引越し万年青と家康 万年青彫刻

引越し万年青と家康 万年青彫刻

引っ越しおもとについて

慶長11年、徳川家康公の万年青をたずさえ、江戸城入城

おもと(万年青)は、めでたい植物、不老長寿の縁起のよい植物といわれています。慶長11年、徳川家康公が各大名に江戸城の普請役を行なわせ、その造成成るとともに入城しました、入城に際し家康は愛知県三河の国長沢村の長島長兵衛から贈られた、斑入りのおもと3鉢を抱え入城しおもとを床の間に飾り徳川300年の繁栄を築いたという古事が広く知られています。

 

この故事は広く日本中に知られ、各地で似た話を聞きます。

場所によっては、愛知県三河の家臣ではなく、静岡だったり、その方の地元だったり、鉢数も1鉢という話や、床の間に飾ったのではなく、鬼門の方向へ地植えしたんだ、という話。

徳川家康公の長寿と【八味地黄丸】 おもと?

また、徳川家康公が当時としてびっくりするぐらいの長寿で、江戸時代の平均寿命が32-44といわれるころ、75歳(満73歳4ヶ月)まで生きたのですから驚きです。家康公は父(24歳)、祖父(25歳)を若くで亡くしているので、特に健康、寿命に対する考えも深かったといわれています。そこから、医術も当時の最高の医者に診てもらう、また学び、漢方も【八味地黄丸 はちみじおうがん】という家康公自身が発明した薬を自ら調合し、実は現在も強壮に効く名薬として漢方薬として売られています。

江戸時代初期の幕府の庭には、薬草として様々な植物が植えられていました。その中に、例えば尾張藩の薬草園には万年青が植わっています。

そいうったことから、家康公自身が万年青を薬としても使っていたという言い伝えが残るところもあり、私自身も様々に調べています。

家康公のかかわる寺社仏閣に万年青

まず、以下のページも参照していただきたいです。

万年青の彫刻一覧

家康公にかかわる寺社や、三代目徳川家光公、徳川家にかかわる寺社に、万年青の彫刻が多く彫られています。

特に徳川家康公を東照大権現としてを祀る神社の東照宮では多くの万年青彫刻が残っています。

また、二条城の門や、場内にも多くの万年青彫刻があり、特に大切にされてきたことが分かります。

 

万葉集におもと!? ももよ草(百代草)とは?

父母が殿の後方のももよ草
百代いでませ我が来るまで

西暦755年の万葉集に万年青が登場?

奈良時代の日本最古の和歌集『万葉集』におさめられた歌

万葉集20巻 第4326首目

[原文]父母我 等能々志利弊乃 母々余具佐 母々与伊弖麻勢 和我伎多流麻弖

[訓読]父母が殿の後方のももよ草百代いでませ我が来るまで

[仮名]ちちははが とののしりへの ももよぐさ ももよいでませ わがきたるまで

天平勝宝7年2月6日 年紀 作者:生玉部足國 防人歌 西暦755

 

 

 現代語訳は

『お父さんお母さん、屋敷の後ろに生えたももよ草のように、百代(百歳)まで長生きしてください。私が防人の役から戻るまで』となります。今回、この「ももよ草」が万年青ではないか、と思い皆さんのご意見を頂けましたら幸いです。

 学者さんの中には、ももよ草(百代草)は菊やヨモギ、ツユクサだといわれる方もいらっしゃるようですが、「万年青」という漢字を書くオモトにこそ、百代草はふさわしいでしょう。常緑で寒い冬にも葉を青々と茂らせるオモトは古くから家が代々続くように引越しおもと、お祝いおもととして使われ、薬草、漢方であることから家の常備薬として植えられています。

『殿の後方の』も非常に面白いです。古くから南側を家の表として、北側を後方としていましたが、万年青が植わっている屋敷では北側、特に鬼門の方角・北東に万年青が植わっています。全国各地でそういった風習が残ることから、『殿の後方の』も万年青を支持する句となります。実際、半日陰の植物である万年青は、朝日は当たり、夏の強い日射しは避けられる屋敷の北側は理にかなっています。

『ももよ草百代いでませ』万年青は室町時代から生け花の世界では毎年の葉がでているところを家が代々続くことに掛けて、正月、結婚式に万年青を活けます。一番古くはわかりませんが、江戸時代には万年青は老母草と書いてオモトと読む地域もあり、母が子を包み守るように、古い葉が新葉や実を守っている万年青のことを伝えています。老母草という名も、父母や百代という句を連想させ、ますます百代草が万年青で間違いないのではないかと考えました。

万葉集には約4500首の歌が数えられ、その約三分の一が何らかの植物を詠み、植物に想いを託しています。150種を超える植物が登場しますが、日本に自生する万年青がなぜないのかと調べていくうちに、この歌を見つけました。父母の無事を想い防人として遠方で務めを果たす作者の優しい気持ちを万年青に託した素晴らしい歌に感動しました。これが万年青の歌であるなら、日本における最古の万年青の記録となり、当時の日本人がどのように万年青を扱ってきたのか、どのようなことを連想させる植物だったのか、興味が尽きない歌です。

天平勝宝7年2月6日

 旧暦なので、この2月は、今の2月下旬から4月上旬でしょうか。寒さの厳しい冬の2月に特に赤くなる万年青の赤い実や、そんな寒さの時期、他の植物が絶えたときに常緑の青さをみせる万年青。ますます万年青かと思います。

出雲の青木さまより

このブログを見て、様々に調べていただきました。感謝感激です。
多くの方に検証、支持、反対の証拠などしていただきながら、みんなで万年青について深く知りたいと思っております。
以下より
『ブログで百代草の記事読ませていただきました。
春先の和歌からするとキク、ヨモギ、ツユクサは夏から秋のイメージなので当てはまらない感じですね。冬場は枯れるだろうし。
キク→万葉集には菊を詠んだ歌ない、飛鳥~奈良時代に菊がなかった、古今和歌集から詠まれる
ヨモギ→百人一首にはサシモ草
ツユクサ→万葉集など和歌集では月草の表記
(Wikipedia調べ)
キク、ヨモギ、ツユクサは和歌からすると百代草には当てはまらないように思えますね。
全く答えになっておらず失礼しました。』
以上です。

万年青の最古の記録

 万年青の最古の記録は、中国の本草書『神農本草経』(成立時期は諸説あり、4000年前~1500年前と伝わります)に薬として登場します。日本でも1000年前の『康頼本草』という薬草書に万年青が登場します。九州地方にいくつか残る伝承では、初代天皇が右手に万年青を持ち、大和を目指し、天下統一を目指したと伝わります。

参考

国会図書館 

神農本草経

万葉集/第二十巻

万葉集略解

大辞林

 

 

 

御許山 おもとやま 大分県宇佐市にある神社、宇佐神宮について

御許山 おもとやま 大分県宇佐市にある神社、宇佐神宮について

宇佐神宮(うさじんぐう)は

大分県宇佐市にある神社式内社名神大社3社)、豊前国一宮勅祭社旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約44,000社ある八幡宮の総本社である。石清水八幡宮筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。古くは八幡宇佐宮または八幡大菩薩宇佐宮などと呼ばれた。また神仏分離以前は神宮寺の弥勒寺(後述)と一体のものとして、正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していた[注 1]

現在でも通称として宇佐八幡とも呼ばれる。

 

概要

大分県北部、国東半島付け根に立つ御許山 おもとやま(標高647m)山麓に鎮座する。本殿は小高い丘陵の小椋山(亀山)山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とからなり、その周りに社殿が広がっている。境内は国の史跡に指定され、本殿3棟は国宝に指定されている。

八幡宮の総本社であり古くから皇室の崇敬を受けているほか、称徳天皇時代の宇佐八幡宮神託事件でも知られる。参拝は一般と異なり、二拝四拍手一拝を作法としている。

祭神

主祭神は以下の3柱。

いずれも上宮・下宮の両方に祭られている。

主神は、一之御殿に祀られている八幡大神応神天皇であるが、ただ実際に宇佐神宮の本殿で主神の位置である中央に配置されているのは比売大神であり、なぜそうなっているのかは謎とされている。

歴史

創建

宇佐神宮の託宣集である『八幡宇佐宮託宣集』には、筥崎宮の神託を引いて、「我か宇佐宮より穂浪大分宮は我本宮なり」とあり、筑前国穂波郡(現在の福岡県飯塚市)の大分八幡宮が宇佐神宮の本宮であり、筥崎宮の元宮であるとある。宇佐神宮の元宮は、福岡県築上郡築上町にある矢幡八幡宮(現金富神社)であるとする説や、大分県中津市薦神社(こもじんじゃ)も元宮として有力視されている。

また、社伝等によれば、欽明天皇32年(571年?)、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、大神比義(おおがのひき)が祈ると三才童児となり、「我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂(註:応神天皇のこと)、護国霊験の大菩薩」と託宣があったとある[1]。宇佐神宮をはじめとする八幡宮の大部分が応神天皇(誉田天皇)を祭神とするのはそのためと考えられる。

当社南に立つ御許山山頂には奥宮として3つの巨石を祀る大元神社があり、豪族宇佐氏磐座信仰が当初の形態であろうともいわれている。そこに、辛嶋氏[注 2]比売大神信仰を持ち込んだと考えられている。辛嶋氏は後に宇佐辛嶋郷に住み、辛嶋郷周辺に稲積六神社(いなずみろく-、稲積神社とも)、乙咩神社(おとめ-)、さらに酒井泉神社、郡瀬神社(ごうぜ-、昔は瀬社とも)と社殿を建築した。

崇峻天皇年間(588? – 592年?)に鷹居社(たかいしゃ)が建てられた。

奈良時代以降

和銅5年(712年)には官幣社となり、辛嶋勝乙目が祝(はふり)、意布売(おふめ)が禰宜(ねぎ)となって栄えたとされる[2]

社殿は、宇佐亀山に神亀2年(725年)に一之殿が造営された。以後、天平元年(729年)に二之殿、弘仁14年(823年)に三之殿が造営されて現在の形式の本殿が完成したと伝えられている。

天平12年(740年)の藤原広嗣の乱の際には、官軍の大将軍の大野東人が決戦前に戦勝を祈願した。また、天平15年(743年)の東大寺造営の際に宮司等が託宣を携えて上京し、造営を支援したことから中央との結びつきを強めた。そして神護景雲3年(769年)の宇佐八幡宮神託事件では皇位の継承まで関与するなど、伊勢神宮を凌ぐ程の皇室宗廟として崇拝の対象となり繁栄し、信仰を集めた。

平安時代中期の『延喜式神名帳』には、3神が「豊前国宇佐郡 八幡大菩薩宇佐宮」、「豊前国宇佐郡 比売神社」、「豊前国宇佐郡 大帯姫廟神社」として記載され、いずれも名神大社に列している。

また、平安時代には宇佐神宮は神宮寺の弥勒寺とともに九州最大の荘園領主であった。また神職家や坊官家は武士としても活動しており[注 3]、このため近郊の(特に豊後国の)有力武士としばしば敵対している。

源平争乱期には平清盛の娘を妻とする大宮司・宇佐公通平氏方につく。屋島の戦いから敗走する総大将・平宗盛平家一門は宇佐神宮を頼って束の間安徳天皇と共に公通の舘に滞在していたが、豊後緒方惟義源氏方について叛逆したこともあり庇護しきれなかった(このとき悲嘆した平清経が自殺したという場所に、小松塚と呼ばれる石碑と五輪塔がある)。またこのとき緒方氏によって神宮が焼討ちにあったという。この焼討ちの時、神体(金の延べ棒との説もある)が強奪された。この後発見されるが、朝廷の裁定により石清水八幡宮が管理することになった[注 4]

鎌倉時代元寇でも当時の他の社寺同様に加持祈祷を行っている。この際に活躍した宇佐公世(公通の玄孫)は、社領回復に成功して中興の祖と仰がれた。その子・宇佐(到津)公連鎌倉幕府倒幕においても活躍して、後に懐良親王擁立に参加している。

戦国時代には豊後の守護戦国大名大友氏と、豊前国に手を伸ばしていた中国地方の覇者大内氏(のちには毛利氏)との間で板挟みになり、大内氏の庇護下に入り大友氏と対立した。特に大内盛見大内義隆の代には手厚く保護され、消失した社殿の造営や復興が行われた。また、宇佐神宮には大内氏から贈られた神宝もいくつか残されている。しかし、大寧寺の変により大内義隆が滅びると後ろ盾を失い、大友宗麟の手で再び焼き討ちされ、このときは大宮司宮成公建らは北九州市到津八幡まで逃げ延びることとなった。

豊臣秀吉の九州平定後、豊前には毛利氏、ついで黒田氏と相次いで有力大名が進駐した。

江戸時代には、宇佐一帯は中津藩佐賀藩飛び地・天領などが複雑に入り組む土地となった。その中に、幕府から寄進された宇佐神宮の神領も存続することになった。

Wikipediaより

引越しおもと Q&A FAQ

引越しおもと Q&A FAQ

引越しおもとについて

Q 引越しおもとに向いているおもとはありますか?

A おもと自体が、万年青と書き、万年、青々としている常緑の縁起物です。徳川家康公が江戸城入城の際に、まず3鉢の万年青を入れ、床の間に飾ったという故事や、室町時代からの池坊でも、お正月のお花、お祝いのお花として用いられます。そういったことからも、どんな万年青も、引越し万年青に向いていると思います。

私たち豊明園では、1000種以上あるとも言われる万年青の中でも、

丈夫なこと

縁起の良い名前

この2点を考えて、引越しおもとをお勧めしています。お多福、新生殿、大黒殿、瑞泉、縞獅子、嶺雲、福宝殿などです。

Q お花屋さんで、おもとは正月にしかないといわれました。なぜですか?

A 万年青は、多くのお花屋さんでは、お正月前の生け花のときしか入ってきません。江戸時代以前より、お正月の生け花として使われてきました。

万年青は、常緑であることから、その人や家が常に繁栄することを願う植物でした。

また、赤い実がなることや、若葉、新葉を古い葉が包むように育つことから、子孫繁栄、代々家が続くことを願う植物でした。

万年青の生け花

おもと生け花 京古流

Q 引越しおもとの中で、玄関用、リビング用、床の間用などはありますか?

A 私たちは特にそういったことは考えていません。しいて言うなら、その中でも日の強い場所では葉肉の厚い羅紗をお勧めしたりすることはあります。

もし、玄関でも、床の間や寝室、おトイレなど日があまり当たらない場所で育てたい方は、1週間暗い場所(万年青が植物として光合成があまりできない場所)に置いたら、2-3週間は明るい半日蔭の場所に置くなどの場所替え(ローテーション)をすると、元気に育ってくれます。

万年青の置き場所

万年青の置き場所 鬼門とは?

 

Q 植え替えは必要ですか?

A 数年後に必要です。豊明園では、引越しおもとは1~3年は植え替えなくてもよいようにして、お送りしています。その後、鉢がパンパンになった、万年青が大きくなったなどの様々な理由で、植え替えは必要です。

豊明園で一緒にやることもできますし、簡単なので以下のリンクを参照しながらホームセンターの用土で植え替えできます。

植え替えについて

豊明園で買っていただいたものでないものを植え替えしてほしいとき、一鉢2000円(送料別)かかります。2020.6.27時点 変更あります。

動画解説【万年青のQ&A】引越しおもとについて 植え替えは必要?向く品種は?玄関やリビング用のおもと?お花屋さんで万年青を買うには?

【万年青の豊明園】【Good Fortune OMOTO Q&A】

Q 万年青に寿命はありますか?

A 名前の通り、万年生きます。管理さえよければ、常緑の多年草なので、いくらでも長生きします。

万年青は1~3年生を苗、4年生以降を親と呼びます。

50年物のおもと 万年青の寿命

 

万年青の乾きをみる

万年青の乾きをみる

万年青や、植物の多くは、良く乾いてから水をやる、これだけ守っていればよく育ってくれます。ですが、気候の変化や、用土、その場所の環境などで乾きはまちまちで、見極めにくいところもあります。その乾きをよくわかるようにするには、どうすれば

万年青の乾きの見方は様々にあります。

表土(砂、苔、土など)をみる、すこしほじくってみて、表土の下をみる、鉢底をみる、など。

また、万年青をよく観察していると、乾いてくると葉が少しだけ垂れてきます。そこでも、鉢の中が乾いてきたことが分かります。

乾きがもっと進むと、万年青の新葉が柔らかくなって、ピンとしてこなくなり、ふにゃふにゃになります。ふにゃふにゃになるとダメージは大きいので、そこまでには水をやりましょう。

季節や、温度、風、湿度で、万年青の水の吸い上げも変わってきます。20-30度の万年青の生長期は成長して体も大きくなるので水は一年で一番欲しがります。春や初夏、秋の生長期は水をやりすぎくらいでもいいでしょう。逆に、万年青が私たちが思っているより早く水を吸って、鉢がカラカラになることもあります。

湿度が低く、風も強い冬は、万年青は寒くて休眠に入っていますが、強風、寒風、湿度の低さから水を意外と奪っていきます。水やりに注意します。また、風よけや湿度対策をした方が水やりは少なく、管理が楽になるでしょう。

 

表土 富士砂、日向土、赤玉土

富士砂、日向土、赤玉土、のように、水がなくなると色が変わるものを表土に使うと、乾きがわかりやすいです。

鉢の上に置いてある赤玉?
水をたくさん吸うと色が濃くなりまた乾くと白ぽくなります。植え込みの用土が矢作砂、パミスなど白い用土の場合水遣りのタイミングが分かりにくいので赤玉の色をみて管理しています。

国宝錦(こくほうにしき)7月27日下葉が枯れ始めました。富士砂の表面が少し黒色の色が見えます、まだ充分湿ッている状態です。

動画解説【万年青の育て方 富士砂】富士砂のメリットデメリット

万年青の乾きを見るために、水分で色の変わる富士砂を使う 【万年青の豊明園】【Planting OMOTO in FUJI-YAMA sand】

表土 苔

こちらも、乾燥するとカリカリになるのでわかりやすいです。人によっては苔の厚みが違うので、注意します。厚ければ乾きは悪いですし、水持ちもその分良いです。

表土の高さ

表土から鉢の縁から低く、ウォータースポットが大きなものでは乾きにくく、ウォータースポットがないような鉢では乾きやすいです。

鉢底を触る

一番勘違いしてしまうところは、

植木鉢は、表土は一番風をうけて乾きますが、実は鉢底や鉢の中は湿っていることがあります。底を触ることで表土以外はどうなのかをみます。

万年青の植え替えをすると、鉢の周りにしっかりと根が張り、鉢の中心部は根腐れしていたということがありますが、鉢の中心が一番乾きにくく、そこまで想像できると夏の根落ちは少なくなっていきます。

また、鉢の外側に根が張るということは、根は実は空気も欲しがっているということが分かります。

 

 

葉が割れるのはなぜ??

葉が割れるのはなぜ??

生長して腰が太くなることで割れる

万年青が生長してくると、一番下の葉やその上の段の葉が割れることがあります。

これは、万年青が生長して腰が太くなるからです。昨年までの太さなら下葉は割れませんが、それよりも大きくなっているからこそおきる現象で、私たちはいいことと思っています。

生長期に起こる

昨年から太ることで割れるので、1~2歳のあまり若いときや、親木になり切った7歳以上ではよほどの環境の変化、肥料を倍にするなどの変化がないと割れてこないでしょう。3~6才ほどの、グングン生長する時期に起こります。

 

逆に、トックリといわれる現象があります。

これは、作落ちや病気などでトラブルがあり、年々弱っていく万年青であることです。トックリのように、腰が年を取るにつれ細くなっていくことで、その名がつきます。

葉をむしっても、、

また、葉をむしり取ることでもなります。葉の根本は、これから芋ができてくるところ。それなのに、葉をむしることで、栄養が芋にいかず、トックリになっていきます。

葉が落ちるときも、むしるのではなく、根元で切り、最後まで栄養をあげて、芋を作ってあげてください。むしった傷口から病気が入ることもあります。

 

 

竜(りゅう) 龍,甲竜,一本龍

竜(りゅう) 龍,甲竜,一本龍

竜(りゅう) 龍,甲竜,一本龍

葉の中央に現れる突起したひだのこと。写真の木は麒麟冠 錦麒麟

葉の緑を山に見立て、この突起を龍に見立て、龍が山を昇っていく様に見立てた。伝統園芸、古典園芸ではこういった見立てが多いが、万年青は特に多い。芸や柄の紹介ページを見ると、どれも粋な見立てが並んでいる

万年青の葉芸

万年青の柄

様々な龍

この龍にも様々な変化形があり、

葉の途中から先へ延びる龍を  浮島竜

葉元から途中までの龍を   橋立竜

二本でてくるものを   二面竜、夫婦龍

渦潮のような、玉のような変化  玉龍

跳ね上がる龍を        跳ね竜、角龍

裏側に出れば       裏竜、裏雅糸竜

糸のように細かな龍がでるのを 雅糸竜

雅糸竜が前面に出て     総雅糸竜

などと、龍だけでも多くの種類があり、この龍がそのすべても大本になっています。

動画解説 【万年青の龍とは?】万年青の見立て・龍とは?・二面竜、雅糸竜、玉龍、跳ね竜【万年青の豊明園】【Ryu:What is OMOTO’s DRAGON?】

万年青 動画解説

竜について

新生殿(しんせいでん)

玉姫

羅紗 小葉 薄葉 中葉 大葉

 

5月の花芽

獅子とは?

 

 

 

 

爪白 (つめしろ)

分類    薄葉系統
作出年代  年
登録    年
作出者     (愛知県)
命名者     (愛知県)
登録者    (愛知県)

特別展あわじガーデンルネサンス2019<会期>10/5(土)~11/17(日) 荻巣樹徳氏特別講演会10/5

特別展あわじガーデンルネサンス2019

<会期>10/5(土)~11/17(日)

◇入館料◇ 大人1500円、70歳以上750円(生年月日のわかるもの提示要)、高校生以下無料

豊かな自然環境が生んだ日本人の自然観。その自然観が豊かな感性を育み、独特の美意識をうみだしました。

美意識の表現のひとつである花文化は、庭園、茶道、華道、園芸だけでなく、衣食住、芸能、芸術等を含む総合文化です。

自然との共生から生まれた感性の豊かさが生み出した日本の美意識が地球と共に生きることに重要であると確信したのです。

今回は「美意識を育む花緑空間への挑戦」と題し、世界があこがれる日本の花文化を現代の暮らしの中で継承しながら、いかに自然を体感させ、豊かな感性を磨き美意識を育む空間作りができるかの提案を試みます。

◆美意識を育む

●令和草木奇品家雅見(れいわそうもくきひんかがみ) in 展示室1、2

①Rare Suculents in 展示室1
アストロフィツム、珍種のカランコエ、ユーフォルビア、アガベ、アロエ、エケペリアなど、植物館が有する珍種多肉植物を一堂に展示します。

②Rare Tropical Plants in 展示室2
「極小植物」「魅惑で不思議な葉色の植物」「アリノスダマ等の共生するスマート植物」など、植物館が持つ珍種の植物を3つのキューブでクローズアップさせて展示します。

●日本の美意識を育む空間 in 展示室4
日本庭園は自然景観をモチーフにしています。狭くとも山紫水明をかんじさせる庭、日本のデザインパターンで創る坪庭、和風Vertical gardenなど、瓦や土壁などで淡路の地域色を出した和風モダンガーデンを楽しんで下さい。

●これぞ花育ー伝統園芸Kids展(10/26(土)~) in 展示室4
兵庫県丹波篠山市では将軍から拝領したと伝えられる古典江戸菊「お苗菊」をおよそ250年以上前から栽培して、4年前から小学生が育てるお苗菊が登場しました。古典菊を育てることは、その飾り方を学んだり、歴史を学ぶことに繋がっています。昨年に続き丹波篠山市立城北畑小学校と菊花同好会の皆様のお苗菊を展示します。

◆美意識を継承する in 展示室3

江戸時代、武士道に通じる独特の美意識で作りあげられた日本の伝統園芸。室町時代から戦国時代、そして江戸時代に続く園芸ブームは将軍など身分の高い人だけでなく、商人そして庶民の間でも広がっていきました。

①武士道と園芸
★足利義政・織田信長たちが楽しんだ盆山
★徳川家康から歌舞伎役者まで万年青狂い
★文人たちの園芸ー煎茶としつらえ

②浮世絵に見る町民たちに園芸

★町民たちまでが夢中になっていた園芸
★三代目尾上菊五郎の植木屋

◆新たな挑戦

●ネオジャパネスクバルコニー in バルコニー

①和風壁面緑化 10/5(土)~10/20(日)
狭い日本の生活空間ではVertical gardenは非常に有効な緑化手法です。植物館が2000年からテーマとしている「地域、アート、産業とのコラボレーション」で提案してきた和洋数々の壁面緑化を一堂に展示します。

②なんと雅なローズガーデン
ヨーロッパの花といったイメージが強いバラの原産地は中国、そして日本です。「万葉集」や927年に編纂された「延喜式」にノイバラと思われる記述があります。中国との公易がはじまるとコウシンバラなど中国原産のバラが導入されます。今回はロサ・シネンシス(庚申バラ)やクロードモネなどバイカラーの秋色の薔薇で雅なローズガーデンを創り上げます。

●ジャパネスクガーデン in 展示室5

朽ちかけた樹木を盆栽の技術で蘇らせ、新技術で創り上げた苔の壁面を借景に「きれいさび」をコンセプトに作り上げる「蘇生の庭」。樹木に新たな輝きを与えるネオジャパネスクガーデンです。盆栽作家の松末浩二氏と辻本智子プロデューサーがコラボします。

奇跡の星の植物館HPより

この奇跡の星の植物館はただの植物園ではありません。

植物の可能性、日本文化と植物の関わり、植物の一味違った面白さをここが発信しているような最高の植物園です。

日本中だけでなく、世界中から本当の植物好きなお客様、植物園関係者、美術関係者がみえ、特にアメリカ、イギリスではこの植物園で学んだことを持ち帰って展示に生かしています。

 

万年青も、殿様の楽しんだ萬年青や、歌舞伎役者三代目尾上菊五郎の楽しんだ万年青など、今までになかった切り口で万年青を取り上げてもらいました。

今年はNHK趣味の園芸、大江戸花競べ12選にて江戸の代表的な観葉植物として万年青が取り上げられ、東京オリンピックへ向け江戸ブームが加速しています。

江戸の万年青をテーマに展示協力しているので、是非見に来てください!

10/5 奇跡の星の植物館にて展示即売します。

 

 

 

荻巣樹徳氏講演会

「植物学のすすめ―幻の植物を求めて」

10/5(土)14:00~15:30

 

奇跡の星の植物館
淡路島 おもと展 2016年の様子 

2016年おもとの展示11月 おもとの展示9月

 

みんなの趣味の園芸

兵庫県立淡路夢舞台温室 奇跡の星の植物館さんのマイページ