泰西本草名疏 たいせいほんぞうめいそ
伊藤圭介著
伊藤圭介(1803-1901)は、幕末から明治期にかけて活躍した植物学者。名古屋城近くで生まれ、オランダ商館の医師シーボルトに宮塾(名古屋市熱田区)で出会ったのを機に、長崎に遊学。西洋の植物学への知識を深めた。「おしべ」「めしべ」「花粉」といった用語を考案した人でもある。
萬年青 記載のページ
萬年青
国立国会図書館デジタルコレクション↓
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2537377
趣味の山野草 2021年 3月号 【草木性譜】文政10年(1827) 萬年青は喜び事、めでたき事に用いる 豊明園記事掲載No.91
圭介は長崎から帰郷するとき、シーボルトからツンベルク著『フロラ・ヤポニカ』(1784年刊)を贈られました。これは来日経験のあるツンベルクが、日本の植物にラテン語の名前をつけてヨーロッパに紹介した本です。圭介はこの本に収録された植物が日本や中国で何と呼ばれているか研究し、翌年『泰西本草名疏』を刊行しました。
ヨーロッパで定説となっていた植物学者リンネの雄しべ・雌しべの形状や数などによる植物の分類法も、図入りで初めて紹介されました。
【江戸時代 文政12年(1828) 名古屋市蓬左文庫蔵】
徳川美術館HPより
https://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2017/0602/post-7/
Wikipedia 伊藤圭介 (理学博士)
伊藤圭介 | |
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伊藤圭介
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生誕 | 和暦:享和3年1月27日 西暦:1803年2月18日 日本 尾張国名古屋(現愛知県名古屋市) |
死没 | 和暦:明治34年1月20日 西暦:1901年1月20日 日本 東京府(現東京都) |
研究機関 | 東京大学 |
影響を 受けた人物 |
シーボルト |
影響を 与えた人物 |
田中芳男、柳川春三、千村五郎 |
主な受賞歴 | 勲三等瑞宝章受章 勲四等旭日小綬章受章 男爵綬位 |
命名者名略表記 (植物学) |
Ito |
プロジェクト:人物伝 |
伊藤 圭介(いとう けいすけ、享和3年1月27日(1803年2月18日) – 明治34年(1901年)1月20日)は、幕末から明治期の本草学者・蘭学者・博物学者・医学者。日本初の理学博士。男爵。「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作った事でも知られる。尾張国名古屋(現愛知県名古屋市)出身。名は舜民、清民。 字は戴堯、圭介。号は錦窠。
生涯
- 享和3年(1803年)、町医者の西山玄道の次男として名古屋呉服町に生まれる。
- 文政3年(1820年)、町医の資格を得て開業。
- 文政4年(1821年)、京都に遊学し、藤林泰助より蘭学を学ぶ。
- 文政10年(1827年)、長崎にてシーボルトより本草学を学ぶ。翌年、長崎から名古屋に帰る際にシーボルトよりツンベルクの『日本植物誌』を受け取った。これを翻訳し、文政12年(1829年)、『泰西本草名疏』を刊行した。
- 嘉永5年(1852年)、尾張藩より種痘法取調を命ぜられた(種痘所)。
- 文久元年(1861年)、幕府の蕃書調所物産所出役に登用される。
- 明治3年(1870年)、名古屋を離れて東京に移り住み、明治政府に仕えた。そして同14年(1881年)、東京大学教授に任ぜられた。同21年(1888年)、日本初の理学博士の学位を受けた。また初代の東京学士会院会員となった。
- 明治34年(1901年)、慢性胃腸炎のため[1]98歳で永眠。死に臨んで、学者として初の男爵を授けられた。墓所は谷中天王寺墓地。愛知県名古屋市の平和公園内(光勝院墓域)にも碑が建立されている[2]。
栄典
伊藤圭介にちなむ植物
伊藤の業績を称えてシーボルトらにより献名された日本の植物には有名なものが多い。
- アシタバ(セリ科、Angelica keiskei)
- イワチドリ(ラン科、Amitostigma keiskei)
- イワナンテン(ツツジ科、Leucothoe keiskei)
- オオビランジ(ナデシコ科、Silene keiskei)
- シモバシラ(シソ科、Keiskea japonica)
- スズラン(ユリ科、Convallaria keiskei)
- ヒカゲツツジ(ツツジ科、Rhododendron keiskei)
- マルバスミレ(スミレ科、Viola keiskei)
- ユキワリイチゲ(キンポウゲ科、Anemone keiskeana)
など。
伊藤文庫
伊藤文庫は伊藤圭介が収集した本草学に関する書籍コレクション[6]。伊藤圭介文庫とも。伊藤圭介およびその孫の篤太郎より1944年に国立国会図書館が購入した。カール・ツンベルクの『日本植物誌』(1784年)、それを元に圭介が著した『泰西本草名疏』(1829年)、森立之・服部雪斎の『華鳥譜』(1861年)など、約2000冊を数える[7]。蔵書には「尾張伊藤圭介之記」「九十一翁」等の蔵書印が押印されている[7]。国立国会図書館のほか、名古屋大学図書館、名古屋市東山植物園などに見ることが出来る[7]。