エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kämpfer, 現代ドイツ語読みではエンゲルベアト・ケンプファー、1651年9月16日 – 1716年11月2日)は、ドイツ北部レムゴー出身の医師、博物学者。ヨーロッパにおいて日本を初めて体系的に記述した『日本誌』の原著者として知られる。出島の三学者の一人。
1690年から1692年(元禄3年〜5年)日本がまだ鎖国の時代、長崎の出島にオランダ商館医として来日した「出島の三学者」。
日本の事をヨーロッパに紹介した学者たち、ケンペル、ツュンペリー、シーボルト。
1695年に12年ぶりにヨーロッパへ戻り、1712年、ようやく『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae)と題する本の出版にこぎつけた。この本についてケンペルは前文の中で、「想像で書いた事は一つもない。ただ新事実や今まで不明だった事のみを書いた」と宣言している。この本の大部分はペルシアについて書かれており、日本の記述は一部のみであった。『廻国奇観』の執筆と同時期に『日本誌』の草稿である「今日の日本」(Heutiges Japan)の執筆にも取り組んでいたが、1716年11月2日、ケンペルはその出版を見ることなく死去した。
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このP785ページから786にかけて、Kiro Rirjo Omotto として記載されています。本文は解読できず、、
この絵が1806年にヨーロッパで書かれた万年青。
イエズス会の日葡辞書など、古い万年青の記述について
1603年 イエズス会の日葡辞書
1603年にイエズス会がキリシタン宣教師のために長崎で刊行した日葡辞書(日本語、ポルトガル語の辞書)には藜蘆、リロにヲモトと当てています。
1603年刊行の辞書なので、その当時の言葉の音(オン)や使われていたのかなどが分かります。
中日新聞 世界で4冊目の日葡辞書をブラジルで発見
室町時代の辞書より 藜蘆(万年青)
資料は国会図書館より
饅頭屋節用集
室町時代末期と言われる 奈良の菓子商で歌人・歌学者でもあった饅頭屋宗二(林逸1498~1581)が刊行した書物。唐宋の詩文や節用集などがある。
雑字類書
レイロと書いて万年青とよむ 室町時代中期
室町時代の辞書は節用書、類書といわれ、イロハ順で書かれる。万年青はヲモトという表記になるので、ヲを探します。
節用集 室町時代
室町時代は1336-1590(戦国時代まで含めると)
これら室町時代の辞書には藜蘆にヲモトとしてしかルビがふっていないため、藜蘆は万年青を指すと考えています。
藜蘆など多くの薬草や植物の「漢字」が中国から入ってくる際、非常に困ったと思います。薬草の知識、植物の知識、中国語の知識、日本のそれぞれの地域の言葉などすべてがそろわないと中国ではこの植物だけど日本では違った、や日本にはその植物がなかった、場所場所で名前が違った、ということがありうるからです。