石清水八幡宮  国宝の社殿の中に万年青彫刻

石清水八幡宮

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石清水八幡宮は、御許山(おもとやま)にある宇佐八幡宮から勧請された三大八幡宮。京都の裏鬼門を守るために建てられた国宝の石清水八幡宮に、万年青の彫刻が17ありました。国宝のため万年青彫刻の写真はありません。

#があり過ぎる

石清水八幡宮自体が、歴史好きにはたまらない神社で、徒然草、平清盛、源頼朝、楠正成、信長塀、豊臣家建造の社殿、三代将軍徳川家光が建造の社殿、鬼門、二所宗廟、日本三大勅祭の「石清水祭」、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦、左甚五郎の彫刻、松花堂弁当のもとと、1200年の歴史で、常に表舞台になっていた神社です。

基本情報

■石清水八幡宮
【参拝時間】6:00~18:00、授与所8:30~18:00 ※季節による変動あり
昇殿参拝 11:00~、14:00~(神職さんによる案内付、祭典行事などにより時間の変動あり。1/1~2/3は休止)

※これらはすべて2020.7.24現在の情報です。最新の情報は石清水八幡宮さまのサイトなどでご確認ください。

【石清水八幡宮 公式ホームページ】http://www.iwashimizu.or.jp/

昇殿参拝は電話で確認したところ休止しております。10月再開を目指すそうですが、状況次第なので、石清水八幡宮さんへご確認ください。昇殿参拝か、ご祈祷をしないと万年青彫刻は見れません。

※2021.11.20時点で、昇殿参拝を再開したとのお話がありました。

 

【参拝料】境内無料、昇殿参拝1,000円
【電話】075-981-3001 FAX 075-981-9808

〒614-8588 京都府八幡市八幡高坊30

 

アクセス

社殿すぐから、参道の写真をとったところ。奥に15分間隔で麓(ふもと)とつなぐケーブルカーがある

木津川・宇治川・桂川の三川合流地点の南にある男山(おとこやま)山上に社殿はあります。山のふもとからの参拝は2つの方法があり、ひとつは所要時間約3分で麓の「八幡市駅」からケーブルカーで。もうひとつは、山頂標高120m、社殿まで30分ほど山歩きです。地元の方、ご祈祷される方は山上の駐車場を利用する方もいるようです。

【アクセス】京阪男山ケーブル「男山山上駅」からすぐ
【公式ホームページ】http://www.iwashimizu.or.jp/

【高速】京滋バイパス 「久御山・淀IC」が近い

【電車】京阪電車「石清水八幡宮駅」下車、⇒参道ケーブル「八幡宮口駅」~「八幡宮山上駅」下車徒歩5分

石清水八幡宮さんHP アクセスについて

〒614-8588 京都府八幡市八幡高坊30 TEL 075-981-3001 FAX 075-981-9808

 

国宝 石清水八幡宮

石清水八幡宮の歴史

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、地元では「やわたのはちまんさん」と呼ばれ、平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社。京都盆地南西の男山山上に鎮座する。

皇室からは遠国の宇佐神宮に代わり伊勢神宮(三重県伊勢市)とともに、二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、石清水八幡宮のある男山は都からみて裏鬼門(南西の方角)に位置し、鬼門(北東の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきました。

「石清水祭」は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。

あの門をこえると、社殿の領域になります。

 

武家からは特に源氏が源義家が当社で元服したこともあって武神として信仰し、源氏の広がりとともに壺井八幡宮・鶴岡八幡宮など、当社から各地八幡宮が勧請された。

弓八幡 石清水八幡宮 作者 世阿弥

八幡大菩薩は源氏の氏神弓矢の守護神

弓と矢と幡の三つの兵具に訳して弓八幡と名付けた

 

 

宇佐神宮(大分県宇佐市)・筥崎宮(福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに日本三大八幡宮の1つ。また宮中の四方拝で遥拝される神社の1つである。本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されている。

京・難波間の交通の要地で、南北朝時代の大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる政治上の重要な拠点。

カヤの木

 

『徒然草』の時代から

創建以来、当社は境内の護国寺と一体となる宮寺形式をとった。往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓の社殿である高良神社を八幡宮と勘違いしたという【徒然草】の話で知られる。

石清水八幡宮HP、Wikipediaより

 

万年青彫刻があると思ったわけ

3大八幡宮である石清水八幡宮は、八幡宮総本社(八幡宮は全国に44,000社!!)の宇佐神宮から勧請された神社です。宇佐神宮は大分県宇佐市の御許山 おもとやま山麓に鎮座し、御許山 おもとやま山頂には、奥宮として3つの巨石を祀る大元神社(おもとじんじゃ)がある。

このように、八幡宮総本社の宇佐神宮は万年青の名と非常に関りが深く、現代の私たちには残っていない万年青の歴史を、神社の建物に刻んでいると思っています。平安前期の1300年ほど前に勧請された石清水八幡宮には、万年青の当時の歴史を残す何かがあると思いました。また、万年青は本当はどんな意味のある植物だったのか、秘められた歴史を紐解いていきたいと思います。

また、中井正純(正清の弟、中井家3代正知の後見)が建てた。中井正清は徳川家康公の大工頭で、中井正清が建てた寺社仏閣には万年青の彫刻があることが多い。

御許山 おもとやま 大分県宇佐市にある神社、宇佐神宮について

寺社仏閣のおもとの彫刻・植えられた万年青 一覧 歴史ある名店も

信長塀 黄金の樋

信長塀の信長とは、織田信長の事です。

天正8年(1580)に織田信長が寄進しました。
瓦と土を幾重も重ねて作られた土塀で、織田信長公が好んで採用した様式といわれています。

瓦と土を幾重にも重ねることにより、当時の築塀における課題であった鉄砲の銃撃や耐火性、耐久力に優れていたとされています。

国宝の社殿を取り囲むように残っています。400年前のものが雨風に耐えてここまで残っているのですね。

 

信長塀。織田信長さんが寄進。

 

 

黄金の樋

八幡造りである御本殿の内殿と外殿の「相の間」に架かる織田信長公寄進の通称「黄金の雨樋」。  天正7(1579)年12月、信長公が雨に遭って山崎寶積寺に逗留の際、木製の雨樋が朽ち雨漏りがしていることを聞き及び修理を命じ、翌、天正8年8月には木製から唐金の雨樋に造り替えられました。これには、もし再び当宮に天災などの有事が起こった際には、この「黄金の雨樋」を換金し、その対処にあたるようにとの信長公の信仰心の深さがあったという伝承があります。
長さ21.7m、幅54cm、深さ21cm。

写真は国宝のため禁止

写真 石清水八幡宮さんのHP 参照

 

鬼門封じ

石清水八幡宮の鬼門封じ、京の鬼門封じ、江戸の鬼門封じ、万年青で鬼門封じ

鬼門封じ

牛の角を持ち、虎の毛皮を身にまとった鬼がくると言われる丑寅(東北)の方角

『鬼門』を封じるために、国宝の御本殿の石垣を斜めに切り取った作りになっています。

ここだけ鬼門封じで切ってあるのがわかる

他の角はきちんとあり、正方形。

角が立つ、ともいい、鬼門の方角の角を取ってある。

万年青では古くから鬼門の方角に万年青を置きなさい、といわれる。万年青は400年以上前から霊草なので、魔除け、開運の意味がある。

京の都を守る比叡山延暦寺が鬼門を守り、この石清水八幡宮が裏鬼門を守るという話があり、この鬼門という考え方はとても面白いです。

古来より、都市をつくる、城をつくる、家をつくる際に鬼門を守るということは言われてきた。徳川家康公と、そのブレーンだった天海が、江戸(東京)も邪気が入るとされる鬼門・北東の方角には寛永寺(上野・東の比叡山を意味する「東叡山」とも呼ばれる)を置き、天海自身が住職を務め、隣には上野東照宮を建立し、鬼門を封じ、同じく邪気の通り道とされる反対側の南西、裏鬼門には増上寺(二代将軍・秀忠)を配し、鬼門を特に大切にしてきたことが分かります。

 

社殿の本殿

 

ご祈祷 凶方位 鬼門、裏鬼門、八方塞がり

今まできちんと見たことがなかったのですが、この厄年も鬼門が関係しているのですね。

 

豊明園と万年青の発展を願って、御祈祷していただきました。

そこで、400年前の万年青の彫刻に出会いました。

こちらの東側から入ります。

万年青の彫刻を探すため、この御本社をぐるぐるまわって探したのですが、外側からでは彫刻自体がありません。この東側と、西側に2つ蟇股の中に彫刻があり、あとは南側の正面に彫刻があるだけです。

国宝の社殿の中に万年青彫刻

国宝 御本社

この中でご祈祷していただきます。

八幡造りという珍しい構造の本殿は国宝に指定されている。厄除け祈願でも知られ、年間を通して多くの参拝者でにぎわう。

正面の彫刻。素晴らしい。

この内側にある舞殿と、御本殿を囲む瑞籬(みずがき)の欄間彫刻に万年青の彫刻が17ありました。もっとあると思います。

現在の社殿は寛永11年(1634)に徳川3代将軍・家光が修造。本殿の一部は豊臣時代に修理されたものもあり、安土桃山時代から江戸時代最初期に造られた。内殿と外殿の前後二棟からなる「八幡(はちまん)造り」の建築様式としては、現存する社殿の中で最大最古。

御本殿から幣殿・舞殿・楼門と続き、その周囲を約180mに及ぶ廻廊が囲む社殿の建造物全てが丹漆塗(たんしつぬり 丹漆はあかうるしのこと)で、御本殿を囲む瑞籬(みずがき)の欄間彫刻をはじめ随所に当時の名工の極彩色彫刻が施された極めて壮麗な社殿。

 

外から見える国宝の彫刻。これだけでも素晴らしいですが、内側の彫刻は別格。

是非、昇段参拝が始まったら、中のツアーをやって下さるそうなので、見学に行ってみてください。

 

私が見つけられた万年青彫刻は、舞殿の西側の欄間彫刻に2株、御本殿を囲む瑞籬(みずがき)の欄間彫刻に、西、北、東と時計回りに見学させていただきました。

西側の松椿万年青の欄間に1つ、入内雀の欄間に1つ、北側の松の欄間に1つ、万年青松の欄間に2つ、松椿万年青の欄間に1つ、梅竹万年青の欄間に2つ、万年青椿の欄間に3つ、万年青松の欄間に3つ、東側の椿万年青の欄間に1つありました。

やはり北東の鬼門の方向には万年青の数が多く、この時代から万年青が鬼門封じに使われていたのが分かります。

おもと彫刻は全部で17。日光東照宮の他では一番多い万年青彫刻の数です。また、万年青彫刻の割合も半端なく高い。石清水八幡宮には、152点にも及ぶ色鮮やかな「桃山風透かし彫り」があるといわれ、いかに万年青が大切にされていたかが分かります。

これらの欄間彫刻は、どれも一刀彫で、一枚の板から彫り出してきたものです。

 

 

 

 

 

こちらが東側の回廊。ちょうど、この北東の鬼門の位置、この内側におもと彫刻がたくさんあります。

 

 

 

2016年に国宝に指定。 創建は、貞観元年(859)清和天皇の命により平安京の裏鬼門(南西の方角)を守護する神社として八幡大神を男山に祀り、社殿を建立したのが始まりとされています。京の都、平安京がつくられたのは794年。

 

左甚五郎作と伝わる「目貫の猿」

この左の門の裏に左甚五郎「目貫の猿」

こちらも国宝の中なので写真はありませんが、日光東照宮の「眠り猫」の彫刻で知られる左甚五郎作と伝わる「目貫の猿」が有名です。本殿の西側の門の上にある猿の彫刻で、甚五郎の彫刻はその精巧さから魂が宿り動き出すという伝説があります。左甚五郎一派がこの社殿を建造した際、この猿が社殿を抜け出し、里でいたずらを繰り返したため、右目に細い竹釘を刺して逃げ出さないようにしたそうです。平成の大修造の際、この釘を抜いていた時期になぜか境内に本物のサルが現れ、元に戻したら現れなくなったのだとか。甚五郎伝説は今なお続いています。

こちらは東側ですが、西側の門の裏側に左甚五郎の彫刻があります。

エジソンと石清水八幡宮

電球のフィラメントに、この石清水八幡宮の真竹が最も適していることを知り、電球発明の翌年から10数年もの間、この竹を使ってたくさんの炭素発熱電球を造りました。

まとめ

歴史的にとても重要な石清水八幡宮に、徳川家光公の寄進による、万年青彫刻が発見でき、とてもうれしい。石清水八幡宮関係者の皆様、ありがとうございました。

 

 

中村天風さん

   

こちらにも素晴らしい彫刻が。

左 若宮社 男性の神様

右 若宮殿社 女性の神様

清め衣納所

こちらに奉納します。

鬼門封じのある北側です。

   

ぐるっとまわっています。

写真はありませんが、幣殿の蟇股には4つの巴紋の彫刻が施されていますが、実は1つだけ右巴があります。これは、社殿を完成させてしまうと、あとは朽ちるのを待つことになり、あえて未完成の箇所、間違いの箇所を造ることにより、まだその社殿が未完成であり、益々の発展を遂げるという願いと縁起が込められているとされています。

10棟が1つの建物のように組み合わさる独特の作り。八幡造り、すべて国宝。

 

石清水八幡宮の地植えおもと

石清水八幡宮に、立派な地植え萬年青がありました。

 

 

徳川家の隠し葵 石清水八幡宮さまのHPより

現在の御社殿は寛永8(1631)~寛永11(1634)年にかけて徳川家光公の修造によるもので、そのことから考えると、徳川家の御紋である「葵の御紋」がいたるところに施されていてもよいものですが、見当たりません。 実は、楼門蟇股部分、正面の双鳩(錺金具)の裏側、すなわち参詣者からは見えない位置に、当宮の神紋とともに「葵の御紋」が、錺金具に彫られています。 「さすが徳川将軍家、なんと控えめなことか」と捉えられますが、実は、八幡大神様からは一番良く見える真正面に「葵の御紋」が施されている位置関係になっています。

 

この位置は、久能山東照宮の万年青彫刻と同じ場所にあります。何か縁がありそうですね。

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