万葉集におもと!? ももよ草(百代草)とは?

父母が殿の後方のももよ草
百代いでませ我が来るまで

西暦755年の万葉集に万年青が登場?

奈良時代の日本最古の和歌集『万葉集』におさめられた歌

万葉集20巻 第4326首目

[原文]父母我 等能々志利弊乃 母々余具佐 母々与伊弖麻勢 和我伎多流麻弖

[訓読]父母が殿の後方のももよ草百代いでませ我が来るまで

[仮名]ちちははが とののしりへの ももよぐさ ももよいでませ わがきたるまで

天平勝宝7年2月6日 年紀 作者:生玉部足國 防人歌 西暦755

 

 

 現代語訳は

『お父さんお母さん、屋敷の後ろに生えたももよ草のように、百代(百歳)まで長生きしてください。私が防人の役から戻るまで』となります。今回、この「ももよ草」が万年青ではないか、と思い皆さんのご意見を頂けましたら幸いです。

 学者さんの中には、ももよ草(百代草)は菊やヨモギ、ツユクサだといわれる方もいらっしゃるようですが、「万年青」という漢字を書くオモトにこそ、百代草はふさわしいでしょう。常緑で寒い冬にも葉を青々と茂らせるオモトは古くから家が代々続くように引越しおもと、お祝いおもととして使われ、薬草、漢方であることから家の常備薬として植えられています。

『殿の後方の』も非常に面白いです。古くから南側を家の表として、北側を後方としていましたが、万年青が植わっている屋敷では北側、特に鬼門の方角・北東に万年青が植わっています。全国各地でそういった風習が残ることから、『殿の後方の』も万年青を支持する句となります。実際、半日陰の植物である万年青は、朝日は当たり、夏の強い日射しは避けられる屋敷の北側は理にかなっています。

『ももよ草百代いでませ』万年青は室町時代から生け花の世界では毎年の葉がでているところを家が代々続くことに掛けて、正月、結婚式に万年青を活けます。一番古くはわかりませんが、江戸時代には万年青は老母草と書いてオモトと読む地域もあり、母が子を包み守るように、古い葉が新葉や実を守っている万年青のことを伝えています。老母草という名も、父母や百代という句を連想させ、ますます百代草が万年青で間違いないのではないかと考えました。

万葉集には約4500首の歌が数えられ、その約三分の一が何らかの植物を詠み、植物に想いを託しています。150種を超える植物が登場しますが、日本に自生する万年青がなぜないのかと調べていくうちに、この歌を見つけました。父母の無事を想い防人として遠方で務めを果たす作者の優しい気持ちを万年青に託した素晴らしい歌に感動しました。これが万年青の歌であるなら、日本における最古の万年青の記録となり、当時の日本人がどのように万年青を扱ってきたのか、どのようなことを連想させる植物だったのか、興味が尽きない歌です。

奈良時代の日本最古の和歌集『万葉集』
「父母が 殿の後方(しりへ)の 百代草(ももよぐさ) 百代いでませ わが来たるまで」
現代語訳「お父さん、お母さん、屋敷の後ろに生えた百代草のように、百代まで長生きしてください。私が帰るまで」
この百代草は菊だという学者さんもいるようですが、万年青のような気がしませんか??屋敷の後ろに生えているところは日本各地の武家屋敷やお城のおもとが植わっている位置とも一致しますし、百代草の百代は万年青の万年ともかかり、常緑の万年青を指している、少なくとも常緑植物でしょう。菊も半常緑、寒さに強いです。
参照
追記 原文は「母母余具佐」。
「もも」→「百」、「よ」→「代」・「夜」、
「花びらの多い草」もしくは「寿命の長い草」を意味していると思われますが、具体的に何を指しているのかは明らかではありません。
これは万年青の室町~江戸時代の呼び名 老母草(おもと)に繋がる気が、、

万年青(おもと)の別名は?

天平勝宝7年2月6日

 旧暦なので、この2月は、今の2月下旬から4月上旬でしょうか。寒さの厳しい冬の2月に特に赤くなる万年青の赤い実や、そんな寒さの時期、他の植物が絶えたときに常緑の青さをみせる万年青。ますます万年青かと思います。

出雲の青木さまより

このブログを見て、様々に調べていただきました。感謝感激です。
多くの方に検証、支持、反対の証拠などしていただきながら、みんなで万年青について深く知りたいと思っております。
以下より
『ブログで百代草の記事読ませていただきました。
春先の和歌からするとキク、ヨモギ、ツユクサは夏から秋のイメージなので当てはまらない感じですね。冬場は枯れるだろうし。
キク→万葉集には菊を詠んだ歌ない、飛鳥~奈良時代に菊がなかった、古今和歌集から詠まれる
ヨモギ→百人一首にはサシモ草
ツユクサ→万葉集など和歌集では月草の表記
(Wikipedia調べ)
キク、ヨモギ、ツユクサは和歌からすると百代草には当てはまらないように思えますね。
全く答えになっておらず失礼しました。』
以上です。

万年青の最古の記録

 万年青の最古の記録は、中国の本草書『神農本草経』(成立時期は諸説あり、4000年前~1500年前と伝わります)に薬として登場します。日本でも1000年前の『康頼本草』という薬草書に万年青が登場します。九州地方にいくつか残る伝承では、初代天皇が右手に万年青を持ち、大和を目指し、天下統一を目指したと伝わります。

参考

国会図書館 

神農本草経

万葉集/第二十巻

万葉集略解

大辞林