索引
基本情報
分類 大葉 系統
作出年代 不明
登録 昭和40年追認
作出者 不詳
命名者 不詳
登録者 日本萬年青連合会
徳川家康公が江戸城入場の折りに
持って入ったとされる伝説のおもと。白く細く入った繊細な永島斑(白斑とも)に、濃紺の縞をみせる希少保存品種。葉幅3~4㎝、葉長20~30㎝の中型から大型種。斑の美しさと歴史、威厳ある美麗品。性質は普通。採光、肥料も普通、子上げで殖やし、繁殖は普通。
永島 (ながしま) 徳川家康公が、最初の江戸城入城の際、日本の平和を願って万年青を三鉢自らもって、自分の床の間に飾りました。その際に持ち込まれた伝説の万年青、永島。その伝説もさることながら、優美な姿、紺性のよさと、斑の美しさに目を奪われます。江戸時代に作られた瀬戸焼を復刻した鉢に植えて
布引おもと
江戸時代には最高位のおもとの品種です。現在、最古の銘品おもとのひとつです。
『草木錦葉集』 (世界に誇る斑入植物図譜)
世界的にも珍しい斑入植物のみの植物図譜
江戸時代の園芸の盛んなころから様々な文献に載ってきます。文政十二年(一八二九)幕府旗本水野忠暁が見た萬年青。斑入品を中心に奇品約1千品を掲載しています。その中におもとの類二十三品、おもとふくりん並別布の類四品、おもと変り実の類三品、おもと上方にある品二十二品をあげ、三八品種のおもとを図説している。(大岡雲峯・関根雲停画)
おもと 永島(ながしま)
引越しにおもとを飾るという風習は徳川家康公にまつわる故事によるものといわれています。
慶長11年、徳川家康公が江戸城に移られる際に三河の国長沢村の長嶋長兵衛という人が、故事にならって、3鉢のおもとを「天福の霊草」として献上しました。家康公はこれをたいそう喜び、城に真っ先に持ち込んで愛玩し、その後江戸幕府が長きに渡り続いたことから、「建築・転居にはおもと」いう風習が、大名・旗本など武家をはじめ、全国の町民の間に伝わったということです。 そして、家康公が持ち込んだとされる伝説のおもとが「永島」です。持ち込んだおもとの培養を臣下の永島某に任せたので、おもとを「永島」と呼ぶようになった、「永島」というのは「ジャンル」のようなものであるなど諸説があります、古い文献から「永島」についていくつかの情報が得られます。おもとを愛した大名や幕臣は多く、文政10年(1827)年に江戸青山の種樹家が編集した『草木奇品家雅見』や、文政12年(1829)年に江戸四谷に住んだ幕臣水野忠暁が編集した『草木錦葉集』にその名を見ることができます。 豊明園歴史資料より
永島(ながしま)の花芽
5月18日 他の品種より花芽は白いです。蜜が出てきています。
永島の実
1月3日
非常に人気の江戸時代のおもと
おもとは鎌倉時代から
縁起ものとして使われています2017年3月22日
永島のふ
永島のふ 美しいです。江戸時代以前から楽しまれていたでしょう。
江戸時代の人々は今と同じように、心が豊かだったので、園芸を楽しむ人が大勢いました。偉い将軍様からお武家さまといった暇もお金もある人だけでなく、町人からおもとや園芸を楽しんでいたので、かなりの文化レベルだったことがわかります。
古鉢に植えた永島(ながしま)
NHK趣味の園芸 で放映された『永島』ながしま
大江戸花競べ 十二選 第7回
万年青(オモト)雅なる”葉芸”の競演 講師 水野豊隆 2019年10月27日 日曜 午前8時30分に放送
撮影場所 岡崎市 岡崎公園・豊明園