万年青の独特な世界観
索引
大きく作るおもと、小さく作るおもと
私たち、万年青の豊明園として、万年青の用土はどれでもよい、どれだって上手に作れる、と思っております。用土の特徴に合わせて、水やり、肥料をやれば上手に育ちます。
畑の土では肥料の効きもよく、万年青は大きく、立派に育ちます。葉の伸び、子の上がり方もよいでしょう。
逆に、砂利系統が多いと、水持ち、肥料持ちは悪いですが、小型でガチっとした万年青になります。万年青の芸を凝縮、濃縮して、緑の宝石や、緑の美術品と呼ばれる万年青をつくる、大木を鉢の上に表現する、盆栽にも似た、独特な万年青の世界観です。
これは、どちらがいい悪いではなく、それぞれの楽しみ方の話です。
万年青の世界では、このように、大きく作る、子をたくさんあげて株立ちに作る、という楽しみと、わざと肥料の効きが悪い用土で小さく作る、水切れに近くなるまで水やりを絞って、芸を出させる、独特なつくりをします。
どの世界でも、大きく作る、立派に作るという感覚は分かると思います。
ですが、この小さく作るというのは、かなり独特な日本の価値観です。これは、盆栽の、大木を一鉢の中に表現することや、生け花の最小限の要素で花を表現すること、茶の湯の無駄を一切排した黒の美学、山水画の空白の美、それらに通じる、日本の美学です。
※美術品をつくる万年青愛好家
万年青は、芋があって乾燥にも強く、また、ある程度乾燥して、根が空気が好きなので砂利で植えることがあります。よく乾いた方が、小型で締まった出来になり、独特な万年青の美意識の愛好家には好まれます。
なぜ砂利で植える?
私たち万年青の豊明園では、砂利単体で植えることは少ないですが、万年青の魅力を凝縮させる、そのためにわざわざ万年青が大きくならないように作りこんでいます。ここは盆栽の世界に通じるものがあります。
プラントハンター ロバートフォーチュン
江戸の園芸文化は、世界に誇るものでした。イギリス東インド会社の代表として世界中でハントをしていた、プラントハンターのロバートフォーチュンです。彼は、鎖国中の日本にきて、【日本人の国民性の著しい特色は、庶民でも生来の花好きであること。花を愛する国民性が、人間の文化レベルの高さを証明するものであるとすれば、日本の庶民はわが国の庶民と比べると、ずっと勝っているとみえる】と『幕末日本探訪記 江戸と北京』で述べています。イングリッシュガーデンの本場、イギリスのフォーチュンにここまで言わせるとは、江戸の園芸文化はとんでもないですね。
また、もっと前にシーボルトが万年青を持ち帰っています。
武士の精神修養
江戸時代も中ごろになると、武士の役割がだんだんと変化していきます。江戸の泰平の世では、戦で戦うことがなくなったからです。そのため、家でできる園芸という楽しみをする武士も多く、園芸文化が発展していきます。
例えば、いまから250年ほど前の熊本藩のお殿様、六代藩主・細川重賢公は、家臣(武士たち)の精神修養に園芸を奨励し、30種ほどの園芸をさせていました。今も肥後六花として現存しています。
日本全体が花や園芸を楽しむ文化だったのですが、園芸と武士が化学反応を起こすことで、万年青の中に、独特な美意識が生まれていきました。
奇品珍品 ビザールプランツ
Bizarre Plants 奇妙な、異様な、という意味のBizarre。万年青は江戸時代から、『草木奇品家雅見 そうもくきひんかがみ』にも紹介されるように、万年青は日本でも一番歴史の長いビザールプランツでしょう。
万年青の世界でも、奇品珍品を尊ぶ文化は古くからあります。珍しいもの、数のないもの、希少性ということでは、新品種や、今では数の少ない江戸の品種などは珍しい珍品ですね。
また、奇品、という変わった、奇妙な、異様なものでは逆鉾、裏芸のような普通の植物では考えられない変化をいうでしょうか。羅紗のように、育てていくうちに5~10年でどんどん変化するものも奇妙ですね。
万年青には、柄の美しさ、姿の美しさの他にも、奇品珍品といった価値観があり、そればかりを集める愛好家がいらっしゃいます。
恵比寿文化
七福神のうち、恵比寿天と福禄寿は障がい者だったというお話もあります。私は愛知県岡崎市の生まれですが、私の近くではこの話をする人はいませんでした。学生で関西にいたころ、恩師や先輩方に初めてお聞きした話ですが、恵比寿様の信仰の厚い関西や、海沿いの地域では多く残るお話だそうです。
えびす様
七福神中で唯一の日本の神様。いざなみ、いざなぎの二神の第三子といわれ、満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが、信仰のはじまりと伝えられている。左手に鯛をかかえ右手に釣竿を持った親しみ深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚い。
恵比寿様
日本でできた七福神という神様のグループはインドから日本の神様を7人にまとめたのですが、恵比寿様だけは日本の神様です。
国造りの神様であり、古事記に登場する伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)両神の最初の子どもは、3歳になっても自力で立てず、両親は「蛭子(ひるこ)」と名付け、葦船で川に流し、いわゆる捨ててしまった。しかし、その子は死なず、兵庫県西宮に流れ着き、古くから漁業の神様として、そして商売の神様として現在に伝えられています。
えびす神社は全国に点在し、夷神社、戎神社、胡神社、蛭子神社、恵比須神社、恵比寿神社、恵美須神社、恵毘須神社など、様々に漢字が当てられています。
特に、「えびす」を「戎」や「夷」と書くことは、中央政府が地方の民や東国の者を「えみし」や「えびす」と呼んで、「戎」や「夷」と書いたのと同様で、異邦の者を意味し、外から良いものが運ばれてくるという信仰。
エビス様は、寄り神、漂着神ともよばれ、海(外界)からよいものが運ばれてくるという信仰。
様々な信仰と結びついて、日本の生活に溶け込んでいますが、日本には、蛭子(ひるこ)と名付けられた障がいをもった子こそ、福の神であるという考えがあり、万年青の奇形を大切に育てる文化と近いものがあるかもしれません。
ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、和田神社(神戸市)、西宮神社(兵庫県西宮市)などで祀られている
福禄寿
福禄寿は頭が長い神様でおなじみです。これは、頭に水がたまり巨大になった障がい者で、今でいう頭水腫でしょうか。