引越し万年青と家康 万年青彫刻
慶長11年、徳川家康公の万年青をたずさえ、江戸城入城
おもと(万年青)は、めでたい植物、不老長寿の縁起のよい植物といわれています。慶長11年、徳川家康公が各大名に江戸城の普請役を行なわせ、その造成成るとともに入城しました、入城に際し家康は愛知県三河の国長沢村の長島長兵衛から贈られた、斑入りのおもと3鉢を抱え入城しおもとを床の間に飾り徳川300年の繁栄を築いたという古事が広く知られています。
この故事は広く日本中に知られ、各地で似た話を聞きます。
場所によっては、愛知県三河の家臣ではなく、静岡だったり、その方の地元だったり、鉢数も1鉢という話や、床の間に飾ったのではなく、鬼門の方向へ地植えしたんだ、という話。
徳川家康公の長寿と【八味地黄丸】 おもと?
また、徳川家康公が当時としてびっくりするぐらいの長寿で、江戸時代の平均寿命が32-44といわれるころ、75歳(満73歳4ヶ月)まで生きたのですから驚きです。家康公は父(24歳)、祖父(25歳)を若くで亡くしているので、特に健康、寿命に対する考えも深かったといわれています。そこから、医術も当時の最高の医者に診てもらう、また学び、漢方も【八味地黄丸 はちみじおうがん】という家康公自身が発明した薬を自ら調合し、実は現在も強壮に効く名薬として漢方薬として売られています。
江戸時代初期の幕府の庭には、薬草として様々な植物が植えられていました。その中に、例えば尾張藩の薬草園には万年青が植わっています。
そいうったことから、家康公自身が万年青を薬としても使っていたという言い伝えが残るところもあり、私自身も様々に調べています。
家康公のかかわる寺社仏閣に万年青
まず、以下のページも参照していただきたいです。
家康公にかかわる寺社や、三代目徳川家光公、徳川家にかかわる寺社に、万年青の彫刻が多く彫られています。
特に徳川家康公を東照大権現としてを祀る神社の東照宮では多くの万年青彫刻が残っています。
また、二条城の門や、場内にも多くの万年青彫刻があり、特に大切にされてきたことが分かります。