松谷千代田 (まつたにちよだ) Matutanitiyoda

分類   実親系統 千代田斑
作出年代 年
登録   昭和年
作出者  松谷正太郎 (東京都)
命名者
登録者  日本萬年青実生研究会

松谷千代田(まつたにちよだ) 10年生 鉢8.0号
実親 交配を行う事の目的に使う又観賞用にも。

安政4年に生えた『根岸の松』が母体となった『松谷千代田』という実親から明治末期には『千代田の松』が生まれています。松谷氏が根岸の松を交配して作出した実親

濃緑色の厚い葉に二面竜・雅糸竜・甲竜を現す。
実付き特に良く、種子を蒔くと千代田斑の実生が生える。千代田系の銘品が多く作出されます。おもに共交配が多い。10%前後の確立性質は強健で作りやすい品種です。

 

実親・松谷千代田は、明治時代に東京浅草蔵前のおもと趣味家、上総屋・前田源太郎が華族・松平某夫人愛倍の根岸松の青葉の割子を譲り受け、培養を重ね改良を加え、そのうち青葉であるが竜のあるものを一本得、これを実親として大切に育てた。それには、もちろん根岸斑のあるなにかが生えるという思惑があったことであろうが、のちに故あってやむを得ず他に譲渡してしまった。

松谷正太郎はこのことをたいへん残念に思い、一つにはおもとの師である前田源太郎のために、また一つには彼自身のためにも惜しみなく大金を投じ、これを引き取った。
その後、肥培し結実させては種子を採り、播種を続けるうちに、明治39年になって実生逸品を得た。この実生を「千代田の松」と名づけ誇りとした。しかし、これは一本も繁殖することなく惜しくも枯死してしまった。そして、大正元年に新たに生えた実生に、再び千代田の松と名づけた。

大正7年、初めて千代田の松の芋吹きを得、その年これを愛知県の高須七郎に金壱萬円で譲渡した。いかに大正成金が輩出したときとはいえ、かたや米価の騰貴による米騒動が全国を席巻していたときのことであるから、世人が驚いたのも当然のことである。

千代田の松を生んだ実親からその後、生まれたものに宝田の松、祝田の松、日出の松、御賜の松、があり他に瑞穂の松、三光の松、千歳の松などいく種かの逸品が生えている。絶えてしまった実生もあったようであるが、年々生える実生で残しておいたものは、千代田の松が生えた時の姿を基本として、これに劣るようなものは惜しげもなく切り捨てたというから、その数は非常に少ない。それでこそ一連の千代田斑系のおもとに王者の風格が保たれたのである。