豊川稲荷のおもと 奉納したおもと
豊川稲荷のおもと
大切にされています
豊川稲荷
古くから
おもと
豊川稲荷のお庭
のぼり旗のおもと
実がしっかりついた
縁起のよいおもと
二代目、三代目が奉納しました
豊川さんでおもとをみてきました
二代目が奉納したおもとを大事にして頂いています
おもとの豊明園
おもと園芸は徳川家康からはじまった
ただ一筋に万年青をはぐくむ
自転車で淡路島一周と少ししてきました!
朝
ちょうどいい曇り空
淡路島の海岸線を走るので
美しい風景を見ながら
車ではできないような発見も!
美しい海岸線
徳川家康が平和な世の中が
永く続くよう願って
江戸城入城の際
一番最初におもと三鉢を抱えて
入城したという故事にもあるように
おもとは開運、魔除けの縁起物です
南淡路の山にて
山を登ってちょうど休んだときに
おもとがありました!
水はけのよい場所
鳥が運んできたのか
そこだけ神々しくてつい目がいってしまいます
昔の人が天福の霊草といった理由もわかります
鬼門の方向におもとを飾る、植えるのもおもとの浄化する力があるからですね
淡路島は瓦の産地
橋や道にも瓦の造形が
鎌倉時代の瓦も使われています
途中寄り道(道を間違えた⁉)して
展望台へ
素晴らしい景色
鳴門大橋の近くです
サイクリストのための標識
最後は気合いです
ギリギリ、時間は掛かりましたが一周出来ました!150キロ!
人生初です!
おもとも発見出来て最高の一日になりました!
美しい淡路の海
淡路島 おもとの自生
やはり神々しい姿
寺社仏閣の境内におもとがよく植わっていますが
熱田神宮 久能山東照宮など
それはおもとの浄化する力を借りたいと思ったからでしょうか
私たち、万年青の豊明園として、万年青の用土はどれでもよい、どれだって上手に作れる、と思っております。用土に合わせて、水やり、肥料をやりましょう。
畑の土では肥料の効きもよく、万年青は大きく、立派に育ちます。葉の伸び、子の上がり方もよいでしょう。
逆に、砂利系統が多いと、水持ち、肥料持ちは悪いですが、小型でガチっとした万年青になります。万年青の芸を凝縮、濃縮して、緑の宝石や、緑の美術品と呼ばれる万年青をつくる、大木を鉢の上に表現する、盆栽にも似た、独特な万年青の世界観です。
これは、どちらがいい悪いではなく、それぞれの楽しみ方の話です。
自分の万年青の用土の特徴を知って、水やり、肥料、害虫の管理に生かしましょう。
地植えで青々と元気に育つおもと。アメリカのロングウッドガーデンズ。
今回は、お話を簡単にするため、土というのは畑の土、赤玉土は売っている赤玉土、砂利は朝明砂のような花崗岩を考えています。
それぞれの特徴は、皆様が想像する通り、土けがある方が、水持ちも、肥料持ちも、また、害虫の出やすさも高いです。
土は一番水持ちがよく、肥料持ちがよいです。そのため、水やりの間隔もとても長いでしょう。土の中に肥料を持ちやすいのと、腐葉土などが入っていれば、すでに肥料を持っているのも特徴です。そのため、害虫も紛れていることも。
水持ち、肥料持ちはとてもよいです。園芸店でもホームセンターでもどこでも売っていて、手に入りやすく、使う前に害虫がいることはありません。ですが、やはり土けを好んで害虫が潜むことも。
多くの園芸を楽しむ方は、楽しむ植物に合わせて鹿沼土、日向土、腐葉土、軽石などを混ぜ、自分の狙った水持ち、肥料持ちのブレンドにします。
水持ち、肥料持ちは悪いです。水をやってもすぐに下から水が出てきてしまい、生長期、夏場は水やりが頻繁になることもしばしば。その代わり、害虫の潜むことは土、赤玉土と比べて非常に少ないです。
土、赤玉土は非常に水持ちがよいので、水やりのやり過ぎに注意します。あまり用土が乾かないのに、水をやり過ぎると、根腐れを起こします。逆に、しっかり水が持つ分、水やりがなかなかできないお仕事で忙しい人やズボラな方はよいでしょう。
砂利は水切れに注意します。土、赤玉土と比べて、用土に水はほとんど含まないので、よく乾きます。
万年青は、芋があって乾燥にも強く、また、ある程度乾燥して、根が空気が好きなので砂利で植えることがあります。よく乾いた方が、小型で締まった出来になり、独特な万年青の美意識の愛好家には好まれます。
土、赤玉土は用土に肥料を貯めておくので、少ない肥料で良く効きます。砂利では肥料もほとんど下に抜けてしまい、肥料の効きは悪いです。
土、赤玉土は虫が出やすい、潜みやすいです。殺虫剤、殺菌剤は土にもかけるようにします。砂利でも潜むことがあるので、殺虫剤、殺菌剤はやります。
土では、土の中に微生物がおり、善玉悪玉といますが、土が葉について病気がでることがあります。
まず表面をみます。土、赤玉土では色が変わりますので乾きは良く分かりますが、中は水を良く持っているので、中の水持ちをしっかりとみて、水をやります。
表面だけ乾く、うわ乾きでは、中はまだ水をたくさんもっているので、根腐れの原因になります。
砂利では乾きが一番見にくいでしょう。富士砂のような色の変わる花崗岩ならよいですが、朝明砂などの白い砂利はわかりません。鉢底や、鉢の中をみて、水やりのタイミングをみます。
化粧土、黒くて重たい火山砂礫、見た目美しく水を吸収すると真っ黒くなり万年青を引き立たせます。乾いている時は灰色ぽくなります。保水力は良いが、乾きやすい。水の通りがよく、雑菌・バクテリアの繁殖を抑えるので、灌水した水の腐敗を防ぎ、根腐れもしにくくなります。
土や赤玉土では、水持ちがよい分、根の伸びはよいでしょう。どちらかというと、棒根という長い根が出やすいです。どの用土でも、乾きがよいと、枝根をたくさん出します。
私たち万年青の豊明園では、砂利単体で植えることは少ないですが、万年青の魅力を凝縮させる、そのためにわざわざ万年青が大きくならないように作りこんでいます。ここは盆栽の世界に通じるものがあります。
その場の土で十分です。乾きがよいようなら、腐葉土などを入れておけば水持ち、肥料もよいでしょう。日当たり、雨でかかる水がよければ、一度植えたら、基本的にはほっておいて大丈夫です。日照りが続く場合は、水やりをしてもよいですね。
それぞれの用土の特徴は分かっていただけたでしょうか?
大きく、子もどんどん増やしたい方では、土や赤玉土をもちいて、肥料を良く効かせて、そのかわり病害虫の管理はきちっとやります。水やりもやり過ぎに注意します。万年青の美術品を作る方、葉芸で品評会を狙う方でしたら、砂利系など乾く用土を多くして、ガチっとつくってみるのも面白いでしょう。
用土の特徴を引き出して、万年青を楽しんでください。
【万年青の豊明園】【Difference between Soil and Gravel】
ワシントンDC スミソニアン博物館の庭園の万年青
ウィンタートー ガーデン アメリカ、ペンシルバニア州
瑞巌山 圓光寺(円光寺)
京都市左京区一乗寺にある徳川家康公が創立した寺院。息をのむ美しさの苔と紅葉の美しい【十牛之庭】、平成に作庭された枯山水庭園【奔龍庭】、【円山応挙筆の「雨竹風竹図屏風」】 。本堂、水琴窟、十牛之庭に万年青が植えられている。
【拝観時間】午前9時~午後5時
【拝観料】大人 \500 高・中 \400 小 \300
〒606-8147 京都市左京区一乗寺小谷町十三番地
TEL 075-781-8025 fax 075-781-8035
(電話受付時間 午前9時~午後5時まで)
【ご案内】
市バス 5系統 一乗寺下り松下車 徒歩10分
叡山電鉄/叡山線 一乗寺下車 徒歩15分
駐車場(30台)有り
季節によって早朝拝観があったり、座禅などもできるようです。
私は駐車場の入り路がわからず、宮本武蔵にゆかりのある八大神社さんの駐車場に停めました。入口の北側(向かって左側に)20台ほど無料の駐車場があるようです
紅葉時期には、7時30分から拝観できる予約制の早朝拝観があるようです。早朝拝観は毎日70名。圓光寺さまへお問い合わせください。
2020.7.22現在作成、詳細は圓光寺さまへお問い合わせください。
苔むした素晴らしい庭園。
この画像の右へ行くと、宮本武蔵の八大神社、左へいくと曼殊院、鷺森神社、武田薬品薬草園がある。武田薬品薬草園には伺ったことがあり、その書籍には万年青が最初に薬草として載っている。
開基とはお寺を開くこと、出資者のこと。慶長6年(1601)徳川家康は下野足利学校第九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。その後、圓光寺には相国寺山内に移り、さらに寛文7年(1667)現在の一乗寺小谷町に移転された。裏山には当山開基の徳川家康公を祀った東照宮(徳川家康公の歯がある)の墓がある。
圓光寺の由来 開基 徳川家康公
こんなところにも三つ葉葵?が!!
立派な門
右には座禅の案内が
右手の受付を済ませ、お庭へ
京都の町からは離れ、ゆったりとした時間
枯山水のお庭
名の通り、龍が奔る(はしる)躍動感のある平成の枯山水。なだらかな階段を上った後にガラリを雰囲気が変わる。白砂を雲海に、石組を龍や稲妻に見立てたお庭に引き付けられる。石柱はかつて井戸の部材として使われていたもの。
平成に作られた、アートを感じるお庭
作庭家の名前は判らななかった。もしわかる方、お教えください。
奔龍庭を右手に見ながら、右側の瑞雲閣へ、円山応挙さんを見に行きます。
この圓光寺さんの「十牛之庭」を進むと、応挙竹林と呼ばれる孟宗竹の竹林がある。そこは、円山応挙がよく訪れた竹林で、この竹林を「雨竹風竹図」として描き残した。
禅語にある「清風動脩竹」(せいふうしゅうちくをうごかす:あるがままの姿は美しいが、それに執着しないことこそ素晴らしい)のとおり、風に吹かれ雨に打たれる竹林の情景は、常に変化を続ける人間のあり方そのもの。刻一刻と表情を変える竹林に、禅門の本質をみたのかもしれない。
円山応挙が圓光寺にお礼の印として寄贈された。撮影可能のこの屏風は複製品。
応挙竹林と呼ばれる孟宗竹の竹林
「十牛之庭」の奥に。
近くに(この写真を撮った人の後ろ側に)徳川家康公の歯があるといわれる、東照宮があります。
圓光寺の沿革
琳派彩還 四季草花図 渡辺章雄
琳派彩還 四季草花図 渡辺章雄
苔の素晴らしさ、紅葉の素晴らしさ
この美しさに紅葉の時期(11月中旬から12月中旬)にはとてつもない人出になるそうです。
苔好きにはたまらないお庭で、奔龍庭の枯山水からガラリと緑一色になる景色の変化ははっとします。
どこかのブログで読んだ気がしますが、この【十牛之庭】には牛に見立てた石が10配置されており、その石一つ一つが「十牛図」の一つの場面を現しているそう。禅寺らしい、禅問答のようなお庭!?十牛図(じゅうぎゅうず)を庭に落とし込んでいるので、庭もそのように、場面が進むにつれ、ガラリを変わっていく。
奔龍庭からの門を抜けると別世界
入口の右下、石の根付に万年青が植わっています。
柱と額縁に見立てた、額縁庭園とも呼ばれる。
牛を追う牧童の様子が描かれた「十牛図」を題材にして近世初期に造られた池泉回遊式庭園。庭園南側には洛北最古の泉水、栖龍池があり、先人たちはここからの眺めを絶景として褒め称えたという。
十牛図に描かれた牛とは、人間が生まれながらに持っている仏心をあらわしている。牧童が禅の悟りにいたるまでの道程であり、懸命に探し求めていた悟りは自らのなかにあったという物語だ。修行道場としてこれまで多くの雲水((雲がどことさだめなく行き水が流れてやまないように)諸国を修行して歩く僧。行脚(あんぎゃ)僧。)たちが参禅の日々を過ごした圓光寺。
作庭者がわかりませんでした。誰かわかる方がいらっしゃったらお教えください。
最初の牛の石なのか、最後の牛の石なのか
万年青が根付に使われている。
万年青にも何か意味があると思ってしまう
家康公に関係するのか、悟りの庭に関係するのか。
右側が本堂
赤いじゅうたんの中の部屋に、10の牛の書かれた、丸い10枚の絵があります。
庭が静か
本殿の前におもと
群生している。
木の下にある日陰の方が葉の色がよい。
万年青。
水琴窟の裏におもと。
十牛之庭におもと
洛北で最も古いといわれる栖龍池(せいりゅうち)
水琴窟。
今までで一番音が清らかだったように思います。この水琴窟だけでも足を運ぶ価値あり、のお庭です。
ここからの洛北地域の展望は良い。
山の上に東照宮があります。
圓光寺からの京都の眺め
遠く嵐山まで見ることができる
庭の素晴らしさに忘れていましたが、なだらかな山になっています。
圓光寺版といわれる出版物があるように、日本の印刷の歴史にとって画期的なもの。家康から木活字を下賜され、『孔子家語【こうしけご】』『三略【さんりやく】』『貞観政要【じようがんせいよう】』等の漢籍の出版を行った。これらの書物は、現在「伏見版・圓光寺版」として知られる。
伏見版書籍の印刷に用いられた活字を主体として、一部補刻の活字等を交えて、五二〇〇〇個余が重要文化財になっている。
伏見版(ふしみばん)とは、江戸時代初頭に、徳川家康の命により、山城伏見の伏見学校の一角に建立された円光寺(現在地は、京都市左京区一乗寺)において開版された木活字版のことである。円光寺版ともいう。
伏見学校は、足利学校第9世の三要元佶を招請して創建したものである。
元佶が出版した書籍は、1599年の『孔子家語』、『六韜』、『三略』が最初である。
1600年には、西笑承兌により、『貞観政要』が出版されている。
1605年には、やはり西笑承兌により、『吾妻鏡』と『周易』が出版されている。
1606年には、元佶によって、武経七書が開版された。この間に刊行された書籍は、8部80冊である。
1612年の、開山である元佶の没後、臨済宗に属する円光寺は、相国寺の境内に移り、その後、寛文年間(1661年 – 1673年)には、愛宕郡修学院村(現在地)に移転している。
「円光寺由緒書」によると、伏見版に使用された木活字は家康から拝領したものとされる。1815年に皆川允が亡父の遺稿集(『淇園文集』)などを出版した折に、活字を拝借し不足を補ったことから新旧二種の活字が現存している。
wikiより
本堂の前の水琴窟
圓光寺を開山した方。
世界大百科事典 第2版の解説
江戸時代、徳川家康公が江戸城に3鉢のおもとを抱えて入城したという故事の以前に、おもとには縁起物としての価値だけでなく、薬用植物としても大切にしていました。日本最古の小石川薬草園(小石川植物園・東京大学大学院理学系研究科附属植物園本園)や同時代の尾張藩御深井(おふけ)御薬園など名だたる名薬草園におもとは薬草として大切に育てられていました。
今回、江戸時代の尾張藩御深井御薬園の地図をみながら、江戸の薬草とおもとというテーマで見ていきたいと思います。
様々な薬用植物が、絵と名前入りで描かれています。
右上の池の部分を反転して、拡大したのが下の画像
御深井御薬園は1600年代に作られた、日本最古ともいわれる薬草園で、元は花壇や果樹園を兼ねた形態だったのが、庭園形式の薬草園へと発展し、御深井御薬園となっています。
この薬草園は、名古屋城の北部・現在の名城公園一帯に存在した大庭園である下御深井(したおふけ)御庭の一部としてつくられ、尾張徳川家御庭焼の御深井焼(おふけやき)、御花畑・御犬部屋・御鷹匠部屋などとともに、尾張徳川家当主の私的な遊興空間・儀礼空間でした。そのため立ち入りは制限され、当時、一般には知られることのない秘園でした。
薬草園の地図を見ていただくと、すべての植物に非常に詳細な絵と名前が書いてあるのがわかると思います。おもと(藜蘆)がのっている場所を下の写真に拡大してあり、尾張藩主が臨場の際に小休所としても使われた御薬苑堂と薬園方の役宅の東側、御スアマ(蓮池)の北側にあります。この地図には南北43間、東西87間と書かれているので、南北には約33メートル、東西に8メートル植えられていたと推測しています。おもとの区画の中にはリンドウやカキドオシ、スミレ、五味子などがあります。他の薬草園の絵図でも枠と文字だけで植物が書かれているものが多い中、見ていても面白くわかりやすい資料でした。
真ん中の池の9時から2時の方向(池の左側と上側)
池の左上におもと(藜蘆)と書かれています
また違った角度からおもとをみてみますと、小石川御薬園奉行である岡田左門、芥川小野寺(家康以来累代の園芸家)の書き付けた「御薬草木取扱方書付」からおもとの項を拾って
『藜蘆
是者根物にて九月節に至り植付申候 土地者日当り候 処冝敷土拵方は諸作同様にてうない壱尺五寸作立深サ三寸位四寸間に下タ肥シ同断にて植付申候 翌年芽出し壱年に都合三度薄肥しかけ草取捨三四度作切申候
製し方之儀は九月節に至り根堀起実入冝敷ヲ薬ニ取り水にて土ヲ洗落し日乾仕候』
旧暦の九月節なので、新暦の9月20日~10月20日頃でしょうか。秋の植えかえとぴったり一致するのが驚きました。
他にも、駒場御薬園、浜離宮の浜庭薬園、京都御薬園、熊本藩薬園、福岡藩薬園、奈良の森野薬園にも薬草としてのおもとが文献に現れてきます。
当時の医療である漢方、和方のことを考えると、今のように西洋医学のない時代、なくてはならないもので、幕府、藩ともに江戸初期に力を入れて薬草園をつくったのがわかります。
これからおもとの歴史、特に古くからの歴史を紐解いていくときに、薬草としてのおもとをみていけば、おもとがなぜ縁起物として喜ばれるのか、日本の文化として大事にされてきたのかもわかってくる気がします。
尾張藩御深井御薬園絵図
増補改訂 日本薬園史の研究
昭和5年 著者 上田三平
序に小石川植物園が東京大学附属となった2代目園長二代目三好学(1922年)の名も紹介される
この文章と写真は、栃の葉書房・趣味の山野草月刊誌に掲載されたものを加筆修正してアップしています。
生産農場を訪ねました。古くからの豊明園のお客様です。
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生け花用おもと しっかりとした遮光 | ||
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品種都の城(みやこのじょう) 葉の丈65cm~70cm小さな葉キズもゆるされません。地植え 独自の肥料を用いて消毒の仕方2009年2月11日岡崎よりなん会場で説明 都の城 (みやこのじょう)とは |
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おもとの実 | ||
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出荷用の葉 都の城 葉数10枚で実を付けて11とする |
生け花用おもと
2009年1月
おもとの活け方 小原流
万年青は日本に自生している植物で、自然界では泥にかぶっていますが、その泥は病気の原因でもあります。地植えでしたら気になる方は苔、化粧砂利、バークなどを使ってもよいですね。愛好家の万年青は病気がつくと観賞価値を落とすので高棚にしたり、砂利、瓦などで泥よけをした方がよいでしょう。
趣味者、愛好家の万年青のお棚は多くは50センチ以上、地面から高くにお棚を作ります。それは、腰をかがめなくてよい、水やりなどの作業がしやすい、なめくじなど虫が寄ってきにくいといったことだけでなく、泥はねとも関係しています。
50cmは高くして、泥はね、なめくじなどから守っています。あまり繁茂しすぎるのもよくないですが、シダなどで雨の泥はねを防ぐのも一手。金枠も、ナメクジなど虫が寄りにくいです。
昭和の時代以前の、古くは、コンクリート張りのところで万年青を楽しむ人は少なく、ご自分のお庭の一角にお棚を作り、万年青を楽しんでいました。地面は土なので、特に大雨がふると30~50cmも泥が跳ね、低い場所で作っていた万年青にその泥が跳ねます。泥や土には無数の微生物がいて、その中の病原菌が万年青に病気をもたらします。様々なお棚がありますが、明らかに泥が付きやすいお棚は、病気が発生しやすいですし、予防の農薬の回数、頻度も増えます。
私たちは、まず50cm以上高くして万年青を育てています。また、地面に近い万年青の周りは、大粒、小粒の砂利や瓦、農業用シートを引くことで、大雨でも泥が万年青にかからないようにしています。
お棚の下に瓦、砂利を置くことで泥を跳ねなくしている。
地植えの万年青では泥が確実につくので対策は難しいです。ですが、自生地をみてみると、林床に万年青は植わっています。万年青の周りは意外と枯れ葉があり、泥はねしにくくなっています。湿度のある場所で、苔などと一緒に植わっていれば、泥はねは少ないです。日本庭園には、石の脇や木の根元に植えられることがありますが、それですと多少は泥がかぶりにくいです。
愛好家の万年青のように、万年青の周りだけ苔や化粧砂利を置いたり、庭の雰囲気を壊さなければバークなどを置いたりしてもよいでしょう。
ここは遠く、アメリカの貴族の庭の万年青。常緑の木の林床に植えられ、落ち葉が周りに落ち、泥はねが効果的に抑えられている。
自然の中の万年青。こちらも落ち葉が根本にたまり、泥よけになっています。
こちらは、淡路島の諭鶴羽神社(ゆずるはじんじゃ)の自生地。神域なので、自由に万年青が生長しています。杉の葉がやはり泥はね防止に役立っています。
お客様の作られたお庭に万年青。左の石の根付として配した万年青。素晴らしい砂子斑の阿賀野川です。湿度もある土地柄なので、右はこれから苔がきて、泥はね防止になってくれるでしょう。
高い棚、苔、化粧砂、バーク、落ち葉 自生地を参考に【万年青の豊明園】【How to Prevent MUD Splashes】
基本的に万年青は日本に自生している、丈夫な植物。泥に神経質になることはありませんが、自生地では落ち葉が自然と泥はね防止になっていましたね。愛好家の万年青は病気がつくと観賞価値を落とすので高棚にしたりと多少は気を使いますが、地植えでしたら気になる方は苔、化粧砂利、バークなどを使ってもいいですね。
万年青の自生地
万年青は日本、中国、朝鮮半島、台湾に自生しています。
地域差も大きく、いくつかの種として区別され、葉の形、花の形などの変異が大きいです。
自生できるという場所では、その温度、気候に耐えられる、競合にも耐えられる場所があるということです。暑すぎる場所、寒すぎる場所(北海道以北)など、自分の限界を超える場所では死滅してしまいます。
今までは、万年青の自生地は西日本から、北は福島県、もしくは宮城県といわれていました。福島以北の方では、万年青の露地栽培は少なく、温室やムロを作って、そこで育てています。
万年青の南端は沖縄といわれていますが、私はまだ沖縄の自生している万年青は見たことがありません。もし情報ある方、是非ご連絡下さい。薩摩万年青、大葉万年青の本場である鹿児島では広く万年青は楽しまれています。南の鹿児島から北の福島までは高地を除いて万年青は自生しています。
沖縄、石垣島の於茂登岳(おもとだけ)は、沖縄県石垣市にある標高525.5メートルの山である。地元ではウムトゥダギと呼ぶ。『球陽』では宇本嶽、宇茂登嶽と記されている。於茂登岳は沖縄県の最高峰で、正保年間の『正保国絵図』に名前が記された琉球で唯一の山である。 古くから霊山として信仰の中心的存在であり、山名の「ウムトゥ」は「島の大本」を意味するともいう。
大分県北部、国東半島付け根に立つ御許山 おもとやま(標高647m)山麓に鎮座する。本殿は小高い丘陵の小椋山(亀山)山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とからなり、その周りに社殿が広がっている。境内は国の史跡に指定され、本殿3棟は国宝に指定されている。宇佐神宮(うさじんぐう)
↓アメリカ ロングウッドガーデンズの万年青
私がアメリカでガーデナーの研修をしていたときは、-30℃に極々まれになる場所でしたが、そこに万年青の群落がありました。ちょうど私が行ったときに-25℃以下になり、ひどい寒さだったのですが、常緑の木の下で元気に濃い青を見せてくれました。
このことから、日本の万年青の自生地はもっと北ではないかと考えています。東北地方は江戸時代も交易などで栄え、園芸をする文化レベルの高い人も多くいました。-30℃まで耐えられる万年青なら、東北地方でも山の中には自生していてもおかしくないと思っています。
世界の標本が集まっている素晴らしい標本室です。エディンバラは京都と同じ1000年の歴史のある伝統の街で、イギリスでは2番目に大きな標本室があります。
私がイギリスでガーデナーとして研修していた時に、推薦状をもらって一日標本室で万年青の標本を探しました。
そこでは、日本の標本だけでなく、中国、タイなどから万年青と万年青に似たRohdea属(万年青の学名はRohdea japonica)の標本がたくさんありました。
Rohdea sinensis
これはもともと、Rohdea japonica(japonicaは日本原産を現す)と同定されていたのが、Rohdea sinensis(中国原産)となった。同じ万年青でも、日本と中国で個体差がでてきたので、学名が変わった。日本の自生地の中でも多種多様な種内の変異がある。
種内変異:人の中にいろんな肌の人がいたり、顔や体つきが違っているがすべて人。同じホモサピエンス(Homo sapiens)
種間変異:同じホモというヒト属だが、種はちがう。ネアンデルタール人など。Homo. neanderthalensis
淡路島の万年青の自生地
淡路島 おもとの自生
やはり神々しい姿
寺社仏閣の境内におもとがよく植わっていますが
熱田神宮 久能山東照宮など
それはおもとの浄化する力を借りたいと思ったからでしょうか
南淡路の山の自生地 おもと
徳川家康が平和な世の中が
永く続くよう願って
江戸城入城の際
一番最初におもと三鉢を抱えて
入城したという故事にもあるように
おもとは開運、魔除けの縁起物です
南淡路の山にて
山を登ってちょうど休んだときに
おもとがありました!
淡路島 諭鶴羽神社 原種のおもと
皆様、是非、万年青の自生地を見つけたらお教えください。
万年青の自生地の写真 だいたいの場所をお教えいただけるとありがたいです。
実は、今言われている自生地というのは、本当の自生地かどうかは『わからない』といった方が正しいでしょう。
万年青は、引越しおもととして古くから日本の文化として取り入れられたので、多くの人が山に入り、万年青を取りにいったので、里山に万年青は下りてきています。里山の万年青を鳥が食べ、また山に運ばれて万年青は広がっていきます。
人が引越し、嫁入り、婿入りなどで移動するときに万年青も引越し万年青として移動します。そこで、また鳥が食べて万年青が広がるので、万年青の分布は、ただ鳥が広げた分布とは別に、人が動いた分布にも、万年青は広がっていきました。人の手が入っているので、本当の自生地というのは特定しにくくなっています。
万年青趣味者の多い里山の近くでは、山の中では99.9%あるはずがない、縞の万年青が見つかることがあります。愛知県の万年青の新品種作出が盛んだったころ、山に入ると縞の万年青もよく見つかりました。それは、里山の実生の実を鳥が食べ、山でフンをしたので縞の万年青が生えたといわれています。ただの青い万年青では、実をまいても青ですが、縞柄など珍しい柄物ですと、実から同じような綺麗な柄が出てきます。
修験道(山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教である。修験宗ともいう。修験道の実践者を修験者または山伏という。 1000-1500年前からある wikiより)
の世界で、特に信仰の厚い九州の英彦山神宮では、正面に万年青の精緻な彫刻が彫られていて、特に大切にされたこと、教義の大本に関わっていることを物語っています。
万年青は、もっと古くには薬草だったので、多くの薬草園、薬草売り、修験者などが山に入り、万年青を採取して里へ持ち帰りました。一説には、まず薬として広く広まり、その後、常備薬として引越し万年青という風習になって残ったといわれています。
万年青を大切にしたのは、民間だけではありません。徳川吉宗将軍の忍者とも言われる人が作った山にある薬草を調べた地図が残っており、幕府として、薬草として有用な万年青が様々な山をくまなく探索し、万年青を探していたことを示す資料です。薬草のおもと 徳川吉宗将軍の忍者の薬草地図
江戸時代から現代まで、何度も万年青ブームはありました。一番大きなものは江戸時代の万年青ブームで、現代の価値で一芽一億とも言われる価値が付いたといわれています。
そういったブームが起こると、人のサガなのか、山の万年青の乱獲があります。特に、江戸時代は多くの万年青が山取りのものが多かったので、乱獲されました。そういったことから、万年青の自生地はたびたび人によって荒らされています。現代では400年の万年青の品種改良の歴史から、山取りの万年青が高く評価されることがまずないので現代は乱獲はありませんが、このように、ブームや、薬草といったことで山の万年青は自生地が荒らされています。
現代は、鹿が増えすぎて里の畑を荒らす、といった鹿害が問題になっていますが、実は万年青はこの鹿害に強いです。万年青は薬草なので、実は毒でもあります。鹿が殖え、何でも食べるようになっても万年青は食べられないので残ります。私が歩いた自生地ではほとんど万年青以外はすべて鹿に食べつくされていました。
【万年青の豊明園】【Where is the natural origin of OMOTO】