万年青の本 始めよう!伝統園芸 万年青 人気品種と育て方

    『始めよう伝統園芸おもと』の本

B5判 144頁

おもとの品種から最近の培養管理の仕方、おもとの歴史、全国の棚や古鉢・鉢の紹介などを掲載しています。

特に品種について苗や特徴ある芸のアップの写真に完成木と共に紹介しています。
新しい見どころいっぱいの本。

『始めよう伝統園芸おもと』 定価1800円

この10-20年で、気温が大きく上昇し、古い本の栽培法が通用しないことも多くなってきました。暑さに対応した栽培法、管理法について書かれています。また、今までの本では完成木は載っていましたが、若木やその途中の木は載っていませんでした。初心者からベテランまで、多くの趣味者が苗から若親を棚入れし、完成木を作っていくため、苗木の写真も合わせてみることで、自分で鑑定もしやすくなっています。

 

 

 

 

 

芸についても、文だけでなく、特徴的なアップの写真を元に解説してあるのでより分かりやすくなっています。

 

 

最新の趣味者のお棚を15人、現在は国宝となり決して見ることのできない久能山東照宮の内部(石の間)の万年青彫刻や交配、新品種作成の方法など読み応えのある一冊になっています。

 

 

伝説のお棚

 

貝原益軒 花譜に萬年青 元禄11年[1698]  オモトは藜蘆ではない!?

貝原益軒 花譜に萬年青 元禄11年[1698]

貝原益軒 花譜に萬年青 元禄11年[1698]

上巻の序文です。

 

上・中・下巻とあり、下巻の草の項に萬年青があります。

花譜と菜譜がともに上中下の三巻の構成になっています。

国会図書館より

 

花譜 巻の下に萬年青があります。

 

下巻の草の項 目次

萬年青にヲモトとルビをふってあります。

 

萬年青 オモト/ヲモト

 

書き起こし

明治の文献か書き起こしてあります。 中村学園大学HPより

最初にある三才図絵は1607年の中国の書。リンク先に原本と萬年青の絵があります。三才図絵は当時の中国の百科事典。

萬年青は肥土を好み、冷茶をそそぐべしと書いてあります。

 

オモトは藜蘆ではない!?

ここに「篤信云、和俗に、あやまりておもとを以藜蘆とす。薬屋是をうる。是に非ず。」とあり、この文が藜蘆はオモトではない、という根拠になっています。

篤信とは誰なのでしょうか?

室町時代の辞書にある藜蘆にはヲモトとルビがふってありますがどちらが正しいのでしょうか?

オモトは江戸時代最初期の薬草園でも薬草として育てられています。この文だと、オモトは藜蘆ではないということですが、ここを何が間違いで何があっているのかを知りたいです。

 

花譜 貝原益軒 著 京都園芸クラブ より

花譜 貝原益軒 著 京都園芸クラブ より

 

萬年青は肥土を好み、冷茶をそそぐべしと書いてあります。

 

 

貝原益軒は、中村学園大学HPより

貝原益軒は、「養生訓」、「和俗童子訓」の著者であるだけでなく、歴史学者、地理学者として広く国中を見て回って「筑前国続風土記」を書き、博物学者として路傍の雑草、虫や小川の魚まで詳細に観察し「大和本草」に記述している。益軒はさらに、自宅の庭で花や野菜の栽培を実践していたことも知られている。著書「花譜」と「菜譜」はこのような経験に基づいて肥料の与え方や移植の時期に至るまで植物の栽培方法について詳細に記載したものである。

植物についての益軒の著述は寛文12年(1672)に「校正本草綱目」の翻刻がなされたときに、その5巻に「品目」「名物付録」を執筆したのに始まる。この頃から自宅で植物栽培を行ってきたと考えられる。元禄7年(1694)には「花譜」が、宝永元年(1704)には「菜譜」が発行された。「大和本草」の刊行はこれに続く宝永6年(1709)のことである。「花譜」と「菜譜」は「大和本草」とともに、300年前にどのような花が植えられ、どのような野菜が栽培されていたかを示す重要な文献である。益軒は農業に興味を持ち、日本最初の農業書と言われる宮崎安貞(筑前国糸島郡女原村)の「農業全書」(1697)の完成に大きく関わっている。

中村学園大学HPより

 

 

世界大百科事典より

水野元勝の《花壇綱目》(1681)は180あまりの花を取りあげる。以降,貝原益軒の《花譜》(1698),伊藤三之丞(伊兵衛)の《花壇地錦抄》(1695)と続き,江戸時代を通じ70におよぶ園芸書が書かれる。安楽庵策伝の《百椿集》(1630)をはじめ,ツツジ,キク,サクラ,ボタン,ウメ,アサガオ,ハナショウブ,ナデシコなど花の専門書が出版され,さらにモミジ,カラタチバナ,オモト,マツバラン,セッコクなど葉を観賞の対象とした多数の品種を成立させた。…

 

 

 

 

 

貝原益軒 Wikiより

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

「貝原益軒像」 個人蔵 狩野昌運筆 貝原益軒讃 1694年(元禄7年)

貝原益軒の座像(福岡市中央区・金龍寺)

貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年12月17日寛永7年11月14日) – 1714年10月5日正徳4年8月27日))は、江戸時代本草学者、儒学者。

生涯・人物

筑前国(現在の福岡県福岡藩士、黒田藩の祐筆であった貝原寛斎の五男として生まれる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。

1648年慶安元年)、18歳で福岡藩に仕えたが、1650年(慶安3年)、2代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送ることとなる。1656年明暦2年)27歳、3代藩主・光之に許され、藩医として帰藩[1]。翌年、藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵山崎闇斎松永尺五向井元升黒川道祐らと交友を深める。また、同藩の宮崎安貞が来訪した。7年間の留学の後、1664年35歳の時、帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。藩命により『黒田家譜』を編纂。また、藩内をくまなく歩き回り『筑前国続風土記』を編纂する。

『大和本草』(国立科学博物館の展示)

幼少のころに虚弱であったことから、読書家となり博識となった。ただし書物だけにとらわれず自分の足で歩き目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な面を持つ。また世に益することを旨とし、著書の多くは平易な文体でより多くの人に判るように書かれている。

70歳で役を退き著述業に専念。著書は生涯に60部270余巻に及ぶ。主な著書に『大和本草』、『菜譜』、『花譜』といった本草書。教育書の『養生訓』、『大和俗訓』、『和俗童子訓』、『五常訓』、『家道訓』。紀行文には『和州巡覧記』がある。

『大和俗訓』の序に「高きに登るには必ず麓よりし、遠きにゆくには必ず近きよりはじむる理あれば」とみえるように、庶民や女子及び幼児などを対象にした幅広い層向けの教育書を著した。

思想書としては、1712年(正徳2年)の『自娯集』。学問の功は思にありとして、教義・道徳・教育等の意見を著した『慎思録』、朱子学への観念的疑問等を著した『大擬録』などがある。

1714年(正徳4年)に没するに臨み、辞世の漢詩2首と倭歌「越し方は一夜ひとよばかりの心地して 八十やそじあまりの夢をみしかな」を残している。

1911年明治44年)6月1日、贈正四位

Wiki より

『草木性譜』1827年(文政十年) 萬年青は喜び事、めでたき事に用いる

草木性譜 3巻

『草木性譜』は『有毒草木図説』と共に、1827年(文政十年)に同時に刊行された。この2冊は相互関連をもつもので、わが国独自の本草・博物学の到達点とされる。著者清原重巨は、当時江戸京都と並ぶ本草学の盛んな地であった尾張の本草・博物学グループ甞百社の中心的人物である。

 

『草木性譜』は代表的な草本四十五種を選び、天・地・人の三巻から成る。図はいずれも力作で、水谷豊文、犬窪昌章などが描き、その資料的価値も高い。

 

解説された植物で外来植物として当時珍しかったと思われるものに、仙人掌(サボテン)、龍骨木(キリン閣)、落花生、玉蜀黍(トウモロコシ)、甘蕉(サトウキビ)、木蘭(モクレン)などがある。

表紙の絵は、万年青の花実を描いたもので、花の場合は新芽が出ている途中や、根芋や昨年の花茎、虫食いまでも描いてあり、写実的。下の解説文には、新築、引越し、結婚、出産などのすべての喜び事、めでたき事に万年青を用いる、縁起物であることが記されている。

イギリス・スコットランドのエディンバラ植物園の書庫にもあります。

国会図書館より

 

日御碕神社におもとの彫刻 青木様より教えていただきました。

青木様への感謝

この度は、素晴らしい情報を教えてくださり本当にありがとうございました。

お陰様で万年青の彫刻一覧にも一つ増えました。

万年青の歴史を私たちで解き明かしてみませんか?

万年青の歴史を深く知ろう、素晴らしい万年青の世界を知ってもらおうと豊明園は100年以上、亀の足で地道な活動を続けています。特に万年青の歴史というテーマでは家族でやっている豊明園では時間もお金も知識もすべてが足りていません。

日本の神社、古い有田焼などの万年青の陶器、中国の薬草書、世界中の美術館にある万年青の彫刻、着物、陶器など、なんでも構いません。万年青の歴史が分かる資料を一緒に調べてくださる方を募集しています。

 

日御碕神社

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は島根県出雲市日御碕に鎮座する神社式内社で旧社格国幣小社である。通称、みさきさん。出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める。

下の本社(日沈の宮・日沉の宮、ひしずみのみや)は天暦2年(948年)、村上天皇勅命により祀り、上の本社(神の宮)は安寧天皇13年(紀元前536年)、勅命により祀られ、総称して日御碕大神宮とされた。出雲國神仏霊場20番。

「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社、である事による。

現在の社殿は3代将軍・徳川家光の命により幕府直轄工事として日光東照宮完成直後の寛永十一年から二十一年までの期間を掛けて造営されたものであり、権現造様式が採用されている。

祭神

  • 下の本社/日沈の宮
  • 上の本社/神の宮
    • 神素盞嗚尊
国宝
  • 白糸威鎧(しろいとおどしよろい)兜・大袖付 – 鎌倉時代(塩冶高貞寄進)

Wikiより

神素盞嗚尊を御祭神とする神の宮/上の本社

 

 

素晴らしい万年青彫刻 

素晴らしい万年青彫刻

赤い実をたっぷりとたたえる

三代将軍 徳川家光公の命によって幕府直轄工事として寛永11年(1634)から21年(1644)までの期間をかけて権現造り様式で建てられた。

 

「離留」とはなんだろう?出雲国風土記(733)

 

出雲国風土記 薬用植物一覧と 延喜式 典薬寮式(出雲国年料雑物)の比較

 

出雲国風土記』(いずものくにふどき)は、出雲国風土記。編纂が命じられたのは和銅6年(713年)5月、元明天皇によるが、天平5年(733年2月30日に完成し、聖武天皇に奏上されたといわれている(異説あり[要追加記述])。「国引き神話」を始めとして出雲に伝わる神話などが記載され、記紀神話とは異なる伝承が残されている。現存する風土記の中で一番完本に近い。

構成

総記、意宇・島根・秋鹿・楯縫・出雲・神門・飯石・仁多・大原の各郡の条、巻末条から構成されている。

各郡の条には現存する他の風土記にはない神社リストがある。神祇官に登録されている神社とされていないものに分けられ、社格順に並べられていると推察される(島根郡を除く)。

自然の地形の項ではその地形の様子と特産品の情報が記されている。

真ん中に「離留」離楼草とある これはリル?リロと読む??

 

りる と離留は読むようです。

植物の名称 シュロソウ

 

リル リロ と万年青の関係

古代の万年青を調べると、藜蘆 リロ レイロ リル という字がでてきます。

当てている字は違いますが、読みは同じことから、リル/リロといった音に、中国の漢字を当てていった歴史の名残かとも思いました。

1400-1500年代 室町時代(中期から後期)の辞書には藜蘆と書いて、ルビをヲモトとふっています。

1603 イエズス会の日本語ポルトガル辞典(日葡辞書)は藜蘆、リロにヲモトと当てています。万年青はこの時代はヲモト/リロ/リルなど様々な呼び名があった??

池坊の資料 万年青を藜蘆 藜芦と表記することがある 1811 室町時代もそうだったという説も

 

 

 

 

 

おにのやがら 続断

植物の名称 シュロソウ

離留 リル

 

奈良時代はオモトのことをリルと呼んでいた、となれば今までの多くの学説がひっくり返ります。

 

万年青の魅力 原種から現代の品種の歴史 初心者の方へ

万年青の魅力

原種の万年青からの変化がすごい

現代の万年青を知らない人にとって、現代の万年青の見ても何が凄いのか、変わっているのかは分かりにくいと思います。

原種の万年青からの変遷を見ていくことで、現代の万年青がどれだけの進化をこの500年ほどでしているのかを知っていただきたいです。

 

日本/中国原産と言われる万年青の原種は以下の様だったと思います。

原種の万年青はどんなもの?

日本の淡路島 諭鶴羽神社の原種の万年青

また、400年前の万年青の彫刻をみると

九州の英彦山神宮の正面の万年青彫刻

※万年青の彫刻 万年青の歴史を探る手掛かり 古い万年青の彫刻一覧

英彦山神宮 ひこさんじんぐう

 

神社の正面に非常に精密な万年青の彫刻があります

虫食いなども再現されています

外にある彫刻はこの万年青彫刻のみか

 

 

京都の地主神社の万年青彫刻

同じ敷地内の北野天満宮にも万年青の彫刻があります。

 

諭鶴羽神社や400年前の彫刻のような万年青が原種の万年青でしょう。

そこから

同じく、500年前の室町時代 池坊も下のような生け花において大象観を使っていたのではないかと言われています。大象観も原種の万年青の一つといってもよいでしょう。

生け花 「大象観」 だいぞうかん/たいしょうかん 古いので呼び方多数説あり

同じく、生け花で「都の城(みやこのじょう)」も非常に古いと言われ、一説には江戸以前とも

 

これらの原種の万年青から400~600年かかって、現代の万年青に変化してきました。

実親や江戸時代の万年青にその進化/変化の途中の万年青があります。

羅紗・縞甲の変化 玉川竜から新生殿

明治の万年青 「玉川竜・たまがわりゅう」 もしかすると江戸かもしれない

大人気品種、「錦麒麟・きんきりん」の親で、錦麒麟が作出されたのが明治32年なので、少なくとも明治20年代には存在していたでしょう。

この玉川竜を親にして多くの実親もでき、現在の縞甲系や羅紗系の先祖にあたります。江戸時代、玉川竜に似たような縞甲系、羅紗系を生やす実親が何系統もでき、新品種作出がますます面白くなっていきます。

 

新生殿・しんせいでん

羅紗の王様

江戸から続く品種改良でここまで小さく、雅糸竜などの芸をもつものが生まれた。原種から思うととても長い道のり。

 

獅子の変化 江戸時代の玉獅子から現代の五万石

江戸時代からある「玉獅子・たまじし」 11月の写真で実が赤く色づくところ

今の獅子の芸の凄さを思うと、ただ葉がカールしているだけともいえるが、ここまでの変化ができるまでにどれほど時間がかかっただろうか

獅子の原種と言われ、現在では偽物も多く出回り、品自体も非常に少ない

 

獅子 「五万石・ごまんごく

獅子の王者

甲竜、雅糸竜、絹雅糸竜などをみせ、様々な芸がのり、かつ姿も美しい

原種からここまで変化してきた万年青の品種改良の歴史が面白い

 

江戸時代のオモト愛好家にとっての万年青

こういった原種からの変化をみていくと、万年青の品種改良の技術の高さがわかります。

江戸時代の人たちは今よりもっと原種のおもと、引越しおもと、薬草としてのおもと、生け花のおもとをよく知っていたので、万年青の変化、新品種の面白さが良く分かったのでしょう。

現代人にとっての万年青の凄さ 変化朝顔は分かるけど万年青は分からない!??

現代人がいきなり現代の最新の万年青をみても、変化朝顔のように凄さ、良さがなかなか理解してもらえないのもここだと感じています。朝顔は日本人全員知っていて、変化朝顔をみると驚きます。万年青も、原種の万年青をみて、現代の万年青をみると、ほんとに同じ万年青かと思うほどの珍奇な変化をしています。原種の万年青を知らない人にとっては同じ万年青とは考えもしないと思います。

万年青の展示会を全国で行っても、これは本当に万年青ですか?という質問は非常に多いです。また、原種の万年青をしらない方にとっては、羅紗の万年青をみても、これが万年青なんだとなってしまいます。

万年青の原種から新品種が出来ていく驚きの過程を皆さんに知っていただけるように、万年青をこれからも世界中に発信していきます。

 

 

三才圖會 三才図会(1609) に萬年青の記述/絵

表紙

三才圖會 三才図会 とは

 

三才図会(さんさいずえ)は、絵を主体とした中国類書万暦35年(1607年)に完成し、1609年に出版された。王圻(おうき)とその次男の王思義によって編纂された。全106巻から構成される。

萬年青は、草木十二巻・花卉類の中にあり、その巻には、牡丹、芍薬、菊、蘭、水仙、百合、芭蕉、薔薇など全55種の内の一つとして紹介されています。草木は全部で12巻まである。

三才とは天・地・人をいい、万物を意味する。世界の様々な事物を、天文、地理、人物、時令、宮室、器用、身体、衣服、人事、儀制、珍宝、文史、鳥獣、草木の14部門に分けて説明しており、各項目が図入りである点が本書の大きな特徴である。

江戸時代に日本で出版された類書(百科事典)『和漢三才図会』(寺島良安)は、本書に触発されて編著されたものである。

特に中国の歴史人物の絵が多数載っているため、日本の中国史の書籍には『三才図会』から画像を引用していることが多い。しかし、この本の歴史人物の画像は歴史的に根拠があるものではなく、古くの時代の『四庫全書総目提要』でもこの点は批判されている[1]

動植物の絵には正確なものもあるが、文献の記載から絵をおこしたために、鱟(カブトガニ)のように実物とかけはなれた絵になっている場合もある[2](なお『和漢三才図会』では正確なカブトガニの絵が描かれている)。

 

国会図書館の情報

三才圖會 106卷. [30] 30巻目 (明) 王圻 纂集[他] 萬暦37 [1609] 序刊

以下のP113、114、160は国会図書館のHP上のページです。

 

 

草木十二巻 花卉類 目次に萬年青

国会図書館 p113

 ↑ P114

右ページ目次の最終行 上段に萬年青

 

 

萬年青の絵

 

↑ P160 萬年青

良く実が付き、子株も上がった力強い万年青ですね。

400年以上前の中国でこのように描かれていたことは感慨深いです。

多くの日本の江戸時代以降の書物が、この三才図絵や、1712年に医師・寺島良安が編纂した和漢三才図絵から引用して万年青の紹介をしている。

 

萬年青

萬年青葉

似芭蕉隆

冬不衰以

共多寿故

 

 

オモトの葉は芭蕉に似る

冬も衰えないことから

また多くの寿に使う?故に名が萬年青という

でしょうか。

 

三才図絵の萬年青でわかること

中国では、少なくとも1607年には萬年青があった 日本と同じ、自生地の一つでしょう

萬年青が萬年青と呼ばれていた 藜蘆の名は三才図絵の萬年青の項にはでてこない

※江戸時代の文献には萬年青の絵があり、藜蘆レイロと書かれているものがある 逆に、藜蘆はシュロソウなどの違った植物のことを差していると言われる方もいます

中国の北か南かでも違いますが、冬にも枯れず、耐寒性があったことを知っていた

萬年青がとても縁起がよく、お祝いなど寿ぐ(ことほぐ)場面で使われ、そのため名前も萬年青という素晴らしい名前になったこと

日本の江戸時代の書物にはこの三才図絵の文を写したものも多い

今後知りたいことは

上記の文の正確な和訳は?

中国で萬年青と書かれた最古の文献は?どのように書いてあるのか?

藜蘆は三才図絵に載っているのか?他の文献には載っているのか?

同じ1600年前後の薬草書に萬年青は載っているのか?

中国のすべての薬草書、植物書、百科事典の中の万年青の扱いについて

1600年前後の萬年青が描かれた中国の陶器や日本の伊万里焼、有田焼などがイギリスやアメリカなど世界中のセレブがもっていました。三才図絵の縁起の良い植物という認識だったと思いますが、それ以前はどうだったのか?

 

 

古書、古文書が読める方、是非、万年青の歴史を知るために力を貸してください。

 

おもと わら灰 灰汁(アク)水について

ワラ灰 灰汁(アク)水について

アク水用ワラ灰10gセット 10g入り×15袋

1,500円で販売しています

おもとの栽培、生長にワラ灰がよいときくけどどうなの?にお答えします。

花咲か爺さんも愛用していた?

花咲か爺さん(はなさかじいさん)の話は皆さんご存じの通り、可愛がっていたポチのお陰で、正直爺さんがお金持ちになる話です。実はこの話は、灰で植物が元気になる(枯れたと思っていた桜が花を咲かせるようになる)という植物の知恵を後世に伝える話でもあると思うのです。

灰は即効性のある肥料で、特に有名なのは焼き畑農業。草木を焼いた後は植物がぐんぐん育つのを利用した古代の知恵ですが、灰が即効性のある肥料であることを見抜いていました。また、灰の肥料分は水ですぐに流れてしまうので、焼き畑農業でも数年で違う場所へ移ります。これも灰のカリ分を含めた栄養素がなくなりやすく、定期的に灰を補ってやらないといけないことを示しています。

灰の効能 昔の人は常に、いたるところで使っていた

すべての人が竈(かまど)でご飯を食べていた時代は、灰はとても身近なものでした。ワラビなどのアク抜きにも使われる灰は、古くから様々な用途で使われていました。着物の染物や、陶芸にも使われ、灰かぶりのシンデレラは灰を石鹸として使っていました。江戸時代にも灰汁桶というものを用いて、たらいで洗濯をして、灰汁洗いといって木造住宅の汚れまで落としていたようです。

農薬がなかったころ、アブラムシなどの害虫や病原菌の殺菌にも灰を用いていました。元禄10年の「農業全書」には、灰がなければ、そばと大麦を播いてはならない、とまでいわれ、ことに小麦には灰肥が最もよい。麦の肌肥に混ぜて入れれば、寒さを防ぎ、生育もよくかんも堅くしっかりしていて倒伏することはがない。と灰の効能を紹介しています。

 

なぜワラ灰が必要なのか?

万年青(植物)の必須三要素 N窒素 Pリン酸 Kカリ

万年青の肥料は有機肥料が主流ですが油粕と骨粉主体の肥料は肥料の必須三要素の内、カリ分が不足気味になってしまいます。  また、カリ分は水に溶けやすく、一番に流亡(水やりで流れて鉢から出て行ってしまう)しますので定期的に補う必要があり、昔からワラ灰を水に溶いたものを液肥として用いてきました。  カリが不足することにより、根落ちや古葉から発症する欠乏症や病気に弱くなるなど様々な障害が起きると言われています。  ワラ灰を使うことにより不足しがちなカリ分を補給して根腐れを防ぎ、万年青に活力を与えましょう。

また、ワラ灰をやることで芋が堅くしまります。芋吹きをされる方は是非やってください。芋吹きの成功率が上がります。

灰の成分について K カリウム

カリウム(灰には炭酸カリウムが多く含まれる。)と石灰分を含む肥料になります。水溶性のカリウムが多く即効性があります。植物の有用元素といわれる珪酸(Si ケイ素)も多く含み、万年青の体質改善に有用です。

肥料成分はワラ灰ではカリ6%、石灰分2%程度

カリウム(炭酸カリウム(たんさんカリウム、Potassium carbonate)は、組成式K2CO3で表されるカリウムの炭酸塩である。陸上植物の灰に10 – 30%程度含まれる(それに水を加えたものが灰汁と呼ばれる)

他にも、もともとが植物だったものなので、微量要素も含みます。

日本では鎌倉時代より使用されています。焼き畑農業も草木を焼いた後の灰の栄養分K(カリウム)を使って育てる農業です。K分は流亡しやすいので、ある程度で場所を変え、また草木が生えたら戻ってくる循環型の農業です。

名作者さんはかなりの方がワラ灰をかけてK分を補給していますが、ワラ灰をかけなくても上手に育てている方はいらっしゃいます。

灰はアルカリ

灰はアルカリ性なので、普通の肥料や雨水で酸性に傾きやすい鉢内のアルカリ化に有効です。日本の土壌自体も酸性のものも多いです。酸性に傾くと、植物に必要な栄養素が吸収されにくくなり、根の生長障害や病気になることがあります。具体的には、酸性が強く(pH 5.5以下)なるとPリン、Kカリウム、S硫黄、Caカルシウム、Mgマグネシウム、Moモリブデンなどが吸収しにくくなります。逆にFe鉄は酸性でも吸収されます。

 

 

万年青がたくさんある方向けの50g×6袋 2500円

 

 

ワラ灰の使い方

ワラ灰 簡単な使い方

ワラ灰のパック(袋)を入れて時間がたったところ

パックを入れたら、良くもんで中の成分がでるようにしてください。

この水を如雨露ですくい、水やり代わりに水をやります。

成分は非常に水に溶けやすいので、一度使ったら水は使い切ってください。それでもパックの中には灰がまだ入っていると思うので、乾かしておいて中身がなくなるまで使い切ります。1回目が成分が一番いいです。

 

注意点 アルカリ性なので他の液肥、微量要素、竹酢液などとは混ぜずに使ってください。アルカリ性のワラ灰を使うことで酸性に傾きがちな鉢を中性に戻すことも目的の一つです。

濃い液が目など粘膜に入ったときはよく洗い流してください。

紀元前2800年(約5000年前)にはすでに灰で汚れを良く落とすことは知られており、最初の石鹸は灰と獣脂と言われています。

わら灰 使い方 

ワラ灰(10g入り×15袋入り) 酸性の用土を中和しカリ分を補給、芋腐れ予防。1袋を10ℓの水の中に入れ、軽く揉んで30分ほど置きその上澄み液を使用します。回数は月に1度の割合又は夏季の時期に回数を多くします。

ワラ灰の使い方 豊明園の場合

大きなパックを200L前後入るカメにいれます。

 

そのままでも成分は出ますが、、

しっかりと揉んで、よく成分をだします。

ポンプでこの水をそのまま万年青にかけます。昔はストッキングなどで灰を包んでいたため、灰の大きな粒がホースのハス口が詰まりましたが、今は詰まらずに使えます。

ワラ灰は最初の1回目に主成分が出てくるので1回目を大事に使いますが、1回ではまだパックの中に灰が残っています。

次回ワラ灰をやるときにもう一つ新しいパックを入れますが、1回目のパックも入れ、完全に灰がパックから空になるまで使い切ります。

なので、4回目にワラ灰をやるときは4つパックが浮いているような感じです。

 

わら灰の作り方

灰汁水をやることで、おもとの根っこからしっかりと珪酸分を吸い上げ芋を丈夫にさせます。
ワラ灰は黒色の状態の時に取り出し水の中に入れ使っています。
黒色の灰の状態時、成分が高い。

アク水用ワラ灰 10g入り×15袋 の紹介

豊明園 販売HPにて販売しております。使いやすい10g入りを15袋。

使う頻度は月に1~4回

10gのパックで、羅紗20-50鉢程度でしたらちょうど一年で使い切るか。暑さの厳しい場所、芋切りを良くされる方、万年青で傷みや失敗が多い方は1年で倍の2セットを使うぐらいがよいでしょう。人によっては毎日ワラ灰をやる方も。標準的な使い方をして、その後自分の棚に合った方法を見出してみてください。

いつがベストな時期?

豊明園では、一番夏にワラ灰をやった方がよいと考えています。春から初夏にかけて与えた肥料で、芋、根が緩む時期。しっかりとワラ灰をやることで芋根を締め、堅く健康体にしてくれます。

基本的には年中やっているのでいつがベスト、とも言えませんが、K分がとくに流亡しやすい三大栄養素ということを考えると、年中切らさずに与えるのが良いかと思います。豊明園では古くは冬の休眠期にも重点的にやっていました。これは春の芋切り前に芋を締め、芋吹きの成功率を上げることが一番の目的です。

 

◆アク水用ワラ灰10gセット 10g入り×15袋  10L 15回分

万年青の肥料は有機肥料が主流ですが油粕と骨粉主体の肥料は肥料の必須三要素の内、カリ分が不足気味になってしまいます。  また、カリ分は水に溶けやすく、一番に流亡しますので時々補う必要があり、昔からワラ灰を水に溶いたものを液肥として用いてきました。

カリが不足することにより、根落ちや古葉から発症する欠乏症や病気に弱くなるなど様々な障害が起きると言われています。  ワラ灰を使うことにより不足しがちなカリ分を補給して根腐れを防ぎ、万年青に活力を与えましょう。

ワラ灰はワラを焼いた物を暫く水に浸しその上澄みを如雨露で与えますがハス口(水が出る小さな穴)がワラ灰で詰まってしまうのが問題でした。 弊園の『アク水用ワラ灰』は目の細かいフィルターにワラ灰を完全密封しましたのでハス口が詰まりにくくなっており、使いやすく出来ております。

使用法

(10g入りは10Lに希釈すること、50g入りは50L) 1袋を所定の容量の水に入れ、袋が破れない程度に揉んで中の灰を水になじませて30分から半日ほど置き上澄み液を使い潅水してください。 一例として、春と秋の生長期に月に2度ほど与えるのをオススメします。人により年中使われる方も居られます。 ※注意事項 ※アルカリ性になりますのでその他液肥や農薬と混ぜずに単体でご使用ください。草木灰(アルカリ)と反応する化成肥料(硫安や酸性複合肥料等)が御座いますのでお使いの肥料の注意書きもよく御覧ください、置き肥は有機質肥料が安心です。 肌の弱い方はゴム手袋をご使用ください。冷暗所で保管してください。

おもとの育て方 8月 岡崎市

万 年青 夏 岡崎市 豊明園 8月の栽培管理

 

気温と地域で変わる休眠期・水やり

気温と地域 休眠期との関係

暑い地域 最低気温が25℃以上

8月は暑さが一番強く、また長く続く月です。太平洋側でも特に暑い場所では8月は常に最高気温35℃以上、最低気温も25℃から下がらない地域もあるでしょう。このような地域ではほとんどの万年青が夏の休眠期に入ってしまい、葉や根の生長を止めてしまいます。生長せずに呼吸だけをしている状態なので、水も生長期と比べると頻度が少なく、肥料も切ってしまう方がほとんど。盆栽では真夏は朝晩水をかけて、という方もいらっしゃるようですが、万年青は休眠期に入っているので水をやっても吸い上げず、蒸れ、水のやり過ぎによる根腐れの原因になってしまいます。

ここで注意しているのが、真夏でも元気のよいもの、若いものは生長を止めない鉢があること。休眠期に入っている鉢とまだ生長している鉢では水の乾きがかなり違ってくるので、どちらに合わせるのかが肝。休眠期に合わせると水が少なく生長を止めてしまいますし、生長期の鉢に合わせると休眠期は秋の植え替えの際には根はかなり腐っているでしょう。一鉢づつ水やりができればベストですが、生長しているものを揃えてそちらだけは水の乾きを丁寧に見ていくことがいいのではないでしょうか。

 

涼しい地域

逆に、昼間は同じように暑くなっても、夜間はエアコンを入れなくても大丈夫という地域もあると思います。そういった地域では夜間の気温が万年青の生長期のベストな気温になっています。生長しているうちは夕方しっかりと水やりをして、根、葉の生長を止めないようにしましょう。そういった地域ではついつい肥料が多くなりがちで、肥料で根を傷めることがあります。昼間はかなり暑くなるようでしたら、肥料も控えめにしていった方が安全です。

 

 

 

8月3日 日差し、よしづで調整しています。

気温が上昇して、真夏日や熱帯夜になりますと、オモトは成育が停滞して、休眠状態になります。この時期はできるだけ涼しい環境にして管理します。

潅水

8月24日 オモトの抜き水、鉢底から水がでるまで。

夕方の潅水になります。月の前半は渇き気味にして管理します。15日をすぎると少し気候がかわり渇き具合が早くなります。

採光

8月12日 よしづやダイオネットで遮光

日光は朝のうちほんのひとときだけあたるようにし、午前8時頃までにはよしづやダイオネットなどて日覆いをします。日差しの強い場合は2重にする場合もあります。

8月25日 福の光(ふくのひかり)採光の仕方で柄の出方がかわる。

通風

8月13日 ダイオネットで遮光、窓を全開して通風をはかる。

強い日差しをさえぎっても、オモト棚に風が通らなくなってしまったのでは、なんにもなりません。遮光と相まって、通風の効果が上がるように配慮し、真夏を涼しくしてやります。

施肥

アク水 ワラ灰

夕方の潅水時に灰汁水を混ぜてやります。月4回程度行います。

液肥、微量要素、竹酢液

極々薄い2万倍ほどの液肥・スーパー1や、微量要素のマルチケーミン、竹酢液も月に2度ほど行います。

液肥はその年の気候によって回数を減らしたり、増やしたりします。濃度は薄いままです。

オモト病害虫の予防と駆除

8月25日 農薬散布。葉の表・裏側・前面に霧状に散布、付着させます。

高温多湿が、オモトにとって致命傷といわれる青にえ・芋腐りと根おちの原因になります。オモトの栽培棚を涼しくしてやることや、鉢を渇き気味にすること。また灰汁水を与えることが芋腐れや根おちをさせないためにのなによりの予防法です。

 

下葉の変化

8月

8月14日 下葉の葉色ががわる、新根が出て葉を破っているため赤く葉が変わります。

 

 

8月10日 芋吹き、元気よく新根が伸びています、砂から持ち上がってしまいました。植え替えして直します。

 

万年青の実

8月11日 BO10 実が大きくなり、実にも縞柄がわかります。

8月28日 種が膨らみ、皮が破れる。日照が強いと表皮が堅くなりその時、雨などがふり湿度が高まると、中の種が膨らみ皮が破れます。8月中頃から雨に当てないようにすると防げます。

 

実生について

8月24日 千代田実生 柄がよくわかります。

 

8月27日 実生、はきり分かるようになり選別します。

 

おもとの生長

8月12日 元気にしています。白い粒はカリ分の補給

8月26日 雨上がり

 

植え替えについて

植え替えのベストな時期は春と秋の生長期の少し前です。

なぜ少し前かというと、植え替えをすると万年青が新しい用土に慣れるまでに時間がかかり、その分、生長を止めてしまします。

8月はさすがに早すぎるので一般のお客様にはおススメしていません。秋の植え替えなら、9月の彼岸か、最近の暑さを考慮して10月ごろがよいでしょう。

豊明園では万年青の数が多いので8月終わりから秋の植え替えを始めます。植え替えの刺激で秋の新根が降り始め、下葉が非常に落ちやすくなります。その代わり、9-10月の秋の生長期には根も十分あるので、生長もしっかりとします。

植え替えは、美術木で葉数のあるものは展示会の直前、数日~1週間前がベスト。

若木など新根が降りやすく、また、多少葉が落ちたところですぐに新しい葉がでてくるものでは生長期に入るところか、少し前に植え替えしてもよいです。ですが、一番安心で、安全策なのは春、秋の生長期。