索引
おもとの彫刻
青森県 南部一之宮・櫛引八幡宮(くしびきはちまんぐう)左甚五郎の万年青彫刻 現在の社殿群の中核は盛岡藩直営で正保2〜慶安元年(1645–48)に再建。江戸前期のまとまった社殿群が残る点が大きな価値 国宝館には国宝「赤糸威鎧(菊一文字)」と「白糸威褄取鎧」を収蔵。鎌倉末〜南北朝の甲冑美術の白眉として知られる [篠原氏発見2025.9.11]
浅間神社 社殿は1582年前後、家康が再建
富部神社(1606 慶長11年) 名古屋市南区笠寺 国重要文化財 向拝東側手挟(ごはいひがしがわたばさみ) 西側も??[吉村氏発見]
津島神社(1605 慶長10年) 津島市神明町1 国重要文化財 松平忠吉の妻政子により寄進 [吉村氏発見]
兵庫県 丹波市 高座神社 本殿背面頭貫上蛙股の万年青と兎 [青木氏発見2020.9.22]
兵庫県 市川町 笠形神社 本殿脇障子の獅子の谷落としという彫刻 [青木氏発見2020.9.22]
おもと彫刻がある寺社仏閣の特徴
これから調べたい、皆様に調べてほしい寺社仏閣
鳳来山東照宮 愛知県新城市門谷鳳来寺4
三大東照宮の一つで、三代将軍家光が再建しようとし、志半ばで薨じたため、4代将軍家綱が慶安4年(1651年)に社殿を竣成(大規模な建築物などができ上がること。 竣工)。
- 『東照社縁起』
- 家康の父母である松平広忠と正室於大の方(伝通院)は、子のできないことを憂い、祈願のために夫妻そろって領内の鳳来寺に参篭したところ、伝通院が東方より現れた老翁に金珠を与えられる夢を見て、間もなく家康を懐妊したという。
- 鳳来寺の伝説
- 家康の出生は壬寅年寅月寅の日にあたる天文11年(1542年)12月26日の寅の刻(午前5時頃)であったとされるが、鳳来寺では家康誕生と時を同じくして、薬師堂の本尊である薬師如来を守護する十二神将の中、寅神でもある真達羅大将の神像が忽然と姿を消し、家康が薨ずると神像もひとりでにもとの位置に戻っていたといい、以来、家康は真達羅大将の化身であったと伝えられている。
増上寺 東京都港区芝公園四丁目7番35号
中井正清が建てた。江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移された。風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。
寛永寺 東京都台東区上野桜木1丁目14−11
徳川家康・秀忠・家光の3代の将軍が帰依していた天台宗の僧・天海によって、江戸城の鬼門の方角を守護する寺院として創建された。大部分は慶応4年(1868年)の上野戦争で焼失した。現在の根本中堂は明治時代に川越の喜多院本地堂を移築したものである。
喜多院 仙波東照宮 埼玉県川越市小仙波町1-21-1
建築物
- 客殿(重要文化財) – 寛永15年(1638年)建立。「徳川家光誕生の間」がある。
- 書院(重要文化財) – 寛永16年(1639年)建立。「春日局化粧の間」がある。
- 庫裏(重要文化財) – 寛永15年(1638年)建立。
- 山門(重要文化財) – 寛永9年(1632年)、天海僧正により建立。喜多院で現存する最古の建物。
- 鐘楼門(附:銅鐘)(重要文化財) – 元禄15年(1702年)建立。
- 慈眼堂(重要文化財) – 正保2年(1645年)建立。慈眼大師天海を祀る。厨子に入った天海僧正の木像が安置されている。
- 仙波東照宮(重要文化財)
- 慈恵堂(県指定有形文化財(建造物)) 中央に慈恵大師をまつり、左右に不動明王をまつる。
- 多宝塔(県指定有形文化財(建造物))
知恩院、駿府城の天守、名古屋城、内裏、方広寺など、徳川家関係の重要な建築
中井 正清が建てた。
石清水八幡宮本殿
中井正純(正清の弟、中井家3代正知の後見)が建てた。万年青彫刻ありました。豊明園
万年青の彫刻を見つけられた方、是非ご一報ください
また、ここには万年青彫刻がなかった、という情報も貴重です。是非お願いします。
引越し万年青と家康 万年青彫刻
寺社仏閣に植えられた万年青 歴史ある名店も
東京都 文京区 小石川植物園の薬園保存園 (東京大学附属植物園)の「薬草園(御薬園)」
歴史 寛永15年(1638年)麻布、大塚に幕府の薬草園を作る
元禄以降 ~ 貞享元年(1684年)薬園の整理・移設が行われ、大塚側(北薬園)は廃止、麻布の薬園が白山御殿(小石川御殿:館林藩下屋敷であった敷地)へ移され、これが「小石川御薬園」となります
移設当初の御薬園はおよそ一万四千坪あまりの規模
享保6年(1721年)、御薬園は白山御殿の敷地全体に拡張され、面積は約4万5千坪に達し、現在の植物園の原型に近づいたとされます。
享保7年(1722年)当御薬園内に 小石川養生所(施薬院) が設置され、庶民への医療を担う施設が置かれました 。享保7年に設立されたこの施設では、御薬園で調整された薬が庶民に無料で処方され、江戸期における医療施設の先駆けとされています。
享保20年(1735年)甘藷(サツマイモ)栽培:飢饉対策や食料安定のため、青木昆陽らが御薬園で甘藷の栽培実験を行ったことも知られています
明治維新後、「大学病院附属御薬園」などを経て、1875年(明治8年)には「小石川植物園」という名称で整備され始めます。
明治10年(1877年)東京大学(当時:帝国大学)が設立され、小石川植物園はその研究施設の一部となりました。
薬園保存園では、当時栽培されていたとされる約120種の薬用植物を再現して栽培しているとされています。
愛知県
熱田神宮
あつた蓬莱軒 本店 入口正面におもとが植えられている。
豊川稲荷 私たち万年青の豊明園が奉納した万年青以外にも、沢山の地植えの万年青、鉢植えの万年青があります。
京都府
瑞巌山 圓光寺(円光寺) 本堂の前に、左右にあります。水琴窟の後ろ。また、十牛の庭の入口なのか、出口なのか、そちらに多分最後の牛の根締めに万年青が植わっています。計3群落です。
詩仙堂 (一乗寺) おもと植えてあります。
三千院 おもとがお庭に点在
島根県
金屋子神社(製鉄の神様を祀る) 縞、覆輪の大葉おもと
