江戸時代に作出、発見の万年青 一覧

徳川家康公が江戸城に持って入った「永島」

別格の江戸万年青

万年青は大葉、中葉、小葉(羅紗)と様々な2000種ほどの品種があります。その中でも時代時代で、流行りすたりを乗り越えてきた現在残っている品種は、特別な魅力を持ち始めます。特に、歴史の審査をくぐり抜けてきた江戸時代のおもとは別格で、万年青から江戸の香り、殿様や大商人、町人たちの息づかい、万年青熱までが漂ってくるよう。江戸万年青だけをコレクションする江戸マニアはもちろん、志のある方はそれを保存、普及させるために江戸からのお祝いや引越し万年青として植物好きな友人にプレゼントしています。

江戸万年青 入手難易度

現在数があり、簡単に楽しめるものから、縁がないといくら1000万と大金を積んだところで入手できない超レア品まで。歴史を楽しんで、お金じゃないところが面白いところ。

入手難易度 易しい 残雪、日月星、一文字(古今輪)、五大州、富士の雪(古今輪虎)、都の城、根岸の松、大象観、高千穂、文鳥丸、五大高嶺、宗石、満月、逆鉾、白牡丹(水菜虎)、初笑
入手難易度 中 永島(長島、永嶋、長嶋、長縞)、福包、帽子虎、松の霜、玉獅子、七変化、高隈、白生令、加治木高嶺、太白山(本高隈)、曙、
入手難易度 難しい 江戸紺、金鶏、折熨斗、司鼈甲、紅流(紅骨)、褥錦、黄実おもと、都獅子、乕の子、鯱(日月星の覆輪抜け)、大象観虎、江戸残雪(宗石の虎)、
還城楽、折熨斗縞、墨流、東鑑、伏見錦、阿蘭陀、

万年青の古さ

永島 家康の時代の以前

大象観 池坊の万年青はこのおもと 室町時代か 江戸初期に似た形の絵が残っている 江戸時代との説あり

都の城 都城高嶺 都尉 十五代藩主島津貴久公の天文二年(1533)のころまでにはすでに存在したもので、霧島方面の山より出現したものと思われます。駿府の徳川家康公に贈られ、江戸城に移された話も残っています。

一文字 寛政以前

日月星 安政年間

根岸の松 安政4年

高千穂 文久元年以前

文久元年 五大高嶺 富士の雪 五大州【文久元年(1861年)に江戸本所中之郷の幕府御家人・速水氏が「高千穂」の種を播いて作出し、命名したものです。文久3年、浅草寺境内での展覧会に、根岸の肴舎2代目篠吉五郎氏が出品して人気を博しました。慶応元年(1865年)の銘鑑に登載】

玉獅子 天保時代

加治木高嶺 万治年間(明暦の後、寛文の前。1658から1661までの期間を指す。 この時代の天皇は後西天皇。 江戸幕府将軍は徳川家綱) 「御殿高嶺」「御屋敷高嶺」が本名でした。島津家の家宝でたいせつにされていた品 加治木町から一般に広まつたので「加治木高嶺」が本名のようになった

太白山(本高隈) 享保11年(1726)以前か

満月 1860年の銘監に掲載、慶應元年の銘監に西前頭1段目7番に掲載されています。

紅流 江戸後期と推定される

福包 江戸後期

曙 藩政時代

不明 司鼈甲、伏見錦、白生令、黄実おもと、都の城、江戸紺、逆鉾、阿蘭陀、虎(乕)の子、折熨斗、墨流し、白牡丹(水菜虎)、初笑、還城楽、文鳥丸、金鶏、

 

 

 

1000年前の薬草からお祝いおもとや引越しおもと

万年青は1000年前から薬草として国、寺社、民間それぞれで利用されてきた歴史があります。室町時代にはすでにお祝い事に使われる縁起の良い生け花としても利用されます。室町時代に始まる池坊もお祝いの万年青を使われてきました。

江戸時代、徳川家康が最初の江戸城入城の際に万年青を自ら持って入り、万年の繁栄を願い床の間に飾りました。

万年青は元々は人々の病を治す薬草であり、祝いの生け花であり、引越しの縁起物という歴史をもちます。そのため、薬草園をもつ寺社仏閣にて植物のやり取りがあっただろうし、生け花としてもどこどこ産地の細葉や広葉のものを注文して行き来があり、引越し万年青として日本全国に人づてに広がっています。

※中国の神農本草経には1500~4000年前から万年青を薬草として使っている記述があります。

『江戸残雪(当時は「宗石の虎」)』の日本縦断

江戸時代に万年青好きな人々の『江戸残雪』にまつわる話をみてみます。『江戸残雪』は播磨明石6万石、藩主・松平左兵衛直韻の江戸屋敷で『宗石』に虎斑が出て大きなニュースになりました。そこで、万年青好きな島津藩は、参勤交代時にその万年青『江戸残雪(当時は「宗石の虎」)』を江戸から鹿児島の島津藩へ持ち帰って愛培しました。島津藩の武士たちにとって江戸から持ち帰った残雪に似た万年青なので、主に『江戸残雪』と呼ばれています。

江戸時代の参勤交代のときからおもとが日本中と江戸を行き来したという話は残っていて、そんな殿様の話を聞いた宿場町の大将もオモトを楽しんで、代々、宿場町、城下町には万年青と万年青にまつわるお祝い万年青や引越し万年青の風習、文化が残っています。

オモトの分類について ユリ科? スズラン科? キジカクシ科?

オモトは現在キジカクシ科(アスパラガス科)

今までの本にはユリ科やスズラン科として分類されていましたが、

現在キジカクシ科(アスパラガス科)に分類されています。

愛知県名古屋市 熱田神宮そば 鰻の蓬莱軒にて

見た目の特徴ではアスパラガスとの共通点は見当たらないが、進化の過程で分かれてきたと思うと面白い

オモトは従来は「ユリ科」

オモトの科は、従来の植物学では「ユリ科」に分類されていましたが、15年春、「日本花名鑑刊行会」が発行された『日本花名鑑③』では、「スズラン科」に属するということになっています。最新の栃の葉書房山野草図鑑~~では「キジカクシ科」に分類されています。

なぜこのように私たちが愛してやまないおもとの科がころころ変わってしまうのでしょうか?

地中海東部原産のアスパラガス。和名はオランダキジカクシ

 

ユリ科について

ユリ科という科はもともととても雑多なくくりで、「単子葉類(種からの葉が双葉(2枚葉)でなく、1枚葉ででるもの)の中で、一般的に、花被片は、外片3個、内片3個、計6個の花弁状の披片を持ち、6本の雄蕊子房上位などの特徴を持つもの」となっており、これはほとんど単子葉植物の基本です。そのため、非常に多くの属・種を含むグループで、人為的分類群であり、はっきり分からないものをここに分類していました。そういったことから、ユリ科の分類は、学者の間でも議論が長くありました。そのため、分類体系が新しくなるに従い、ユリ科の中の植物は大きくグループが変わりました。

今までの分類について

今までの分類は、主に花や葉の形など、人が直感的に分かる分類をしていましたので分かり易く、今でも、教科書や市販の植物図鑑等でよく使われます。古くから学説が変わり、その目の付けどころで、科や属などが少しづつ変わっていくことがありました。

今の分類について

1990年代以降、DNA解析によってどの種とどの種がどこで分かれて進化したのかが分かるようになり、今までの見た目の分類から、DNAを元にした分類に変わっていきました。このため、おもとはユリ科に属していたものが、スズラン科、そして、キジカクシ科(現在の科)へと変わっていったのでした。

植物の分類体系では、国、県、市、町、村、番地と同じように、大きな順に、「門」「綱」「目」「科」「属」「種」(オモトの分類を参照)という割り振りがきめられていますが、ユリ科は「科」だけでなく、その上の「目」まで変化しています。多くの植物の趣味人にとってユリ科の大改革とも解体ともいっていいほどの衝撃でした。

オモトの分類

遺伝子(DNA)分類の(APG III)を元にして

: 植物界 Plantae
階級なし : 被子植物 angiosperms
階級なし : 単子葉類 monocots
: キジカクシ目 Asparagales
: キジカクシ科 Asparagaceae
亜科 : スズラン亜科 Nolinoideae
: オモト属 Rohdea
: オモト R. japonica
学名
Rohdea japonica (Thunb.) Roth

 

キジカクシ科って何?

今回オモトが属するキジカクシ科は、クサスギカズラ科、アスパラガス科とも呼ばれ、かつてはユリ科に含められていた300種ほどの科です。分類の変更で、旧ユリ科から、オモト属だけでなく、ハラン属、スズラン属、ギボウシ属、ヒアシンス属など多くの属が編入され、多くの人がまだまだ慣れない分類になっています。

DNAで分類ができるようになり、ユリ科からキジカクシ科に変わったオモトだけでなく、園芸界に大きな衝撃がありましたが、新しい視点として今までの分類と比較していくのも面白いですね。

APGⅡでは別科とされていたが、Ⅲで同科とされた植物(一例)

ギボウシ類

ユリ科→リュウゼツラン科(APGⅡ)→キジカクシ科(APGⅢ)

ジャノヒゲ

ユリ科→スズラン科(APGⅡ)→キジカクシ科(APGⅢ)

ツルボ

ユリ科→ヒヤシンス科(APGⅡ)→キジカクシ科(APGⅢ)

世界の植物園ではAPGⅡでもきちんと分類されている、ということでAPGⅡで分類している植物園(エディンバラ植物園など)も

分類 (APGⅢ)とは?

APG (Angiosperm Phylogeny Group 被子植物系統グループ) とは、植物を葉の形などの見た目で分類をするのではなく、DNAを解析して分類していく植物学者の団体である。「APG分類体系」とも呼ばれ、1998年に登場し、2回改訂されているのでAPGⅢ。最新の分類法とされていて、この分類法に従い、オモトはユリ科からキジカクシ科に変更した。

水苔の育て方

 

水苔の育て方

 

生育環境

水苔は日本に広く自生しているものですので育てやすく長時間の直射日光を避け腰水を保てば誰でも簡単に育てられます。

育て方

腰水で管理し水を切らさない、勿論水没状態にならないように注意する。
施肥をしていたり他の鉢の水が流れ込む場所では偶に上からよく水をかけて腰水の水を入れ替えるとよく育つ。

日光

半日陰~日陰が良い
直射日光にも耐えれますが時間が長くなるにつれ赤茶色で太く育つ傾向にある
日陰で育てると淡い緑で細く育つ

温度

愛知県平野部でしたら猛暑の2時ごろでも直射でも枯れない。
冬凍結しても問題ありません。

肥料

特に必要ありませんが極薄い液肥を春秋の期間に与えると生長が良い。

湿度

腰水の水分を芽まで吸い上げるので特に注意しなくてもよい。

※育ち背丈が伸びてきて草姿が乱れたら

長くなりすぎると腰水との距離が長くなり給水が追い付かなくなることも
伸びた分を切り取り同じ器に戻せば何事もなく生育します。
根や時期に構わず行っても平気
カットする長さは芽があれば1㎝でも生育できますが生育が遅くなります、できれば5㎝くらい長さがあると生長がはやいです。
腰水の水面から芽までの距離が3センチ以上のが良く生育する。

この育成画像は強めの光で風・霜にもさらしておりますので少し赤がさしております。
光のあて具合等の環境で葉のサイズや色・茎の太さ等変化しますので最適な場所を探してみましょう。

楽しみ方

気軽に管理ができるのでご家庭にあるガラス容器でテラリウムに仕立てても陶器のコップに刺して窓際や食卓に彩を添えても素敵ですね。
古い葉に程よく水や空気を含んでいるので水耕栽培より容易に草木が育ちます育っている水苔に草木を植えこんで楽しむのもアリですね。

購入は

弊園通販サイトで販売しております。水苔販売のページへのリンク

固有種に配慮を

固有種ごとに生育環境・太さや葉の形等異なります、自生地を荒らさないのは勿論、購入したものは自生地に影響を与えないように配慮をお願いします。自然に放たないでください。

おもと鉢 楽鉢

 楽鉢の樂しみ

『古於茂と那よせ』(こおもとなよせ)天保3年(1832年)現在のおもと鉢とは形状が異なる。江戸時代のカラフルな色彩感覚がうかがえる。  幕臣水野忠暁が選び、絵師関根雲停に描かせた。

現在「おもと鉢」とよばれる楽焼鉢は享保年間(1716~1736年)に幕府御 家人、永島次郎太郎墨林が「縁付」という現在のおもと鉢の原型となる鉢を作らせ「白鳄」「黒鳄」と呼んだのが始まりといわれています。しかし、天保3年(1832年)に描かれた『古於茂と那よせ』を見ると、その鉢は有田焼か九谷焼のようで、染付あり金權手ありで、形も丸形、六角形、八角 形とさまざまで、まだ楽焼鉢ではなさそうです。おもとを植えるのに楽焼鉢が主として用いられるようになったのはどうやら京都を中心に「こおもと」が大流行した明治初期前後からではないかと思われます。明治18年に肴舎篠常五郎が出版した『萬年青圖譜』には「万年青盆」を初め「京黒鳄」や「京黒楽」に絵付けした鉢があり、さらには「太鼓胴鉢」も見られます。

金生樹譜別録「カネのなる木」

萬年青部著者 長生舎主人序   天保四年刋(1833年)

現在でも楽鉢は盛んに生産され、さまざまに絵付けされた美しい錦鉢を手にすることができます。形状は基本的には鉢の高さと直径が同じになる「胴返し」という形になっていますが、「縄縁」「太鼓胴」「龍足」など造型に凝った鉢もあり、まるで美術品のようです。おもと専門店や展示会場などで販売されており、目移りするほど多彩な鉢が並んでいます。価格帯もさまざまで、有名な絵付け師の描いた錦鉢は数が少ないこともあり、一際人気があります。ご自分のおもとを引き立てるような錦鉢に植え付け、鉢合わせを楽しみ、おもとの格調をより引き出すことが、育てるから飾る(観賞する)までのおもと愛好の幅の広さともいえます。

五彩八重菊紋白鍔鉢 江戸後期 3.5号

扇面古代絵巻図鉢 3.8号

太鼓胴藤蔓花絵鉢 江戸後期 5.3号

楽鉢•錦鉢には骨董的価値を持つ古鉢があります。現在製造されている楽鉢にも秀逸な作品は数多くありますが、明治から昭和初期にかけて作られた古鉢には、現代鉢にはない古さ•時代乗りがあり、その落ち着いた雰囲気はおもととの相性も良く大変好まれます。現存する数にも限りがあり、非常に貴重ですので、機会に恵まれたなら是非入手しておきたい逸品です。

希有な逸品揃い 古鉢

おもと鉢は黒地に金の縁•足が基本です。真新しい鉢を見ればわかり ますが、艶があり眩しいくらいに金色が光っています。この真新しい鉢 におもとを植えると溌剌と若々しい印象を与え、おもと本来の歴史と重みを感じる落ち着いた作品には仕上がりません。少なくとも数年は使い込み鉢自体に落ち着きのある雰囲気を出させたいものです。

そこで、最近人気なのが、昭和初期以前に作られた古鉢。時代乗りや鉢の持つ雰囲気はいうことなしですが、現代にはない個性的な形や美しい絵付け•色彩が特徴です。現存する数も限られていることから、入手は非常に困難です。値段も少々張りますが、見かけたら是非入手しておきたいものです。

植え付けたおもととの相性も抜群で展示会等では一際目を引く作品になることでしょう。

立湧文様楽鉢 明治時代 4号

松竹梅に鳥図鉢 明治時代 4.7号

古鉢・短冊屋五柳鉢 3.5号

桜花御所車図楽鉢 21.5㎝ 明治時代後期作

春の麗らかな桜咲く日の御所車という晴れやかな情景を描いている。五色の幕も亀甲や唐草、立湧といった吉祥柄を組み合わせたもので全体が明るい雰囲気に仕上がる。現代の名作家布施覚氏もこの鉢を写して春と秋の御所車を完成させている。東京の有名な歯医者さんが豊明園2代目淳蔵と仲が良く、特別に分けて頂いたもの。この古鉢が特徴的なのは金継ぎです。日本ではものを大切にする文化がありますが、割れてもこうして大事に使ってゆくことで鉢の価値もまた高いものだったのでしょう。

割れた器を修復するだけでなく、以前よりも価値のある味わい深いものにしてくれる金継ぎ。物を大事にする日本の文化として残していきたいです

三色雲富士龍図楽鉢   直径14.4㎝ 高さ 13.7㎝ 大正前後

三色の雲の中を黄金の龍が翔ける様子を描いたもの。迫力のある爪、隆々とした脚、赤い腹、大きな口からは咆哮が聞こえてきそうなほどである。金の鱗や角も丁寧に細かく描いてある。

昭和三年に新潟の石油王中野忠太郎氏に1万円にて譲渡された有名な写真ですが、その時の記念の写真と龍の構図をほぼ同じに破れ亀甲が三色の雲と対応するように描かれています。これらからこの出来ごとの前後か、鉢の状態からもう少し古いものではないかと考えられています。

米1俵10円60銭

鋏あとは足についていて、意匠にくぼみがつかないようにしている。

 

光陽(こうよう) 霰青海波短冊模様鉢 4.5号

 

おもと鉢  七々子鉢

楽焼 錦鉢 七々子

細かな七々子。職人技です。古鉢にはまれにここまで、さらにはもっと細かなものまであり、ただ一つの柄ですが、職人は腕をみせる場所。 逆に、ごまかしの利かない、実力が分かってしまう場所でもあります。おもとを引き立たせる、美しい錦鉢の世界。

翠峰(すいほう)

伝統的なおもと鉢に植えて      鉢はナナコ・七々子・ 魚子とも魚の卵をイメージしたのか、子孫繁栄や生命の誕生を喜ぶ、一見地味だが深い意味のある鉢の柄

鮮やかな緑で目を開かせる、中型の小葉 こはラシャとも縁起の良い熨斗芸を中心に、直線的な葉が扇を広げたように放射状に伸び、姿美しい覆輪は時に深く、時に浅く入り、鮮やかな翠とのコントラストが美しい

楽焼 七々子古鉢

外形 約13.7cm時代ついている
※古鉢は古く歴史の有る鉢です。使ってあるものが殆どで状態がさまざまです。小さなキズ、入、汚れ、ホツ等がある場合がございます。

楽焼は天正年間(約400年前)に始まる日本独特の焼き物です。楽焼は《急熱急冷》という特殊な焼成方法をとります。急熱急冷だから、鉢に細かな 微細な穴ができ、通気を良くしています おもと自体、非常に歴史のあるものですが、常に新しく子供を産んでそれを楽しんでいるのでぱっとみは時代を感じられないこともあるかと思います。この古鉢は一目で古さがわかるわかりやすさと、当時の作家のタッチがわかる七々子の表情が魅力です。

形に違和感を持った人もいるかと思います。現代のおもと鉢というと、もっと胴すぼまりで、このようなぽってりとした胴の鉢はみるのも初めての方もいらっしゃるでしょうか。万年青の歴史にも載っていますが、江戸時代の鉢はこのような鉢も使われていて、今のおもとにもぴたっと合います。実は非常に伝統的で、歴史のある鉢。

万年青の鉢は江戸時代の浮世絵にものってきますが、時代の最先端の人が使ってきた鉢なので、いろいろなものが使われていますその中で楽焼の今の形に落ち着いたというのも面白いですし、今またもう一度歴史を振り返って、この七々子古鉢のような丸胴鉢や瀬戸焼、伊万里焼の鉢に合うのかも試してみると楽しいですね。奇抜な鉢を試すのもまた一興。その中でもこの鉢はおもとと抜群に相性がいいので、ぜひ一度手に取ってみてください。

おもと鉢の柄 七々子(ななこ)

古くから使われるおもと錦鉢の柄。もとは、小さな輪の文様の集まりが、魚の卵を連想させる事から、「七子」「魚子」「斜子」などの字があてられている。古くからある柄のようで、延宝六年(一六七八)の加賀藩の工芸標本『百工比照』の中に、「ななこ」の名称が見られる。また小浜藩の藩医が延宝年間に記した書物にも「魚子塗」の言葉が見える。鉢の柄は渋く、おもとを引き立てる、ということで古くから愛され、使われてきた。単純な柄ゆえ、その作家さんの技量もでて、素晴らしい物は古いものはもちろん、新しい物も価値が高い。格子の中の点である、金の絵具は、絵付けの時は黒く、地の鉢も黒鉢で、必ずといっていいほど目残しがある。手間も非常にかかる鉢でもある。

古くからあるので、描き方も様々。

 ハート形の文様に金点を打った。

七々子柄の多くは、常の鉢にも使われている今も、普段使いの鉢をすべて縁足金鉢(縁と足が金の鉢)や、錦鉢で楽しまれる方がいらっしゃいますが、昔もすべて七々子でおもとを作っていた方はいたそうです。おもとの友人が遊びに来た時は、錦鉢に植えたおもとを、玄関や、床の間に飾って語らいだり。自分の部屋に飾るのも、やはり錦鉢だと飾りやすいですね。

楽焼 六角の鉢  七々子で楽しむ

おもと鉢は、江戸時代の後期に、今の黒鉢の型が決まったと言われているが(諸説あります)、その昔は様々な鉢に植えて楽しまれてきました。江戸期のおもとを植えられていたと思われる鉢にも、六角の鉢はでてきます。

 

手島風の七々子

白い部分、金色の部分も盛り上げてあり、立体感のある七々子鉢。7.9㎝という超小型の鉢。小さすぎて、手捻りでないとできず、難しい。絵付けも難しいです。おもとの実生鉢としてだけでなく、他の園芸植物、長生蘭(ちょうせいらん、セッコク)、富貴蘭の方もこういった鉢を求められます。また、海外の方も鉢の好きな方が多いです。

おもとの鉢について 縁足金

おもと鉢について  

新生殿 (しんせいでん)

おもとでは、多くの趣味者が鉢も楽しむことが多いです。それは、展示会のため、というだけでなく、自分の部屋や玄関など、飾るときに美しくみせるためです。

古く、徳川家康公がおもとを楽しんだり、殿様、諸侯がおもとを楽しんだ時、そのためにわざわざ鉢を焼かせるほど、鉢にはこだわりをもっていました。室内のしつらえに合わせるためなのか、床の間に合わせるためなのか、非常に素晴らしい鉢が残っています。

万年青は室町や江戸時代では盆栽とも呼ばれていて、盆は鉢、裁は植物を現します。ただの盆、鉢だったのが、だんだんと装飾を施されるようになり、今の鉢文化に繋がっています。

江戸時代終わりごろの書籍には、おもととともに鉢を楽しむ姿が描かれています。

現代では、いつ、どれを部屋で楽しんでもいいように、化粧鉢や錦鉢とよばれる鉢で作られる粋な方もいらっしゃいますが、多くの方が黒鉢、プラスティックの鉢を使われていると思います。それでも皆さん、正月や、春や秋の植え替えの気候のいい日には錦鉢に植えて、将軍様が楽しんだように、おもとを愛でています。

縁足金 (ふちあしきん)

縁足金(ふちあしきん)

又は略して縁金(ふちきん)ともよびます。
3つ足ふち有りの伝統的な形・製法の黒鉢の縁と足に金を焼き付け物。
製法
整形・乾燥→800度素焼き→釉薬掛け→1200度本焼き→赤熱状態のまま水につけ急冷焼締めを防ぐ
上記製法により生地の内部や釉薬に細かい隙間ができていて、鉢自体に適度な通気・保水性があります。根の生育によいとされ古くから万年青の育成に使われている伝統鉢。

おもと鉢のサイズ

製造過程で縮む物なので工業製品と違いある程度のサイズの上下はご了承ください。1号=3センチです、例えば3号ですと9センチ※目標寸になります。

オモトの鉢のサイズは鉢の外、外側で計ります、サイズは12.5㎝

おもと鉢の大きさ

オモトの鉢は高さと幅が同じサイズで作られています。号数は大きい鉢になるほど誤差が出てきます。気温や湿度、土により誤差ができます。

楽鉢の薄さ、通気性について

おもとの楽鉢、通気性がいいとは聞くけど、黒く厚いぼてっとした釉薬をかけて本当に通気性がいいのかな?と思った人は私だけではないはず。それでもおもとを育てていくと自然と根はまず鉢のへりに張り付くように伸びてゆくし、空気も通って環境は良いのだろうなとは実感できるようになってきました。

それでも実際を見てみるのが一番早い。ということで、ちょうど割れた鉢があるので見てみましょう。その薄さにはびっくり。縁や足とは比べ物にならないほどの薄さ!近づいてよく見てみると、割れた断面の生地が層になっていて、空気を含んでいるような感じです。ガラス質の黒の釉薬は楽鉢独特の製法、1200度から一気に外気にさらす急熱急冷で目に見えないような細かなひびが入って、そこも通気性を良くするポイントです。通気性が良いということは軽いということ。楽鉢は他の陶磁器と比べ持ってみると見た目よりずっと軽いです。

昔から気品と共に大切にされてきたおもとの楽鉢。上作にも一役買っています。作だけでなく、作の一助になりますように、自分の楽鉢を割るのももったいないので、この写真で薄さを実感してください。

ミルフィーユ 砂と粘土が合わさった生地ででぼこぼことしている。自然と根の多くは鉢のへりに張り付くように伸びてゆくし、空気も通って環境は良いのだろうなとは実感できるようになってきました。なかなか見れないものなので、是非ミルフィーユのような生地は層のようになっていて、ちょうど間の悪い所に、 たまたま鉢の整理をしていましたら割ってしまい、ました。

サナ
鉢底の穴は大きく商品に付属するオレンジ色の「サナ」と呼ばれるもので塞ぎ植えつけます。

※写真は代表写真です、号数により若干形状が異なります。また同じ号数でも手作りの焼き物なので形状・サイズにばらつきが御座います。
※弊園でも消費しておりますので正確な在庫管理のため少数しか在庫登録しておりません登録在庫以上必要な場合や大きなサイズの注文なども御注文・お問い合わせよりご相談ください。

 

粋な趣味者の友。

楽の良さである黒を主体に、縁と足だけ金を使ってある。全国大会に使える一番シンプルな鉢ともいえます。金がおもとの額縁になってくれるので、おもとがよく引き立ち、また締まった印象を与える鉢です。昔の殿様のように色絵付けの鉢ですべてのおもとを着飾るのも一興。また、この縁足金のようなちょっといい鉢でお棚を揃えて、きりりとした御棚の印象にしてもいいですね。通気よく、根張りがよくなる楽鉢にうえて。

おもと 鉢 作り方

 楽焼黒鉢の製造工程

 

楽焼は天正年間(約400年前)に始まる日本独特の焼き物です。
楽焼は《急熱急冷》という特殊な焼成方法をとります。

楽焼鉢になるまえの土の塊

ここから鉢に整形していきます。

良くこね、土にしっかりと粘りをもたせます。

この捏ねることも、熟練の職人さんでしか上手にできません。

手捻りで形を作っていく

いとも簡単に形を作っていきます。おもとの鉢の形は作家さんによって様々で、鉢の下が細かったり、逆に太かったり、鉢の鍔(つば)の向きも少し上に向いたり、下に向いたりと様々。作家さんの特徴が出ます。

万年青界一の造型師ともいわれる一角氏は、根張り良くおもとをつくる、ということで太い鉢を良く作られました。この方は、一角氏に師事し、太めの鉢をおもに作られます。お客さまの意向次第です

私と弟も一度体験した見たのですが、、、

途中でクシャリ、、

職人さんは簡単そうにやるのでできるかな、なんて考えが甘かったです。脇をしめてとても力が要りますし、上に持ち上げるのにも相当な技術が要りますね。この上、鉢の形(細い鉢か、太い鉢か、など)や生地の薄さを考えたりして一つの鉢が出来てきます。

鉢はしっかりと一定期間乾かし、足を付けます

これも一般の人では、一日かかってもいい物は作れない、といわれる

足付けの作業

鉢製作で難しいのは足を付けるところ!上の土の塊をいとも簡単に足にしていきます。

土の塊が足に!
ものの数秒で足にして、付けていきます。まさに職人の技。私も弟もやらせていただきましたが、まず足の形になりません。それでもがんばってやってみても、だんだんと土の水分が乾いてきて使い物にならなくなってしまうそうです。スピードと正確さが必要な作業です。

おもと鉢ができました

足を、三方向、均一に付けるのも、また、高さを揃えるのも難しいです。足付けだけでも三年は修業しないときちんとした製品にはならないそうです。これから黒鉢なら、黒の釉薬をぬって焼いたり、錦鉢なら絵柄をつけたりと、まだまだ鉢作りの工程は続きます。

縄縁、細工鉢を乾かしているところ

素焼窯で800度12時間

黒の釉薬をかけて、1200度の高温で本焼き 数分間です。

そして、楽焼の特徴、急冷。隣に水を張った水槽が用意してあり、急冷します。急冷によって艶やかな黒色の発色と土の焼き締めを防ぎ植物の生育に適した良い鉢が出来上がります。

急熱急冷の楽焼の特徴を利用した面白い製法ですね。

1200度の高温で本焼き 【数分間】、ということにビックリです。 楽焼は天正年間(約400年前)に始まる日本独特の焼き物です。楽焼は《急熱急冷》という特殊な焼成方法をとります。急熱急冷だから、鉢に細かな 微細な穴ができ、通気を良くしています

おもとのサナ作り

おもとの‘さな’をつくります。黒鉢や錦鉢の底には大きな穴が開いていますが、それをこちらでふさぎ、かつ、水はけも良くします。

しっかりとつめ、

つくります。

 おもとのサナ

おもと鉢  利山・手島

   現代鉢作家 利山工房のイッチン     

 

利山氏は愛知県高浜市の鉢•絵付け作家。父の代から続く工房でおもと楽鉢製作を小学5年生から手伝い、瀬戸窯業高校専攻科を修了後に本格的に鉢製作の道を歩まれ、55年のキヤリアをもちます。

工房で鉢製作に携わっていた一角氏の技術を間近で見て育ち、布施氏に絵付けの技術を教わりました。その技術を用いた鉢製作や縄縁、一角足、龍足、蟹鉢の細工鉢や絵付け鉢も素晴らしいですが、特筆すべきは絞り出し、盛り上げのイツチンの技法。イツチンは明治時代に手島擎二氏がおもと鉢に応用したもので、筆の絵付けとは違い、絞り出しの立体感のある絵付け方法。現代のおもと鉢では誰も作る人がいない中で復活させ、独特な味わいのあるイツチンフアンを増やしてきました。絵柄は少ない色数で落ち着いているのでおもとを引き立てて、鉢合わせもしやすくなります。触った質感も手によく馴染み、イツチンの鉢でしか味わえない素朴な親しみやすさがあります。

イッチンの顔料と絵付け筆

泥漿(でいしょう)を乳鉢でする。絵付けする時間より泥漿(でいしょう)をする時間のが長い。

ちゅうぶの中に泥漿(でいしょう)を入れイッチンを絞り出す

 

イッチンの先の穴 線の太さによりイッチンの先を変える。すぐにつまり易いので泥漿(でいしょう)を細かく擂ることが大事です。

盛り上がるイッチンの職人芸

 

イッチンは、ケーキのホイップクリームを絞り出す技法と同じと考えていただいてよいです。最初の布施氏の絵付けもその技法を使ってありますが、その細さはそのまま技術の高さを物語ります昔の古鉢の手島鉢は素晴らしい物が多いですが、現代の名工も負けていません!品があり、技術的にも高い鉢

鉢があまり主張しないので、どのおもとにもあう

手島風 七々子 利山作

イッチンの技法で描かれた手島写しの鉢です。

色絵具を塗る、のではなく、ろうせきというもので、盛り土をする、といった感じでしょうか。鉢に、独特の立体感が出ます。手島氏は、大正前後に活躍された鉢作家さんですが、その時期は戦争もあり、豪華な色柄が使えなかったそうです。そこで、こういったイッチンを用いて、なんともいえない侘び寂びのような錦鉢の世界を作っていった人でした。

今ではこの技術が出来る人は少なく、一部のマニアではこればかりを集められ、鑑賞されている方もいます。

 

黒の釉薬も付けていない、焼く前の状態。太鼓銅(太鼓の胴のように、鋲(びょう)がうってある鉢)の、力強い鉢に、あっさりとした手島風の絵付けがしてあります。

青海波などは、縁起の良い鉢ですし、また、手島風の絵付けとも良く合います。できあがると、落ち着いた、どんなおもとにもあう鉢に仕上がるでしょう。

 

手島鉢

鉢は、イッチンの技術を用いた、盛り上げた技法手に取ってみると、ぼこぼことした質感があります。

明治の終わりから昭和の初め、金(きん)の高かったころにイッチン(盛り上げ)の技法で多くのデザインを作っていった手島氏という方がいます。金を用いず、質感を出して新しいデザインを作っていった。

おもと界では、その方に敬意を表して、そのイッチンを使った鉢を手島風、手島鉢などと呼ぶことがあります。

手島鉢

万年青鉢 一角楽鉢 

 稀代の陶芸家 東城山一角

東城山一角氏は四国をはじめ諸国を修行してまわり、郷里に戻ってからも興楽 園窯•藤浦陶園•澤製陶所(50~70)歳.石川窯(71~79)歳と転々と作陶していました。

縄縁吉祥雪輪散らし龍足鉢 14.3㎝  一角作 布施覚絵付け

一角氏の鉢に見られる青と白の練り込みは、おもと鉢では初めて用いられた技法です。また鉢足には龍や鯉など遊び心溢れる造型が施され、薄作りの縄縁は上品な仕上がりでおもとを引き立てます。

このように一角氏はこれまでのおもと鉢にはなかった細かい細工が得意で、他にも河童•猿•鶏•蟹など様々な作品が残っています。さらに、鉢以外にも茶器や急須なども作りました。

しかし、氏は注文を受けても気が乗らないとも何年たっても作らず、返事をして1年、催促して1年、出来上がるまでに1年といった調子でした。そして、業を煮やしたお客様が催促に訪れると、相手をしながら細かい細工をいとも簡単に作ってしまつたそうです。

朱泥 河童急須

万年青 一角楽鉢 

縄縁練込蟹細工鉢 12.2㎝  稀代の陶芸家 東城山一角 71才の作品

東城山一角氏は四国をはじめ諸国を修行してまわり、郷里に戻ってからも興楽 園窯藤浦陶園澤製陶所(5070).石川窯(7179)歳と転々と作陶していました。

縄縁朱泥練込金散し兎鉢 12.2㎝ 東城山一角 73才の作品

縄縁練込金猿鉢 12.3㎝ 東城山一角 73才の作品

一角氏の鉢に見られる青と白の練り込みは、おもと鉢では初めて用いられた技法ですまた鉢足には龍や鯉など遊び心溢れる造型が施され、薄作りの縄縁は上品な仕上がりでおもとを引き立てます。

縄縁鯉足鉢 12.4㎝ 東城山一角 71才の作品

 

朱泥万年青急須

このように一角氏はこれまでのおもと鉢にはなかった細かい細工が得意で、他にも河童蟹など様々な作品が残っています。さらに、鉢以外にも茶器や急須なども作りました。しかし、氏は注文を受けても気が乗らないとも何年たっても作らず、返事をして1年、催促して1年、出来上がるまでに1年といった調子でした。そして、業を煮やしたお客様が催促に訪れると、相手をしながら細かい細工をいとも簡単に作ってしまったそうです。

独特の趣きある鉢 一角氏は鉢の製作者

おもとの錦鉢(おもとの植木鉢)では、鉢の造形にこだわると、それ専用の鉢製作者と鉢の絵描きさんが共同で製作する。(中にはすべてこなす人もいる) その製作者の中でも一際異彩を放っているのが一角氏である。

 

中里五代 東城山一角さんについて

一角さんの鉢の、現代の作者との一番の違いは、鉢を手びねりでロクロを使い鉢の形をつくっていることです。今は型があって、それでやることが多くなりました。縄縁も本物の縄のように丁寧に作りこんでいます。このように品があって、かつ迫力のある縄縁をつくれるひとが少なくなってきました。

一角さんは全国を修行して渡り歩いた人で遊び心も一流です。独特な足は猫足を基本として、一角足、龍からねずみ、かわった装飾文様まで多岐に渡ります。そんな一角さんの鉢を手にとってみてはどうでしょうか。

一角氏の縄縁桜くぼみ足

丁寧に作りこんであるくぼみ足や、最初の太鼓胴のように、遊んだ造形は面白いですね。一角氏本人も様々なものを作り、楽しんだそうです。そうなので、飽きたら作らず、数が少ないのもまた、一角氏の魅力です。

縄縁龍足鉢 12.3㎝ 東城山一角 71才の作品一角氏手作り鉢

今、手びねりで美しい縄縁を作れる人はとても少ないです。縄縁をつくるには型などを使わずに引き上げ、作っていかないといけません。足も見たこのないような独特の足があります。

万年青鉢 短冊屋 和楽

     加茂黑の艷 京都祇園短冊家

 

長春閣(ちょうしゅんかく) 和楽・巴菊鉢 4号

文政年間に京都衹園八坂神社の門前茶屋「短冊楼」にて楽焼や雑器の製陶を始めました。二代目より「楽焼の短冊家」として作陶に務め、大正7年には東郷平八郎元帥より「和楽」の称号を授かり、以来「和楽」の屋号にて現在に至ります。

江戸時代後期おもと鉢の製作もありましたが、本来楽焼きの抹茶茶碗などを主に製作する窯元ですので、しばらくの間おもと鉢は製作されませんでした。近年になって、(平成18年度に錦鉢(万年青鉢)制作を再開)およそ90年振りにおもと鉢の製作を再開しましたが事情により鉢の製造は現在中止しています。

短冊家 先代、五龍時代のデザイン帳なんと書いてあるかといいますと、明治25年5月 錦画鉢模様控 短冊屋工場と書いてあります。短冊家おもと鉢の最大の特徴は古鉢、現代鉢でもともに使われている、賀茂黒といわれる黒の艶にあります。現在の化学薬品で調合された黒色とは違い、独特の艶•深みのある漆黒が魅力です。賀茂黒は京都鴨川上流にある鴨川石•貴船石という、鉄分を豊富に含んだ石が原料になりますが、現在入手困難となっているため、以前に在庫してあった原料があるのみで大変貴重です。

和楽 ・金菱紋鉢 3.8号

 

 

和楽 牡丹鉢

短冊家 先代、五龍時代のデザイン帳より
短冊家手作り 桐箱入り 1点づつ窯入れしているのでハサミ痕あり。
短冊家の落款

楽焼は天正年間(約400年前)に始まる日本独特の焼き物です。
楽焼は《急熱急冷》という特殊な焼成方法をとります。
急熱急冷だから、鉢に細かな 微細な穴ができ、通気を良くしています

100年以上前のデザイン帖が残っているということにまず驚きます。京都、祇園の歴史がなせるわざ。

五龍という絵師はおもと界では伝説になっていますが、よくこんなデザインを考えたなあという、この先100年たっても古くならないデザインを考えた人です。京都の1000年とも、2000年?ともいわれる歴史が雅という美意識をつくって京都人を楽しませてきた歴史を感じます。

現代作家も皆、このデザインを自分なりに取り入れ、おもと界の芸術品、鉢という作品で残しています。現代の第一人者の布施さんと五龍の鉢の話は有名です。

賀茂黒の味がでています。非常に緻密で細かい仕事が施されており、地の賀茂黒、緑、金の縁取りに牡丹と重層的な美しさがあります。作者は色にこだわりがあり、緑にも、白にも青、黄、赤とどれも何色ももっていて、ベストな色を選んでいます。鉢ごととはいきませんが、この鉢のためだけの色があります。足や縁の金は金箔そのものをはっていて、例えばプラ鉢や黒鉢をブラシで洗うようなことはさけてください。本物にこだわる人向けの鉢です。

今作ってくださっている作家さんが見つけ、その斬新なデザインにびびっときて、おもと界とまた繋がりが始まりました。明治の時代のデザイン帳ですが、今見ても新しいデザインばかり、ここから1点ものの新作が生まれていきますこの模様控(デザイン帳)の中には、現代でも使われている七々子や青海波から、今残っている古鉢と全く同じものまであります。作っていただいている鉢はどれもこの模様控(デザイン帳)からデザインやアイデアをもらって作られていて、今までにないものになっています。

また、短冊鉢の面白いところがすべて1点ものというところも面白いところです。こういった形ですべての鉢が短冊家さんの元帳に入っております。どれも美術工芸品としてみてもよいぐらい手が込んでいて完成度が高く、数をしっかりと把握できるということで、もしかしたら、本当にもしかしたらですが、将来値上がりするかもしれません。 実際、江戸~明治の古鉢は短冊家さんのものに限らず、100~300万を超えるものまで出てきています。

 

和楽 ・唐華紋鉢 3.8号

短冊屋 和楽錦鉢 販売

 

白鶴(はくつる) 和楽・白牡丹鉢 3.3号