永島 (ながしま)

分類    大葉  系統
作出年代  不明
登録    昭和40年追認
作出者    不詳
命名者    不詳
登録者    日本萬年青連合会

徳川家康公が江戸城入場の折りに持って入ったとされる伝説のおもと。白く細く入った繊細な永島斑(白斑とも)に、濃紺の縞をみせる希少保存品種。葉幅3~4㎝、葉長20~30㎝の中型から大型種。斑の美しさと歴史、威厳ある美麗品。性質は普通。採光、肥料も普通、子上げで殖やし、繁殖は普通。

永島 (ながしま) 徳川家康公が、最初の江戸城入城の際、日本の平和を願って万年青を三鉢自らもって、自分の床の間に飾りました。その際に持ち込まれた伝説の万年青、永島。その伝説もさることながら、優美な姿、紺性のよさと、斑の美しさに目を奪われます。江戸時代に作られた瀬戸焼を復刻した鉢に植えて

江戸時代(1716~1736)の頃、江戸・四谷(現東京都新宿区)に住んでいた幕府御家人・永島次郎太郎墨林が世に紹介した「布引おもと」です。永島家から出たので後に「永島布引」「永縞」「永島おもと」とも書き現し、もてはやされました。
江戸時代には最高位のおもとの品種です。現在、最古の銘品おもとのひとつです。

『草木錦葉集』  (世界に誇る斑入植物図譜)

世界的にも珍しい斑入植物のみの植物図譜

江戸時代の園芸の盛んなころから様々な文献に載ってきます。文政十二年(一八二九)幕府旗本水野忠暁が見た萬年青。斑入品を中心に奇品約1千品を掲載しています。その中におもとの類二十三品、おもとふくりん並別布の類四品、おもと変り実の類三品、おもと上方にある品二十二品をあげ、三八品種のおもとを図説している。(大岡雲峯・関根雲停画)

おもと 永島(ながしま)

引越しにおもとを飾るという風習は徳川家康公にまつわる故事によるものといわれています。
慶長11年、徳川家康公が江戸城に移られる際に三河の国長沢村の長嶋長兵衛という人が、故事にならって、3鉢のおもとを「天福の霊草」として献上しました。家康公はこれをたいそう喜び、城に真っ先に持ち込んで愛玩し、その後江戸幕府が長きに渡り続いたことから、「建築・転居にはおもと」いう風習が、大名・旗本など武家をはじめ、全国の町民の間に伝わったということです。 そして、家康公が持ち込んだとされる伝説のおもとが「永島」です。持ち込んだおもとの培養を臣下の永島某に任せたので、おもとを「永島」と呼ぶようになった、「永島」というのは「ジャンル」のようなものであるなど諸説があります、古い文献から「永島」についていくつかの情報が得られます。おもとを愛した大名や幕臣は多く、文政10年(1827)年に江戸青山の種樹家が編集した『草木奇品家雅見』や、文政12年(1829)年に江戸四谷に住んだ幕臣水野忠暁が編集した『草木錦葉集』にその名を見ることができます。 豊明園歴史資料より