おもと鉢 楽鉢

 楽鉢の樂しみ

『古於茂と那よせ』(こおもとなよせ)天保3年(1832年)

『古於茂と那よせ』(こおもとなよせ)天保3年(1832年)現在のおもと鉢とは形状が異なる。江戸時代のカラフルな色彩感覚がうかがえる。  幕臣水野忠暁が選び、絵師関根雲停に描かせた。

現在「おもと鉢」とよばれる楽焼鉢は享保年間(1716~1736年)に幕府御 家人、永島次郎太郎墨林が「縁付」という現在のおもと鉢の原型となる鉢を作らせ「白鳄」「黒鳄」と呼んだのが始まりといわれています。しかし、天保3年(1832年)に描かれた『古於茂と那よせ』を見ると、その鉢は有田焼か九谷焼のようで、染付あり金權手ありで、形も丸形、六角形、八角 形とさまざまで、まだ楽焼鉢ではなさそうです。おもとを植えるのに楽焼鉢が主として用いられるようになったのはどうやら京都を中心に「こおもと」が大流行した明治初期前後からではないかと思われます。明治18年に肴舎篠常五郎が出版した『萬年青圖譜』には「万年青盆」を初め「京黒鳄」や「京黒楽」に絵付けした鉢があり、さらには「太鼓胴鉢」も見られます。

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江戸時代に大きく開花した古典園芸の鉢
「菊花唐草文朝顔鉢」  11.8㎝

金生樹譜別録(天保中頃)「カネのなる木」 万年青の京くろらくが載っている。

現在の万年青鉢の原形が、天保中期にはすでにできていた。天保[文政の後、弘化の前。 1831年から1845年 この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は第11代徳川家斉、第12代徳川家慶。]

萬年青部著者 長生舎主人序   天保四年刋(1833年)

現在でも楽鉢は盛んに生産され、さまざまに絵付けされた美しい錦鉢を手にすることができます。形状は基本的には鉢の高さと直径が同じになる「胴返し」という形になっていますが、「縄縁」「太鼓胴」「龍足」など造型に凝った鉢もあり、まるで美術品のようです。おもと専門店や展示会場などで販売されており、目移りするほど多彩な鉢が並んでいます。価格帯もさまざまで、有名な絵付け師の描いた錦鉢は数が少ないこともあり、一際人気があります。ご自分のおもとを引き立てるような錦鉢に植え付け、鉢合わせを楽しみ、おもとの格調をより引き出すことが、育てるから飾る(観賞する)までのおもと愛好の幅の広さともいえます。

古鉢の素晴らしさ

五彩八重菊紋白鍔鉢 江戸後期 3.5号

扇面古代絵巻図鉢 3.8号

太鼓胴藤蔓花絵鉢 江戸後期 5.3号

楽鉢•錦鉢には骨董的価値を持つ古鉢があります。現在製造されている楽鉢にも秀逸な作品は数多くありますが、明治から昭和初期にかけて作られた古鉢には、現代鉢にはない古さ•時代乗りがあり、その落ち着いた雰囲気はおもととの相性も良く大変好まれます。現存する数にも限りがあり、非常に貴重ですので、機会に恵まれたなら是非入手しておきたい逸品です。

希有な逸品揃い 古鉢

おもと鉢は黒地に金の縁•足が基本です。真新しい鉢を見ればわかり ますが、艶があり眩しいくらいに金色が光っています。この真新しい鉢 におもとを植えると溌剌と若々しい印象を与え、おもと本来の歴史と重みを感じる落ち着いた作品には仕上がりません。少なくとも数年は使い込み鉢自体に落ち着きのある雰囲気を出させたいものです。

そこで、最近人気なのが、昭和初期以前に作られた古鉢。時代乗りや鉢の持つ雰囲気はいうことなしですが、現代にはない個性的な形や美しい絵付け•色彩が特徴です。現存する数も限られていることから、入手は非常に困難です。値段も少々張りますが、見かけたら是非入手しておきたいものです。

植え付けたおもととの相性も抜群で展示会等では一際目を引く作品になることでしょう。

立湧文様楽鉢 明治時代 4号

松竹梅に鳥図鉢 明治時代 4.7号

古鉢・短冊屋五柳鉢 3.5号

桜花御所車図楽鉢 21.5㎝ 明治時代後期作

春の麗らかな桜咲く日の御所車という晴れやかな情景を描いている。五色の幕も亀甲や唐草、立湧といった吉祥柄を組み合わせたもので全体が明るい雰囲気に仕上がる。現代の名作家布施覚氏もこの鉢を写して春と秋の御所車を完成させている。東京の有名な歯医者さんが豊明園2代目淳蔵と仲が良く、特別に分けて頂いたもの。この古鉢が特徴的なのは金継ぎです。日本ではものを大切にする文化がありますが、割れてもこうして大事に使ってゆくことで鉢の価値もまた高いものだったのでしょう。

割れた器を修復するだけでなく、以前よりも価値のある味わい深いものにしてくれる金継ぎ。物を大事にする日本の文化として残していきたいです

三色雲富士龍図楽鉢   直径14.4㎝ 高さ 13.7㎝ 大正前後

三色の雲の中を黄金の龍が翔ける様子を描いたもの。迫力のある爪、隆々とした脚、赤い腹、大きな口からは咆哮が聞こえてきそうなほどである。金の鱗や角も丁寧に細かく描いてある。

昭和三年に新潟の石油王中野忠太郎氏に1万円にて譲渡された有名な写真ですが、その時の記念の写真と龍の構図をほぼ同じに破れ亀甲が三色の雲と対応するように描かれています。これらからこの出来ごとの前後か、鉢の状態からもう少し古いものではないかと考えられています。

米1俵10円60銭

鋏あとは足についていて、意匠にくぼみがつかないようにしている。

 

光陽(こうよう) 霰青海波短冊模様鉢 4.5号

 

万年青の鉢について リンク

おもと鉢 楽鉢

おもとの鉢について 縁足金

おもと 鉢 作り方

錦鉢 七々子

おもと鉢  七々子鉢

万年青鉢 布施鉢

おもと鉢  利山・手島

おもと鉢 利山

おもと鉢作家 禅艸道 渡邉一水

万年青鉢 一角楽鉢 

万年青鉢 短冊屋 和楽

万年青鉢 龍山

万年青鉢の文様 菱(ひし)

錦鉢 小菊の魅力

錦鉢にプラ鉢を入れて使いたい方

鉢販売

 

 

万年青の錦鉢

万年青を見ていると、時に美しい鉢にも目を奪われます。盆栽と同じで、盆という鉢と、栽という植物、鉢と植物の調和も含めて鑑賞しています。

特に江戸時代の万年青は、庶民から将軍、大名まで楽しみました。大名が遊ぶ万年青や、将軍に献上する万年青の鉢が粗末なものでは格好がつかないので、当時一流の作家がつき、素晴らしい作品が残っています。

その名残りで、現代も展示をする際は万年青にドレスコードのような規定があり、プラスチック鉢や茶鉢ではなく、錦鉢で着飾って皆様に見ていただくようになっています。

また、この鉢が日本では発達したことで、外の花壇では見逃してしまうような細かな万年青の変化を、床の間や家の中で鉢を手に取って、至近距離で見ることで小さな変化を発見でき、独特な万年青文化の土壌になりました。万年青好きな愛知県豊橋の大名は万年青をカゴで肌身離さず持ち歩き、万年青を抱いて寝た、という逸話が残るのも、この鉢の発達あればこそです。

まとめ

・万年青だけでなく、錦鉢や、鉢との調和も楽しんでください。

・将軍、大名が楽しんだことで、万年青では特に鉢も重視する万年青の世界があります。

・江戸時代に万年青の鉢植えを床の間など家の中で楽しんだことで、突然変異が発見されやすく、急速な発展をとげました。

 

 

抹茶茶碗でも有名な楽焼、薩摩焼、有田焼、瀬戸焼など様々に制作されます。