万年青が枯れる原因、理由②水のやり過ぎ 枯れないようにするための方法、対策

万年青が枯れる原因、理由 枯れないようにするための方法、対策

②水のやり過ぎ について

結論

この記事は、【水のやり過ぎで枯らしてしまった、枯らさないまでも根や葉を落とし元気がなくなってしまった方】また、【これから万年青を始めるが、失敗したくない方】のために書いています。

どうすれば枯らさないか、というと、【しっかり乾いたときに水をやる】だけです。何度も植物を楽しむ方は言われていることですが、今回はもう一歩進んで、じゃあ【万年青はいつ乾くのか、いつ乾かないのか】についてみていきましょう。

 

水をやり過ぎてしまう原因

万年青が好きすぎて、、

まず、愛情深い人、万年青が好きな人がやり過ぎてしまいます。ペットでもなんでも、構い過ぎてしまうんですね。ちょっとでも水が足りないのは可哀そう、と思って水をやり過ぎてしまいます。人でも、水は喉が渇いたら適度に飲めば健康ですが、いらないのにがばがば水を飲ませたら病気になってしまいますね。

他の植物との兼ね合いで、、

他の植物と万年青を一緒に育てていて、その植物が毎日や朝晩と水を欲しがる場合、ついついやり過ぎてしまいます。

春夏秋冬、生長期と休眠期の変化に合わせられなくて、、

また、日本には四季があり、春夏秋冬、気候が約3か月ごとにガラッと変わっていきます。万年青は春から秋にかけては生長期ですが、最近の夏の高温化により、真夏に成長が止まる真夏の休眠期がある場所が、太平洋側に出てきています。

 

枯れる、根を傷める原因

どうして水が多いと根を傷める、枯らしてしまうの?

春と秋の生長期、万年青がぐんぐん育っているときは、毎日水をあげてもそれだけ吸って蒸散、吸収して水を消費するので問題ありませんが、真夏の休眠期のやり過ぎは、根が落ちてしまいます。

休眠期で水の蒸散、吸収が落ちている→毎日必要以上の水で根や芋が水浸し→空気が入らず酸欠に、また、水が暑さで高温になり、根が煮えてしまう→根が腐ってしまう

というように、水のやり過ぎが根に大きなダメージを与えてしまいます。

このダメージが大きくなり、根芋にダメージが貯まって、夏から秋に枯れてしまいます。また、枯れるまでいかないまでも、秋に植え替えをすると、根落ちといわれる夏に黒くなってしまう根の量で、夏場の水やりの結果が分かります。

★いつ乾くのか、いつ乾かないのか

春と秋の生長期はよく乾きます。特に、忙しい方で朝水をやったのに、帰ってから万年青を見たら用土が、もしくは万年青がカリカリになってた、という経験をするとついつい水が多くなります。もちろん、その生長期は正しいです。

それが、気温が30℃を超える、湿度が80~100%など高い湿度で蒸散しにくくなるので、こうなると水はあまり必要なくなります。じっくり観察すると、今までよく乾いていた万年青の用土が、乾きにくくなっています。ここでポイントとなるのは、そんな真夏でもガンガン生長していく若い苗、元気な苗は乾きはしっかりと乾きます。ここで、よく乾く苗に合わせていくと、生長が止まり、真夏の休眠期に入った万年青にとって水が多くなりすぎて、根腐れの原因になります。

 乾きが人によって千差万別 鉢、用土、置き場の湿度、日当たり、住む場所

また、万年青の趣味者は千差万別。鉢、用土、置き場の湿度、日当たり、風通し、住む場所、様々に違ってきます。

素焼き鉢では乾きやすく、植物が吸って乾いているのではなく、鉢が吸って乾いていきます。他に、楽焼きの鉢も素焼き鉢ほどではないですが、そうです。

用土の種類 水苔含む

土が多いほど乾きは悪いです。赤玉土、などは水を持ち、軽石、富士砂、のように微小な穴があいているもの、朝明砂、矢作砂のような花崗岩は乾きは早いでしょう。水苔もしっかりと水を含めば乾くまでに時間がかかります。一度乾くと水をはじくことがあるので、乾ききったあとの水やりは注意。万年青の表土の押さえとして水苔をやることがありますが、私たち豊明園では、一度ぱらっと振り水をして水苔に水を含ませてから水やりをします。水苔が水をはじくのを防ぐため。

鉢の中心

鉢は外側はよく乾き、中心は湿りやすいです。伝説の栽培家である愛知県刈谷市の野村ツキエ氏は、鉢の中心に発泡スチロールなどを入れて、鉢の中心を乾かすようにしていました。

鉢の中心の根がついつい腐りやすい方はやってみてもよいでしょう。

用土の大きさ

細かい方が水を持ちます。万年青では、鉢底から荒い底砂として大の花崗岩、軽石、次に中の花崗岩や軽石系統、上に小の様々な砂を入れることがあります。首元の新根が出るところは細かいもので水を持ちを多く、鉢底の水が乾きにくい場所は荒いもので乾きやすくと考えています。

置き場の湿度、日当たり、風通し

置き場の湿度は一定に思えるかもしれませんが、風がよく当たる場所は乾きやすいです。日当たりも、日が当たった方がよく乾きます。ベテランになればなるほど、自分のお棚の中で、この品種にはこの場所がベスト、という場所が決まっています。

住む場所

ハワイとタイのお客様は、年中万年青が伸びるとおっしゃっていました。場所によっては、ちょうど万年青の生長に良い28℃前後の場所では、気候によって水やりが変わる、ということは少ないですね。

日本では、太平洋側や、福島以南では、真夏の休眠期がある場所が増えてきています。それでも、高地や、涼しい風が入る場所では休眠期がなく、夏に成長は止まりません。自分の育てている場所が休眠期がありそうなのか、なさそうなのかも大切ですね。

 

休眠期に入った万年青は水を控える

休眠期に入った万年青だけ水を控えるために、私たちがやっていること。

毎日みていて、例えば10鉢万年青があったとして、乾いているものだけしっかりとした抜き水(鉢の底から水がダーダー流れるような水やり)をして、乾きの悪いものは飛ばす、もしくは振り水、葉水(パラッとふるだけの水、葉が濡れるだけの水、表土くらいしか水はかからず、鉢の中にはほとんど水は入らない)という方法で、次の水やりの時、よく乾くようにします。

重さを量って水をやる、という方法もあります。

 

夏以外の水やりは?

夏以外の水やりも、乾いたらやる、が鉄則です。ですが、枯らすことは少ないです。私たち豊明園の120年の経験から、真夏から、夏の疲れ、根芋の傷みの症状がでる秋に枯れることが9割で、他の時期は少ないです。特に、春と秋の生長期はやり過ぎにやっても万年青がどんどん吸うので問題ありません。秋に、夏に根を傷めた物は秋の生長期の吸い上げが、乾きが悪いのでわかりやすいです。

豊明園の水やりの基本

春 ほぼ毎日

初夏 30℃を超えると間隔は広がるが、ほぼ毎日から3日に1回。雨の日は伸びることも。

真夏の休眠期 3日に1回前後。

秋 2日に1回前後

冬 3日に1回から、2週間に1回。

乾きに合わせて、気候に合わせて変動しますが、平均するとこのような水やりです。

 

 

 

万年青が枯れる原因、理由 枯れないようにするための方法、対策

このページは↑の【万年青の枯れる原因】の中の水のやりすぎで枯れる、という記事です。

 

 

 

 

おもと絵 瑞龍寺

瑞龍寺  加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺
1997年に国宝に指定されました
場所 富山県高岡市関本町35

大茶堂と回廊

 

法堂
二代藩主前田利長の位牌を建物中央奥に安置
格天井に描かれた草花は狩野安信の筆 四季の百花草が描かれています

法堂 2014年7月萬年青がありました。現在絵の修復作業中でレプリカの写真。

大宝 (たいぼう)

分類   実親系統 縞柄
作出年代 大正中期 年
登録   年
作出者   斉藤徳次郎(岐阜県羽島市飯柄)
命名者   (県)
登録者   (県)

大宝 (たいぼう) 7年生 鉢6.0号
葉巾広く、葉肉厚く、いく分艶消し地の葉に甲竜、雅糸竜を現す品種。丸葉系の羅紗を生む、作出ししたと思われる品種。宝生殿・八紘錦・大八州・長生殿・最晃閣など

大宝(たいぼう)   佐野大宝
優秀な縞羅紗を生やす系統。綺麗な縞柄でも種子を播くと縞40%幽(白)20%青40%の割合で発芽してきます。その中で羅紗20%薄葉80%ぐらいの割合で出てきます。実にも縞柄を現す。

縞羅紗の実親の元祖のような木です。葉の広いものでガシの強い実生を作出
することが夢のようであった頃に、この大宝によって、八紘錦・国宝錦を始めとして,現在のような幅広の葉に総ガシのおもとが生まれるようになった,貴重な実親である。

三河大宝

 

 

萬年青図譜 栗元瀬兵衛鯤 

『萬年青図譜』

明治のビッグネームによる格式高い内容

社団法人 日本おもと協会会長                                                       文 今泉 敬

わが国の伝統園芸の歴史や文献江戸・明治期の文献などについては、伝統園芸の雄・おもとに関する書を取り上げました。おもとに関する代表的な文献といえば、明治十八年三月に出版された篠常五郎編集の『萬年青図譜』上・下二巻を挙げることができます。
編者の篠常五郎(1860~1917年)は東京・根岸にあって、おもとの名品『根岸の松』作出で知られる「篠肴舎」の当主でした。父祖の代から引き継いだ3000坪にも及ぶ広大な敷地で、旧大名をはじめ当代一流の人々を顧客に迎え、おもとの巨商としてゆるぎない地位を確立し、活躍した人物です。

『萬年青図譜』は扉を開くと、維新の元勲・三条実美と東宮侍書・長三洲の題字があり、次いで静岡県令・関口隆吉と報知新聞主筆・栗本鋤雲が序文を寄せています。まさに当時の政府高官や碩学という、多彩な顔ぶれです。さらに品種名についても、嚴谷一六、長三洲、山岡鉄舟が分担して揮毫するという、これまた格式の高い編集内容となっています。なお本文の図版は、あざやかな多色刷りで、当時の最新技術を駆使した印刷になっています。
今回、『萬年青図譜』の、とくに三条実美公の題字と栗本鋤雲翁の序文に焦点を当てることにしました。これらの解読を通して、いくぶんでもおもとに対する新しい認識を持っていただければ幸いです。

 

 

栗元瀬兵衛鯤 万年青の歴史より

萬年青図譜の序文を執筆した人

始め幕府の医官 後に士籍に列して箱館奉行、軍艦奉行、外国奉行、勘定奉行へ累進し、歴任され、明治維新後は郵便報知新聞の主筆を務める 萬年青図譜の序文を執筆

「根岸松」題字は長三州書 

おもと 根岸の松  篠常五郎は、東京の根岸にすんでいて、その根岸からこの根岸の松という名をつけました。それだけに愛着のある品種だったのでしょう。

 

富士の雪 根岸の松 萬年青図譜

だんだんとおもとの趣味者さんが増えてきました。
入門品種から高級品まで楽しむ方が大勢見えます。
引越しおもとや、お正月の生け花でも使われるおもと。
そのおもとは、観葉植物として『緑の宝石』のように楽しまれています。
おもとの紹介
イメージ 1

おもと 富士の雪(ふじのゆき)

萬年青図譜より   篠常五郎 著
江戸時代からの、素直な姿のおもと。このおもとの魅力は、その姿にあります。
美しい立ち姿に、雪にみたてた白い虎柄を現します。このおもとに魅了された趣味者はいつの時代も多く、それだけに多くの系統があります。そしてまた、淘汰され、良いものが残っていきます。

篠常五郎が著した『萬年青図譜』
篠常五郎は江戸から明治大正にかけてのおもと界を代表するおもと商です。

『根岸の松』『富士の雪』その他に、『永島』『日月星』『残雪』などが載っています。

面白いエピソードに、
明治26年5月、明治天皇がお求めになったおもと、
『於多福(おたふく)』『折熨斗縞』の2品をお預かりして
管理したと伝えられています。

 

題字
三条実美公(1837~1891年)は、幕末から明治前半の著名な大政治家です。公卿出身で、右大臣・太政大臣・内閣総理大臣などを歴任し、長く明治政府の最高位にあった人です。
題字は、気品のあるおだやかな書「保萬年」すなわち「萬年を保つ」と訓読できます。また、書頭の関防印は「遷善」。後段の落款は、白抜きの字が
「藤實美印」で、藤の文字は名門・藤原氏の出を意味します。その下の朱字は「梨堂翰墨」で、梨堂は実美公の号になります。

萬年青図譜   篠常五郎
豊明園おもとの歴史から
http://www.houmeien.co.jp/newpageomoto254.htm

 

明治十八年には、三条実美、栗本鋤雲、山岡鉄舟ら超一流の人たちの力を得て『萬年青圖譜』と『萬年青培養秘録』を発刊載掲しました。
また、『萬年青銘鑑』には題字をはじめオモトの寸描と和歌、漢詩など・当時の貴顕や著名な書家文人に揮毫してもらい・他に類のない文化の香りの濃い立派なものオモトそのものの価値まで高めました。
明治二十八年五月、明治天皇がお求めになったオモト「折尉火斗縞」と「於多福」の二品を、お預かりし管理したと伝えられています。
明治三十三年、『増訂萬年青圏譜』を出しオモトの認識を高めました。

萬年青培養秘録

萬年青の歴史 本

おもとの育て方 7月 岡崎市

 万年青 夏 愛知県岡崎市 豊明園 栽培管理

 

2019年7月3日 豊明園第一温室 温室内は3日目の換水で管理しています。

アク水(灰汁)も換水時に行います。

夏の作の基本 7月編

水やり

7月中の水やりは暑さのせいで難しいです。30℃以下で、寒冷紗などの日よけで直射日光が当たらなければ、乾けばしっかりと水をやれば、葉はまだまだグングン伸びていきます。

35℃を超えるような日や地域もあると思います。そうなれば、なるべく水をやり過ぎないようにします。万年青によっては、夏の暑さで休眠をして、水の吸い上げが極端に落ちるものがあります。そういった万年青ではよく乾いてから水をやらないと、根腐れのもとになってしまいます。

人間と同じで、空腹になったらご飯を食べれば健康ですが、お腹一杯なのにまだご飯を食べて、それが何日も続けば病気になってしまいます。同じように、良く乾いてから水をやらないと根腐れになるので気をつけましょう。

 

直射日光もつよいので、昼中の水やりは避けた方がよいでしょう。上げた水が、直射日光で熱をもち、根を傷める原因になります。豊明園では、夕方の水やりか、まだ日も上がらない早朝の水やりにして、昼中の直射日光の強いときには水がよく乾いているようにします。

振り水 パラ水

名前の通り、軽くふっただけの水や、ぱらっとかけただけの水のことです。真夏になると暑さから水やりの判断が難しいときも出てきます。今よりも朝やった方がよいかな、夕方やった方が良いかなと迷ってしまうときに振り水だけにして、表面、首元にさっと水をかけ、半日、一日水やりを伸ばします。水の多すぎを防ぐ一つの方法です。

 

日よけ 採光

万年青は半日陰を好む日陰植物です。明るい日陰が一番手間がかからずに育てることができます。西日も朝日がしっかりとれれば、さえぎっても大丈夫です。

太陽(たいよう)7月16日下葉が枯れ始めました。

羅紗などの芸の強いもの、虎や矢筈、図などの柄物はある程度しっかりと日にあててやると芸はよりよく、柄はより冴えます。朝日をよくとることで柄の反応はよいです。

ここは塩梅(あんばい)なのですが、日が強すぎると凝ってくるといって、葉が厚く、堅くなりすぎて葉の伸びが悪くなります。また、獅子などは葉が厚くなりすぎて、巻きが悪くなるので、ご自分のお棚にあった、よい採光を、その年の気候と相談しながら調整しましょう。

おもと棚
家の東面にそつて作ってあります。棚は木製、パイプは3本

おもと棚
家の東面にそつて作ってあります。日が当たると遮光ネットを張ります。傾斜があります。又長雨が当る場合ビニールもセットしてあります。

置き場

日よけとかぶりますが、直射日光が昼間から夕方まで当たらない場所がベスト。

風がよく通る場所ならよくできます。

肥料 アク水 微量要素 竹酢液

置き肥は豊明園では一番遅くて6月初めで終わります。豊明園のある愛知県岡崎市では、5月ぐらいから30℃を超える日があるので、そうなったら肥料当たりが怖いです。

そうなので、7月は置き肥はなし。春から初夏に置いた置き肥は豊明園ではそのままです。カスがでるので、取り除いてもよいでしょう。

その代わり、天気の良い日にごく薄い液肥 スーパー1を10000倍でやります。

また、微量要素 竹酢液も1万倍でやります。アク水もやりますが、これらは混ぜない方がよいです。

消毒 病害虫

月に2度前後、殺菌剤を散布します。殺虫剤は0-1回、虫の様子を見ながら。この時期は高温になるので、高温や直射日光による薬害が出やすいので注意。

植え替え

この時期はしません。暑さで葉が落ちやすいのと、植え替えて突然枯れるものもあるので、気をつけます。もし、どうしても植え替えをしなければならないときは、植え替えた後はしっかりとした日陰でいつも以上に気温、日光によく慣らしてから、棚に戻します。

 

 

7月26日 豊明園第一温室

2019年7月3日 豊明園第一温室 引越しおもと・江戸万年青の展示

2019年7月9日 豊明園 外展示棚

7月3日 よしづ・ダイオネットで遮光

 

7月11日 豊明園第二温室 全開

南日本では本格的な梅雨期です。オモトが高温多湿のため休眠に入り真夏です。できるだけ乾燥気味に管理します。風通しの良くしておきます。

 

潅水  水の管理

7月 水温が高くなるので、よしづをのせて管理しています。

 

ホースの水が熱湯になるので、気をつけます。水を出す時には、しっかりと水が冷たいことを確認してから上げるようにします。

豊明園では、夏場は夕方の水やりが多くなるので、ホースの中が熱湯になり、危険です。同じように、マンションのコンクリートの上のホースなどは気をつけます。

7月22日 つまようじと富士砂の色の変わり具合を見て換水時をきめます。

まだ天候が安定せず、みずやりのいちばんむつかしい時期です。その日の天候と、鉢の乾湿によって判断します。温度と湿度の高い日は、水を控えて渇き気味にしておきます。しかし晴れた日はたっぷりと水をやります。高温情報が出るころの潅水は夕方にきりかえます。

7月22日 重さで水分量を記録 テストしています。

採光

7月11日 豊明園 外棚 日差しがきつく早朝よりダイオネットを張る。

梅雨明けとともに日差しが強くなりますから、採光は朝のうち2時間くらいで充分です。あとはよしずやダイオネットなどで日覆いをします。

7月26日 豊明園 外棚 雨上がりの朝7時

雨上がりの際、葉の芯に水がたまっていて、そこに強い日光があたり、水が煮えてしまうことがあります。

 

7月3日 太陽殿の虎(たいようでんのとら)虎柄の系統はなるべく採光の時間を長くとる。この場所は9時30分まで直射の場所で管理。採光時間は4時間30分。

通風

7月15日 扇風機で通風

この時期は「風でオモトをつくる」とまでいわれています。できるだけ風の通るようにし、オモトが蒸れないように涼しくしてやります。風通しの悪い場所では、オモトに赤星病やカイガラムシがつきやすくなります。また芋が蒸れて傷んだりもします。

施肥

7月29日 アク水(灰汁)潅水時に行います。

肥料は置き肥えは中止します。液肥はごく薄いものを月に2回ほど、灰汁(わら灰)をうすめて換水するときに混ぜておこないます。

病害虫の予防と駆除

高温多湿が病害虫にとっては最適な条件になり、オモトにつく害虫のすべてが、最も活発に活動する時期です。オモトにしょうじょうが出ていない場合でも予防の農薬散布が必要です。おもに出る病気は赤星病、害虫はスリップス・カイガラムシ・ナメクジなど。薬剤散布する場合薬剤はそれぞれ薄め方が異なりますから、注意書をよく読んで、濃度をまちがえないようにしてください。

7月8日 実が膨らみ始めています。実にも縞柄がわかるようになってきました。

 

7月9日 新芽が勢いよく伸びています。

7月16日 おもと根の状態 

35℃を越える暑い時期、新根が勢い良く伸びています。今回鉢から抜いたおもとに根落ちがなく安心しました。
水遣りの間隔を注意しワラ灰や竹酢液を定期的に使用しています。

 

7月22日 縞獅子の根っ子、元気に伸びています。子供が出てきたので下葉の色が変わってきています。

7月24日 愛玉殿(あいぎょくでん)の芋吹き 葉がしっかりしてきました。

7月26日 今年の芋吹き苗

 

7月5日 3月に種まきして葉がでてきました。

7月17日 実生、柄がはっきりわかる。

 

7月30日実生の鉢上げ

夏の作の注意点

水やりのホース

ホースの水が熱湯になるので、気をつけます。水を出す時には、しっかりと水が冷たいことを確認してから上げるようにします。

豊明園では、夏場は夕方の水やりが多くなるので、ホースの中が熱湯になり、危険です。同じように、マンションのコンクリートの上のホースなどは気をつけます。

熱湯をかけると1~数日で万年青はとろけてしまいます。

雨上がりの後の日

雨上がりの後、空気も綺麗になり、日光の光線も強くなっています。

葉の芯に水がたまっていて、そこに強い日光があたり、水が煮えてしまうことがあります。葉の芯に、熱湯ができることになって万年青を傷めることになるので気をつけます。私たちは雨から日がでたらすぐに日よけネットを引くようにしていますが、お仕事で外に出られている方は、ネットを引いてから朝出ていくようにしましょう。

扇風機で通風

夏の暑さから、太平洋側では扇風機を回すお棚も増えてきました。(電気代も強で24時間24円、弱で24時間12円 参考値、各位調べてください。)

この時に、直接万年青に風が当たるとそこだけ乾燥し、水切れによる葉焼けが起こることがあります。葉の白い覆輪や虎、図がなりやすいので注意。

私たち豊明園では、お棚下に当てたり、万年青の横に風の通り道ができるようにして、万年青に扇風機の風が直接当たらないようにしています。

風が止まってしまう場所や、蒸れる場所では病害虫も出やすく、根も蒸れて落ちやすくなります。

おもとの実生   洗面所において生育状態を見ています。

置き肥 液肥など

肥料をやる場合、7月では気温が30℃を超えていることも多いでしょう。肥料当たりが出始める頃です。私たちは肥料の置き肥はもうやらずに、ごく薄い1万倍ほどの液肥を2週間に1-2回やります。35℃になってきたら頻度を低く。

豊明園では、置肥はそのままにしておきます。カスが出やすいので、夏前に置肥を撤去するのもありだと思います。

逆に、ワラ灰、微量要素、竹酢液を定期的にやります。

病害虫の防除と薬害

この時期、病害虫も非常に活発に動きます。万年青を食害する虫は多くないですが、スリップスなどにやられないように殺虫剤を、

病気も出ることがありますので、殺菌剤をやるとよいでしょう。

ここで、薬剤散布の注意点!生長期と暑い時期の薬剤散布では薬害は出やすいです。日が強いとき、気温が高いとき、に薬害が出て生長障害、奇形がありますので気をつけます。

また、雨がすぐに降るときは薬剤が流れて意味がなくなったり、風が強く、風下に洗濯物、車、人などがあるときは思いもよらない被害になることがありますので、気をつけましょう。

柄が出ない

こればっかりは諦めないといけないときがあります。その年の気候で、曙、虎、図、矢筈などが出にくい年、出やすい年があります。

また、図や虎の一部では、完全に消えてしまうものもあります。これらも、諦めずにやっていると子にひょっこり現れることもあるので、一年、柄が悪くても気にしないようにしましょう。

曙、虎、矢筈などは、絶対に柄がでるものがあるので、一年だめでも、来年は作場の日当たり、肥料を改良していけば、必ず柄は戻ります。

白雀(しろすずめ)この時期になると自然に下葉が枯れてきます。新しい葉と変わります。おもとの生理現象。白い部分は午前中の採光を強めて管理すると白さが鮮やかになります。

 

【万年青の育て方】7月の管理の基本 水やりと30-35℃、乾きと休眠、振り水、日よけと柄、病害虫、植え替え

【万年青の豊明園】【How to Grow OMOTO in July】

【万年青の育て方】7月の注意点 ホースの水、芯の水、扇風機の風、肥料、薬害

【万年青の豊明園】【Points of OMOTO in July】

 

 

 

 

引越し万年青と家康 万年青彫刻

引越し万年青と家康 万年青彫刻

引っ越しおもとについて

慶長11年、徳川家康公の万年青をたずさえ、江戸城入城

おもと(万年青)は、めでたい植物、不老長寿の縁起のよい植物といわれています。慶長11年、徳川家康公が各大名に江戸城の普請役を行なわせ、その造成成るとともに入城しました、入城に際し家康は愛知県三河の国長沢村の長島長兵衛から贈られた、斑入りのおもと3鉢を抱え入城しおもとを床の間に飾り徳川300年の繁栄を築いたという古事が広く知られています。

 

この故事は広く日本中に知られ、各地で似た話を聞きます。

場所によっては、愛知県三河の家臣ではなく、静岡だったり、その方の地元だったり、鉢数も1鉢という話や、床の間に飾ったのではなく、鬼門の方向へ地植えしたんだ、という話。

徳川家康公の長寿と【八味地黄丸】 おもと?

また、徳川家康公が当時としてびっくりするぐらいの長寿で、江戸時代の平均寿命が32-44といわれるころ、75歳(満73歳4ヶ月)まで生きたのですから驚きです。家康公は父(24歳)、祖父(25歳)を若くで亡くしているので、特に健康、寿命に対する考えも深かったといわれています。そこから、医術も当時の最高の医者に診てもらう、また学び、漢方も【八味地黄丸 はちみじおうがん】という家康公自身が発明した薬を自ら調合し、実は現在も強壮に効く名薬として漢方薬として売られています。

江戸時代初期の幕府の庭には、薬草として様々な植物が植えられていました。その中に、例えば尾張藩の薬草園には万年青が植わっています。

そいうったことから、家康公自身が万年青を薬としても使っていたという言い伝えが残るところもあり、私自身も様々に調べています。

家康公のかかわる寺社仏閣に万年青

まず、以下のページも参照していただきたいです。

万年青の彫刻一覧

家康公にかかわる寺社や、三代目徳川家光公、徳川家にかかわる寺社に、万年青の彫刻が多く彫られています。

特に徳川家康公を東照大権現としてを祀る神社の東照宮では多くの万年青彫刻が残っています。

また、二条城の門や、場内にも多くの万年青彫刻があり、特に大切にされてきたことが分かります。

 

万年青の学名、Rohdea japonicaのRohdeaとは?

万年青、Rohdea japonicaのRohdeaとは?

Rohdeaは東アジア原産の属です(中国、日本、ヒマラヤ、インドシナ)。長い間、R. japonicaだけが含まれていると考えられていましたが、
最近の研究では、他のいくつかの分類群が属に分類されるようになりました。

植物を遺伝子を元に分類していくAPG III分類システムでは、それはアスパラガスAsparagaceae科、ノリノイデNolinoideae亜科(以前はアカネ科)に配置されています。かつてはスズラン科、もっと古くはユリ科に属していた。

Rhodeaと誤記されることもありますが、この属は実際にはドイツ、ブレーメンの植物学者であるMichael Rohde(1782-1812)にちなんで名付けられました。

 

Michael Rohde(1782-1812)とは?

マイケルローデはドイツの医師であり植物学者でした。彼は1782年7月25日にブレーメンで生まれ、1812年5月28日にそこで死んだ。

1800年から1804年まで、ゲッティンゲン大学で自然科学と医学を学んだ。卒業後、彼はドイツ南部、オーストリア、フランスで数年間旅行に従事しました。
1809年、彼はブレーメンで医療行為を開始し、3年後に29歳で亡くなりました。

1804年に彼はMonographiae Cinchonae generis tentamenを発表した。植物属RohdeaはRohdeの名にちなんで名付けられました。

 

Monographiae Cinchonae generis tentamenとは?

本題をMonographiae cinchonae generis tentamen :
fragmentum ex materia medica quod botanice, pharmacognostice, chemice et medice /
tractavit Michael Rohde.

といいます。原本が1804年、200ページに及ぶラテン語の文献?なので、下にリンクを張っておきます。

https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.32044107252389&view=2up&seq=1

題名はラテン語なのですが、単子葉植物?の種の植物学、生薬学、化学、および医学的なテスト、でしょうか?分かる方、是非教えてください。

Michael Rohdeさんは、29歳の若くして亡くなったのですが、学術的に相当な貢献をしたのでしょうか?1800年前後のドイツやヨーロッパで万年青が認識されていたのですね。まだまだ謎が尽きない、面白いテーマです。

深く知っている方、情報お教えください。

文献には何が書いてあるのか?万年青にどんな貢献をしたのか?Michael Rohdeさんはどんな家の人なのか?など

 

参考文献

Rohdea 英語のwikiより

Rohdea is a genus of native to eastern Asia (China, Japan, the Himalayas and Indochina).[2] It was long thought to contain only a single species, R. japonica,[3] but recent studies have resulted in several other taxa being transferred into the genus.[4][5]

In the APG III classification system, it is placed in the family Asparagaceae, subfamily Nolinoideae (formerly the family Ruscaceae[6]). It has also been placed in the former family Convallariaceae.

Although sometimes misspelled as Rhodea, the genus was actually named after Michael Rohde (1782-1812), a botanist from Bremen.

 

 

Rohdea の仲間

Accepted species[2][3][7]

  1. Rohdea chinensis (Baker) N.Tanaka – Anhui, Fujian, Guangdong, Guangxi, Henan, Hubei, Hunan, Jiangxi, Shaanxi, Sichuan, Taiwan, Yunnan
  2. Rohdea chlorantha (Baill.) N.Tanaka – Sichuan
  3. Rohdea delavayi (Franch.) N.Tanaka – Tibet, Guangxi, Guizhou, Hubei, Hunan, Sichuan, Yunnan
  4. Rohdea emeiensis (Z.Y.Zhu) N.Tanaka – Sichuan
  5. Rohdea ensifolia (F.T.Wang & Tang) N.Tanaka – Yunnan
  6. Rohdea eucomoides (Baker) N.Tanaka – Assam, Bhutan, Myanmar
  7. Rohdea japonica (Thunb.) Roth – Japan, Korea, Guangxi, Guizhou, Hubei, Hunan, Jiangsu, Jiangxi, Shandong, Sichuan, Zhejiang
  8. Rohdea jinshanensis (Z.L.Yang & X.G.Luo) N.Tanaka – Sichuan
  9. Rohdea lichuanensis (Y.K.Yang, J.K.Wu & D.T.Peng) Yamashita & M.N.Tamura – Hubei
  10. Rohdea longipedunculata (F.T.Wang & S.Yun Liang) N.Tanaka – Yunnan
  11. Rohdea nepalensis (Raf.) N.Tanaka – Tibet, Nepal, Bhutan, Assam, Myanmar, Sichuan, Yunnan
  12. Rohdea pachynema (F.T.Wang & Tang) N.Tanaka – Sichuan, Yunnan
  13. Rohdea siamensis (Yamashita & M.N.Tamura) Yamashita & M.N.Tamura – Laos, Thailand
  14. Rohdea tonkinensis (Baill.) N.Tanaka – Vietnam, Yunnan, Guangdong
  15. Rohdea urotepala Hand.-Mazz. – Sichuan, Yunnan
  16. Rohdea verruculosa (Q.H.Chen) N.Tanaka – Yunnan, Guizhou
  17. Rohdea wattii (C.B.Clarke) Yamashita & M.N.Tamura – Vietnam, Assam, Bhutan, Guangdong, Guangxi, Guizhou, Sichuan, Yunnan

Michael Rohde (botanist)の英語のwiki

Michael Rohde was a German physician and botanist. He was born on 25 July 1782, in Bremen, and died there on 28 May 1812.

From 1800 to 1804 he studied natural sciences and medicine at the University of Göttingen. Following graduation, he was engaged in travels for several years in southern Germany, Austria and France. In 1809 he started a medical practice in Bremen, where he died three years later, aged 29.[1]

In 1804 he published Monographiae Cinchonae generis tentamen.[2] The plant genus Rohdea is named in Rohde’s honor.

 

万年青の寿命

万年青の寿命

引越しおもとや趣味の方にも、万年青って寿命はどのくらいですか?とよく聞かれるので、お答えします。

Q 万年青に寿命はありますか?

A 名前の通り、万年生きます。管理さえよければ、常緑の多年草なのでいくらでも長生きします。

引越しおもとQ&A

昭和の本の中には、30年前後の寿命

と書かれているものもありますが、30年たったら老衰のように枯れてゆくものではありません。

実際に、以下の写真は20-30年以上たっているという万年青です。

獅子と根岸の松です。老いてますます元気ですね。

 

50年の万年青

この富士の雪は50年はたっていそうな木

この縞甲も、50年近くになるでしょうか。

お客様が、30年の寿命というのは本当か?と50年近くにわたって調べたもので、すべて一株からできました。時に伸びすぎたものが割れてしまい、それらは別に増えていきましたが、実際の地植えならもっと大きな群落になっていたでしょう。鉢植えなので、場所が制限されますね。

淡路島 諭鶴羽神社(ゆずるはじんじゃ)

淡路島 諭鶴羽神社(ゆずるはじんじゃ)

万年青の群落

この淡路島では鹿の食害がひどいですが、葉に少し毒をもつ万年青は、鹿の食害にやられず、逆に周りの競合する植物が食べられてしまうので、万年青だけ残り、清々しています。

Longwood Gardens アメリカ、フィラデルフィアの庭園の中のおもと

    1993年から、約30年地植えで育っている。庭に植えた日まで記録してあり、1993年5/25に植えられたことまでわかるので、30年物。いくつか、実生からなのか、根変りなのかわからないが、葉性の異なるものもある。

 

芋の寿命

↓お多福の立派な芋 10年以上たっているか

万年青の寿命は万年ある、といっても、それは他の植物と同じで、最初の姿のままではありません。葉や根は2~4年で、芋は4~8年で寿命が来ます。葉は黄色くなり枯れていき、根や芋も腐っていきます。芋にも日があたっていたり、肥料、水やりが適切だと芋は上の写真のように残りますが、栽培品では稀です。多くは、子や親の形が整わないのでここまでになる前に割子や芋吹きをして、割っていき、整理してしまうからです。

この木でも、この芋より古い芋が寿命でなくなっているので、正確な年は割り出せません。木の年輪のようなものがないので、口伝が頼りです。

万年青は上に伸びる

木のように幹が太くなることがなく、上に上にと(自然界なら横に)伸びてゆきます。年輪はないのですが、芋の長さで年がひとまずわかります。ですが、上の芋の寿命の話のように、寿命の前に芋切や台きり、割子なので分けてしまうことが多いので、親木を見ても、7年目を芋切した木か、70年目を芋切した木が見分けはつきません。万年青の年の証拠を示すのは非常に難しい、、、

 

万年青の苗、子と親

万年青は1~3年生を苗や子、4年生以降を親と呼びます。親は特にその品種の本芸を現していたり、葉数が充実していることで親と呼んでいます。

多くの万年青は、4-5年で子が出始めるので、7年もたつと株立ちになっているでしょう。

4代続く家のおもと

お客様で代々、引越しおもと、お祝いおもとで子へと万年青を受け継いでおられるお客様がいますが、そこにある万年青は120年以上たっています。しかし、最初の大本の親、最初の1本目の親はどれかわからなくなっています。それでも100年をこす群落には変わりありません。

 

万年青の寿命は非常に長く、名前の通り、万年の寿命ということはわかっていただけたでしょうか?

 

動画解説【万年青のQ&A】万年青に寿命はあるの?葉と根と芋の寿命 文献には30年の寿命?

【万年青の豊明園】【How long is the life of OMOTO?】

 

 

 

根岸の肴舎 萬年青培養秘録 

篠常五郎編『萬年青培養秘録』明治18年刊 全

万年青(おもと)の育て方を木版画入りで紹介 園芸・植物学・本草学

 

 

肴舎(さかなや)の入り口「萬年青共進會」

肴舎篠常五郎、江戸時代文化年間(1804~1818)からおよそ百年間オモト界を代表した老舗「肴舎」は、当時、東京府北豊島郡金杉村根岸九十三番地に所在したころから地名を冠せられて、人に「根岸の肴舎」と呼ばれました。屋号の「肴舎」は、文字通り祖先が魚類を販売していたからです。明治二十八年五月、明治天皇がお求めになったオモト「折尉火斗縞」と「於多福」の二品を、お預かりし管理したと伝えられています。

「初世吉五郎」のオモト商としての実績は明らかではありませんが、「二世吉五郎」は、文化二年に「肴屋」というコオモトを打ち出していて、のち「煙草葉墨流」「松の霜」「根岸松」「若松」「子宝」「富士の雪」などのオモトを取り扱ったことが知れます。

二世吉五郎には妻「てつ」との間に二男があり、長男を「吉之助」、次男を「恒成」といいました。吉之助は肴屋を継承せず分家し、東京市本郷区千駄木林町に住み、二世吉五郎も晩年ここで過ごしたようです。

恒成は、天保七年(1836)九月二十九日生まれで、とくにオモトの新品種を出したという記録はなく、明治十一年に「萬年青銘鑑」を刊行したのが業績といえます。そして明治十二年八月二十五日になぜか四十三歳の若さで早くも隠居届けをしました。と同時に、萬延元年(1860)三月三日、折しも桜田門外で変事のあった雪の日に、恒成と妻「な津」との間に長男として生まれた常五郎が、わずか十九歳で家督を相続し、肴舎四代目当主となりました。常五郎は、明治十七年十月二十一日から二十七までの七日間、邸内で「萬年青共晋會」を開催し、好評を得て以後毎年の行事としました。

 

 

肴舎(さかなや)の邸内で開かれた「萬年青共進會」のようす

「根岸松」題字は長三州書 
肴舎篠常五郎著『萬年青圏譜』掲載

明治十八年には、三条実美、栗本鋤雲、山岡鉄舟ら超一流の人たちの力を得て『萬年青圖譜』と『萬年青培養秘録』を発刊載掲しました。
また、『萬年青銘鑑』には題字をはじめオモトの寸描と和歌、漢詩など・当時の貴顕や著名な書家文人に揮毫してもらい・他に類のない文化の香りの濃い立派なものオモトそのものの価値まで高めました。

 

明治二十八年五月、明治天皇がお求めになったオモト「折尉火斗縞」と「於多福」の二品を、お預かりし管理したと伝えられています。


明治三十三年、『増訂萬年青圏譜』を出しオモトの認識を高めました。

大正六年八月二十日、肴舎篠常五郎は五十九歳の生涯を閉じました。

豊明園 萬年青の歴史より

萬年青の歴史 本

江戸時代に作出、発見の万年青 一覧

篠常五郎編『萬年青培養秘録』明治18年刊 全 ランセット

万葉集におもと!? ももよ草(百代草)とは?

父母が殿の後方のももよ草
百代いでませ我が来るまで

西暦755年の万葉集に万年青が登場?

奈良時代の日本最古の和歌集『万葉集』におさめられた歌

万葉集20巻 第4326首目

[原文]父母我 等能々志利弊乃 母々余具佐 母々与伊弖麻勢 和我伎多流麻弖

[訓読]父母が殿の後方のももよ草百代いでませ我が来るまで

[仮名]ちちははが とののしりへの ももよぐさ ももよいでませ わがきたるまで

天平勝宝7年2月6日 年紀 作者:生玉部足國 防人歌 西暦755

 

 

 現代語訳は

『お父さんお母さん、屋敷の後ろに生えたももよ草のように、百代(百歳)まで長生きしてください。私が防人の役から戻るまで』となります。今回、この「ももよ草」が万年青ではないか、と思い皆さんのご意見を頂けましたら幸いです。

 学者さんの中には、ももよ草(百代草)は菊やヨモギ、ツユクサだといわれる方もいらっしゃるようですが、「万年青」という漢字を書くオモトにこそ、百代草はふさわしいでしょう。常緑で寒い冬にも葉を青々と茂らせるオモトは古くから家が代々続くように引越しおもと、お祝いおもととして使われ、薬草、漢方であることから家の常備薬として植えられています。

『殿の後方の』も非常に面白いです。古くから南側を家の表として、北側を後方としていましたが、万年青が植わっている屋敷では北側、特に鬼門の方角・北東に万年青が植わっています。全国各地でそういった風習が残ることから、『殿の後方の』も万年青を支持する句となります。実際、半日陰の植物である万年青は、朝日は当たり、夏の強い日射しは避けられる屋敷の北側は理にかなっています。

『ももよ草百代いでませ』万年青は室町時代から生け花の世界では毎年の葉がでているところを家が代々続くことに掛けて、正月、結婚式に万年青を活けます。一番古くはわかりませんが、江戸時代には万年青は老母草と書いてオモトと読む地域もあり、母が子を包み守るように、古い葉が新葉や実を守っている万年青のことを伝えています。老母草という名も、父母や百代という句を連想させ、ますます百代草が万年青で間違いないのではないかと考えました。

万葉集には約4500首の歌が数えられ、その約三分の一が何らかの植物を詠み、植物に想いを託しています。150種を超える植物が登場しますが、日本に自生する万年青がなぜないのかと調べていくうちに、この歌を見つけました。父母の無事を想い防人として遠方で務めを果たす作者の優しい気持ちを万年青に託した素晴らしい歌に感動しました。これが万年青の歌であるなら、日本における最古の万年青の記録となり、当時の日本人がどのように万年青を扱ってきたのか、どのようなことを連想させる植物だったのか、興味が尽きない歌です。

天平勝宝7年2月6日

 旧暦なので、この2月は、今の2月下旬から4月上旬でしょうか。寒さの厳しい冬の2月に特に赤くなる万年青の赤い実や、そんな寒さの時期、他の植物が絶えたときに常緑の青さをみせる万年青。ますます万年青かと思います。

出雲の青木さまより

このブログを見て、様々に調べていただきました。感謝感激です。
多くの方に検証、支持、反対の証拠などしていただきながら、みんなで万年青について深く知りたいと思っております。
以下より
『ブログで百代草の記事読ませていただきました。
春先の和歌からするとキク、ヨモギ、ツユクサは夏から秋のイメージなので当てはまらない感じですね。冬場は枯れるだろうし。
キク→万葉集には菊を詠んだ歌ない、飛鳥~奈良時代に菊がなかった、古今和歌集から詠まれる
ヨモギ→百人一首にはサシモ草
ツユクサ→万葉集など和歌集では月草の表記
(Wikipedia調べ)
キク、ヨモギ、ツユクサは和歌からすると百代草には当てはまらないように思えますね。
全く答えになっておらず失礼しました。』
以上です。

万年青の最古の記録

 万年青の最古の記録は、中国の本草書『神農本草経』(成立時期は諸説あり、4000年前~1500年前と伝わります)に薬として登場します。日本でも1000年前の『康頼本草』という薬草書に万年青が登場します。九州地方にいくつか残る伝承では、初代天皇が右手に万年青を持ち、大和を目指し、天下統一を目指したと伝わります。

参考

国会図書館 

神農本草経

万葉集/第二十巻

万葉集略解

大辞林