特別展あわじガーデンルネサンス2019<会期>10/5(土)~11/17(日) 荻巣樹徳氏特別講演会10/5

特別展あわじガーデンルネサンス2019

<会期>10/5(土)~11/17(日)

◇入館料◇ 大人1500円、70歳以上750円(生年月日のわかるもの提示要)、高校生以下無料

豊かな自然環境が生んだ日本人の自然観。その自然観が豊かな感性を育み、独特の美意識をうみだしました。

美意識の表現のひとつである花文化は、庭園、茶道、華道、園芸だけでなく、衣食住、芸能、芸術等を含む総合文化です。

自然との共生から生まれた感性の豊かさが生み出した日本の美意識が地球と共に生きることに重要であると確信したのです。

今回は「美意識を育む花緑空間への挑戦」と題し、世界があこがれる日本の花文化を現代の暮らしの中で継承しながら、いかに自然を体感させ、豊かな感性を磨き美意識を育む空間作りができるかの提案を試みます。

◆美意識を育む

●令和草木奇品家雅見(れいわそうもくきひんかがみ) in 展示室1、2

①Rare Suculents in 展示室1
アストロフィツム、珍種のカランコエ、ユーフォルビア、アガベ、アロエ、エケペリアなど、植物館が有する珍種多肉植物を一堂に展示します。

②Rare Tropical Plants in 展示室2
「極小植物」「魅惑で不思議な葉色の植物」「アリノスダマ等の共生するスマート植物」など、植物館が持つ珍種の植物を3つのキューブでクローズアップさせて展示します。

●日本の美意識を育む空間 in 展示室4
日本庭園は自然景観をモチーフにしています。狭くとも山紫水明をかんじさせる庭、日本のデザインパターンで創る坪庭、和風Vertical gardenなど、瓦や土壁などで淡路の地域色を出した和風モダンガーデンを楽しんで下さい。

●これぞ花育ー伝統園芸Kids展(10/26(土)~) in 展示室4
兵庫県丹波篠山市では将軍から拝領したと伝えられる古典江戸菊「お苗菊」をおよそ250年以上前から栽培して、4年前から小学生が育てるお苗菊が登場しました。古典菊を育てることは、その飾り方を学んだり、歴史を学ぶことに繋がっています。昨年に続き丹波篠山市立城北畑小学校と菊花同好会の皆様のお苗菊を展示します。

◆美意識を継承する in 展示室3

江戸時代、武士道に通じる独特の美意識で作りあげられた日本の伝統園芸。室町時代から戦国時代、そして江戸時代に続く園芸ブームは将軍など身分の高い人だけでなく、商人そして庶民の間でも広がっていきました。

①武士道と園芸
★足利義政・織田信長たちが楽しんだ盆山
★徳川家康から歌舞伎役者まで万年青狂い
★文人たちの園芸ー煎茶としつらえ

②浮世絵に見る町民たちに園芸

★町民たちまでが夢中になっていた園芸
★三代目尾上菊五郎の植木屋

◆新たな挑戦

●ネオジャパネスクバルコニー in バルコニー

①和風壁面緑化 10/5(土)~10/20(日)
狭い日本の生活空間ではVertical gardenは非常に有効な緑化手法です。植物館が2000年からテーマとしている「地域、アート、産業とのコラボレーション」で提案してきた和洋数々の壁面緑化を一堂に展示します。

②なんと雅なローズガーデン
ヨーロッパの花といったイメージが強いバラの原産地は中国、そして日本です。「万葉集」や927年に編纂された「延喜式」にノイバラと思われる記述があります。中国との公易がはじまるとコウシンバラなど中国原産のバラが導入されます。今回はロサ・シネンシス(庚申バラ)やクロードモネなどバイカラーの秋色の薔薇で雅なローズガーデンを創り上げます。

●ジャパネスクガーデン in 展示室5

朽ちかけた樹木を盆栽の技術で蘇らせ、新技術で創り上げた苔の壁面を借景に「きれいさび」をコンセプトに作り上げる「蘇生の庭」。樹木に新たな輝きを与えるネオジャパネスクガーデンです。盆栽作家の松末浩二氏と辻本智子プロデューサーがコラボします。

奇跡の星の植物館HPより

この奇跡の星の植物館はただの植物園ではありません。

植物の可能性、日本文化と植物の関わり、植物の一味違った面白さをここが発信しているような最高の植物園です。

日本中だけでなく、世界中から本当の植物好きなお客様、植物園関係者、美術関係者がみえ、特にアメリカ、イギリスではこの植物園で学んだことを持ち帰って展示に生かしています。

 

万年青も、殿様の楽しんだ萬年青や、歌舞伎役者三代目尾上菊五郎の楽しんだ万年青など、今までになかった切り口で万年青を取り上げてもらいました。

今年はNHK趣味の園芸、大江戸花競べ12選にて江戸の代表的な観葉植物として万年青が取り上げられ、東京オリンピックへ向け江戸ブームが加速しています。

江戸の万年青をテーマに展示協力しているので、是非見に来てください!

10/5 奇跡の星の植物館にて展示即売します。

 

 

 

荻巣樹徳氏講演会

「植物学のすすめ―幻の植物を求めて」

10/5(土)14:00~15:30

 

奇跡の星の植物館
淡路島 おもと展 2016年の様子 

2016年おもとの展示11月 おもとの展示9月

 

みんなの趣味の園芸

兵庫県立淡路夢舞台温室 奇跡の星の植物館さんのマイページ

 

NHK趣味の園芸 10月号 9/21発売 大江戸花競べ十二選 万年青 みんなの趣味の園芸コラボ

NHKの番組「趣味の園芸」におもとが取り上げられます。
弊園の四代目水野豊隆が出演しておりますので是非ご覧ください。

10月27日 第4週に放送
大江戸花競べ 十二選 第7回
万年青(オモト)雅なる”葉芸”の競演  水野豊隆

Eテレ 毎週日曜 午前8時30分 | 再放送29日 毎週火曜 午前10時25分 | 再放送 31日毎週木曜 午後0時30分

 

9/21発売のNHK趣味の園芸 10月号

大江戸 花競べ 十二選

第7回 万年青 水野豊隆(豊明園)が紹介されています。

雅なる“葉芸”の競演

6Pみっちり取り上げてもらいました!

是非ご覧ください!!

みんなの趣味の園芸(https://www.shuminoengei.jp/)ともコラボ企画をしております。相互にリンクを張っていますので、是非みんなの趣味の園芸のHPもご覧ください!

 

美しい秋バラとチューリップ

 

全国のおもとの展示会を一部紹介しています。

全国のものはみんなの趣味の園芸(https://www.shuminoengei.jp/)にて

HPの最新トピックス&ニュースに全国オモト展ガイドが紹介されています。

 

万年青苗のプレゼントもしているので、是非応募してください!

 

 

新国殿 (しんこくでん)

分類    羅紗系統
作出年代
登録
作出者
命名者
登録者

新国殿 (しんこくでん)

数は少ないが、丈夫で凛とした姿に魅力がある。親になると覆輪も深くなり、華やかな印象も。日を良く採り、がっちりつくるとより覆輪も引き立ち、二面竜などの芸もよい。

 

 

貝原益軒 花譜に萬年青 元禄11年[1698]  オモトは藜蘆ではない!?

貝原益軒 花譜に萬年青 元禄11年[1698]

貝原益軒 花譜に萬年青 元禄11年[1698]

上巻の序文です。

 

上・中・下巻とあり、下巻の草の項に萬年青があります。

花譜と菜譜がともに上中下の三巻の構成になっています。

国会図書館より

 

花譜 巻の下に萬年青があります。

 

下巻の草の項 目次

萬年青にヲモトとルビをふってあります。

 

萬年青 オモト/ヲモト

 

書き起こし

明治の文献か書き起こしてあります。 中村学園大学HPより

最初にある三才図絵は1607年の中国の書。リンク先に原本と萬年青の絵があります。三才図絵は当時の中国の百科事典。

萬年青は肥土を好み、冷茶をそそぐべしと書いてあります。

 

オモトは藜蘆ではない!?

ここに「篤信云、和俗に、あやまりておもとを以藜蘆とす。薬屋是をうる。是に非ず。」とあり、この文が藜蘆はオモトではない、という根拠になっています。

篤信とは誰なのでしょうか?

室町時代の辞書にある藜蘆にはヲモトとルビがふってありますがどちらが正しいのでしょうか?

オモトは江戸時代最初期の薬草園でも薬草として育てられています。この文だと、オモトは藜蘆ではないということですが、ここを何が間違いで何があっているのかを知りたいです。

 

花譜 貝原益軒 著 京都園芸クラブ より

花譜 貝原益軒 著 京都園芸クラブ より

 

萬年青は肥土を好み、冷茶をそそぐべしと書いてあります。

 

 

貝原益軒は、中村学園大学HPより

貝原益軒は、「養生訓」、「和俗童子訓」の著者であるだけでなく、歴史学者、地理学者として広く国中を見て回って「筑前国続風土記」を書き、博物学者として路傍の雑草、虫や小川の魚まで詳細に観察し「大和本草」に記述している。益軒はさらに、自宅の庭で花や野菜の栽培を実践していたことも知られている。著書「花譜」と「菜譜」はこのような経験に基づいて肥料の与え方や移植の時期に至るまで植物の栽培方法について詳細に記載したものである。

植物についての益軒の著述は寛文12年(1672)に「校正本草綱目」の翻刻がなされたときに、その5巻に「品目」「名物付録」を執筆したのに始まる。この頃から自宅で植物栽培を行ってきたと考えられる。元禄7年(1694)には「花譜」が、宝永元年(1704)には「菜譜」が発行された。「大和本草」の刊行はこれに続く宝永6年(1709)のことである。「花譜」と「菜譜」は「大和本草」とともに、300年前にどのような花が植えられ、どのような野菜が栽培されていたかを示す重要な文献である。益軒は農業に興味を持ち、日本最初の農業書と言われる宮崎安貞(筑前国糸島郡女原村)の「農業全書」(1697)の完成に大きく関わっている。

中村学園大学HPより

 

 

世界大百科事典より

水野元勝の《花壇綱目》(1681)は180あまりの花を取りあげる。以降,貝原益軒の《花譜》(1698),伊藤三之丞(伊兵衛)の《花壇地錦抄》(1695)と続き,江戸時代を通じ70におよぶ園芸書が書かれる。安楽庵策伝の《百椿集》(1630)をはじめ,ツツジ,キク,サクラ,ボタン,ウメ,アサガオ,ハナショウブ,ナデシコなど花の専門書が出版され,さらにモミジ,カラタチバナ,オモト,マツバラン,セッコクなど葉を観賞の対象とした多数の品種を成立させた。…

 

 

 

 

 

貝原益軒 Wikiより

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

「貝原益軒像」 個人蔵 狩野昌運筆 貝原益軒讃 1694年(元禄7年)

貝原益軒の座像(福岡市中央区・金龍寺)

貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年12月17日寛永7年11月14日) – 1714年10月5日正徳4年8月27日))は、江戸時代本草学者、儒学者。

生涯・人物

筑前国(現在の福岡県福岡藩士、黒田藩の祐筆であった貝原寛斎の五男として生まれる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。

1648年慶安元年)、18歳で福岡藩に仕えたが、1650年(慶安3年)、2代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送ることとなる。1656年明暦2年)27歳、3代藩主・光之に許され、藩医として帰藩[1]。翌年、藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵山崎闇斎松永尺五向井元升黒川道祐らと交友を深める。また、同藩の宮崎安貞が来訪した。7年間の留学の後、1664年35歳の時、帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。藩命により『黒田家譜』を編纂。また、藩内をくまなく歩き回り『筑前国続風土記』を編纂する。

『大和本草』(国立科学博物館の展示)

幼少のころに虚弱であったことから、読書家となり博識となった。ただし書物だけにとらわれず自分の足で歩き目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な面を持つ。また世に益することを旨とし、著書の多くは平易な文体でより多くの人に判るように書かれている。

70歳で役を退き著述業に専念。著書は生涯に60部270余巻に及ぶ。主な著書に『大和本草』、『菜譜』、『花譜』といった本草書。教育書の『養生訓』、『大和俗訓』、『和俗童子訓』、『五常訓』、『家道訓』。紀行文には『和州巡覧記』がある。

『大和俗訓』の序に「高きに登るには必ず麓よりし、遠きにゆくには必ず近きよりはじむる理あれば」とみえるように、庶民や女子及び幼児などを対象にした幅広い層向けの教育書を著した。

思想書としては、1712年(正徳2年)の『自娯集』。学問の功は思にありとして、教義・道徳・教育等の意見を著した『慎思録』、朱子学への観念的疑問等を著した『大擬録』などがある。

1714年(正徳4年)に没するに臨み、辞世の漢詩2首と倭歌「越し方は一夜ひとよばかりの心地して 八十やそじあまりの夢をみしかな」を残している。

1911年明治44年)6月1日、贈正四位

Wiki より

万年青の魅力 原種から現代の品種の歴史 初心者の方へ

万年青の魅力

原種の万年青からの変化がすごい

現代の万年青を知らない人にとって、現代の万年青の見ても何が凄いのか、変わっているのかは分かりにくいと思います。

原種の万年青からの変遷を見ていくことで、現代の万年青がどれだけの進化をこの500年ほどでしているのかを知っていただきたいです。

 

日本/中国原産と言われる万年青の原種は以下の様だったと思います。

原種の万年青はどんなもの?

日本の淡路島 諭鶴羽神社の原種の万年青

また、400年前の万年青の彫刻をみると

九州の英彦山神宮の正面の万年青彫刻

※万年青の彫刻 万年青の歴史を探る手掛かり 古い万年青の彫刻一覧

英彦山神宮 ひこさんじんぐう

 

神社の正面に非常に精密な万年青の彫刻があります

虫食いなども再現されています

外にある彫刻はこの万年青彫刻のみか

 

 

京都の地主神社の万年青彫刻

同じ敷地内の北野天満宮にも万年青の彫刻があります。

 

諭鶴羽神社や400年前の彫刻のような万年青が原種の万年青でしょう。

そこから

同じく、500年前の室町時代 池坊も下のような生け花において大象観を使っていたのではないかと言われています。大象観も原種の万年青の一つといってもよいでしょう。

生け花 「大象観」 だいぞうかん/たいしょうかん 古いので呼び方多数説あり

同じく、生け花で「都の城(みやこのじょう)」も非常に古いと言われ、一説には江戸以前とも

 

これらの原種の万年青から400~600年かかって、現代の万年青に変化してきました。

実親や江戸時代の万年青にその進化/変化の途中の万年青があります。

羅紗・縞甲の変化 玉川竜から新生殿

明治の万年青 「玉川竜・たまがわりゅう」 もしかすると江戸かもしれない

大人気品種、「錦麒麟・きんきりん」の親で、錦麒麟が作出されたのが明治32年なので、少なくとも明治20年代には存在していたでしょう。

この玉川竜を親にして多くの実親もでき、現在の縞甲系や羅紗系の先祖にあたります。江戸時代、玉川竜に似たような縞甲系、羅紗系を生やす実親が何系統もでき、新品種作出がますます面白くなっていきます。

 

新生殿・しんせいでん

羅紗の王様

江戸から続く品種改良でここまで小さく、雅糸竜などの芸をもつものが生まれた。原種から思うととても長い道のり。

 

獅子の変化 江戸時代の玉獅子から現代の五万石

江戸時代からある「玉獅子・たまじし」 11月の写真で実が赤く色づくところ

今の獅子の芸の凄さを思うと、ただ葉がカールしているだけともいえるが、ここまでの変化ができるまでにどれほど時間がかかっただろうか

獅子の原種と言われ、現在では偽物も多く出回り、品自体も非常に少ない

 

獅子 「五万石・ごまんごく

獅子の王者

甲竜、雅糸竜、絹雅糸竜などをみせ、様々な芸がのり、かつ姿も美しい

原種からここまで変化してきた万年青の品種改良の歴史が面白い

 

江戸時代のオモト愛好家にとっての万年青

こういった原種からの変化をみていくと、万年青の品種改良の技術の高さがわかります。

江戸時代の人たちは今よりもっと原種のおもと、引越しおもと、薬草としてのおもと、生け花のおもとをよく知っていたので、万年青の変化、新品種の面白さが良く分かったのでしょう。

現代人にとっての万年青の凄さ 変化朝顔は分かるけど万年青は分からない!??

現代人がいきなり現代の最新の万年青をみても、変化朝顔のように凄さ、良さがなかなか理解してもらえないのもここだと感じています。朝顔は日本人全員知っていて、変化朝顔をみると驚きます。万年青も、原種の万年青をみて、現代の万年青をみると、ほんとに同じ万年青かと思うほどの珍奇な変化をしています。原種の万年青を知らない人にとっては同じ万年青とは考えもしないと思います。

万年青の展示会を全国で行っても、これは本当に万年青ですか?という質問は非常に多いです。また、原種の万年青をしらない方にとっては、羅紗の万年青をみても、これが万年青なんだとなってしまいます。

万年青の原種から新品種が出来ていく驚きの過程を皆さんに知っていただけるように、万年青をこれからも世界中に発信していきます。

 

 

宗碩の虎 宗石の虎 そうせきのとら

江戸残雪 (えどざんせつ) 鉢7.0号 立ち葉で葉巾が広く濃緑色の葉に白い虎が美しく現れる品種。性質は強健で少し日光を取ると白く柄がはぜます。古典品種、数が少なくなっています。 江戸時代鹿児島に伝わる珍しい品種。江戸時代の千駄ヶ谷(現・渋谷区)に住まいの医師・高坂宗碩氏が紹介したことからその名があります。
播磨明石藩主・松平平衛督直昭候の江戸屋敷で『宗碩/宗石』に虎斑が出たと伝わっています。参勤交代時に江戸から鹿児島の島津藩へ持ち帰って愛培したことから『江戸残雪』の別名で呼ばれています。

『江戸残雪』を参照

万年青(おもと)の別名は?

万年青は日本で様々な使われ方をしてきたので別名が多い

万年青(おもと)は、古くは薬草として、また、引越し万年青やお祝い万年青、生け花としても用いられてきた歴史があります。また、雪隠万年青(せっちんおもと)のように、外のトイレの脇に万年青を植えることで不浄な場所を清浄にする、という意味合いや、引越しの際にまず万年青を植える、入れることや、屋敷の鬼門の方向に万年青を植えるなど、風水でも大切にされた植物でありました。万年青の使われ方が様々なので、実は別名も非常に多い。植物の中でも一番なのでは?と思っています。

今、私たちが楽しんでいる園芸としての万年青は江戸時代の園芸ブームで大きく花開いたものです。

日本での別名

日本では、万年青、萬年青、霊草、老母草 冬不凋草 不老草 レイロ・リロ(藜蘆、藜芦、莉蘆、黎蘆)、縁起草、吉草、長寿草、辛抱草(しんぼうぐさ)、イワラン、烏木毒、於茂登、御許、ともよばれています。

万年青が常緑、長寿で生命力のあることから、万年青、萬年青、長寿草

冬も枯れない常緑から、冬不凋草、万年青

毎年下葉は落ちるが、同じように新芽がでて姿は変わらないことから 不老草

実が付いたとき、母(古い葉)が子(新しい実、葉)を守るように育つため 老母草

冬、他の植物が葉を落とすときも力強く常緑の葉が長く楽しめたことから長寿草

常緑で長寿なことや、風水として大切にされたことから縁起草、吉草、霊草

万年青を遊ぶ時、辛抱して増やしていけばいつか報われるというところから辛抱草

古くの薬草書からレイロ・リロ(藜蘆、藜芦、莉蘆、黎蘆)

中国名「烏木毒」の中国読み[wu-mu-tu]からとも。烏木毒

原産と言われる地名から於茂登、御許、於茂登山、御許山がある それらの山はいずれも霊山として、日本人に信仰され、大切にされてきた山です。

Wikiより 於茂登岳(おもとだけ)は、沖縄県石垣市にある標高525.5メートルのである。地元ではウムトゥダギと呼ぶ。『球陽』では宇本嶽宇茂登嶽と記されている[1]。於茂登岳は沖縄県の最高峰で、正保年間の『正保国絵図』に名前が記された琉球で唯一の山である。 古くから霊山として信仰の中心的存在であり、山名の「ウムトゥ」は「島の大本」を意味するともいう[1]。『

 

 

万年青の花言葉

花言葉も、その植物の今までの使われ方が花言葉が決まってきます。植物の性質と、文学や風習、文化が元となって花言葉ができるので、万年青のように日本人、中国人の生活に根差した植物には多くの花言葉があります。

(長寿) (母性の愛) (永遠の繁栄) (長命) (崇高な精神)

常緑で、それこそ万年、青々としているという万年青の名の通り、【長寿・長命】や【永遠の繁栄】という花言葉は誰でもわかります。

万年青の野生種は、お正月に赤い実がなります。日光東照宮や北野天満宮の400年前の万年青彫刻にも赤い実を付けた万年青が彫ってあります。600年の歴史があるとも言われる生け花の池坊は、お正月、結婚式などの祝いの席に万年青を実付きで立てます。赤い実(子供)を青い万年青の葉(母)が包むように育つ万年青をみて、【母性の愛】という花言葉が生まれたのでしょう。

万年青などの園芸は、古くは園藝と書き、その藝は、植物に手を添え、土を植えることを意味しています。藝術はもともとは、高貴な人の植物を楽しむことでした。古くから高貴な人の生け花や、趣味として発展してきた万年青の花言葉に、【崇高な精神】が入るのは当然かもしれません。

 

芸 藝の字源

  • 原字は「」で「」+「」+「」(両手を添える様)の会意文字で、植物に手を添え土に植えることを意味した。「艸」を添え、「」として、植物であることを強調。「」は「」を音符とし、「たがやす」に意を持った別字であったが、後に混同された。

意義

  1. 植物を植える。
  2. 技術
  3. 才能也–【康煕字典網上版】-原圖掃描版 -檢字- 1065 快速跳頁 [1]
  4. 人前で演じるための特別な技。

Wikiより

 

花言葉(はなことば、: langage des fleurs: language of flowers: Blumensprache[1])は、象徴的な意味を持たせるため植物に与えられる言葉で、一般に「バラの花言葉は愛情」のように植物と単語の組み合わせで示される。日本では、主に西欧起源のものを核として様々なバリエーションがあり、花をつけるものだけでなく、草や樹木にも花言葉が考えられている。花詞とも表記される。 Wikiより

 

 

万年青と付く他の植物

万年青が古くから大切にされ、また姿が特徴的なので、他の植物にも万年青とつく植物があります。

砂漠万年青 奇想天外 ウェルウィッチア

紫万年青

濱万年青 浜万年青

眉刷毛万年青

 

 

中国では

万年青 マンネンチェン 冬不凋草(常緑で冬に枯れないことから)

中国では古くから薬草として用いられ、日本と同じく、原産地でもあります。

漢方では

和漢薬、和漢方、漢方では、万年青根、万年青葉、万年青実として使われます。

英語名・学名は

学名のRohdea japonica Roth

Nippon Lily

Japanese Sacred Lily

日本で神聖に扱われていた植物として伝わっています。

公益社団法人 日本おもと協会 三河支部について

公益社団法人 日本おもと協会三河支部について

基本情報

公益社団法人日本おもと協会三河支部

会長  志賀 孝司

事務所 豊明園内 水野雅章

電話 (0564)51-4714

年会費

13000円(協会本部10000円+支部会費3000円)

入金口座は初回は豊明園にて代理しています。

次回以降は新年会、おもとを楽しむ会、三河おもと名品展などで会計にお願いいたします。

・ゆうちょ銀行 総合口座

○ゆうちょ銀行からのお手続きの場合

記号 12100 番号 74048291 名前 ユウゲンガイシャ ホウメイエン

○他行からのお手続きの場合

店名 二一八 店番 218 預金種目 普通貯金 口座番号 7404829

・ゆうちょ銀行 振替口座(入金確認までに1週間ほどかかります)

豊明園  00890-4-14721

・銀行送金

三菱東京UFJ銀行 岡崎駅前支店718(普通貯金) 616822 有限会社豊明園

特典

・萬年青銘鑑(3部作)

・年3回の会報(萬年青)

・年2回おもと展示会出品

主な活動

・1~2月  新年会 (会員との親睦・おもと展示会) 役員会

・4月第3土日 春おもとを楽しむ会  岡崎市 農遊館

(会員と三河おもと同好会の丹精込めた作品を展示・即売会)

・8月  役員会

・10月第4土日 秋 三河おもと名品展 岡崎市 農遊館

第92回三河おもと名品展 展示会風景

(会員と三河おもと同好会の丹精込めた作品を展示・即売会)

10~12月 他支部の見学会

11~12月 全国大会

・12月 忘年会

 

◎入会の申し込み、お問い合わせは

事務所 豊明園内 水野雅章

〒444-0813

住所 愛知県岡崎市羽根町鰻池165

電話 (0564)51-4714

江戸時代に作出、発見の万年青 一覧

徳川家康公が江戸城に持って入った「永島」

別格の江戸万年青

万年青は大葉、中葉、小葉(羅紗)と様々な2000種ほどの品種があります。その中でも時代時代で、流行りすたりを乗り越えてきた現在残っている品種は、特別な魅力を持ち始めます。特に、歴史の審査をくぐり抜けてきた江戸時代のおもとは別格で、万年青から江戸の香り、殿様や大商人、町人たちの息づかい、万年青熱までが漂ってくるよう。江戸万年青だけをコレクションする江戸マニアはもちろん、志のある方はそれを保存、普及させるために江戸からのお祝いや引越し万年青として植物好きな友人にプレゼントしています。

江戸万年青 入手難易度

現在数があり、簡単に楽しめるものから、縁がないといくら1000万と大金を積んだところで入手できない超レア品まで。歴史を楽しんで、お金じゃないところが面白いところ。

入手難易度 易しい 残雪、日月星、一文字(古今輪)、五大州、富士の雪(古今輪虎)、都の城、根岸の松、大象観、文鳥丸、五大高嶺、宗石、満月、逆鉾、白牡丹(水菜虎)、初笑
入手難易度 中 永島(長島、永嶋、長嶋、長縞)、福包、帽子虎、松の霜、玉獅子、七変化、高隈、白生令、加治木高嶺、太白山(本高隈)、曙、
入手難易度 難しい 江戸紺、金鶏、折熨斗、司鼈甲、紅流(紅骨)、褥錦、黄実おもと、都獅子、乕の子、鯱(日月星の覆輪抜け)、大象観虎、江戸残雪(宗石の虎)、黒葛原
還城楽、折熨斗縞、墨流、東鑑、伏見錦、阿蘭陀、

万年青の古さ

永島 家康の時代の以前

大象観 池坊の万年青はこのおもと 室町時代か 江戸初期に似た形の絵が残っている 江戸時代との説あり

都の城 都城高嶺 都尉 十五代藩主島津貴久公の天文二年(1533)のころまでにはすでに存在したもので、霧島方面の山より出現したものと思われます。駿府の徳川家康公に贈られ、江戸城に移された話も残っています。

一文字 寛政以前

日月星 安政年間

根岸の松 安政4年

高千穂 文久元年以前

文久元年 五大高嶺 富士の雪 五大州【文久元年(1861年)に江戸本所中之郷の幕府御家人・速水氏が「高千穂」の種を播いて作出し、命名したものです。文久3年、浅草寺境内での展覧会に、根岸の肴舎2代目篠吉五郎氏が出品して人気を博しました。慶応元年(1865年)の銘鑑に登載】

玉獅子 天保時代

加治木高嶺 万治年間(明暦の後、寛文の前。1658から1661までの期間を指す。 この時代の天皇は後西天皇。 江戸幕府将軍は徳川家綱) 「御殿高嶺」「御屋敷高嶺」が本名でした。島津家の家宝でたいせつにされていた品 加治木町から一般に広まつたので「加治木高嶺」が本名のようになった

太白山(本高隈) 享保11年(1726)以前か

満月 1860年の銘監に掲載、慶應元年の銘監に西前頭1段目7番に掲載されています。

紅流 江戸後期と推定される

福包 江戸後期

曙 藩政時代

不明 司鼈甲、伏見錦、白生令、黄実おもと、都の城、江戸紺、逆鉾、阿蘭陀、虎(乕)の子、折熨斗、墨流し、白牡丹(水菜虎)、初笑、還城楽、文鳥丸、金鶏、

 

 

 

1000年前の薬草からお祝いおもとや引越しおもと

万年青は1000年前から薬草として国、寺社、民間それぞれで利用されてきた歴史があります。室町時代にはすでにお祝い事に使われる縁起の良い生け花としても利用されます。室町時代に始まる池坊もお祝いの万年青を使われてきました。

江戸時代、徳川家康が最初の江戸城入城の際に万年青を自ら持って入り、万年の繁栄を願い床の間に飾りました。

万年青は元々は人々の病を治す薬草であり、祝いの生け花であり、引越しの縁起物という歴史をもちます。そのため、薬草園をもつ寺社仏閣にて植物のやり取りがあっただろうし、生け花としてもどこどこ産地の細葉や広葉のものを注文して行き来があり、引越し万年青として日本全国に人づてに広がっています。

※中国の神農本草経には1500~4000年前から万年青を薬草として使っている記述があります。

『江戸残雪(当時は「宗石の虎」)』の日本縦断

江戸時代に万年青好きな人々の『江戸残雪』にまつわる話をみてみます。『江戸残雪』は播磨明石6万石、藩主・松平左兵衛直韻の江戸屋敷で『宗石』に虎斑が出て大きなニュースになりました。そこで、万年青好きな島津藩は、参勤交代時にその万年青『江戸残雪(当時は「宗石の虎」)』を江戸から鹿児島の島津藩へ持ち帰って愛培しました。島津藩の武士たちにとって江戸から持ち帰った残雪に似た万年青なので、主に『江戸残雪』と呼ばれています。

江戸時代の参勤交代のときからおもとが日本中と江戸を行き来したという話は残っていて、そんな殿様の話を聞いた宿場町の大将もオモトを楽しんで、代々、宿場町、城下町には万年青と万年青にまつわるお祝い万年青や引越し万年青の風習、文化が残っています。