万年青の歴史 永島次郎太郎墨林

万年青を楽しみ、世に広めた人       万年青の歴史より

 

永島 (ながしま)

500石取の幕府御家人であった永島次郎太郎墨林は、万年青の歴史だけでなく、日本の植物や園芸でもとても大きな役割を果たした人です。

文政10年(1827)刊の草木奇品家雅見(江戸青山 種樹家金太が編集)によれば、永島先生は東都四谷に住み 享保(1716-36)の頃の人なり、とあり、今から300年ほど前のおもと趣味者です。家康がおもとを江戸城に持ちこんでから100年ほどたったときでしょうか。

草木奇品家雅見の素晴らしいところは、品種と素晴らしい写実的な絵、解説まであったところで、その万年青がどんなおもとなのか、品種の特徴や、産地(江戸産なのか、名古屋や明石など)、だれが楽しんだのか、様々なことを教えてくれます。

永島次郎太郎墨林は、家康が江戸城に持って入ったとの伝説の残る【永島】の変化種を好み、永島連というおもとサークル?、おもとを趣味とした集まりをつくりました。永島連は斑入り、矮性種の植物を好んだ大名、武家、豪商、文化人など裕福な人が集まりました。彼らが今のおもとの園芸文化の基礎をつくったのでした。

ヨーロッパの人にとってそれらの矮性種や斑入りを園芸として楽しむのは20世紀に入ってからで、どれだけ日本の園芸が独自の進化を遂げていたのか、わかると思います。また、ヨーロッパのプラントハンターにとって、日本が非常に魅力的に映ったのも当然といえます。

 

種樹家金太 うえきや-きんた

1791-1862 江戸時代後期の園芸家。
寛政3年生まれ。江戸青山の植木職。文政10年斑(ふ)入りなど草木の奇品をあつめた図録「草木奇品家雅見(かがみ)」3巻を刊行。築山造庭をよくした。文久2年8月死去。72歳。姓は増田。通称は別に金太郎。号は繁茂,繁亭。

 

 

国立公文書館 HP 旗本御家人Ⅲより

41. 奇品家雅見(草木奇品家雅見)
(きひんかがみ・そうもくきひんかがみ)

『奇品家雅見』は、形状が特異な草木の図譜。斑入りや枝垂れほか、江戸および近郷の「好人」(愛好家)が所有する奇品約500点を載せ、あわせて所有者の名前と住所、逸話などを紹介しています。文政10年(1827)刊。

江戸の青山で植木屋を営んでいた金太(増田繁亭 金太は通称)の編。金太は「水野翁」(水野忠暁)の手もとにあった反古(斑入りなど奇品の資料)をもとに本書を作成しました。掲載されている写生図は、関根雲停ほか画。

展示資料は、全3冊。内務省旧蔵。

http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hatamotogokenin3/contents/41/index.html

 

 

《草木奇品家雅見》(読み)そうもくきひんかがみ

世界大百科事典内の《草木奇品家雅見》の言及

…安楽庵策伝の《百椿集》(1630)をはじめ,ツツジ,キク,サクラ,ボタン,ウメ,アサガオ,ハナショウブ,ナデシコなど花の専門書が出版され,さらにモミジ,カラタチバナ,オモト,マツバラン,セッコクなど葉を観賞の対象とした多数の品種を成立させた。それらは世界に類をみず,増田金太の《草木奇品家雅見(かがみ)》(1827)と水野忠暁の《草木錦葉集》(1829,13冊中6冊は未完)に集大成された。ヨーロッパで観葉植物が普及するのは20世紀に入ってからであるが,江戸園芸は積極的な交配による品種改良こそなかったが,変異性のある実生の選抜と枝変りの発見により,すでに多数の品種を成立させていたのである。…

 

永島(ながしま)