1億円のおもと 江戸 文化文政 太平の世

引用文献  「太陽」 9月号 No.197 p49
1979年8月発行

園芸おもとニュース
新聞や園芸雑誌で取り上げられた、おもと関連の記事の紹介をします。

万年青は、江戸の園芸熱の高まった文化・文政期(1804年~1830年)に大流行し、
その時期、暇と場所を持つ旗本の次男三男、僧侶などは、一攫千金を夢見て狂奔した。一芽100両~300両(今の500万~1000万)、果ては2300両(1億円相当)という法外の値のついた万年青。一体どんな素晴らしいおもとだったんでしょう。

おもとの扇子 福を呼ぶ、お多福

万年青
花言葉は 一番は冬でも常緑なことから
「永遠の繁栄」 「長寿」そこから派生して、
「長寿」「崇高な精神」「長命」「母性の愛」「相続」
心をこめた贈り物に最適のおもと
 
 
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皆さん、この扇子は見たことがありますか?!
楽しそうな女性たちに囲まれた黒鉢のおもとがみえますね。
鉢には名前がお多?と書かれていますが、お多福のお披露目?の扇子でしょうか。にぎやかな雰囲気が伝わります。
 
今、お多福といったら引っ越しおもととして非常に人気の高いおもとですが、
昔はもっと人気があり、この扇子以上の人だかりでお金をもっていても買えないような時代がありました。
おもとで大事な3原則の名前よし、特徴よし、縁起よしと三拍子そろったうえで、天皇陛下のお買い上げともあって、ほんとに貴重な品でした。

おもと 浮世絵

Omoto 岡崎農遊館 おもと

イメージ 1

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農遊館ではありがとうございました

飾った浮世絵
歌舞伎の人場面
江戸時代からおもとは大切にされていました

万年青の展示会への出品・鑑賞のポイント

秋から春まで、夏以外は万年青の展示会が続きます。真夏は植え替えや、鉢の移動による環境の変化、場所によっては冷房という理由で万年青は展示会はしていません。
私たちの所属する公益社団法人おもと協会・三河おもと会も若い方、新しい方が増えてきて、出品したい、鑑賞のポイントを教えてほしいというお話もふえたので、ご紹介します。

出品について

私たちの会は公益社団なので、誰でも出品でき、毎年新人さんがデビュー?!しています。徳川家康公の時代から万年青文化は鉢も重視するので、展示会という皆様にお披露目する場では錦鉢、縁足金以上の鉢に植えて出品します。地域それぞれの会によって黒鉢以上、プラ鉢でもOKなど様々です。私たちの会でも、初心者さんやどんな風に育てているのかを見ていただくため、特例は多いです。

出品の化粧

皆さん出品の際は、気に入った鉢、万年青を生かす錦鉢に植え、化粧砂や、綺麗な苔で丁寧に着飾り、愛培の万年青に化粧をします。あるお客様は大葉の出品の際、苔を一房一房、化粧砂を一粒一粒ピンセットで丁寧に置き、一日に2鉢しか出品作品が出来ない、といっておられます。とても集中力が持たないそうです。そんなことも、おもとへの愛情が深ければこそですね。
江戸残雪 黒い富士砂を化粧に使い、全体を締まった雰囲気に
玉姫 国産の美しい水苔で化粧。展示会場によってはエアコンで乾燥することがあるが、水苔は安心。

鑑賞のポイント

好きな品種を鑑賞して下さい。どの作品も出品者が大切に育てた物なので、ここが出品者さんの気に入った芸だな、この品種のここが好きなのだな、と分かってくると面白いです。力和の独特な芸や、光陽、太陽の豪快な葉姿をを引き出したり、といった良さがあります。その展示会でしかお目にかかれないような素晴らしいものに出会えるかも。
また、三河名品展では、出品者が近くでお手伝いをしておられるかもしれません。そういった方にお話が聞けると楽しいですね。同じ東海地方でも、場所場所で日の当たる時間帯や、風通り、水やりなどは違ってきます。ご自分の手に合う得意な品種や、コツなども教えてもらえるかもしれません
展示会では、時に花台、金屏風といったものも見どころ。

鑑賞の注意

おもとは葉上の芸術の言われるぐらい、葉芸は多種にわたります。どんな感じなのかな、とつい触ってみたくなりますが、絶対に触らないでください。ほとんどの人が着物を着ていた頃は、親指を必ず帯に入れ、絶対に触らないようにしていたそうです。今でいうと何千万、何億円という価値があったので、少し傷付けたら、エライことに、、。お仲間の大切にしているおもとを傷付けないようにしましょう。くわえ煙草や、値踏みも厳禁です。
日月星 錦鉢によっては正面があるので、万年青の顔、錦鉢の顔を正面に。

おもと、今若い方も多いです

渋い趣味なので、お歳の方が多いかと思いきや、そんなことは全くありません。
今は20代から40代の若手の趣味者さんがとても多く入ってきてくれています。中学生や大学生の趣味者さんも。実生や交配などを好まれたり、珍品や綺麗なおもとが好まれたりと様々。定年を迎えて、何か趣味を、と考えておもとを始められる方も。おもとは小型で軽く、80歳、90歳の趣味者さんもご自分で植え替えや水遣りをされ、楽しく健康に愛培しています。

まとめ

展示会の出品は自由で無料(三河おもと会)です。
出品の際は錦鉢、苔などで化粧をしてあげるとよりよいでしょう。
鑑賞は好きなように。自分の万年青と何が違うのかを探るのも面白い。
葉にさわること、たばこ、値踏みは避けましょう。

第94回三河おもと名品展 2020.10/24-25

おもと銘品 120点展示
日時 令和2年(2020) 10月24日() 25日() 
展覧時間  24日():午前9時~ 午後4
     25日() :午前9時~ 午後3時まで

場所 おかざき農遊館 展示室

愛知県岡崎市阿知和町字乗越12番地

電話 0564-46-4700

事務局 公益社団法人日本おもと協会 三河支部 豊明園内 0564-51-4714

 

現在まで続いている万年青展示会では、日本で最古の伝統と歴史をもつ。

江戸時代、明治時代などの100年、200年の歴史をもつ銘品から、最新の万年青まで。2000種もあるといわれる万年青の世界を垣間見てください。

今回は特に江戸時代の万年青にスポットライトを当てて展示しています。50種ほどあると言われる江戸万年青のどんな万年青が現在どのように楽しまれているか、実際に入手できるものはあるのかなど

万年青は江戸時代も珍奇植物の一つで、葉の表面がボコボコになったり、葉がクルクルカールしたり、葉の裏側に変化が起きたりと変わった特徴も多いです。珍奇な最新の万年青も展示され、美しく整った万年青との対比も面白いでしょう。

NHK趣味の園芸テキストで、11月・12月号のオモトも展示いたします。

地元を始め、愛知だけでなく静岡、岐阜、三重、大阪の熱心な愛好家を中心に120点の銘品を集めて皆様をお待ちしております。

一般参加募集中  豊明園に連絡
おもとの展示会

伝統園芸植物とは?

令和の出典元となった万葉集の奈良時代(7~8世紀)以前から、日本人は植物を愛でてきました。万葉集には4500首の歌が詠まれ、その3分の1が植物を読むほど、日本人と植物は密接にかかわってきました。

伝統園芸植物は、古典園芸・植物とも言われ、特に園芸好きな将軍の多い江戸時代に、日本の美意識で大きく花開き、品種改良されてきた植物です。将軍への献上品として、各藩が自慢の植物を[お留花]として藩の特産品にしています。例を挙げると、鹿児島の薩摩藩では、万年青がその献上品として門外不出になり、万年青の出入りを厳しく取り締まっていました。

今回ご紹介する万年青、富貴蘭、錦糸南天、長生蘭、マツバランから、アサガオ、蓮、カキツバタ、サクラソウ、イワヒバ、カンアオイ、サクラ、ナデシコなどありとあらゆる植物の突然変異が見つかると江戸や京都の町のニュースになっていました。

ヨーロッパや中国のように、園芸といえば華やかな花が愛されてて人気になるのが普通です。日本では、ここにあるようにビザールプランツ、珍奇なものも尊ばれ、そこに日本の伝統園芸のオンリーワンの部分があります。

・ヨーロッパのプラントハンターたちが江戸時代に日本に来て、3つのことに驚きました。1、庶民から将軍まで園芸をたしなむこと、2、日本固有の植物の多さ、3、日本独特の品種改良に驚きました。

日本の伝統園芸植物である菊、あじさい、椿、つつじ、ぎぼうしなど多くの植物が、江戸時代からプラントハンターたちに紹介され、今現在、世界中で愛されています。

 

 

斑入りを楽しむ文化

また、斑入りを楽しむ文化は、江戸後期の(1829年)水野忠暁(みずのただあき)の「草木錦葉集」から世界に広がっていきました。

正座から生まれる小さな変化

名古屋園芸の小笠原左衛門尉亮軒先生がいうには、たたみで正座をする文化では、より小さな変化が目に入り、珍奇なものを愛でる文化が育つ、いすに座る文化では、目線がたかく、葉一枚の小さな変化よりも、植物全体の変化のほうが目にはいるとおっしゃっていました。また、鉢が江戸時代に発達をし、手元で愛でることができると、近付けてみることができ、小さな変化に気づきやすく、日本独自のビザールプランツの文化の土壌になっていきました。

「家康とオモト」 NHK講師・ 元奇跡の星の植物館研修生 豊明園

「家康とオモト」   NHK講師・ 元奇跡の星の植物館研修生 豊明園

家康と万年青

万年青(おもと)は、めでたい植物、不老長寿の縁起のよい植物といわれています。慶長11年、徳川家康公が江戸城入城に際し、家康公は愛知県三河の長島長兵衛から贈られた斑入りのおもと3鉢を抱え入城し、おもとを床の間に飾り徳川300年の繁栄を築いたという古事が広く知られ、現在も家康公が愛した【永島】という万年青が現存しています。

徳川家康公が愛した永島 NHK趣味の園芸にも登場した永島

 

家康は万年青に万年の繁栄と魔除けを託した

家康公が逝去した即夜に移された久能山東照宮には、東照宮という神様になった家康公にしか見えない位置、代々の徳川家当主しか入れない場所に万年青彫刻が彫られています。他にも、日光東照宮、二条城、上野東照宮など、徳川家が関係する寺社仏閣には泰平の世と魔除けの印として、万年青彫刻が彫ってある、万年青が植えられている寺社が20社以上あります。

久能山東照宮の万年青彫刻

国宝となり、この彫刻は徳川家当主しか完全に見れなくなった

国宝・久能山東照宮の深部にある万年青彫刻

 

 

久能山東照宮のお守りには、万年青が描かれている

 

久能山東照宮への万年青奉納

万年青の仲間と、徳川家康公から続く万年青文化に感謝して、皆で奉納しました。

 

 

武士の精神修養としての万年青

江戸時代も中ごろになると、武士の役割がだんだんと変化していきます。 戦で戦うことがなくなった泰平の世のため、家でできる園芸という楽しみをする武士も多く、園芸文化が発展していきます。例えば、今から250年ほど前の熊本藩の殿様、六代藩主・細川重賢(ほそかわ しげかた)公は、家臣の精神修養に園芸を奨励し30種ほどの園芸をさせ、今も肥後六花として現存しています。将軍から庶民まで、日本全体が花や園芸を楽しむ文化だったのですが、園芸と武士の武士道が化学反応を起こすことで、万年青の中に弱きを助ける独特な美意識、奇品珍品(ビザールプランツ)を尊ぶ世界でも稀な園芸文化が生まれていきました。

 

世界の中の万年青

7000年前から薬草、霊草として用いられた中国では、中国の皇帝や、孔子の子孫が結婚、代替わりの際に常に万年青が用いられたように、万年の繁栄を象徴する、天福の霊草として大切にされています。英語ではSacred lily(聖なるユリ)として、神聖な植物として伝わっており、日本の文化を愛する、世界の万年青愛好家も日々増えています。

中国・清の皇帝と万年の繁栄を願う万年青

 

 

皇帝の宮殿に飾られる、赤サンゴ、翡翠、宝石をちりばめられた万年青

 

 

引越し万年青と家康 万年青彫刻

寺社仏閣のおもとの彫刻・植えられた万年青 一覧 歴史ある名店も

久能山東照宮のおもと

蒀即萬年青 妄仚様に中国における万年青をまとめていただきました 大発見!!!!!

最初から最後まですべて大発見

2020.8.25妄仚様から追加の資料を頂き、追記。

万年青は中国では7000年以上の鉢植えの歴史の大本だった

蒀即萬年青

蒀即萬年青,在中華文化中歷史悠久,河姆渡新石器遺址,約7000年前的第四文化層上發掘出兩枚刻花陶片,出土一枚陶片上刻了五片大葉的植物,不管是型態細節都是萬年青的特徵。此為中華盆栽之濫觴。

英訳

蒀 is Evergreen(OMOTO) and has a long history in Chinese culture. At the Hemudu Neolithic site, two carved pottery pieces were excavated on the fourth cultural layer about 7,000 years ago. One pottery piece was unearthed with five large leaves of plants. The details of the form are the characteristics of Evergreen. This is the origin of Chinese potted plants.

和訳

蒀は万年青であり、中国文化で長い歴史があります。ヘムドゥ新石器時代の遺跡(河姆渡遺跡)では、約7,000年前に4つ目の文化層に2つの彫刻が施された陶器が発掘されました。 1つの陶器の作品は、5つの大きな植物の葉で発掘されました。フォルムのディテールは万年青の特徴です。これが中国の鉢植えの原点です。

河姆渡遺跡 ヘムドゥ新石器時代の遺跡

長江下流の新石器時代中期、紀元前5000年頃の稲作が明らかな農耕遺跡。長江文明の中心遺跡として重要。

 河姆渡(かぼと)遺跡は、長江の下流域の杭州湾南岸の沖積低地に位置する稲作農業(水稲)を基盤とした紀元前5000年頃~3300年頃(約8000~5000年前)新石器時代中期の遺跡であり、大量の稲籾、稲殻、籾殻などが平均して20~50cmにわたって堆積し、最も堆積の厚いところでは1mに達していた。1970年代に行われたこの発掘で、長江下流域に稲作の起源をもとめる説が強まった。現在では長江中流域の湖南省彭頭山遺跡から、河姆渡文化よりも古い、紀元前7000~6000年頃に遡る栽培種の稲が出土し、長江中流域稲作起源説が強まっている。<竹内康浩『中国王朝の源流を探る』世界史リブレット95 2010 山川出版社 p.17-18>

稲作農業の起源

重要なことは、長江下流域で河姆渡遺跡で稲作農業が発達した前5000~4000年という時期は、華北において仰韶文化が栄えていた時期と同時期であり、そちらはヒエ・アワを中心とした畑作農業であったことである。これによって、従来は黄河流域の仰韶を中心とした黄河文明が中国文明の源流として強調されてきたが、それとは別に、稲作農業を基盤として発展した長江文明の存在が明らかになった。最近では黄河流域の文化と長江流域の文化をあわせて中国文明として捉えられるようになっている。<NHK 世界四大文明展『中国文明展』2000年による>

 

 

古い文学にも、万年青は登場する

在文學中西晉左思的《蜀都赋》中就有“郁葐蒕以翠微”而這個指的是覆盆子和萬年青,代指茂盛如雲霧般生長在山壑間。

英訳

In the literature of the Western Jin Zuo Si’s “Shu Du Fu”, there is “Yu Ping Lian Yi Cui Wei” and this refers to raspberry and OMOTO(Evergreen), which refers to the luxuriant growth in the mountains and gully like clouds.

和訳

西晉左思の「蜀都赋 / 周杜福」の文学には「郁葐蒕以翠微 / 玉平蓮一翠偉」があり、これはラズベリーと万年青を指し、山と雲のようなガリーの豊かな成長を指します。

《蜀都赋》とは

西晋(せいしん)は、司馬炎によって建てられた中国王朝265年316年)の時代の作品。

西晋王朝の作家であり、山東省のリンジー(現在のジーボー)出身の左思(250-305)によって書かれた、彼の “Sandu Fu”( “Wu Du Fu”と “Wei Du Fu”)の1人です。当時、伝染用にこの風車が複製され、首都である洛陽の紙の値段も高かったため、「洛陽の紙は高い」という言葉がありました。 「シュウの首都のフー」は、特性、山と川、バスーの習慣を非常に詳細に説明しており、フーは当時の四川の巨人のごちそうと飲酒の生活を描いています。福に記録された多くの製品や食品の習慣は、四川料理の歴史、さらには中国料理の歴史を研究するために後世に利用できる貴重な資料です。

创作年代
西晋
作品出处
《水经注》《太平御览》
文学体裁
作    者
左思、杨雄
左思 さし とは
(さ し、生没年不詳、一説に252年307年[1])は、中国西晋の文学者。太沖斉国臨淄県の人。門閥の後ろ盾のない寒門の出身であり、官途は不遇だったが、文才に優れ、代表作『三都』は「洛陽の紙価を高からしむ(洛陽紙貴)」の故事の由来となった。妹の左棻も詩文の才能があり、司馬炎の妃となった。

 

左思 さし とは

创作年代
西晋
作品出处
《水经注》《太平御览》
文学体裁
作    者
左思、杨雄

 

作品名称
蜀都赋
外文名称
Shu-du fu
作品别名
蜀都赋
    创作年代西晋作品出处《水经注》《太平御览》文学体裁赋作    者左思、杨雄

左思 さし とは

(さ し、生没年不詳、一説に252年307年[1])は、中国西晋の文学者。太沖斉国臨淄県の人。門閥の後ろ盾のない寒門の出身であり、官途は不遇だったが、文才に優れ、代表作『三都』は「洛陽の紙価を高からしむ(洛陽紙貴)」の故事の由来となった。妹の左棻も詩文の才能があり、司馬炎の妃となった。
左熹の子として生まれた。史書によると、左思は寒門の出身の上、容貌は醜くどもりであったが、学問に励み文章に巧みであったという。

略歴

妹の左棻が西晋の武帝司馬炎の後宮に入ったので、首都の洛陽に家を移した。三国の首都を題材にした『三都賦』の執筆を思い立ち、10年の歳月をかけてこれを完成させた。完成当初は世人の批判を浴びたが、当時の文壇の大御所である張華にこれを見せると、張華は班固の『両都賦』や張衡の『二京賦』に匹敵する傑作だと激賞し、無名の左思に名士の手を借りることを勧めた。左思が名士の皇甫謐に序文を書いてもらうと、『三都賦』の名声は大いに高まり、以前批判した者たちも手のひらを返して褒め称えたという[2]人々が争って『三都賦』を筆写したため、洛陽城内の紙の値段が高騰したという逸話は、後に「洛陽の紙価を高からしむ」の故事となった。左思と同時代の文学者である陸機も、同じく『三都賦』の制作を構想していた。陸機は洛陽に上京すると左思の噂を聞いたが、弟の陸雲に手紙で「田舎者の『三都賦』が出来上がったら、酒瓶の覆いにするのがよかろう」といって、まるで相手にしていなかった。しかし完成した左思の賦を見るや、その出来映えに脱帽し、自身の制作を断念したという。

後に権臣の賈謐の招きに応じ『漢書』を講じた。300年八王の乱で賈謐が趙王司馬倫に誅殺されると、官職を辞して隠棲し、典籍に没頭した。

303年、河間王司馬顒の将軍張方が洛陽で暴虐の限りを尽くすと、左思は家をあげて冀州に避難し、数年後に病没した。

文学作品

隋書経籍志によると、文集2巻(代には5巻、目録1巻)が存在していたとあるが散逸した。現存する文学作品としては、上述の『三都賦』のほか、寒門出身として当時の貴族社会への批判を込めた「詠史詩」や「招隠詩」、自分の娘の様子を描いたユニークな内容の「嬌女詩」が代表作とされる。鍾嶸の『詩品』では最上位の上品に列せられ、劉楨の力強い詩風を受け継ぎ、諷諭の精神を体得すると評されている。

万年青(おもと)の別名は?意味は?

漢方での万年青

而在中藥醫典上萬年青也可作為清熱藥的中藥材使用,在《本草新編》記載將萬年青的根莖和葉作為藥用,可有強心利尿、清熱解毒、涼血止血的功效,藥性為苦、甘、寒,有小毒。可用於防治白喉、白喉引起的心肌炎、咽喉腫痛、以及小便不利等疾病。不過萬年青有一定的毒性,會產生洋地黃苷樣作用。

英訳
In the Traditional Chinese Medicine Code, OMOTO can also be used as a Chinese medicinal material for clearing away heat. It is recorded in the “New Edition of Materia Medica” that the rhizomes and leaves of OMOTO are used for medicinal purposes. It is bitter, sweet, cold, and slightly poisonous. It can be used to prevent and treat diphtheria, myocarditis(心筋炎) caused by diphtheria, sore throat, and poor urination. However, OMOTO has a certain degree of toxicity and can produce digitoxin-like effects.

和訳

漢方では、万年青は熱を取り除くための漢方薬としても使用できます。「本草新編 / 新薬マテリアメディカ」では、万年青の根茎と葉が薬用に使用されていることが記録されています。万年青は、心臓と利尿を高め、熱と解毒作用を取り除き、血液を冷やして出血を止める効果があります。苦くて、甘く、冷たく、少し有毒です。ジフテリア、ジフテリアに起因する心筋炎、喉の痛み、排尿不良の予防と治療に使用できます。ただし、万年青にはある程度の毒性があり、ジギトキシンのような効果をもたらす可能性があります。

※『本草新編』は『本草秘録』とも呼称される。清代の陳士鐸によって著された。宮集、商集、角集、徴集、羽集の5巻によって構成される。

※清 中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝。1616年 – 1912年

※ジギトキシン 背が高く釣鐘状の花を穂のように咲かせるジキタリスからとれるジギトキシン(Digitoxin)は、強心配糖体の一つである。心不全、心房性不整脈患者に適用される。アガサ・クリスティの『死との約束』ではジギタリスを用いた殺人が行われる。

細胞膜に存在するNa+/K+ATPaseを阻害することにより心筋細胞内のカルシウムイオン濃度を増加させ、心筋の収縮力を増大させる(陽性変力作用)。

カルシウム注射薬およびスキサメトニウムとの併用は禁忌。重大な副作用としてジギタリス中毒(強心配糖体を参照)。

※ジフテリア ジフテリア菌の感染によって起こる、主として呼吸器の粘膜が冒される感染症。菌の繁殖部位により、咽頭 (いんとう) ジフテリア・喉頭 (こうとう) ジフテリア・鼻ジフテリアなどの病型がある。心筋や末梢 (まっしょう) 神経が冒されることもある。感染症予防法の2類感染症の一。小児がかかりやすいが、予防接種の普及で減少。日本では三種混合ワクチン(DPTワクチン)、二種混合ワクチン(DTワクチン)に含まれている。定期接種の普及している国では症例は稀だがそうでない国では流行がある。

ジフテリア菌の発見は1883年。エミール・フォン・ベーリングと北里柴三郎血清療法を開発。その功績でベーリングは第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 

到了明清時期

英訳

To the Ming and Qing dynasties

和訳

明・清王朝へ

《靖江寶卷》中有話:「錢氏說『老太師,不能空口去說白話,把禮儀帶了去。』這遭就配了千兩金子千兩銀,珍珠瑪瑙亮晶晶,綾羅綢緞廿四匹,康桃安棗十二斤。再加上——茶花對果一槓擔,又用四支萬年青。」後文又有「二人來到東書廳一看,金漆旺旺,地下放光。天井駁得四瀉水,磨磚鋪地一樣平。金魚缸中來戲水,荷花缸上畫麒麟。牆邊栽個虎耳草,盆景栽個萬年青。」

英訳

There is a saying in “Jingjiang Treasure Scroll”: “Qian said, “Old lady, you can’t speak the vernacular without talking, and take the etiquette.” This time, it was matched with a thousand taels of gold and a thousand silver, pearl agate, shiny pearls, and silk and silk. Four horses, 12 catties of Kangtao and Anzao. In addition-Camellia to fruit and a pole load, and four perennials / OMOTO.” Later, “The two came to the East Book Hall to see it. The golden lacquer is flourishing, and they are placed underground. Light. The patio is flooded with water, and the floor is as flat as polished bricks. Play in the goldfish tank, and draw a unicorn on the lotus tank. A saxifrage is planted on the wall, and a bonsai is planted with Evergreen / OMOTO.”

和訳
「Jingjiang Treasure Scroll / 靖江寶卷」には格言があります。「銭氏は、「おばあさん、話せずに方言を話すことはできません。エチケットを取ることはできません。」今回は、何千もの金の尾と千の銀、真珠の瑪瑙、光沢のある真珠、絹と絹にマッチしました。馬4頭、カンタオとアンザオの12匹の猫。果物と棒に加えてツバキ、そして4つの万年青。」その後、「2匹が東書堂にやって来て、黄金の絵の具が繁栄し、地下に置かれました。ライト。パティオは水で満たされ、床は磨かれたレンガのように平らです。金魚の水槽で遊んで、蓮の水槽にユニコーンを描きます。壁にはサキシマゲが植えられ、盆栽には万年青が植えられています。」

證明了萬年青已在民間作為節氣觀賞植物

英訳

It proves that Evergreen / OMOTO has been used as an ornamental plant for solar terms in the folk

和訳

万年青が民俗の太陽用語の観賞植物として使用されていることを証明します

中国最後の統一王朝、清と万年青の関係

且在清朝時因國號的關係。

英訳

And in the Qing Dynasty because of the relationship of the country name.

和訳
清朝には国名の関係から。

中国最後の統一王朝、清と万年青の関係

清 1616年 – 1912年

萬年青同“萬年清”,有萬年大清之意,所以特別受清皇室及貴族的喜愛。而華北地區寒冷冬日僅一色雪白,庭園中草木凋零,所以常在室內擺設萬年青,全年長青且又有大紅果實妝點下是顯得特別喜氣。

英訳
Wannianqing is the same as “Wannianqing”, meaning Wannianqing, so it is especially loved by the Qing royal family and nobles. In North China, the color is only white in cold winter days, and the plants in the garden are withered. Therefore, the evergreens / OMOTO are often displayed indoors. They are always green all year round and decorated with red fruits.

和訳
万年青は万年清代が続くを意味する「万年清」と同じで、特に清王家や貴族に愛されています。中国北部では、寒い冬の日は白く、庭の植物は枯れてしまうため、万年青は室内に展示されることが多く、一年中緑で、赤い果実で飾られています。

萬年永清

第七十六代衍聖公の万年青のように万年、清代が栄えるように願った写真

第七十六代衍聖公 孔令貽,照片中他身旁一盆霓裳萬年青

英訳

Kong Lingyi, the 76th generation of Yan Sheng Gong, in the photo is a pot of neon clothes beside him

和訳
写真のヤンシェンゴンの76世代であるコングリンジーは、写真の横にある虹のように美しい万年青の盆栽の一鉢です

※霓裳 《「霓」は虹のこと》 虹のように美しい裳 (も) 。

 

清の宮殿に飾られる宝石で作られた万年青

在清宮中常有造辦處所製,或大臣進貢的寶石盆景,其中主題就有萬年青,通常是以桶狀盆來發揮,”一桶萬年青“寓意清朝”一統萬年“

英訳
In the Qing palace, there are often gem bonsais made by places or tributes from ministers. Among them, the theme is Evergreen / OMOTO, which is usually played in a barrel-shaped basin. “A bucket of Evergreen / OMOTO” means the Qing Dynasty’s “dominance for thousands of years.”

和訳
清の宮殿には、場所や大臣からの賛辞によって作られた宝石の盆栽がよくあります。その中で、テーマは万年青で、通常は樽型の盆鉢。「ひと桶の万年青」とは、清朝の「数千年の支配」を意味します。

一統萬年

寶符國瑞掛屏

有御詩一首

靈草恒青冬夏鮮,謂當有水洼其邊

文征畫合梓材語,惟曰保民欲萬年

戊戌嘉平之吉

英訳

Baofu Guorui Hanging Screen

There is a poem

Lingcao is always green in winter and summer, and it is said that there should be puddles beside it

Wenzheng painting combined with Zicaiyu, but it is said that the people will be saved for thousands of years

Jiapingzhiji

和訳

Baofu Guorui掛け軸

詩があります

靈草(万年青)は冬と夏は常に緑で、横に水たまりがあるはずだと言われています

深センの絵画とジカイユを組み合わせたものですが、人々は何千年もの間救われると言われています

ジャーピンジジ??

戊戌嘉平之吉 戊戌という干支

 

皇帝と万年青

嘉慶帝身旁炕桌上一盆“一統萬年“

英訳

There is a pot on the table next to Emperor Jiaqing, “Ten Thousand Years of Unity”

和訳

嘉清皇帝の隣のテーブルには「万年の統一」という万年青の鉢があります。

嘉慶帝(かけいてい)は、清の第7代皇帝ははじめ永琰(えいえん)、即位後に顒琰(ぎょうえん)と改めた。廟号は仁宗(じんそう)。在世時の元号のを取って嘉慶帝と呼ばれる。

1796年2月9日 – 1820年9月2日

乾隆25年(1760年)、乾隆帝の十五男として生まれる。乾隆60年(1795年)、85歳の乾隆帝から譲位を受けるが、乾隆帝は太上皇となっても実権は手放さなかったため、嘉慶帝は飾り物の皇帝に甘んじた。

乾隆帝が嘉慶4年(1799年)に崩御すると、嘉慶帝は真っ先に乾隆帝が重用していた奸臣和珅を誅殺した。周りの人間全てが和珅のことをろくでもない奸臣であると見抜いていたのに、耄碌した乾隆帝だけは和珅を信任し続けたため、乾隆帝が生きている間はどうしようもなく、和珅は国家に入るべき歳入のかなりの額を懐に入れていた。和珅から没収した財産は、実に国家の歳入の10~15年分に当たったといわれている。

テレビドラマ
  • 紫禁城 華の嵐(2004年、中国、演:于洋)

清の第6代皇帝、乾隆帝から、第7代皇帝嘉慶帝、第8代皇帝道光帝まで

乾隆帝(けんりゅうてい)は、清の第6代皇帝。清王朝の最盛期を創出する。弘暦(こうれき)、廟号は高宗(こうそう)。在世時の元号の乾隆を取って乾隆帝と呼ばれる。

弘暦(1711~1799)
清の六代乾隆帝。廟号は高宗。十回の遠征に成功したため、十全老人と号したという。在位1735~1795。雍正帝(胤禛)の四男。雍正十一年(1733)、和碩宝親王に封ぜられた。十三年(1735)、雍正帝が崩ずると、帝位についた。即位後、ジュンガル部のガルダン・ツェレンを討ち、大小ホージャの乱を平定して新疆をおさめた。チベットを安定させるため、「欽定西蔵章程」を公布して民政・軍事の権力を駐蔵大臣に委ねた。また雲南、ビルマ、台湾などに遠征し、これによって清朝の最大版図を形成した。寧波・厦門・雲台山を閉港し、西洋との交易を広州一港に制限した。英国の使節マカートニーの通商の要求もことごとく拒否した。文化面では『四庫全書』を編纂させ、一代のうちに完成させた。また多くの文化財を蒐集して紫禁城に集めた。しばしば巡遊をおこない、馬上朝廷の称もあった。土木工事を好み、多くの人力財力を消費した。帝個人はさまざまな濫費を好んだが、かれの治世は銀の入超に支えられて、前代に類をみない好景気の時代であり、清朝の最盛期であった。在位六十年で退位して嘉慶帝に譲り、太上皇帝となった。その後の三年間、院政を布いた。晩年は和珅を信任して国政が乱れ、白蓮教の乱が起こった。『楽善堂詩文全集』。

  • 顒琰(1760~1820)
    清の七代嘉慶帝。廟号は仁宗。在位1796~1820。乾隆帝(弘暦)の十五男。乾隆五十四年(1789)、嘉親王に封ぜられた。六十年(1795)、皇太子に立てられた。翌年、父帝に譲られて帝位についた。父が太上皇となり引き続き執政し、和珅が国政を専断した。嘉慶四年(1799)、父太上皇が崩ずると、親政をはじめた。和珅を逮捕して獄に下し、二十大罪を数えて、自殺を迫った。湖北・四川で起こった白蓮教徒の叛乱は五省に波及し、足かけ九年この鎮圧のために全力を尽くした。まもなく蔡牽・朱濆の乱が東南海上で起こり、北方で天理教の乱が起こって京師に迫った。乾隆中期以後、軍紀はゆるみ、軍費は増大し、官僚の汚職はきわまり、連年にわたって黄河が氾濫し、運河の交通も滞って、財政は悪化の一途をたどった。貿易収支も悪化して、嘉慶期には銀の出超となり、デフレによる賦税の実質増によって農民を苦しめた。二十五年(1820)、熱河の避暑山荘で崩じた。
    旻寧(1782~1850)
  • 清の八代道光帝。廟号は宣宗。在位1820~1850。嘉慶帝(顒琰)の次男。嘉慶二十五年(1820)八月、帝位についた。

 

 

緙絲紅子萬年青

英訳
Kesi Hongzi Evergreen / OMOTO

鈞窯方盆裡的山石、靈芝、萬年青

万年青(おもと)の別名は?意味は?

 

孔子の子孫も万年青を大切にした

第三⼗⼀代衍聖公
孔令貽與繼室陶⽂譜

英訳)The third generation of Yan Sheng Gong

Kong Lingyi and Jishi Pottery Book

和訳)第31代衍聖公

孔 令貽 ?

この写真自体が凄い発見です。

この写真は、第三⼗⼀代の衍聖公(えんせいこう)の写真ですが、

そもそも衍聖公(えんせいこう)とは、あの有名な孔子のご子孫が代々世襲する役職です。

76代目の孔 令貽(こう れいい)さんが万年青とともに写真に写っています。

孔子の子孫も万年青を非常に大切にしたことがわかる。

孔子は、紀元前550年ごろ生まれた哲学者、儒教の祖

です。孔子の道徳思想の徳目は忠・孝・仁・義・礼・智・信・恕。

「これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」(雍也篇)

現代語訳:(これを理解しているという人はこれが好きだという人に負ける。これが好きだという人はこれを楽しんでいる人に負ける)

「巧言令色すくなし仁」(学而篇)

現代語訳:(さわやかな弁舌にうまい人あしらい、こういう連中に仁はない)

「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや。朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」(学而篇)

現代語訳:(学ぶこと、それを実践して身につけること、なんと喜ばしいことだろう。友ができ、遠方からも学問の同志が集まってくる、なんと楽しいことだろう)

 

衍聖公 とは 孔子の子孫が世襲する役職?爵位?

 

衍聖公(えんせいこう)は北宋から清にかけての封爵名。孔子の嫡流の子孫が世襲した。

始皇帝は九世の子孫の孔鮒を魯国文通君に封じた。前漢高祖は孔鮒の弟の孔騰を奉祀君に封じた。

その後、儒教が前漢の国学となるとその宣揚のために元帝は十三世の子孫の孔覇関内侯の爵位と褒成君の号を与え、哀帝は十四世の子孫の孔吉を殷紹嘉侯に封じた。平帝1年に十六世の子孫の孔均を褒成侯に封じ、世襲とした。以後、後漢明帝が十八世の子孫の孔損を褒亭侯に封じたのと安帝が十九世の子孫の孔曜を奉聖亭侯に封じたのを除けば、代を通じて褒成侯の爵位が受け継がれた。

その後、三国魏では宗聖侯、南朝宋では奉聖亭侯、北魏では崇聖侯、北斉では恭聖侯と改められた。北周の時に鄒国公に格上げされ、では文帝が鄒国公に封じたが、煬帝のときに紹聖侯に改められた。

では当初は褒聖侯に封じていたが、開元年間に孔子に文宣王の称号が贈られると、褒聖侯も公爵に格上げされ、文宣公と呼ばれるようになった。北宋仁宗至和2年(1055年)に文宣公は衍聖公に改められ、後代に受け継がれた。

1935年国民政府朝の爵位を廃止し、衍聖公を大成至聖先師奉祀官と改めたが、依然として世襲とされている。

Wikipediaより

孔 令貽 とは 孔子の76代目の嫡孫。

孔 令貽(こう れいい、1872年1919年)は、孔子の76代目の嫡孫。字は谷孫、号は燕庭

4歳で父を喪い、1877年衍聖公を襲爵した。

家学を学んでいたが、1888年光緒帝に謁見のため北京に赴いた。

北京滞在中に吏部右侍郎孫毓汶の娘と結婚し、1889年翰林院侍講に任じられ、正式に衍聖公としての職務を行うようになった。

1898年、寄付を行って曲阜に16の初等小学堂、1つの高等小学堂を設立した。

1907年、山東省の教育の調査を命じられた。

1912年袁世凱中華民国の臨時大総統に就任すると、祝賀の上書を送っている。国会議員に推薦されたが、固辞した。翌年、袁世凱が正式に大総統となるとこれまで通り衍聖公の地位を認められた。

1915年より袁世凱の皇帝即位を積極的に支援し、袁世凱の帝制実現後は郡王に封ぜられた。

1917年朝の復辟の際には祝賀の電報を送っている。

1919年、北京を訪れて溥儀に拝謁したが、11月8日に太僕寺街衍聖公府で病死した。

詩・画・書に優れていた。

先代:
孔祥珂
衍聖公
1877年 – 1919年
次代:
孔徳成

Wikipediaより

 

 

第三⼗⼆代衍聖公
孔德成和妻⼦孫琪芳

後⽅案桌上設五供⼜有兩盆萬年青裝飾

英訳) The 32th generation of Yan Sheng Gong
Kong Decheng and his wife Sun Qifang

There are five offerings on the back table with two pots of OMOTO decoration

和訳) 第32代 衍聖公
孔德成と彼の妻Sun Qifang

後ろには、万年青の装飾が施された2つの鉢が5つあります。

孔 徳成 とは? 孔子77代目嫡孫。32代衍聖公

孔 徳成(こう とくせい、1920年2月23日2008年10月28日)は、孔子の77代目の嫡孫。字は玉汝、号は達生。32代衍聖公大成至聖先師奉祀官台湾大学教授、中華民国台湾考試院院長・総統府資政。麗澤大学名誉博士。

青少年期

1920年2月23日山東省曲阜孔府で誕生した。父の孔令貽は前年の1919年11月8日北京の太僕寺街衍聖公府で死去していた。生母の王宝翠も出産後すぐに亡くなったため、孔令貽の正妻の陶氏に養われた。生後百日の6月6日、大総統徐世昌は衍聖公の襲爵を認める大総統令を出した。1924年から呉伯簫より英語を、詹澄秋より琴を学び始めた。1929年、陶氏が死去した。

1935年、民国に世襲の爵位が存在するのは不適切として、南京国民政府は衍聖公の称号を廃止した。しかし儒教の伝統を途絶えさせることはできないとして、衍聖公を大成至聖先師奉祀官に改めた。これは中華民国で唯一の世襲の特任官であった。この年の7月に陳立夫主催、戴季陶監督のもと南京で就任の宣誓を行い、蒋介石の臨席を得た。1936年より荘陔蘭より国学と書を学び始めた。書は始めは王羲之王献之の手法から学び、後に顔真卿北魏張猛龍碑からも学び、さらに甲骨文字や金石文も研究した。同年12月16日朝の大臣孫家鼐のひ孫の孫琪方と結婚した。

この結婚の時の写真か??

先代:
孔令貽
衍聖公
1920 – 1935
次代:
先代:
大成至聖先師奉祀官
1935 – 2008
次代:
孔垂長
先代:
劉季洪
考試院院長
1984 – 1993
次代:
邱創煥

 

 

誰か意味が分かる方、是非お教えください!!

字の意味から、とっても縁起の良いことを言われているのかな、と想像しますが、、、

 

 

清供圖
六朝南⿑、南史晉安王⼦懋傳:「有獻蓮華供佛者,眾僧以銅甖盛⽔,漬其莖,欲花不萎
以“供”為思想的陳設出現
⽽“清”字義為:澄淨、純潔
來對於節氣改變⽽對室內空間的淨化
衍⽣出“清供”這樣特殊的室內陳設⽂化
然⽽漸漸變為繪畫主題,來解決無實物陳設依然有節氣清供的感受

英訳)Qing court
In the Six Dynasties Nan⿑, the Southern History King Jin’an Biography: “There are those who offer lotus flowers to the Buddha, and the monks use copper poppies to fill the water, soak the stems, and they will not wither.
Appearance of furnishings with the idea of ​​”offering”
⽽”Qing” means: clear and pure
To change the solar terms and purify the indoor space
Derive the special interior furnishings such as “Qing Gong”
However, it gradually became the theme of painting, to solve the feeling of no physical furnishings and still have a sense of solar terms and offerings

和訳)清宮
南朝時代の南朝、南安王晋安伝:「仏に蓮の花を捧げる人がいます。僧侶たちは銅のポピーを使って水を満たし、茎を浸します。枯れることはありません。
提供するという考えのある家具の外観
⽽「清」の意味:明確で純粋
ソーラータームを変えて室内空間を浄化する
「Qing Gong」などの特別なインテリア家具を引き出す
しかし、それは次第に絵画のテーマになり、物理的な家具がないという感覚を解決し、まだ太陽の用語と提供の感覚を持っています

こちらも、特に後半意味がわかりません。わかる方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。

 

 

 

 

NHK趣味の園芸 大江戸花競(くら)べ 外伝「涼を呼ぶ 斑(ふ)入り植物」 万年青編 

趣味の園芸 大江戸花競(くら)べ 外伝 「涼を呼ぶ 斑(ふ)入り植物」

趣味の園芸 万年青 大江戸花競(くら)べ 外伝 「涼を呼ぶ 斑(ふ)入り植物」

皆様、本日2020年8/23の素晴らしい放送、見ていただけたでしょうか?

NHK趣味の園芸 大江戸花競(くら)べ 外伝 「涼を呼ぶ 斑(ふ)入り植物」

江戸園芸の代表である小笠原左衛門尉亮軒先生が解説をしてくれました。

江戸おもとの展示  茶室 葵松庵・城南亭にて

江戸の涼 斑入り植物

クーラーのない江戸の人々は、暑い夏に、ふうりんの音を聞いたり、釣り忍を飾って耳や目で涼しさを演出しました。特に緑の葉に白い覆輪、縞などの斑入りがはいることで、より涼しげで雅な雰囲気になります。

今回は、江戸時代から日本で流行し、今や全世界に大流行している斑入り植物の世界。江戸中期、水野忠暁(みずのただあき)がコレクションし、広めたといっても過言ではありません。その水野忠暁が一番好きだったのが萬年青です。今回の番組にも、多くの万年青の江戸時代の書籍が出てきます。

新生殿(しんせいでん)

左 1年生・2年生・3年生・5年生 葉芸の変化を楽しむ

 

「涼を呼ぶ 斑(ふ)入り植物」万年青編!

この趣味の園芸 万年青 大江戸花競(くら)べ 外伝 「涼を呼ぶ 斑(ふ)入り植物」を記念して、斑入り植物の代表格である万年青の斑入りを紹介したいと思います

斑入り 曙

葉芸 曙柄(あけぼのがら) 品種 外輪山(がいりんざん)

まず、曙柄。黄色の斑が下から曙の様に上ってくる黄色の斑入りです。品種は外輪山。

番組では、ぎぼうし・ホスタの中透けが出ていましたが、万年青では曙柄のことを中透けという地域があります。また、中透け、曙柄にも白くなるもの、濃い黄色に透けるものなどどれも非常に美しいグループです。このように、万年青や他の植物ごとに、また、地域によって呼び名が違ってくるのも面白さの一つ、日本のそれぞれの地域文化の高さを現しています。

斑入り 覆輪

大黒殿(だいこくでん) 5年生 鉢3.8号

覆輪。品種は大黒殿。今、品種になっているものの95%以上は覆輪が回っていますが、緑の葉に白い覆輪が回っているだけで、緑の癒し、白の涼しげな雰囲気を醸してくれます。

斑入り 縞

縞。こちらは出世実生。縞にもいろいろあり、凱旋のズバッとした縞や、細かな櫛目のような縞、一本だけ入る棒縞など様々。葉が風で揺れれば涼やかです。

縞が特徴の縞獅子。獅子というのは、葉がくるくると巻くおもとの系統。

葉のくるくると巻く獅子系にも、縞があります。縞獅子。

 

斑入り 虎

虎柄の代表は太陽殿の虎。太陽殿という覆輪だけの雄大なオモトに、大きく入る白い斑、虎斑が入り、華やかです。

斑入り 矢筈

矢筈柄の姫牡丹。矢筈というのは、矢羽根のようになっているため。

矢筈柄は、矢筈虎といって、矢筈柄も虎斑という地域もあります。矢羽根のようになっているのが分かるでしょうか。虎斑は様々に呼ばれることが多く、外輪山の曙も、曙虎と呼ぶことがあります。

斑入り 図

最後に図。この図という模様は、非常に独特で、モザイク状に変化する面白い斑入りです。この図という斑入りも、木目図、網目図という変化があったり、図がなくなったと思ったら次の年は真っ白な図だけの葉になった、など様々な変化を見せてくれます。品種は残雪。

斑入りと斑抜け

趣味の園芸の放送では、斑入りがあれば斑抜けもある、ということで紹介していますが、やはり植物の突然変異、斑が抜けることもあります。虎と図は稀に抜けることがあるので、価値が高く、高価なものがおおいでしょう。逆に、斑抜けにならない、覆輪、矢筈虎は買い安いでしょう。

ここに紹介したものはほんの一部。万年青にはまだまだ多くの斑入りがありますので、是非涼しげな万年青の斑入り、楽しんでみてください。

柄図鑑

まとめ

江戸時代の人々は斑入り植物の涼しげな姿をみて、涼をとっていた

江戸時代、世界一の斑入りコレクター 水野忠暁がいた

万年青も江戸時代から多種多様な斑入りの品種がある。

 

●動画解説【NHK趣味の園芸 大江戸花競(くら)べ 外伝「涼を呼ぶ 斑(ふ)入り植物」】万年青編

【万年青の豊明園】【Variegated plant, OMOTO】

名古屋園芸さんについて

現在は問い合わせていただきたいのですが、名古屋園芸さんで園芸の教室をしておられます。最高のレベルの教室です。NHK趣味の園芸の最初から登場されている小笠原左衛門尉亮軒先生、名古屋園芸現社長であり、様々な園芸の歴史的なプロジェクトに関わられている小笠原誓先生、その息子さんで非常に若くイケメンですでに趣味の園芸にも何度も出演されている小笠原先生。

皆様、園芸家としての知識、経験、日本の古くからの伝統と園芸を見つめなおすこと、守る事を地で行われていて、本当に尊敬しています。また、海外での経験など素晴らしいのですが、その前にどの方も本当に素晴らしい人格者ということ。まず教室や、名古屋園芸さんにいってみて、お話をされると園芸の深さ、お人柄の大きさに感動されると思います。

 

【萬年青の歴史】を豊明園にて執筆した際、協力していただきました。豊明園2代目の時代から、お付き合いがあり、助けていただいています。

趣味の園芸 大江戸花競(くら)べ 外伝 「涼を呼ぶ 斑(ふ)入り植物」

昨年度放送した人気シリーズ「大江戸花くらべ」の“外伝”。暑い夏、植物にも涼を求めた江戸の人々がたどり着いたのは葉に美しい縞(しま)や覆輪(ふくりん)の入る“ふ入り”植物。種類が多様な上、変異も多彩。今回は、落語家の柳家花緑さんがふ入り植物を間近で体感し、その魅力にのめり込んで行く。江戸園芸の極み、ふ入りの世界へようこそ!出演は、園芸研究家・小笠原左衛門尉亮軒、落語家・柳家花緑、三上真史ほか。

もし見逃してしまった方は、、

以下のサイトから飛べるようになっています。
  • 日曜日午前8:30~8:55【Eテレ】
  • 火曜日再放送 午前10:25~10:50【Eテレ】
  • 木曜日再放送 午後0:30~0:55【Eテレ】
  • ナビゲーター:三上真史

NHKの番組「趣味の園芸」おもと岡崎

NHK 「趣味の園芸」 おもと岡崎

NHK趣味の園芸 10月号 9/21発売 大江戸花競べ十二選 万年青 みんなの趣味の園芸コラボ

1年間のおもとの育て方

 

 

 

 

万年青を枯らす原因、理由 初心者、中級者、上級者 他の植物をやっている人

万年青を枯らす原因、理由 初心者、中級者、上級者 他の植物をやっている人

ついついやってしまう失敗

前の記事 万年青が枯れる原因、理由と枯らさない方法

植物を好きな方で、植物を枯らしたことがない人はいない

万年青は日本に自生している植物で、かつ、万年、青いという名前の通り、常緑の多年草、寿命も樹木と同じほど長いです。なので、枯れないと思われている方もいらっしゃいますが、そこは植物、生き物にはいつか死があります。人による、枯れる理由を15年お客様と自分の万年青たちをみて、いくつか傾向があるのでご紹介します。

創業120年を超えるノウハウを持った私たちでも万年青を枯らすこともありますし、50年、80年と万年青を趣味にしている大ベテランや長老でも枯らしたことがあります。植物を好きな方で、植物を枯らしたことがない人はいない、これもまた事実。是非、枯れたことから何かを学んでいきたいと思います。

初心者の枯らす理由

初心者の枯らす理由は、やはり右も左もわからないこと。丈夫な品種を選んでも、水やりのタイミング、肥料のタイミング、植え替え、置き場所など、万年青に最適な場所が、自分のお棚のどこなのかがまずわからないからです。私たちもこのHP上に多くの情報、いろんなケースを載せて紹介していますが、お客様の場所、日当たり、風通し、万年青の状態はどれも違います。えいやとやってみて、1年育てばだんだんと勘がついてきて、ここまではよいな、と分かります。

ベテランも初めての場所では初心者と同じ

では、賞を取るような30年以上のベテランが新しい場所に引越して、最初からうまくできるか、というと、全く違います。基本はできているのでそこそこの出来にはなりますが、今までの場所のようには、まずうまくいきません。どんなに上手な人でも、その場所に少しづつ合わせて最適化していきます。

私たち万年青の豊明園も、初代の頃は愛知県のJR岡崎駅のすぐ近くで商売をしていましたが、今の場所に豊明園2代目3代目が引越してきて、一年目は葉が焼けるわ冬は寒くて凍るわで大変だったそうです。そういった失敗をへて、ひよけから風当たり、置き場所を少しづつ変えてきました。

 2-3年目の初心者の枯らす理由

限界を見極めようとする、気候の違い

おもとを一年育ててみるとだんだんと分かってくるので、もう一歩肥料を多く置いてより上手に作ろう、という考えもでてきます。水やりももっと葉をださせたいということで、水も多くなったり、様々に万年青の限界を知ろうと思います。ここで枯らしたり、根腐れなどを経験して、これ以上はだめかもと分かってきます。

 万年青栽培は毎年一年生

また、一年目と次の年で気候が変わっていく年があります。万年青栽培は毎年一年生という格言もある通り、気候が変わればベストな水やりや肥料も変わっていきます。夏の暑さ、梅雨や長雨、冬の寒さ、風、季節外れの高温など、毎年異常気象の昨今です。どれも、一番良いものを目指さず、7分目、8分目を目指してやりすぎに注意して作れば、上手にいくでしょう。

中級者

酸いも甘いもわかってきます。万年青をよく作る楽しさも味わい、また、万年青がうまく作れなかったり、もしかすると倒してしまう悲しさ、悔しさも味わうでしょう。ですが、失敗の経験から、ここまでやってはだめかなという基準もできてきます。

ここまでくると、枯れる前兆、根が傷む前兆をかすかに捉えれるようになります。植物の「これはやめてくれ~!」というサインをキャッチできるようになって、対策ができます(たいていは私たちが何かをやり過ぎているのでそれを減らしたり、やめたりします)。

 好きな品種は強い?弱い?

初心者の時もそうですが、自分の好きな品種が弱い品種ですと難しくなります。日本に自生している万年青の品種の90%は丈夫ですが、いくつか水やりや肥料は控えめにした方が良いものもあります。中級者になりますと自分の好きな品種をやってみたいと難しい品種にチャレンジすることもあるでしょう。丈夫な品種、枯れにくい品種ならOK!弱い品種ですと今までのように思ったようにいかず、失敗することがあります。

 品種に合わせたお棚作り

自分の集める品種が強いのか弱いのか、ということを経験すると、万年青によって自分の棚や水やり、仕事の合間に世話ができるかなどがよくわかってきて、ある人は自分のお棚でよくできる品種をそろえるようになったり、お棚の中でも日当たりの良いところにこの品種、悪いところはこの品種と場所分けもできてきます。

逆に、特に丈夫といわれる品種でも、自分の棚だとなぜかできない、また、弱い品種と聞くのに、自分の棚ではなぜかできる、ということがあります。これこそ、棚に合わせて品種を考える面白さです。

ちょっと長くなりそうなので、上級者のからす理由はまた別に用意します。

初級者、中級者のまとめ

初心者はまずは基本通りにやってみましょう。ベテランでも初心者でも、初めての場所はえいやとやってみないとわかりません。

小さな失敗、大きな失敗をすることで万年青の限界が分かるようになります。

気候は毎年違うので、万年青栽培は毎年一年生です。

自分の好きな品種は一般的に、弱いのか、強いのかを知りましょう。

強いもの、弱いものでも、自分のお棚に合う合わないがありますので心得ておきましょう。

 

●動画解説 【万年青の育て方 トラブル編】万年青を枯らす理由④初心者・中級者の枯らす原因、理由

【万年青の豊明園】【Why Beginners and Intermediates kill OMOTO?】

 

今まで、万年青が枯れてしまう理由、枯らさないためには、ということで、肥料、水やり、薬害や、初心者さん、中級者さんだからこそやってしまう失敗についてみてきました。それぞれ動画がありますので、興味のある方は見てみてください。

今回は、初心者さん、中級者さんの失敗の原因の次、上級者さんの失敗の原因についてご紹介します。

上級者

中級者、上級者になれば、自分のお棚で殖えた万年青も多くなります。どんなお棚でも、どんな品種でも、自分のお棚で殖えた万年青は枯らしにくいです。私たち豊明園でも、枯らしてしまうときは、新しく他所の棚から買い付けをしたときに枯らすことがあります。逆に自分のお棚では、万年青の豊明園伝統のスパルタ作りで私たちの辛い水やり、薄い肥料に慣らしてあるので枯らすことはありません。

なので、上級者になれば、もうちょっとやそっとのことでは枯らさないと思うでしょう。

昔の方法に固執

今まで自分のお棚で枯らしていない、うまくいっているからこそ、逆に昔の方法に固執してしまって、失敗することがあります。ここ10年ほどの気候の変化によって、昔の水やり、肥料などのベストの時期ややり方も変化していますが、ベテランさんほど昔との変化が大きく、対応しずらくなっています。万年青の状態、気候をみながら軌道修正していきますが、昔からの手癖をかえるのは簡単ではありません。やはりここでも万年青栽培は毎年一年生ですね。

じゃあそんなときはどうするか?

習慣を変える

手癖はなかなか変えれない、ということについて。初心者さんなら、水やりの時間や肥料のタイミングなどは毎回考えてやっているので今の気候に合わせれますが、5年、10年過ぎると習慣になっているので、自動的にこの時間なら水やり、この時期に遮光ネットをかけて、防風ネットをかけて、肥料をやってと体が動いてしまいます。それ自体はいいことなのですが、気候がここまで変わると逆にその経験が邪魔をしてしまいます。

例えば、最近、夏の暑さがひどくなってきていますが、昔と同じ水やりでは多すぎたり、昔は夏の休眠期がなかったのに、今は休眠するおもとがでてきたり、5月の日よけも、今までは1枚で良かったものが、日差しが強くなってきて、2枚は必要になってきたりといった気候と管理の変化です。

用土、鉢を変える

また、手癖や自分の万年青の育て方の習慣はなかなか変えられないし、ストレスになるので、用土や鉢を変えて、今までの水やりのまま、水持ちのよいものから悪いものにしたり、肥料のもちのよいものから悪い用土に変えたり、鉢を通気のよいものに変えるなど、そちらを変えていった方が、ベテランさんには手癖、習慣はそのままで、気候に対応しやすいでしょう。

 希少種、超レア、歴史保存種、難しい品種

自分のお棚に合う品種だけをやれば失敗しないものを、日本に数本しかないものや、超希少種(希少種は性質が弱いので希少種になっているものもある)、歴史保存種など難しいものを育てたくなります。育てたことのある栽培者がいない、つまり説明書のない万年青を、万年青と話しながら(!?)育てていくのはやっぱり面白い。その挑戦の面白さは万年青を始めた初心者さんと面白さは同じかもしれませんね。

また、人によっては、これを自分で育て、殖やさないと万年青界にとって大きな損失だ!と大げさに考えてプレッシャーで調子を崩してしまう人も。大袈裟ですが、希少種で素晴らしい品種ほどこれはあり、過去の文献には最高の品種や、みんなが待ち望んだ新品種が1本も増えずに、、という記事は多く見つけることができます。

 高級品 気に入ったもの

高級品は希少価値が高いので、値段も高いですが、同じく説明書がないので難しいです。高級品の魔力で、高いと思うとついつい水やりも多く、肥料も多くなり失敗してしまうことがあります。これは、100万円などの高級品ではなくても、自分のお棚の一番高いものや、一番気に入っている品種も同じく、水やり、肥料が多くなってしまいます。ベテランになればなるほどこの心理を分かっていて、大好きな品種なのに、わざと横目でしかみないようにして、可愛がり過ぎないようにします。

 

上級者 まとめ

自分で増やしていったおもとは枯れない

自分のお棚で、気候がどう変化しているのか知って、水やりなどの習慣を変えるか、用土、鉢などの万年青の環境を変えて、気候に対応しましょう

高級品、気に入ったものは絶対に水やり、肥料を忘れないので、あえてスパルタ作りを意識しましょう。

ゆくゆくは、日本に自分しかもっていない、説明書のない万年青を、万年青と直接話をしながら、作り上げてみましょう。

 

●動画解説【万年青の育て方 トラブル編】万年青を枯らす理由⑤上級者の枯らす原因、理由

【万年青の豊明園】【Why do seniors kill OMOTO?】

 

 

他の植物をやっている人

他の植物の育て方の癖

他の植物をやっている(いた)人は、それぞれの植物の育て方の癖を持っています。盆栽ですと、夏の朝晩の水やりだったり、菊ですと、暦通りの育て方、伝統園芸の古典ラン(東洋ラン、富貴蘭、セッコクなど)をされる方は水やりの頻度が少ない、施設で夏や冬の管理が必要な海外の植物、ランですと温度管理など様々です。

万年青と他の植物の育て方で違うところ

ほとんどの場合、やはり植物の勘所を押さえてらっしゃるので、万年青もぐんぐん育っていきます。また、その植物で用土などの資材に凝った方ですと、すぐに自分のお棚にあった、かつ、自分の水やりに合った用土、鉢、などを揃えて上手に育てられます。

風通しなどの環境で一概には言えないのは分かった上で、ここで、万年青の育て方が他と違うところを紹介します。

盆栽の場合

盆栽ですと、夏の朝晩の水やりが万年青の育て方と違うところかもしれません。盆栽のように浅い鉢に、細い根の多い樹木を育てているので、水切れは致命傷になってしまいます。逆に、万年青は真夏に休眠をして水やりを減らすこともあるので、育て方が全く逆です。

その理由は、万年青と盆栽で、鉢と植物の大きさの違いを見ればよくわかります。万年青の方が、植物に対して鉢が大きく、その分、水も保つので、盆栽の方が万年青を楽しむとき、夏に水やりが多くなりすぎてしまうことがあります。夏の高温と休眠期は、万年青を枯らす原因 水やり に詳しいので省略しますが、万年青の年中を通して枯らす原因の1位が夏場の水のやり過ぎなので、夏場の水やりさえ気をつければ、皆さん展示会でも上位に入っている方も多いです。

 

菊の場合

日本の伝統園芸の海外の人気

菊は日本の伝統園芸でも特に海外の方に人気があります。私がアメリカに研修にいたときにこぞって日本の菊栽培をアメリカの人が真似をして、またアメリカ式に楽しんでいました。盆栽や、他の日本の伝統園芸は今、海外で非常に人気が高まっています。

菊の育て方 短日植物と暦

菊は特に暦を大切にされるお客様が多いです。短日植物である菊は、暦、太陽の日の長さを感じ取って秋に花を咲かします。なので、暦通りに作業をしていくと素晴らしいものができるように【江戸時代から!】マニュアルができているので、皆様暦通りに育てていきたいのです。

逆に、万年青は観葉植物、葉を見る植物で、花や実も楽しみますが、多くの人にとって葉がメイン。なので、昭和のころの万年青の育て方の本をみて育てていると、今の気温の高さや環境の変化に対応できずに、万年青では失敗してしまいます。

その年の気候、特に現在の夏の暑さに対応して、今の管理を臨機応変にすることで、上手に万年青を育て上げることができます。特にきっかりとした性格の方が多いので、気候に対応してコンスタントに良作、最上作へとステップアップしやすいです。

伝統園芸のランの場合

富貴蘭、セッコクですと水苔巻きが主流なので、水持ちは非常に良い。したがって、水やりの頻度も少ないです。また、東洋ランでは水持ちの良い用土を用い、遮光をしっかりとするので、やはり水やりの頻度は少ないです。

万年青栽培で一番失敗する、夏の水のやり過ぎで失敗される方は本当に少ない。なので、両方育てる方も今は特に多くなってきました。盆栽、菊は日を欲しがりますが、これらの伝統園芸では日よけネット、遮光ネットを使うのでそれらも代用でき、同じ場所で育てられます。

水持ちがいいので、水やりの頻度が少ないため、夏には失敗しませんが、逆に、春秋の新根の伸びるころの水やりも少ないため、新根が降りにくいことがあるかもしれません。そこに注意するぐらいですね。冬、富貴蘭では完全にカラカラにすることもあるでしょう。万年青はそこまでしてしまうと水切れによる葉焼けが起こるので、そこを気をつけます。

海外の植物の場合

今、非常に多くなっていますね。植物マニアの方で、特に凝った方ですと施設もプロ並みのものを揃えて楽しんでいる方も多いでしょう。温度管理、湿度管理にシビアなもの、夏に水を切ってしまうもの、など日本とは全く違う場所の自生地に合わせて環境から作りこんでいくので、非常に丁寧に事前準備をされます。自分の棚に合うのか、育てられるのかがよくわかっている方も多く、自生地 はこのような場所ですよと言えば、すぐに準備ができます。万年青の場合は日本に自生しているのでそこまでシビアな温室管理は必要ありませんので、あとは育てている植物との環境の相性になってくると思います。

 

 

 

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万年青の独特な世界観

万年青の独特な世界観

大きく作るおもと、小さく作るおもと

私たち、万年青の豊明園として、万年青の用土はどれでもよい、どれだって上手に作れる、と思っております。用土の特徴に合わせて、水やり、肥料をやれば上手に育ちます。

畑の土では肥料の効きもよく、万年青は大きく、立派に育ちます。葉の伸び、子の上がり方もよいでしょう。

逆に、砂利系統が多いと、水持ち、肥料持ちは悪いですが、小型でガチっとした万年青になります。万年青の芸を凝縮、濃縮して、緑の宝石や、緑の美術品と呼ばれる万年青をつくる、大木を鉢の上に表現する、盆栽にも似た、独特な万年青の世界観です。

これは、どちらがいい悪いではなく、それぞれの楽しみ方の話です。

万年青の世界では、このように、大きく作る、子をたくさんあげて株立ちに作る、という楽しみと、わざと肥料の効きが悪い用土で小さく作る、水切れに近くなるまで水やりを絞って、芸を出させる、独特なつくりをします。

どの世界でも、大きく作る、立派に作るという感覚は分かると思います。

ですが、この小さく作るというのは、かなり独特な日本の価値観です。これは、盆栽の、大木を一鉢の中に表現することや、生け花の最小限の要素で花を表現すること、茶の湯の無駄を一切排した黒の美学、山水画の空白の美、それらに通じる、日本の美学です。

 

 

※美術品をつくる万年青愛好家

万年青は、芋があって乾燥にも強く、また、ある程度乾燥して、根が空気が好きなので砂利で植えることがあります。よく乾いた方が、小型で締まった出来になり、独特な万年青の美意識の愛好家には好まれます。

なぜ砂利で植える?

私たち万年青の豊明園では、砂利単体で植えることは少ないですが、万年青の魅力を凝縮させる、そのためにわざわざ万年青が大きくならないように作りこんでいます。ここは盆栽の世界に通じるものがあります。

プラントハンター ロバートフォーチュン

江戸の園芸文化は、世界に誇るものでした。イギリス東インド会社の代表として世界中でハントをしていた、プラントハンターのロバートフォーチュンです。彼は、鎖国中の日本にきて、【日本人の国民性の著しい特色は、庶民でも生来の花好きであること。花を愛する国民性が、人間の文化レベルの高さを証明するものであるとすれば、日本の庶民はわが国の庶民と比べると、ずっと勝っているとみえる】と『幕末日本探訪記 江戸と北京』で述べています。イングリッシュガーデンの本場、イギリスのフォーチュンにここまで言わせるとは、江戸の園芸文化はとんでもないですね。

また、もっと前にシーボルトが万年青を持ち帰っています。

武士の精神修養

江戸時代も中ごろになると、武士の役割がだんだんと変化していきます。江戸の泰平の世では、戦で戦うことがなくなったからです。そのため、家でできる園芸という楽しみをする武士も多く、園芸文化が発展していきます。

例えば、いまから250年ほど前の熊本藩のお殿様、六代藩主・細川重賢公は、家臣(武士たち)の精神修養に園芸を奨励し、30種ほどの園芸をさせていました。今も肥後六花として現存しています。

日本全体が花や園芸を楽しむ文化だったのですが、園芸と武士が化学反応を起こすことで、万年青の中に、独特な美意識が生まれていきました。

奇品珍品 ビザールプランツ

Bizarre Plants 奇妙な、異様な、という意味のBizarre。万年青は江戸時代から、『草木奇品家雅見 そうもくきひんかがみ』にも紹介されるように、万年青は日本でも一番歴史の長いビザールプランツでしょう。

万年青の世界でも、奇品珍品を尊ぶ文化は古くからあります。珍しいもの、数のないもの、希少性ということでは、新品種や、今では数の少ない江戸の品種などは珍しい珍品ですね。

また、奇品、という変わった、奇妙な、異様なものでは逆鉾、裏芸のような普通の植物では考えられない変化をいうでしょうか。羅紗のように、育てていくうちに5~10年でどんどん変化するものも奇妙ですね。

万年青には、柄の美しさ、姿の美しさの他にも、奇品珍品といった価値観があり、そればかりを集める愛好家がいらっしゃいます。

恵比寿文化

七福神のうち、恵比寿天と福禄寿は障がい者だったというお話もあります。私は愛知県岡崎市の生まれですが、私の近くではこの話をする人はいませんでした。学生で関西にいたころ、恩師や先輩方に初めてお聞きした話ですが、恵比寿様の信仰の厚い関西や、海沿いの地域では多く残るお話だそうです。

えびす様

七福神中で唯一の日本の神様。いざなみ、いざなぎの二神の第三子といわれ、満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが、信仰のはじまりと伝えられている。左手に鯛をかかえ右手に釣竿を持った親しみ深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚い。

恵比寿様

日本でできた七福神という神様のグループはインドから日本の神様を7人にまとめたのですが、恵比寿様だけは日本の神様です。

国造りの神様であり、古事記に登場する伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)両神の最初の子どもは、3歳になっても自力で立てず、両親は「蛭子(ひるこ)」と名付け、葦船で川に流し、いわゆる捨ててしまった。しかし、その子は死なず、兵庫県西宮に流れ着き、古くから漁業の神様として、そして商売の神様として現在に伝えられています。

えびす神社は全国に点在し、夷神社、戎神社、胡神社、蛭子神社、恵比須神社、恵比寿神社、恵美須神社、恵毘須神社など、様々に漢字が当てられています。

特に、「えびす」を「戎」や「夷」と書くことは、中央政府が地方の民や東国の者を「えみし」や「えびす」と呼んで、「戎」や「夷」と書いたのと同様で、異邦の者を意味し、外から良いものが運ばれてくるという信仰。

エビス様は、寄り神、漂着神ともよばれ、海(外界)からよいものが運ばれてくるという信仰。

様々な信仰と結びついて、日本の生活に溶け込んでいますが、日本には、蛭子(ひるこ)と名付けられた障がいをもった子こそ、福の神であるという考えがあり、万年青の奇形を大切に育てる文化と近いものがあるかもしれません。

ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、和田神社(神戸市)、西宮神社(兵庫県西宮市)などで祀られている

福禄寿

福禄寿は頭が長い神様でおなじみです。これは、頭に水がたまり巨大になった障がい者で、今でいう頭水腫でしょうか。