋は同じようです。
引越し万年青も地域によっては万年青がなかったら引越しをするな、といわれるほどの地域もあり、引越しのまず最初に万年青と神棚をを入れる、最初に万年青と味噌を入れる、など様々な言い伝えが残っています。
これも、身代わり万年青という言葉もあるように、万年青が悪いことの身代わりになってくれる、という言い伝えからでしょうか。
福呼ぶ万年青 子宝万年青
万年青を贈られることで長年不妊に悩んでいた方に子供ができた、いやなことが続くが万年青を飾ることで好転した、など万年青が何かのきっかけになって子宝に恵まれたり、福を呼び寄せることがあります。
古くは邪気払いとして万年青を鬼門の方角に植えましたが、悪いものが寄ってこないように、万年青の力強い生命力にあやかったのでしょうか。
実際、台風で万年青が飛ばされ、1か月以上持ち主が探してやっと見つけたしおれた万年青も、水をあげて2年で復活した、というお話も残っているように、非常に生命力の強い植物です。
開運の萬年青
神武天皇と万年青
秦の始皇帝の不老長寿の薬草は万年青
琉球王国のおもと山、九州、宇佐八幡宮のおもと山
身代わり万年青
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