宗碩の虎 宗石の虎 そうせきのとら

江戸残雪 (えどざんせつ) 宗碩の虎

江戸残雪 (えどざんせつ) 鉢7.0号

立ち葉で葉巾が広く濃緑色の葉に白い虎が美しく現れる品種。性質は強健で少し日光を取ると白く柄がはぜます。古典品種、数が少なくなっています。 江戸時代鹿児島に伝わる珍しい品種。江戸時代の千駄ヶ谷(現・渋谷区)に住まいの医師・高坂宗碩氏が紹介したことからその名があります。
播磨明石藩主・松平左兵衛直韻候の江戸屋敷で『宗碩/宗石』に虎斑が出たと伝わっています。参勤交代時に江戸から鹿児島の島津藩へ持ち帰って愛培したことから『江戸残雪』の別名で呼ばれています。

『江戸残雪』を参照

播磨明石6万石 藩主 松平左兵衛直韻 万年青の歴史より

 

 

『宗碩/宗石』という万年青

播磨国・明石藩主・松平左兵衛直韻候の江戸屋敷で育てられていた『宗碩/宗石』という万年青について

播磨国の14ある藩のうちの明石藩。

 

播磨国・明石藩主・松平左兵衛督直韻について

松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)は、江戸時代後期の大名。播磨国明石藩14代(Wikiでは7代目ですが、明石城公式HPでは14代)藩主。官位は従四位上左近衛権少将、左兵衛督(さひょうえとく 兵衛督とは長官のこと。天皇とその家族の護衛。平安時代からある役職で、江戸時代に左兵衛督になったのは左右で13人。江戸時代の武家官位では、御家門たる明石松平家の当主が左兵衛督に、尾張徳川家の世子が右兵衛督に任官された。)。直良系越前松平家8代。

享和3年(1803年)、6代藩主・松平直周の次男として誕生。初名は直韶。のち、11代将軍・徳川家斉から偏諱を受け斉韶に改名した。

文化13年(1816年)、父の隠居に伴い家督を相続する。文政4年(1821年)に元服する。

天保11年(1840年)に隠居し、家督を養子・斉宣(徳川家斉の二十六男)に譲った。

慶応4年/明治元年(1868年)9月8日(慶応から明治への改元日)、死去。享年66。

 

松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)は、江戸時代後期の6万石の大名、殿様。播磨国明石藩14代藩主。11代将軍・徳川家斉(とくがわ いえなり)から一文字もらい、松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)に改名しています。

その名の元になった医者、高坂宗碩とはどんな人だったのか?

草木奇品家雅見(著者 金太(1791-1862) 文政10 [1827])1巻によれば、高坂宗碩は千駄ヶ谷に住み、医者を生業としていた。奇品を非常に好み、草木を愛し、本人曰く、自ら植物の培養管理をし、移植などをするといとまなく体を動かすので血流もよく、美しい植物をみて目が喜ぶ。この幸せ、喜びが精神を爽快にし、病気にならない。

人々は自分の健康のために藪医者の薬草を求めるが、害がなければ幸いで、全く効果などない。藪医者にかかるよりは、種樹(うえき)、園芸を楽しんだ方がよっぽどよい。

医者となり、人に不仁を行うより、人の養生を助ける種樹(うえき)家こそ、仁だ、といい、子供、孫を種樹(うえき)家にした。

 

下にあるのが宗碩おもとです。江戸残雪(宗碩の虎)の元になった木です。

 

 

草木奇品家雅見1巻 高坂宗碩

国会図書館より

 

江戸時代を広く旅した万年青 江戸残雪

今回は、江戸時代、薩摩藩士に特に愛された、江戸残雪 (えどざんせつ) という万年青を紹介します。品種の解説、その一風変わった来歴をご紹介します。

 江戸残雪 (えどざんせつ) は

立ち葉で葉巾が広く、濃緑色の葉に白い虎が雪白に美しく現れる品種。性質は強健で少し日光を取ると白く柄がはぜます。古典品種で数が少なくなっています。 江戸時代に鹿児島に伝わる珍しい品種。

 江戸残雪 (えどざんせつ) の変わった来歴とは

古くに薩摩藩の武士が皆おもと好きで江戸から持ち帰ったと言われている貴重なおもとです。

江戸時代後期の第14代明石藩主・松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)の江戸屋敷にて万年青の『宗碩/宗石』に突然変化が起こり、この白い虎斑がでました。江戸の万年青好きの中で非常に評判になり、特に万年青の文化が深かった薩摩藩が、参勤交代時に江戸から鹿児島の島津藩へ持ち帰って愛培しました。江戸から薩摩にきた、ということで、『江戸残雪』の別名で呼ばれています。

江戸時代の特産品 万年青

江戸時代には各藩がそれぞれ特産品をつくっています。地域のお酒やみそ、さけや塩、工芸品では、有田焼や伊万里、有松絞など現在でも息づく地域の特産品を藩が作っています。

特に万年青が好きだった薩摩藩は、万年青が一つの特産品で、今でも薩摩万年青と呼ばれ、別格扱いを受けています。江戸時代は本当に厳しく門外不出として、大切に守られてきました。今でも、鹿児島の武家屋敷の北東の石垣の上には、万年青が植えられています。

萬年青は、武士の心、いつ主君のために命を賭しても構わないという薩摩藩士の心意気に、寄り添う植物であったのかなと思います。

まとめ

江戸残雪は、江戸時代からの希少な立葉おもと。明石の殿様の江戸屋敷で突然変異したものを、参勤交代の際に薩摩藩士が江戸から薩摩、鹿児島に持ち帰ったので江戸残雪という名前になりました。

 

●動画解説 江戸時代を広く旅した万年青 江戸残雪

【万年青の豊明園】【OMOTO EDO ZANSETSU】Rohdea japonica 草木奇品家雅見 薩摩 明石の殿様の万年青

 

万年青の園芸家【高坂宗碩】いわく、藪医者にいくより、園芸を楽しめ

高坂宗碩と江戸残雪

先回、江戸残雪は希少な江戸時代の立葉おもとで、明石の殿様の江戸屋敷で【宗碩】という万年青が突然変異したものを、参勤交代の際に薩摩藩士が江戸から薩摩、鹿児島に持ち帰ったので江戸残雪という名前になりました、というお話をしました。

このお話には続きがあり、突然変異する、もう少し前の、(江戸時代中後期、1700~1800年前後の)古いお話をしたいと思います。

江戸残雪の元木 【宗碩】

江戸残雪が突然変異をする前、【宗碩】という万年青がありました。【宗碩】という万年青と、この名前の元になった医者の高坂宗碩のお話をしたいと思います。

【草木奇品家雅見】の中の【宗碩】と【高坂宗碩】

江戸残雪の虎のない元木、【宗碩】と【高坂宗碩】は、この文政10年 [1827])に発刊された【草木奇品家雅見】という、日本だけでなく、世界でも園芸書として非常に高い評価をうけた本、世界の斑入り植物の原点とも言われる書にみることができます。

【草木奇品家雅見】は文政10年 [1827])に発刊されました。国会図書館で公開されているので、誰でも見ることができます。

【高坂宗碩】ってどんな人?

【草木奇品家雅見】によれば、高坂宗碩は千駄ヶ谷に住み、医者を生業としていました。奇品といわれる斑が入ったり、姿かたちが変わった植物を心の底から好み、草木を愛した人です。本人曰く、自ら毎日の水やり、肥料、ひよけなどして植物を愛でていると、いとまなく体を動かすので血流もよくなり、かつ、美しい植物をみて目が喜ぶ。この幸せ、喜びが精神を爽快にし、病気にならない。と言っています。

【高坂宗碩】いわく、藪医者にいくより、園芸を楽しめ

また、【草木奇品家雅見】には、本人が医者ということから、こんな過激なことも書かれています。

人々は自分の健康のために藪医者の薬草を求めるが、害がなければ幸いで、全く効果などない。藪医者にかかるよりは、種樹(うえき)や、園芸を楽しんだ方がよっぽどよい。とまで言っています。

さらに、

医者となり、人に不仁を行う、(薬にもならない薬を処方して道を踏み外す)よりも、人の養生を助ける種樹(うえき)家こそ、仁だ、といい、実際に自分の子供、孫を種樹(うえき)家にした。

とまで書かれています。医者よりも種樹(うえき)家さんの方が世の中のためになる!とかなり過激なことが書かれていますが、今風に解釈すると、健康な体を維持する予防医学や、植物を触ることで癒される園芸療法の先駆けともいえるでしょう。

また、いうだけでなく、実際に自分の子供や孫を種樹(うえき)家さんにして、よく繁盛したようです。有言実行、種樹(うえき)家さんとして多くの人に植物を楽しんでもらい、幸せになり、病気にならなかった人は多かったでしょう。

まとめ

明石の殿様の江戸屋敷で突然変異した万年青、江戸残雪の大本は【宗碩】という万年青でした。【宗碩】高坂宗碩という実在の人物が元となっている。医者だった高坂宗碩は、園芸を楽しむことで心身を健康にしよう、といい、日本の園芸療法、予防医学の先駆けでした。

 

 

●動画解説 藪医者にいくより、園芸を楽しめ 園芸家【高坂宗碩】

【万年青の豊明園】【OMOTO EDO ZANSETSU】Rohdea japonica 万年青の歴史 草木奇品家雅見 宗碩

 

 

社会のためにはお医者様より植木屋さん?

殿様の万年青 江戸残雪 宗碩の虎

江戸時代に、播磨国・明石藩主の14代目松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)の江戸屋敷にて大切に培養していた【宗碩】が突然変異をし、この白い虎が出ました。

明石の殿様の万年青、として喜ばれ、非常に美しく、珍しいことから藩として特に万年青を大切にし、好んでいた薩摩藩が殖え芽を持ち帰り、鹿児島で大切に育てていきました。江戸から持ち帰ったことで、【江戸残雪】とも呼ばれています。この話が伝承として残っています。

話は戻って、この【江戸残雪】は【宗碩の虎】ともいいますが、この【宗碩】は1800年初期にはすでにあった品種で、江戸の千駄ヶ谷の医者であった高坂宗碩が大切に育てていたもの、と伝わっています。

文政10年(1827)発刊の【草木奇品家雅見】には、【宗碩】の名のもととなった高坂宗碩の人となりが書かれています。そこには、医者である高坂宗碩は、【植物を楽しく育てることで、気持ちを明るくさせ、病気にならない。人は健康のために薬草を求めるが、薬は害がなければよい方で、全く効果などない。藪医者にかかるより、植物、園芸をめいっぱい楽しむことで心身を健康にした方が世の中のためだ、とし、自分の子や孫は医者ではなく、種樹(うえき)家、園芸家にし、繁盛した。】

と書かれています。

万年青の歴史を調べていくと、先人がどれほど万年青を大切にしたのか、また、今のようにトラックなどの物流のない時代に大切な万年青がどんな旅をしていたのか、とても楽しい気持ちにさせてくれます。高坂宗碩先生のいうように、植物を楽しむことは、殿様や下々のものまで、病気にならず、心身健康になる一番の方法ですね。

 

私も園芸家は世の中をよくする素晴らしいお仕事だな、と誇りに思いました。

 

14代藩主 城主

播磨国・明石藩主の(14代)七代目松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)

14松平斉韶6万石左兵衛督1816年(文化13年9月)家督相続1840年(天保11年2月)退任

明石城HPより https://www.akashijo.jp/hanshu/index.html