青木氏またまた大発見! 秩父神社、高座神社、笠形神社に万年青の彫刻!

寺社の装飾彫刻という本からの発見

青木氏の書簡をそのまま掲載

寺社の装飾彫刻 関東編(上)
埼玉県秩父市 秩父神社
本殿東面妻壁二重虹梁間のつなぎの龍の下に覆輪の葉にかなり沢山の白っぽい実が付いた植物2株の彫刻がありました。
これはオモトなのかはっきりしません。

同本 近畿編
兵庫県丹波市 高座神社
本殿背面頭貫上蛙股の万年青と兎
という彫刻。
本にもオモトと書いてあるし見た目オモトの彫刻で間違いないです

同本 近畿編
兵庫県市川町 笠形神社
本殿脇障子の獅子の谷落としという彫刻。その中にあり。
これもオモト彫刻で間違いないと思います。

ここまで。

 

豊明園より

万年青の彫刻の中に、万年青の歴史が隠されているんじゃないか、と日本中の神社仏閣の万年青彫刻を探しています。

 

寺社仏閣のおもとの彫刻・植えられた万年青 一覧 歴史ある名店も

「家康とオモト」 NHK講師・ 元奇跡の星の植物館研修生 豊明園

「家康とオモト」   NHK講師・ 元奇跡の星の植物館研修生 豊明園

家康と万年青

万年青(おもと)は、めでたい植物、不老長寿の縁起のよい植物といわれています。慶長11年、徳川家康公が江戸城入城に際し、家康公は愛知県三河の長島長兵衛から贈られた斑入りのおもと3鉢を抱え入城し、おもとを床の間に飾り徳川300年の繁栄を築いたという古事が広く知られ、現在も家康公が愛した【永島】という万年青が現存しています。

徳川家康公が愛した永島 NHK趣味の園芸にも登場した永島

 

家康は万年青に万年の繁栄と魔除けを託した

家康公が逝去した即夜に移された久能山東照宮には、東照宮という神様になった家康公にしか見えない位置、代々の徳川家当主しか入れない場所に万年青彫刻が彫られています。他にも、日光東照宮、二条城、上野東照宮など、徳川家が関係する寺社仏閣には泰平の世と魔除けの印として、万年青彫刻が彫ってある、万年青が植えられている寺社が20社以上あります。

久能山東照宮の万年青彫刻

国宝となり、この彫刻は徳川家当主しか完全に見れなくなった

国宝・久能山東照宮の深部にある万年青彫刻

 

 

久能山東照宮のお守りには、万年青が描かれている

 

久能山東照宮への万年青奉納

万年青の仲間と、徳川家康公から続く万年青文化に感謝して、皆で奉納しました。

 

 

武士の精神修養としての万年青

江戸時代も中ごろになると、武士の役割がだんだんと変化していきます。 戦で戦うことがなくなった泰平の世のため、家でできる園芸という楽しみをする武士も多く、園芸文化が発展していきます。例えば、今から250年ほど前の熊本藩の殿様、六代藩主・細川重賢(ほそかわ しげかた)公は、家臣の精神修養に園芸を奨励し30種ほどの園芸をさせ、今も肥後六花として現存しています。将軍から庶民まで、日本全体が花や園芸を楽しむ文化だったのですが、園芸と武士の武士道が化学反応を起こすことで、万年青の中に弱きを助ける独特な美意識、奇品珍品(ビザールプランツ)を尊ぶ世界でも稀な園芸文化が生まれていきました。

 

世界の中の万年青

7000年前から薬草、霊草として用いられた中国では、中国の皇帝や、孔子の子孫が結婚、代替わりの際に常に万年青が用いられたように、万年の繁栄を象徴する、天福の霊草として大切にされています。英語ではSacred lily(聖なるユリ)として、神聖な植物として伝わっており、日本の文化を愛する、世界の万年青愛好家も日々増えています。

中国・清の皇帝と万年の繁栄を願う万年青

 

 

皇帝の宮殿に飾られる、赤サンゴ、翡翠、宝石をちりばめられた万年青

 

 

引越し万年青と家康 万年青彫刻

寺社仏閣のおもとの彫刻・植えられた万年青 一覧 歴史ある名店も

久能山東照宮のおもと

萬年青の酒器・陶器

萬年青の酒器   不老長寿 
豊明園初代 水野淳治郎 還暦祝の記念品 「深川製磁製」酒器
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萬年青の酒器   不老長寿 
豊明園初代 水野淳治郎 還暦祝の記念品 「深川製磁製」酒器
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萬年青のお皿  長寿 萬年青
豊明園初代 水野淳治郎 還暦祝の記念品
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豊明園の石碑
豊明園二代 水野淳蔵還暦の時
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おもと さかずき
釉薬は辰砂(しんしゃ)釉です。窯元は西尾市の石川窯で作りました。
平成7年  第50回記念 日本おもと名品展(三河ひがきホテル)で宴会の時の杯として皆様に配った品。
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おもと さかずき
釉薬は辰砂(しんしゃ)釉です。窯元は西尾市の石川窯で作りました。
平成7年  第50回記念 日本おもと名品展(三河ひがきホテル)で宴会の時の杯として皆様に配った品。おもとの絵は沢田重充(日本おもと連合会の事務長)
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おもとの急須
愛知常滑の昔から懇意にしている作家さんに作っていただきました。
おもとのつまみが可愛らしいですね。
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おもとの急須
裏には萬年青とほってあります。こういったものも、おもと趣味の楽しみですね。
おもとの蕎麦ちょこ  湯のみ
魯山窯は、鍋島藩窯の流れを引き継ぎ、色鍋島の伝統技法を守り続けられている窯元です。
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おもとの蕎麦ちょこ
魯山窯 「第59回日本おもと名品展」 を開催した時に使った物。
平成16年11月13日14日
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薩摩焼
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薩摩焼
鹿児島大会の記念品 昭和37年(1962)10月25日~30日  
吉田内閣の官房長官 鹿児島萬年青会会長 迫水久常氏
鹿児島市の山形屋デパートで「全国おもと名作展」が開催、大葉おもとが
脚光をあび、その後ブームを播き超しました。
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石清水八幡宮  国宝の社殿の中に万年青彫刻

石清水八幡宮

この記事を3行で

石清水八幡宮は、御許山(おもとやま)にある宇佐八幡宮から勧請された三大八幡宮。京都の裏鬼門を守るために建てられた国宝の石清水八幡宮に、万年青の彫刻が17ありました。国宝のため写真はありません。

#があり過ぎる

石清水八幡宮自体が、歴史好きにはたまらない神社で、徒然草、楠正成、信長塀、豊臣家建造の社殿、三代将軍徳川家光が建造の社殿、鬼門、二所宗廟、日本三大勅祭の「石清水祭」、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦、左甚五郎の彫刻、松花堂弁当のもとと、1200年の歴史で、常に表舞台になっていた神社です。

基本情報

■石清水八幡宮
【参拝時間】6:00~18:00、授与所8:30~18:00 ※季節による変動あり
昇殿参拝 11:00~、14:00~(神職さんによる案内付、祭典行事などにより時間の変動あり。1/1~2/3は休止)※2020.7.24現在、電話で確認したところ休止しております。10月再開を目指すそうですが、状況次第なので、石清水八幡宮さんへご確認ください。昇殿参拝か、ご祈祷をしないと万年青彫刻は見れません。

【参拝料】境内無料、昇殿参拝1,000円
【電話】075-981-3001 FAX 075-981-9808

〒614-8588 京都府八幡市八幡高坊30

アクセス

社殿すぐから、参道の写真をとったところ。奥に15分間隔で麓(ふもと)とつなぐケーブルカーがある

木津川・宇治川・桂川の三川合流地点の南にある男山(おとこやま)山上に社殿はあります。山のふもとからの参拝は2つの方法があり、ひとつは所要時間約3分で麓の「八幡市駅」からケーブルカーで。もうひとつは、山頂標高120m、社殿まで30分ほど山歩きです。地元の方は山上の駐車場を利用する方もいるようです。

【アクセス】京阪男山ケーブル「男山山上駅」からすぐ
【公式ホームページ】http://www.iwashimizu.or.jp/

【高速】京滋バイパス 「久御山・淀IC」が近い

【電車】京阪電車「石清水八幡宮駅」下車、⇒参道ケーブル「八幡宮口駅」~「八幡宮山上駅」下車徒歩5分

石清水八幡宮さんHP アクセスについて

〒614-8588 京都府八幡市八幡高坊30 TEL 075-981-3001 FAX 075-981-9808

 

国宝 石清水八幡宮

石清水八幡宮の歴史

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、地元では「やわたのはちまんさん」と呼ばれ、平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社。京都盆地南西の男山山上に鎮座する。

皇室からは遠国の宇佐神宮に代わり伊勢神宮(三重県伊勢市)とともに、二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、石清水八幡宮のある男山は都からみて裏鬼門(南西の方角)に位置し、鬼門(北東の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきました。

「石清水祭」は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。

あの門をこえると、社殿の領域になります。

 

武家からは特に源氏が源義家が当社で元服したこともあって武神として信仰し、源氏の広がりとともに壺井八幡宮・鶴岡八幡宮など、当社から各地八幡宮が勧請された。

弓八幡 石清水八幡宮 作者 世阿弥

八幡大菩薩は源氏の氏神弓矢の守護神

弓と矢と幡の三つの兵具に訳して弓八幡と名付けた

 

 

宇佐神宮(大分県宇佐市)・筥崎宮(福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに日本三大八幡宮の1つ。また宮中の四方拝で遥拝される神社の1つである。本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されている。

京・難波間の交通の要地で、南北朝時代の大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる政治上の重要な拠点。

カヤの木

 

『徒然草』の時代から

創建以来、当社は境内の護国寺と一体となる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓の社殿である高良神社を八幡宮と勘違いしたという【徒然草】の話で知られる。

石清水八幡宮HP、Wikipediaより

 

万年青彫刻があると思ったわけ

3大八幡宮である石清水八幡宮は、八幡宮総本社(八幡宮は全国に44,000社!!)の宇佐神宮から勧請された神社です。宇佐神宮は大分県宇佐市の御許山 おもとやま山麓に鎮座し、御許山 おもとやま山頂には、奥宮として3つの巨石を祀る大元神社(おもとじんじゃ)がある。

このように、八幡宮総本社の宇佐神宮は万年青の名と非常に関りが深く、現代の私たちには残っていない万年青の歴史を、神社の建物に刻んでいると思っています。平安前期の1300年ほど前に勧請された石清水八幡宮には、万年青の当時の歴史を残す何かがあると思いました。また、万年青は本当はどんな意味のある植物だったのか、秘められた歴史を紐解いていきたいと思います。

また、中井正純(正清の弟、中井家3代正知の後見)が建てた。中井正清は徳川家康公の大工頭で、中井正清が建てた寺社仏閣には万年青の彫刻があることが多い。

御許山 おもとやま 大分県宇佐市にある神社、宇佐神宮について

寺社仏閣のおもとの彫刻・植えられた万年青 一覧 歴史ある名店も

信長塀 黄金の樋

信長塀の信長とは、織田信長の事です。

天正8年(1580)に織田信長が寄進しました。
瓦と土を幾重も重ねて作られた土塀で、織田信長公が好んで採用した様式といわれています。

瓦と土を幾重にも重ねることにより、当時の築塀における課題であった鉄砲の銃撃や耐火性、耐久力に優れていたとされています。

国宝の社殿を取り囲むように残っています。400年前のものが雨風に耐えてここまで残っているのですね。

 

信長塀。織田信長さんが寄進。

 

 

黄金の樋

八幡造りである御本殿の内殿と外殿の「相の間」に架かる織田信長公寄進の通称「黄金の雨樋」。  天正7(1579)年12月、信長公が雨に遭って山崎寶積寺に逗留の際、木製の雨樋が朽ち雨漏りがしていることを聞き及び修理を命じ、翌、天正8年8月には木製から唐金の雨樋に造り替えられました。これには、もし再び当宮に天災などの有事が起こった際には、この「黄金の雨樋」を換金し、その対処にあたるようにとの信長公の信仰心の深さがあったという伝承があります。
長さ21.7m、幅54cm、深さ21cm。

写真は国宝のため禁止

写真 石清水八幡宮さんのHP 参照

 

鬼門封じ

石清水八幡宮の鬼門封じ、京の鬼門封じ、江戸の鬼門封じ、万年青で鬼門封じ

鬼門封じ

牛の角を持ち、虎の毛皮を身にまとった鬼がくると言われる丑寅(東北)の方角

『鬼門』を封じるために、国宝の御本殿の石垣を斜めに切り取った作りになっています。

ここだけ鬼門封じで切ってあるのがわかる

他の角はきちんとあり、正方形。

角が立つ、ともいい、鬼門の方角の角を取ってある。

万年青では古くから鬼門の方角に万年青を置きなさい、といわれる。万年青は400年以上前から霊草なので、魔除け、開運の意味がある。

京の都を守る比叡山延暦寺が鬼門を守り、この石清水八幡宮が裏鬼門を守るという話があり、この鬼門という考え方はとても面白いです。

古来より、都市をつくる、城をつくる、家をつくる際に鬼門を守るということは言われてきた。徳川家康公と、そのブレーンだった天海が、江戸(東京)も邪気が入るとされる鬼門・北東の方角には寛永寺(上野・東の比叡山を意味する「東叡山」とも呼ばれる)を置き、天海自身が住職を務め、隣には上野東照宮を建立し、鬼門を封じ、同じく邪気の通り道とされる反対側の南西、裏鬼門には増上寺(二代将軍・秀忠)を配し、鬼門を特に大切にしてきたことが分かります。

 

社殿の本殿

 

ご祈祷 凶方位 鬼門、裏鬼門、八方塞がり

今まできちんと見たことがなかったのですが、この厄年も鬼門が関係しているのですね。

 

豊明園と万年青の発展を願って、御祈祷していただきました。

そこで、400年前の万年青の彫刻に出会いました。

こちらの東側から入ります。

万年青の彫刻を探すため、この御本社をぐるぐるまわって探したのですが、外側からでは彫刻自体がありません。この東側と、西側に2つ蟇股の中に彫刻があり、あとは南側の正面に彫刻があるだけです。

国宝の社殿の中に万年青彫刻

国宝 御本社

この中でご祈祷していただきます。

八幡造りという珍しい構造の本殿は国宝に指定されている。厄除け祈願でも知られ、年間を通して多くの参拝者でにぎわう。

正面の彫刻。素晴らしい。

この内側にある舞殿と、御本殿を囲む瑞籬(みずがき)の欄間彫刻に万年青の彫刻が17ありました。もっとあると思います。

現在の社殿は寛永11年(1634)に徳川3代将軍・家光が修造。本殿の一部は豊臣時代に修理されたものもあり、安土桃山時代から江戸時代最初期に造られた。内殿と外殿の前後二棟からなる「八幡(はちまん)造り」の建築様式としては、現存する社殿の中で最大最古。

御本殿から幣殿・舞殿・楼門と続き、その周囲を約180mに及ぶ廻廊が囲む社殿の建造物全てが丹漆塗(たんしつぬり 丹漆はあかうるしのこと)で、御本殿を囲む瑞籬(みずがき)の欄間彫刻をはじめ随所に当時の名工の極彩色彫刻が施された極めて壮麗な社殿。

 

外から見える国宝の彫刻。これだけでも素晴らしいですが、内側の彫刻は別格。

是非、昇段参拝が始まったら、中のツアーをやって下さるそうなので、見学に行ってみてください。

 

私が見つけられた万年青彫刻は、舞殿の西側の欄間彫刻に2株、御本殿を囲む瑞籬(みずがき)の欄間彫刻に、西、北、東と時計回りに見学させていただきました。

西側の松椿万年青の欄間に1つ、入内雀の欄間に1つ、北側の松の欄間に1つ、万年青松の欄間に2つ、松椿万年青の欄間に1つ、梅竹万年青の欄間に2つ、万年青椿の欄間に3つ、万年青松の欄間に3つ、東側の椿万年青の欄間に1つありました。

やはり北東の鬼門の方向には万年青の数が多く、この時代から万年青が鬼門封じに使われていたのが分かります。

おもと彫刻は全部で17。日光東照宮の他では一番多い万年青彫刻の数です。また、万年青彫刻の割合も半端なく高い。石清水八幡宮には、152点にも及ぶ色鮮やかな「桃山風透かし彫り」があるといわれ、いかに万年青が大切にされていたかが分かります。

これらの欄間彫刻は、どれも一刀彫で、一枚の板から彫り出してきたものです。

 

 

 

 

 

こちらが東側の回廊。ちょうど、この北東の鬼門の位置、この内側におもと彫刻がたくさんあります。

 

 

 

2016年に国宝に指定。 創建は、貞観元年(859)清和天皇の命により平安京の裏鬼門(南西の方角)を守護する神社として八幡大神を男山に祀り、社殿を建立したのが始まりとされています。京の都、平安京がつくられたのは794年。

 

左甚五郎作と伝わる「目貫の猿」

この左の門の裏に左甚五郎「目貫の猿」

こちらも国宝の中なので写真はありませんが、日光東照宮の「眠り猫」の彫刻で知られる左甚五郎作と伝わる「目貫の猿」が有名です。本殿の西側の門の上にある猿の彫刻で、甚五郎の彫刻はその精巧さから魂が宿り動き出すという伝説があります。左甚五郎一派がこの社殿を建造した際、この猿が社殿を抜け出し、里でいたずらを繰り返したため、右目に細い竹釘を刺して逃げ出さないようにしたそうです。平成の大修造の際、この釘を抜いていた時期になぜか境内に本物のサルが現れ、元に戻したら現れなくなったのだとか。甚五郎伝説は今なお続いています。

こちらは東側ですが、西側の門の裏側に左甚五郎の彫刻があります。

エジソンと石清水八幡宮

電球のフィラメントに、この石清水八幡宮の真竹が最も適していることを知り、電球発明の翌年から10数年もの間、この竹を使ってたくさんの炭素発熱電球を造りました。

まとめ

歴史的にとても重要な石清水八幡宮に、徳川家光公の寄進による、万年青彫刻が発見でき、とてもうれしい。石清水八幡宮関係者の皆様、ありがとうございました。

 

 

中村天風さん

   

こちらにも素晴らしい彫刻が。

左 若宮社 男性の神様

右 若宮殿社 女性の神様

清め衣納所

こちらに奉納します。

鬼門封じのある北側です。

   

ぐるっとまわっています。

写真はありませんが、幣殿の蟇股には4つの巴紋の彫刻が施されていますが、実は1つだけ右巴があります。これは、社殿を完成させてしまうと、あとは朽ちるのを待つことになり、あえて未完成の箇所、間違いの箇所を造ることにより、まだその社殿が未完成であり、益々の発展を遂げるという願いと縁起が込められているとされています。

10棟が1つの建物のように組み合わさる独特の作り。八幡造り、すべて国宝。

 

石清水八幡宮の地植えおもと

石清水八幡宮に、立派な地植え萬年青がありました。

 

 

徳川家の隠し葵 石清水八幡宮さまのHPより

現在の御社殿は寛永8(1631)~寛永11(1634)年にかけて徳川家光公の修造によるもので、そのことから考えると、徳川家の御紋である「葵の御紋」がいたるところに施されていてもよいものですが、見当たりません。 実は、楼門蟇股部分、正面の双鳩(錺金具)の裏側、すなわち参詣者からは見えない位置に、当宮の神紋とともに「葵の御紋」が、錺金具に彫られています。 「さすが徳川将軍家、なんと控えめなことか」と捉えられますが、実は、八幡大神様からは一番良く見える真正面に「葵の御紋」が施されている位置関係になっています。

 

この位置は、久能山東照宮の万年青彫刻と同じ場所にあります。何か縁がありそうですね。

久能山東照宮のおもと

寺社仏閣のおもとの彫刻・植えられた万年青 一覧 歴史ある名店も

京都の万年青彫刻関係

北野天満宮 地主神社 万年青彫刻 京都府

二条城

おもとが植えてあるお寺

京都 瑞巌山 圓光寺(円光寺) | 基本情報 | 苔と新緑、紅葉 | 万年青と徳川家康公 | 円山応挙 奔龍庭 十牛之庭

 

北野天満宮   万年青彫刻 京都府

 

 

寺社仏閣のおもとの彫刻・植えられた万年青 一覧 歴史ある名店も

おもとの彫刻 

()はその建築が建てられた年
埼玉県 妻沼聖天山歓喜院  徳川家康によって再興されたが、寛文10年(1670年)の妻沼の大火で焼失した。現存する聖天堂(本殿)は、享保から宝暦年間(18世紀半ば)にかけて再建された
埼玉県 三峰神社[岩田氏発見]
埼玉県 秩父市 秩父神社 本殿東面妻壁二重虹梁間のつなぎの龍の下[青木氏発見2020.9.22]
茨城県 稲敷市 大杉神社  制作年代:正徳年間(1711~1716) 袁術から橘の実をもらう陸績。 に万年青[豊2020.9.27]
東京都 上野東照宮 慶安4年(1651年)家康の孫である徳川家光が改築したもの[岩田氏発見]
神奈川県 相模原市 鳥屋諏訪神社本殿 亀の上に万年青、菊、松、鶴の吉祥絵[豊2020.9.27]
富山県 高岡市 瑞龍寺 創建年(1614年)天井絵
石川県 金沢 兼六園 ふすま
静岡県
久能山東照宮    1617年元和3年)徳川家康の命で建立 家康がなくなったとき最初に建てられた

浅間神社 社殿は1582年前後、家康が再建

愛知県  六所神社1636年徳川家光の命で建立 徳川家康公の産土神。お宮参りをしたと伝えられる。

富部神社(1606 慶長11年) 名古屋市南区笠寺 国重要文化財 向拝東側手挟(ごはいひがしがわたばさみ) 西側も??[吉村氏発見]

津島神社(1605 慶長10年) 津島市神明町1 国重要文化財 松平忠吉の妻政子により寄進 [吉村氏発見]

京都府
北野天満宮  慶長12年(1607年)に建立
地主神社 北野天満宮内 末社群 大門社
平岡八幡宮 江戸時代末期に画工・綾戸鐘次郎藤原之信 花の天井画
二条城 門・城内に万年青の彫刻 1603年(慶長8年)
石清水八幡宮 安土桃山から江戸最初期 国宝 17の万年青彫刻 [豊発見]

兵庫県 丹波市 高座神社 本殿背面頭貫上蛙股の万年青と兎 [青木氏発見2020.9.22]
兵庫県 市川町 笠形神社 本殿脇障子の獅子の谷落としという彫刻 [青木氏発見2020.9.22]

島根県
日御碕神社 出雲市大社町 万年青の彫刻[青木氏発見]
一畑薬師(一畑薬師総本山) 出雲市小境町 薬師本堂(1890年再建)に万年青の彫刻[青木氏発見]
福岡県 英彦山神宮 元和2年(1616年) – 細川忠興による再建

おもと彫刻がある寺社仏閣の特徴

2020.7.19 私たちが今考えているのは、1600-1650年前後に造られ、徳川家康公と家光公、中井正清(江戸初期の大工頭)が関わると万年青彫刻があることが多いです。

これから調べたい、皆様に調べてほしい寺社仏閣

鳳来山東照宮  愛知県新城市門谷鳳来寺4

三大東照宮の一つで、三代将軍家光が再建しようとし、志半ばで薨じたため、4代将軍家綱が慶安4年(1651年)に社殿を竣成(大規模な建築物などができ上がること。 竣工)。

『東照社縁起』
家康の父母である松平広忠と正室於大の方(伝通院)は、子のできないことを憂い、祈願のために夫妻そろって領内の鳳来寺に参篭したところ、伝通院が東方より現れた老翁に金珠を与えられる夢を見て、間もなく家康を懐妊したという。
鳳来寺の伝説
家康の出生は壬寅年寅月寅の日にあたる天文11年(1542年)12月26日の寅の刻(午前5時頃)であったとされるが、鳳来寺では家康誕生と時を同じくして、薬師堂の本尊である薬師如来を守護する十二神将の中、寅神でもある真達羅大将の神像が忽然と姿を消し、家康が薨ずると神像もひとりでにもとの位置に戻っていたといい、以来、家康は真達羅大将の化身であったと伝えられている。

増上寺 東京都港区芝公園四丁目7番35号

中井正清が建てた。江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移された。風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。

寛永寺 東京都台東区上野桜木1丁目14−11

徳川家康・秀忠・家光の3代の将軍が帰依していた天台宗の僧・天海によって、江戸城の鬼門の方角を守護する寺院として創建された。大部分は慶応4年(1868年)の上野戦争で焼失した。現在の根本中堂は明治時代に川越の喜多院本地堂を移築したものである。

喜多院 仙波東照宮 埼玉県川越市小仙波町1-21-1

慶長4年(1599年)、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。川越藩主となった老中・酒井忠利は喜多院の再興に当たった。慶長18年(1613年)には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜った。元和2年(1616年)駿府城で徳川家康が亡くなり、久能山で葬られるが日光山に向かう間の元和3年(1617年)3月23日~3月26日の4日間、喜多院にて天海僧正が導師として大法要を営む。そのことから境内には仙波東照宮が祀られ、寛永10年(1633年)に完成する。寛永15年(1638年)、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。これが今に残る客殿、書院、庫裏であり、これらを運ぶために新河岸川の舟運が開かれた。川越藩主を経て幕閣で老中にあった堀田正盛は喜多院や仙波東照宮再建の奉行を命ぜられ、天海を助けた。4代将軍・徳川家綱は200石を加増し750石・寺域48,000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛した。

建築物

  • 客殿(重要文化財) – 寛永15年(1638年)建立。「徳川家光誕生の間」がある。
  • 書院(重要文化財) – 寛永16年(1639年)建立。「春日局化粧の間」がある。
  • 庫裏(重要文化財) – 寛永15年(1638年)建立。
  • 山門(重要文化財) – 寛永9年(1632年)、天海僧正により建立。喜多院で現存する最古の建物。
  • 鐘楼門(附:銅鐘)(重要文化財) – 元禄15年(1702年)建立。
  • 慈眼堂(重要文化財) – 正保2年(1645年)建立。慈眼大師天海を祀る。厨子に入った天海僧正の木像が安置されている。
  • 仙波東照宮(重要文化財)
  • 慈恵堂(県指定有形文化財(建造物)) 中央に慈恵大師をまつり、左右に不動明王をまつる。
  • 多宝塔(県指定有形文化財(建造物))

知恩院、駿府城の天守、名古屋城、内裏、方広寺など、徳川家関係の重要な建築

中井 正清が建てた。

石清水八幡宮本殿

中井正純(正清の弟、中井家3代正知の後見)が建てた。万年青彫刻ありました。豊明園

奥宮の大元神社。大元神社は、宇佐神宮から4km程度南東の御許山にあります。大元の読みはおもとです。御許山もおもとさんです。

万年青の彫刻を見つけられた方、是非ご一報ください

また、ここには万年青彫刻がなかった、という情報も貴重です。是非お願いします。

 

引越し万年青と家康 万年青彫刻

 

 

寺社仏閣に植えられた万年青 歴史ある名店も

 

愛知県

熱田神宮

あつた蓬莱軒 本店 入口正面におもとが植えられている。

豊川稲荷 私たち万年青の豊明園が奉納した万年青以外にも、沢山の地植えの万年青、鉢植えの万年青があります。

京都府

瑞巌山 圓光寺(円光寺)  本堂の前に、左右にあります。水琴窟の後ろ。また、十牛の庭の入口なのか、出口なのか、そちらに多分最後の牛の根締めに万年青が植わっています。計3群落です。

詩仙堂 (一乗寺) おもと植えてあります。

三千院 おもとがお庭に点在

 

島根県

金屋子神社(製鉄の神様を祀る) 縞、覆輪の大葉おもと