現代鉢作家 利山工房のイッチン
利山氏は愛知県高浜市の鉢•絵付け作家。父の代から続く工房でおもと楽鉢製作を小学5年生から手伝い、瀬戸窯業高校専攻科を修了後に本格的に鉢製作の道を歩まれ、55年のキヤリアをもちます。
工房で鉢製作に携わっていた一角氏の技術を間近で見て育ち、布施氏に絵付けの技術を教わりました。その技術を用いた鉢製作や縄縁、一角足、龍足、蟹鉢の細工鉢や絵付け鉢も素晴らしいですが、特筆すべきは絞り出し、盛り上げのイツチンの技法。イツチンは明治時代に手島擎二氏がおもと鉢に応用したもので、筆の絵付けとは違い、絞り出しの立体感のある絵付け方法。現代のおもと鉢では誰も作る人がいない中で復活させ、独特な味わいのあるイツチンフアンを増やしてきました。絵柄は少ない色数で落ち着いているのでおもとを引き立てて、鉢合わせもしやすくなります。触った質感も手によく馴染み、イツチンの鉢でしか味わえない素朴な親しみやすさがあります。
イッチンの顔料と絵付け筆
泥漿(でいしょう)を乳鉢でする。絵付けする時間より泥漿(でいしょう)をする時間のが長い。
ちゅうぶの中に泥漿(でいしょう)を入れイッチンを絞り出す
イッチンの先の穴 線の太さによりイッチンの先を変える。すぐにつまり易いので泥漿(でいしょう)を細かく擂ることが大事です。
盛り上がるイッチンの職人芸
イッチンは、ケーキのホイップクリームを絞り出す技法と同じと考えていただいてよいです。最初の布施氏の絵付けもその技法を使ってありますが、その細さはそのまま技術の高さを物語ります昔の古鉢の手島鉢は素晴らしい物が多いですが、現代の名工も負けていません!品があり、技術的にも高い鉢
鉢があまり主張しないので、どのおもとにもあう
手島風 七々子 利山作
雨垂れ型に区切り、上を手島風アラレに、下を七々子に。アラレが大小さまざまあり、綺麗な鉢。普段の七々子を焼くことと、手島風のアラレを焼くことで、
イッチンの技法で描かれた手島写しの鉢です。
色絵具を塗る、のではなく、ろうせきというもので、盛り土をする、といった感じでしょうか。鉢に、独特の立体感が出ます。手島氏は、大正前後に活躍された鉢作家さんですが、その時期は戦争もあり、豪華な色柄が使えなかったそうです。そこで、こういったイッチンを用いて、なんともいえない侘び寂びのような錦鉢の世界を作っていった人でした。
今ではこの技術が出来る人は少なく、一部のマニアではこればかりを集められ、鑑賞されている方もいます。
黒の釉薬も付けていない、焼く前の状態。太鼓銅(太鼓の胴のように、鋲(びょう)がうってある鉢)の、力強い鉢に、あっさりとした手島風の絵付けがしてあります。
青海波などは、縁起の良い鉢ですし、また、手島風の絵付けとも良く合います。できあがると、落ち着いた、どんなおもとにもあう鉢に仕上がるでしょう。
手島鉢
鉢は、イッチンの技術を用いた、盛り上げた技法手に取ってみると、ぼこぼことした質感があります。
明治の終わりから昭和の初め、金(きん)の高かったころにイッチン(盛り上げ)の技法で多くのデザインを作っていった手島氏という方がいます。金を用いず、質感を出して新しいデザインを作っていった。
おもと界では、その方に敬意を表して、そのイッチンを使った鉢を手島風、手島鉢などと呼ぶことがあります。
おもと鉢「富士と龍」 手島揫二作
手島氏の窯は東京市本郷駒込にあり、明治15年の開窯。
当時手島氏は自らおもとや蘭数百鉢培養し、生育具合を調べ、鉢作りの研究にあたったということです。
手島鉢
イッチンをしてから薄い透明な釉薬をかける技法。は「手島風」と呼ばれています。
イッチン(泥漿や釉薬によって盛上げの線文を表す装飾技法)
白く盛り上がる技法が独特。手島鉢は多くが関東大震災や第二次世界大戦後に損壊し、今や貴重品になりつつあります。