曙 (あけぼの)

曙 基本情報

分類    大葉系統  曙系  江戸おもと
作出年代  藩政時代
登録    昭和40年
作出者
命名者
登録者    日本萬年青連合会
作出地    鹿児島県

曙 (あけぼの) 鉢 7.0号

葉長50㎝、葉幅9㎝内外の大型種。古くから鹿児島地方に存在していた品種。葉は緑色で光沢があり、葉の中央部はふくらみ、葉先はすらりと尖っています。卵黄色の斑が葉の中央より下部に現れ、採光が強いと白色の中透けとなって良く残ります。採光が弱いと、中透けは出にくくなります。

 

NHK趣味の園芸 で放映された『曙』あけぼの

曙 (あけぼの)

(太鼓胴蔦花楽鉢) 江戸 中・後期

NHK趣味の園芸 で放映された『曙』あけぼの

大江戸花競べ 十二選 第7回
万年青(オモト)雅なる”葉芸”の競演  講師 豊明園 水野豊隆

2019年10月27日 日曜 午前8時30分から3回再放送

撮影場所 愛知県岡崎市 岡崎城・岡崎公園・豊明園

大葉おもとは、別名「薩摩おもと」とも呼ばれており、現在でも九州地方でさかんに栽培されています。江戸時代に各藩がその地方独自の産業を発展させてきましたが、薩摩藩が独自の産業、藩の美術品としておもとを門外不出のものとしたと伝え聞いています。そのため、今でも鹿児島ではおもとはとても大切にされ、武家屋敷などに植えられています。

曙 (あけぼの) 2年生

大型種で農緑色の葉に卵色の曙色現す。性質は強健で作りやすい品種。採光を強く採ると写真のような色に出来上がります。又日光が不足する場合緑の葉が多くなります。露地植え可 実付き良い品種。

次の記事 曙柄

ホームセンター、園芸店で販売されているおもと

あけぼのおもと・宝船おもと

爪白 (つめしろ)

分類    薄葉系統
作出年代  年
登録    年
作出者     (愛知県)
命名者     (愛知県)
登録者    (愛知県)

都獅子(みやこじし) Miyako-shishi

 

基本情報 都獅子(みやこじし) Miyakoshishi

分類    大葉系統 覆輪系  江戸おもと
作出年代  江戸時代かそれ以前
登録
作出者   不詳
命名者   不詳
登録者   日本萬年青連合会

 

都獅子の写真

江戸時代からの品種

大型種、垂れ葉型で葉肉厚め

葉には白い覆輪を見せます。薩摩万年青の丈夫な代表品種。

 

葉先まで覆輪はまわる

覆輪の白さ、波葉になる葉にも特徴があります。

歴史保存種
100万の万年青と同じ価値があると思っています

江戸品種
江戸時代の島津のお殿様や薩摩武士が楽しんだといわれる幻の品
20年に1本ほどしかでてこない
ゆったりと巻くような葉から、その名がついたのか
美麗品

葉幅も広い

広いところで、葉巾は7cmをこえる

 

  葉元は気持ちよく立ち、葉の中ほどにかけて、ゆっくりと垂れる優美な姿に、薩摩藩の剛の武士も心を癒したのでしょう

まず出てこない、非常に珍しい品種。

 

 

江戸時代からの品種

萬年青の歴史の中では

薩摩おもとの元祖ともいえるほど歴史は古く、『萬年青の歴史』の中に紹介される安政5年の番付の一番いい位置にあります。

添付の写真がそれです。歴史はもっと古くまでさかのぼれるかと思います。

三幅対の中心に都獅子があります。

江戸時代からの万年青はなかなかないですが、

薩摩藩島津家でも楽しまれていたという伝説も残るこの品種は

江戸ののんびりした感じや、潔さなども伝わってきて、

是非また100年後の後世まで残していきたい品種ですね。

歴史の生き証人がこの都獅子です。

 

現時点の数量 2020年

20年に1本ほどしかでてこない

現時点で数は本当に少ないと思います。

ほぼ、古くからの万年青趣味者に残るのみでしょう。

 

覆輪深く、紺地の強い大葉です。壮観な薩摩おもとの根幹ともいえる代表品種。

 

 

宗碩の虎 宗石の虎 そうせきのとら

江戸残雪 (えどざんせつ) 宗碩の虎

江戸残雪 (えどざんせつ) 鉢7.0号

立ち葉で葉巾が広く濃緑色の葉に白い虎が美しく現れる品種。性質は強健で少し日光を取ると白く柄がはぜます。古典品種、数が少なくなっています。 江戸時代鹿児島に伝わる珍しい品種。江戸時代の千駄ヶ谷(現・渋谷区)に住まいの医師・高坂宗碩氏が紹介したことからその名があります。
播磨明石藩主・松平左兵衛直韻候の江戸屋敷で『宗碩/宗石』に虎斑が出たと伝わっています。参勤交代時に江戸から鹿児島の島津藩へ持ち帰って愛培したことから『江戸残雪』の別名で呼ばれています。

『江戸残雪』を参照

播磨明石6万石 藩主 松平左兵衛直韻 万年青の歴史より

 

 

『宗碩/宗石』という万年青

播磨国・明石藩主・松平左兵衛直韻候の江戸屋敷で育てられていた『宗碩/宗石』という万年青について

播磨国の14ある藩のうちの明石藩。

 

播磨国・明石藩主・松平左兵衛督直韻について

松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)は、江戸時代後期の大名。播磨国明石藩14代(Wikiでは7代目ですが、明石城公式HPでは14代)藩主。官位は従四位上左近衛権少将、左兵衛督(さひょうえとく 兵衛督とは長官のこと。天皇とその家族の護衛。平安時代からある役職で、江戸時代に左兵衛督になったのは左右で13人。江戸時代の武家官位では、御家門たる明石松平家の当主が左兵衛督に、尾張徳川家の世子が右兵衛督に任官された。)。直良系越前松平家8代。

享和3年(1803年)、6代藩主・松平直周の次男として誕生。初名は直韶。のち、11代将軍・徳川家斉から偏諱を受け斉韶に改名した。

文化13年(1816年)、父の隠居に伴い家督を相続する。文政4年(1821年)に元服する。

天保11年(1840年)に隠居し、家督を養子・斉宣(徳川家斉の二十六男)に譲った。

慶応4年/明治元年(1868年)9月8日(慶応から明治への改元日)、死去。享年66。

 

松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)は、江戸時代後期の6万石の大名、殿様。播磨国明石藩14代藩主。11代将軍・徳川家斉(とくがわ いえなり)から一文字もらい、松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)に改名しています。

その名の元になった医者、高坂宗碩とはどんな人だったのか?

草木奇品家雅見(著者 金太(1791-1862) 文政10 [1827])1巻によれば、高坂宗碩は千駄ヶ谷に住み、医者を生業としていた。奇品を非常に好み、草木を愛し、本人曰く、自ら植物の培養管理をし、移植などをするといとまなく体を動かすので血流もよく、美しい植物をみて目が喜ぶ。この幸せ、喜びが精神を爽快にし、病気にならない。

人々は自分の健康のために藪医者の薬草を求めるが、害がなければ幸いで、全く効果などない。藪医者にかかるよりは、種樹(うえき)、園芸を楽しんだ方がよっぽどよい。

医者となり、人に不仁を行うより、人の養生を助ける種樹(うえき)家こそ、仁だ、といい、子供、孫を種樹(うえき)家にした。

 

下にあるのが宗碩おもとです。江戸残雪(宗碩の虎)の元になった木です。

 

 

草木奇品家雅見1巻 高坂宗碩

国会図書館より

 

江戸時代を広く旅した万年青 江戸残雪

今回は、江戸時代、薩摩藩士に特に愛された、江戸残雪 (えどざんせつ) という万年青を紹介します。品種の解説、その一風変わった来歴をご紹介します。

 江戸残雪 (えどざんせつ) は

立ち葉で葉巾が広く、濃緑色の葉に白い虎が雪白に美しく現れる品種。性質は強健で少し日光を取ると白く柄がはぜます。古典品種で数が少なくなっています。 江戸時代に鹿児島に伝わる珍しい品種。

 江戸残雪 (えどざんせつ) の変わった来歴とは

古くに薩摩藩の武士が皆おもと好きで江戸から持ち帰ったと言われている貴重なおもとです。

江戸時代後期の第14代明石藩主・松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)の江戸屋敷にて万年青の『宗碩/宗石』に突然変化が起こり、この白い虎斑がでました。江戸の万年青好きの中で非常に評判になり、特に万年青の文化が深かった薩摩藩が、参勤交代時に江戸から鹿児島の島津藩へ持ち帰って愛培しました。江戸から薩摩にきた、ということで、『江戸残雪』の別名で呼ばれています。

江戸時代の特産品 万年青

江戸時代には各藩がそれぞれ特産品をつくっています。地域のお酒やみそ、さけや塩、工芸品では、有田焼や伊万里、有松絞など現在でも息づく地域の特産品を藩が作っています。

特に万年青が好きだった薩摩藩は、万年青が一つの特産品で、今でも薩摩万年青と呼ばれ、別格扱いを受けています。江戸時代は本当に厳しく門外不出として、大切に守られてきました。今でも、鹿児島の武家屋敷の北東の石垣の上には、万年青が植えられています。

萬年青は、武士の心、いつ主君のために命を賭しても構わないという薩摩藩士の心意気に、寄り添う植物であったのかなと思います。

まとめ

江戸残雪は、江戸時代からの希少な立葉おもと。明石の殿様の江戸屋敷で突然変異したものを、参勤交代の際に薩摩藩士が江戸から薩摩、鹿児島に持ち帰ったので江戸残雪という名前になりました。

 

●動画解説 江戸時代を広く旅した万年青 江戸残雪

【万年青の豊明園】【OMOTO EDO ZANSETSU】Rohdea japonica 草木奇品家雅見 薩摩 明石の殿様の万年青

 

万年青の園芸家【高坂宗碩】いわく、藪医者にいくより、園芸を楽しめ

高坂宗碩と江戸残雪

先回、江戸残雪は希少な江戸時代の立葉おもとで、明石の殿様の江戸屋敷で【宗碩】という万年青が突然変異したものを、参勤交代の際に薩摩藩士が江戸から薩摩、鹿児島に持ち帰ったので江戸残雪という名前になりました、というお話をしました。

このお話には続きがあり、突然変異する、もう少し前の、(江戸時代中後期、1700~1800年前後の)古いお話をしたいと思います。

江戸残雪の元木 【宗碩】

江戸残雪が突然変異をする前、【宗碩】という万年青がありました。【宗碩】という万年青と、この名前の元になった医者の高坂宗碩のお話をしたいと思います。

【草木奇品家雅見】の中の【宗碩】と【高坂宗碩】

江戸残雪の虎のない元木、【宗碩】と【高坂宗碩】は、この文政10年 [1827])に発刊された【草木奇品家雅見】という、日本だけでなく、世界でも園芸書として非常に高い評価をうけた本、世界の斑入り植物の原点とも言われる書にみることができます。

【草木奇品家雅見】は文政10年 [1827])に発刊されました。国会図書館で公開されているので、誰でも見ることができます。

【高坂宗碩】ってどんな人?

【草木奇品家雅見】によれば、高坂宗碩は千駄ヶ谷に住み、医者を生業としていました。奇品といわれる斑が入ったり、姿かたちが変わった植物を心の底から好み、草木を愛した人です。本人曰く、自ら毎日の水やり、肥料、ひよけなどして植物を愛でていると、いとまなく体を動かすので血流もよくなり、かつ、美しい植物をみて目が喜ぶ。この幸せ、喜びが精神を爽快にし、病気にならない。と言っています。

【高坂宗碩】いわく、藪医者にいくより、園芸を楽しめ

また、【草木奇品家雅見】には、本人が医者ということから、こんな過激なことも書かれています。

人々は自分の健康のために藪医者の薬草を求めるが、害がなければ幸いで、全く効果などない。藪医者にかかるよりは、種樹(うえき)や、園芸を楽しんだ方がよっぽどよい。とまで言っています。

さらに、

医者となり、人に不仁を行う、(薬にもならない薬を処方して道を踏み外す)よりも、人の養生を助ける種樹(うえき)家こそ、仁だ、といい、実際に自分の子供、孫を種樹(うえき)家にした。

とまで書かれています。医者よりも種樹(うえき)家さんの方が世の中のためになる!とかなり過激なことが書かれていますが、今風に解釈すると、健康な体を維持する予防医学や、植物を触ることで癒される園芸療法の先駆けともいえるでしょう。

また、いうだけでなく、実際に自分の子供や孫を種樹(うえき)家さんにして、よく繁盛したようです。有言実行、種樹(うえき)家さんとして多くの人に植物を楽しんでもらい、幸せになり、病気にならなかった人は多かったでしょう。

まとめ

明石の殿様の江戸屋敷で突然変異した万年青、江戸残雪の大本は【宗碩】という万年青でした。【宗碩】高坂宗碩という実在の人物が元となっている。医者だった高坂宗碩は、園芸を楽しむことで心身を健康にしよう、といい、日本の園芸療法、予防医学の先駆けでした。

 

 

●動画解説 藪医者にいくより、園芸を楽しめ 園芸家【高坂宗碩】

【万年青の豊明園】【OMOTO EDO ZANSETSU】Rohdea japonica 万年青の歴史 草木奇品家雅見 宗碩

 

 

社会のためにはお医者様より植木屋さん?

殿様の万年青 江戸残雪 宗碩の虎

江戸時代に、播磨国・明石藩主の14代目松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)の江戸屋敷にて大切に培養していた【宗碩】が突然変異をし、この白い虎が出ました。

明石の殿様の万年青、として喜ばれ、非常に美しく、珍しいことから藩として特に万年青を大切にし、好んでいた薩摩藩が殖え芽を持ち帰り、鹿児島で大切に育てていきました。江戸から持ち帰ったことで、【江戸残雪】とも呼ばれています。この話が伝承として残っています。

話は戻って、この【江戸残雪】は【宗碩の虎】ともいいますが、この【宗碩】は1800年初期にはすでにあった品種で、江戸の千駄ヶ谷の医者であった高坂宗碩が大切に育てていたもの、と伝わっています。

文政10年(1827)発刊の【草木奇品家雅見】には、【宗碩】の名のもととなった高坂宗碩の人となりが書かれています。そこには、医者である高坂宗碩は、【植物を楽しく育てることで、気持ちを明るくさせ、病気にならない。人は健康のために薬草を求めるが、薬は害がなければよい方で、全く効果などない。藪医者にかかるより、植物、園芸をめいっぱい楽しむことで心身を健康にした方が世の中のためだ、とし、自分の子や孫は医者ではなく、種樹(うえき)家、園芸家にし、繁盛した。】

と書かれています。

万年青の歴史を調べていくと、先人がどれほど万年青を大切にしたのか、また、今のようにトラックなどの物流のない時代に大切な万年青がどんな旅をしていたのか、とても楽しい気持ちにさせてくれます。高坂宗碩先生のいうように、植物を楽しむことは、殿様や下々のものまで、病気にならず、心身健康になる一番の方法ですね。

 

私も園芸家は世の中をよくする素晴らしいお仕事だな、と誇りに思いました。

 

14代藩主 城主

播磨国・明石藩主の(14代)七代目松平 斉韶(まつだいら なりつぐ 1803-1868)

14 松平斉韶 6万石 左兵衛督 1816年(文化13年9月) 家督相続 1840年(天保11年2月) 退任

明石城HPより https://www.akashijo.jp/hanshu/index.html

 

 

 

江戸時代に作出、発見の万年青 一覧

徳川家康公が江戸城に持って入った「永島」

別格の江戸万年青

万年青は大葉、中葉、小葉(羅紗)と様々な2000種ほどの品種があります。その中でも時代時代で、流行りすたりを乗り越えてきた現在残っている品種は、特別な魅力を持ち始めます。特に、歴史の審査をくぐり抜けてきた江戸時代のおもとは別格で、万年青から江戸の香り、殿様や大商人、町人たちの息づかい、万年青熱までが漂ってくるよう。江戸万年青だけをコレクションする江戸マニアはもちろん、志のある方はそれを保存、普及させるために江戸からのお祝いや引越し万年青として植物好きな友人にプレゼントしています。

江戸万年青 入手難易度

現在数があり、簡単に楽しめるものから、縁がないといくら1000万と大金を積んだところで入手できない超レア品まで。歴史を楽しんで、お金じゃないところが面白いところ。

入手難易度 易しい 残雪、日月星、一文字(古今輪)、五大州、富士の雪(古今輪虎)、都の城、根岸の松、大象観、文鳥丸、五大高嶺、宗石、満月、逆鉾、白牡丹(水菜虎)、初笑
入手難易度 中 永島(長島、永嶋、長嶋、長縞)、福包、帽子虎、松の霜、玉獅子、七変化、高隈、白生令、加治木高嶺、太白山(本高隈)、曙、
入手難易度 難しい 江戸紺、金鶏、折熨斗、司鼈甲、紅流(紅骨)、褥錦、黄実おもと、都獅子、乕の子、鯱(日月星の覆輪抜け)、大象観虎、江戸残雪(宗石の虎)、黒葛原
還城楽、折熨斗縞、墨流、東鑑、伏見錦、阿蘭陀、

万年青の古さ

永島(ながしま) 家康の時代の以前

大象観 池坊の万年青はこのおもと 室町時代か 江戸初期に似た形の絵が残っている 江戸時代との説あり

都の城 都城高嶺 都尉 十五代藩主島津貴久公の天文二年(1533)のころまでにはすでに存在したもので、霧島方面の山より出現したものと思われます。駿府の徳川家康公に贈られ、江戸城に移された話も残っています。

行田魁庵(江戸時代の絵師)四季屏風と江戸時代に生まれたおもと。鉢は江戸~明治期にかけて作られた物

左 日月星(じつげつせい) 安政年間 1855~1860

(菱文様楽鉢)  明治初期 14.1-14.6

玉獅子(たまじし) 天保時代 1831~1845

 

満月(まんげつ) 1860年の銘監に掲載、慶應元年の銘監に西前頭1段目7番に掲載されています。

福包(ふくづつみ) 江戸後期

右 根岸の松(ねぎしのまつ) 安政4年  1857年

一文字 寛政以前

 

高千穂(たかちほ) 文久元年以前

文久元年 五大高嶺 富士の雪 五大州【文久元年(1861年)に江戸本所中之郷の幕府御家人・速水氏が「高千穂」の種を播いて作出し、命名したものです。文久3年、浅草寺境内での展覧会に、根岸の肴舎2代目篠吉五郎氏が出品して人気を博しました。慶応元年(1865年)の銘鑑に登載】

 

加治木高嶺 万治年間(明暦の後、寛文の前。1658から1661までの期間を指す。 この時代の天皇は後西天皇。 江戸幕府将軍は徳川家綱) 「御殿高嶺」「御屋敷高嶺」が本名でした。島津家の家宝でたいせつにされていた品 加治木町から一般に広まつたので「加治木高嶺」が本名のようになった

太白山(本高隈) 享保11年(1726)以前か

 

紅流 江戸後期と推定される

 

曙 藩政時代 1603~1868

不明 司鼈甲、伏見錦、白生令、黄実おもと、都の城、江戸紺、逆鉾、阿蘭陀、虎(乕)の子、折熨斗、墨流し、白牡丹(水菜虎)、初笑、還城楽、文鳥丸、金鶏、

 

 

 

1000年前の薬草からお祝いおもとや引越しおもと

万年青は1000年前から薬草として国、寺社、民間それぞれで利用されてきた歴史があります。室町時代にはすでにお祝い事に使われる縁起の良い生け花としても利用されます。室町時代に始まる池坊もお祝いの万年青を使われてきました。

江戸時代、徳川家康が最初の江戸城入城の際に万年青を自ら持って入り、万年の繁栄を願い床の間に飾りました。

万年青は元々は人々の病を治す薬草であり、祝いの生け花であり、引越しの縁起物という歴史をもちます。そのため、薬草園をもつ寺社仏閣にて植物のやり取りがあっただろうし、生け花としてもどこどこ産地の細葉や広葉のものを注文して行き来があり、引越し万年青として日本全国に人づてに広がっています。

※中国の神農本草経には1500~4000年前から万年青を薬草として使っている記述があります。

『江戸残雪(当時は「宗石の虎」)』の日本縦断

江戸時代に万年青好きな人々の『江戸残雪』にまつわる話をみてみます。『江戸残雪』は播磨明石6万石、藩主・松平左兵衛直韻の江戸屋敷で『宗石』に虎斑が出て大きなニュースになりました。そこで、万年青好きな島津藩は、参勤交代時にその万年青『江戸残雪(当時は「宗石の虎」)』を江戸から鹿児島の島津藩へ持ち帰って愛培しました。島津藩の武士たちにとって江戸から持ち帰った残雪に似た万年青なので、主に『江戸残雪』と呼ばれています。

江戸時代の参勤交代のときからおもとが日本中と江戸を行き来したという話は残っていて、そんな殿様の話を聞いた宿場町の大将もオモトを楽しんで、代々、宿場町、城下町には万年青と万年青にまつわるお祝い万年青や引越し万年青の風習、文化が残っています。

司べっ甲 (つかさべっこう)

分類    薄葉系統 江戸おもと
作出年代  不明
登録    年
作出者   不詳
命名者   不詳
登録者   日本萬年青連合会

司べっ甲(つかさべっこう) 4年生  鉢5.0号

葉長20㎝~25㎝葉幅5~6㎝ 内外濃緑色の葉に黄金色、玉模様の輝くようなちり斑を現す。本種の中で柄の美しく現れる物を金鶏と呼ぶ。
春先から採光を強めに管理すると鮮やかさが増す。
性質は強健で作りやすい。

五大高嶺 (ごだいたかね)

分類   大葉系統   江戸おもと
作出年代 文久元年
登録
作出者  速水某 (東京都)
命名者   ()
登録者

葉幅広く、立ち葉で、濃緑色の地に乳白色の覆輪をかけます。性質は強健で子上げ良い。採光、肥料は強くて良い。実付き良く露地植えも可。

『五大州』の縞柄が抜けたもの→ 『五大高嶺』

伏見錦 (ふしみにしき)

分類    薄葉系統   江戸おもと
作出年代    不詳
登録
作出者   不詳
命名者   不詳
登録者

緑色の葉に黄白交じりの縦縞柄を現す。
春先から採光を強めに管理すると鮮やかさが増す。

万年青図譜2上巻 久安寺

江戸時代からのおもと数は多くなく、歴史があり希少な品種。江戸時代、明治時代の文献にも多数出てくる人気の品種。なぜ人気だったかというと、この金色の斑が実生で出すことができず、初心者でも簡単に見分けができたから。濃緑色の葉に黄金色のちり斑を現す。春先から採光を強めに管理すると鮮やかさが増す。

 

伏見錦 (ふしみにしき)

白生玲 (はくせいれい)

分類    薄葉系統   江戸おもと
作出年代    不明
登録    昭和26年
作出者   不詳
命名者   不詳
登録者   久米武七 (愛知県名古屋市)

古くからあつた由。葉長40㎝、葉幅5㎝内外。濃緑色の葉で、葉先に丸みをもった平葉で、やや深い爪覆輪をかけ、葉先はやや垂れぎみ、雪白の虎柄は大きく現れたり吹雪状の様にも現れます、鮮明なもの不鮮明なものとまちまちです。採光を強めに管理すると白さが増します。