池坊 いけのぼう 室町時代資料におもと

2017年7月28日京都 池坊さんへ おもとと生け花の歴史について
お話を聞きに行ってきました!

聖徳太子が創建したと伝えられる六角堂(頂法寺)は、池坊が代々住職を務め、「いけばな発祥の地」と呼ばれています。
聖徳太子による創建

いけばな発祥の地とされる六角堂の正式名称は、紫雲山頂法寺です。用明天皇2年(587)、四天王寺建立のための用材を求めてこの地を訪れた聖徳太子が、霊夢によって六角形の御堂を建て、自らの護持仏である如意輪観音像を安置したと伝えられています。
池坊の名の由来

六角堂(本堂)の北側は、聖徳太子が沐浴した池の跡と伝えられるところで、その池のほとりにあった僧侶の住坊が「池坊」と呼ばれるようになりました。太子に仕えていた小野妹子が出家してここに入ったといわれています。
頂法寺本堂(六角堂)

いけばな池坊HPより

写真撮影は出来ないので写真がないのが残念ですが、池坊 いけばなの開祖といわれる池坊 専応口伝 という書物におもと とひらがなでのっていました。室町時代です

おもとが花材として特に下にいけるものとして紹介されていました

こちらも写真禁止なので ないですが、池坊専好立花作品集重要文化財に寛永11年2月14日の立花の作品にもおもとが前置きとして使われています

国の重要文化財でもあり、池坊さんがもっている家元の立花の作品集にもおもとが前置きとして使われています

角堂住職は華道家元

室町時代、六角堂の執行(しぎょう)として寺の実務を担っていた池坊は、専慶・専応らがいけばな成立期において大きな活躍を見せ、華道家元の地位を確立していきました。執行は現在の住職にあたり、家元とともに代々池坊が務めています。

おもと
徳川家康公が江戸城入城のさい、
万年の繁栄を願って
三鉢のおもとを抱えて入城した
という故事が有名

おもとは万年青と書き、
常緑で万年、栄えていくことから
600年前の室町時代から縁起物として喜ばれてきた
一説には1500年前からとも、
2000年前からともいわれています

おもとの豊明園
家康公とおもとのふるさと 岡崎

おもとについて

万年青の生け花

おもと彫刻 一覧