『質問本草』に「萬年青(ヲモト)」


1.『質問本草』とは何か
基本書誌
正式な刊本の構成は次のとおりです。
- 書名:『質問本草』
- 刊本上の著者表示:中山呉子善
- 一般的な著者表記:呉継志
- 実際の編選主体:薩摩藩薬園署
- 構成:内篇4巻・外篇4巻・附録1巻、計9巻
- 収録植物:160種
- 内篇41種
- 外篇97種
- 附録22種
- 天保刊本:5冊、約26~28センチ、和装、木版本
- 刊行:天保8年(1837)
- 版元表示:「薩摩府學藏版」
- 発売書肆:和泉屋吉兵衛・山城屋佐兵衛・須原屋茂兵衛など
天保刊本の見返しには、
天保八年丁酉新鐫
中山呉子善著
質問本草
薩摩府學藏版
とあります。京都大学所蔵本の書誌と全冊画像、東京大学所蔵本の書誌
「中山」は琉球王国を指します。
成立の背景
この本は、単に琉球人が著した本草書ではありません。薩摩藩主島津重豪が進めた薬園・物産調査・対外知識収集政策の産物です。
大まかな流れは次のとおりです。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 安永8年(1779) | 薩摩藩が吉野薬園を開設 |
| 安永9年(1780) | 島津重豪が薬園関係者に植物調査・編纂を命じたとされる |
| 天明元年(1781) | 中国人への植物質問が始まる。「屋周・萬年青」の質問もこの年 |
| 天明4年(1784) | 琉球人が大型彩色植物図約50図と標本を中国へ運び、福州・北京方面で鑑定を求める |
| 天明5年(1785) | 「薩摩薬園署編選」と記された外篇の稿本段階が成立 |
| 天明6年(1786)頃まで | 質問帖の作成・回答収集が継続したとする研究がある |
| 寛政元年(1789) | 天保刊本に継承される「例言」の年紀 |
| 天保8年(1837) | 薩摩府学蔵版として正式刊行 |
高津孝氏の研究では、天明元年から6年までの干支を冠した質問帖が作られ、琉球の進貢・留学ルートを利用して福建・北京の医師、本草家、薬商などに鑑定を求めたとされます。天明4年には紅之誠・金文和が、吉野薬園で作成した大型彩色図と標本を北京の同仁堂方面へ運んだと報告されています。中央研究院による高津孝講演要旨
一方で、長崎や薩摩に来航・漂着した清国人に、実物を直接見せて尋ねた例もあります。「屋周・萬年青」がその一例です。
「呉継志」は実在の著者なのか
従来は、
- 琉球人の呉継志が著した
- 琉球の御典医・島袋憲紀ではないか
- 架空の人物ではないか
という説が並立していました。
しかし玉里文庫系の稿本には、「中山人として空しく人名を擬した」、つまり琉球人らしい架空名を作ったという趣旨の記述があります。
その命名理由も、
- 琉球には呉姓が多いので「呉」
- 先代の志をよく継ぐので「継志」
- 字を「子善」
としたものです。
2025年刊の王錦秀・韋蒙・張伝領『質問本草新釈・本草質問新釈』は、玉里文庫本・南葵文庫本・北海道大学本などを比較し、編選者は薩摩藩薬園署で、「中山呉子善・呉継志」は対清質問のための仮託名だったと結論しています。新研究の概要、新研究書の書誌
したがって現在、最も安全な書誌表記は、
薩摩薬園署編選
刊本署名「中山呉子善〔呉継志〕」
です。
単純に「琉球人呉継志著」と断定するのは避けるべきです。
何のために作られたのか
基本的な調査方法は、
- 名称不明・同定不確実な植物を集める
- 生態、季節、形状を観察する
- 彩色写生図を作る
- 場合によっては標本・苗・薬材を添える
- 中国人の医師、本草家、薬商、儒者などに提示する
- 漢名・別名・薬効・利用法を回答してもらう
- 回答者名と回答時期を記録する
というものです。
近代植物学の学名を尋ねたのではなく、「中国本草のどの薬物に当たるか」「中国で何と呼ばれているか」「どのような利用法があるか」を質問した本です。
したがって『質問本草』は、
薩摩藩による国際的な植物同定・本草照合作業の成果
と位置づけるのが適切です。
写本から刊本への流れ
代表的な現存資料は次のとおりです。
鹿児島大学玉里文庫本
- 請求記号:TZ0553
- 内篇4巻・外篇4巻、8巻8冊
- 写本
- 内篇には乾隆49年(1784)「貞蔚編」
- 外篇には天明5年(1785)「薩摩薬園署編選」
- 旧島津久光・玉里島津家蔵書
この本は18世紀の編纂内容を伝える重要写本ですが、現存冊子そのものを直ちに「1785年の自筆原稿」と断定することはできません。
東京大学南葵文庫本
- 請求記号:A00:4599
- 外篇4巻
- 後付題簽「質問本草外編底稿」
- 坂本浩雪自筆
- 彩色図中心
- 例言末「天明五年乙巳仲秋 薩摩藥園署編選」
- 旧南葵文庫蔵
これも天明5年の本文系統を伝える彩色写本ですが、東京大学の書誌では江戸後期の坂本浩雪による自筆写本とされています。したがって「重豪時代の原本そのもの」というより、「天明系底稿を伝える後代写本」とするのが慎重です。
天保8年刊本
京都大学、鹿児島大学、東京大学、茨城大学、琉球大学・ハワイ大学阪巻宝玲文庫などに現存します。
鹿児島大学本には、
- 天保5年(1834)前田利保序
- 天保6年(1835)藤原高猷序
- 天保7年(1836)設楽貞丈跋
- 天保8年(1837)侍医による跋
などが加えられています。鹿児島大学天保刊本
末尾の跋では、当時まだ藩主ではなく世子だった島津斉彬が、曾祖父・島津重豪の遺志を継いで刊行を実現したという趣旨が述べられています。
『本草質問』との違い
題名を逆にした『本草質問』という彩色植物図譜もありますが、『質問本草』とは別資料です。
- もとは全5冊
- 現存3冊
- 彩色図256点
- 沖縄県立図書館蔵
- 戦後アメリカ人N・スタンリー・ベネッツの所蔵となった
- 1990年代に沖縄県立図書館へ返還された
従来は『質問本草』の最初期稿本と考えられていましたが、2025年の新研究では、両者は密接に関係するものの単純な原稿・完成本関係ではないとされています。『本草質問』を含む最新研究概要
2.『質問本草』の萬年青記事
所在
- 外篇巻之三
- 丁付:三ノ十一~三ノ十二
- 天保刊本では京都大学画像166~167
- 玉里文庫写本では第7冊画像14~15
見出しは、
屋周 萬年青(ヲモト)
です。
本文の中心は、
辛丑之冬、清舶漂到。指此種問之。
答 屋周 鄭茂慶
すなわち、
天明元年(1781)の冬、清国船が漂着した際、この植物を示して名を尋ねた。鄭茂慶は「屋周」と答えた。
という記録です。
図には幅広い根生葉、肥厚した根茎・細根、株元の赤い果実が描かれており、現在の分類でいうオモト、Rohdea japonica (Thunb.) Roth と判断できます。同学名は現在もキュー植物園のデータベースで受容名です。Kew Plants of the World Online

「藜蘆」とは明確に別物
同じ『質問本草』内篇巻之三には、別項として、
藜蘆
シュロサウ
ニツクワウラン
が載ります。
こちらは皺のある細長い葉と、高く伸びた花茎・分枝した花序をもつシュロソウ属、Veratrum系植物です。
したがって『質問本草』では、
- 萬年青=ヲモト
- 藜蘆=シュロソウ/ニッコウラン系
が明確に描き分けられています。
「屋周」は、『質問本草』において、清国人がオモトを指して答えた名称です。ただし、一般的な中国名だったとはまだ確認できません。
『質問本草』の記述
天明元年(1781)冬、漂着した清国船の人物・鄭茂慶に、実物のオモトを示して尋ねています。
問 辛丑之冬、清舶漂到、此種ヲ指シテ之ヲ問フ
答 屋周 鄭茂慶
つまり、
「この植物を中国では何と呼ぶか」
「屋周」
という問答です。鹿児島大学玉里文庫・原本画像
見出しも、
屋周 萬年青(ヲモト)
となっているため、編纂者は「屋周」を、中国側から得たオモトの名称として採録しています。
「屋周」は普通の中国名だったのか
ここが重要です。
中国では『花鏡』や『本草綱目拾遺』などに、すでに「萬年青」という名称がありました。ところが、現在確認できる古い資料では、「屋周」はほぼ『質問本草』にしか現れません。
現代中国の中薬辞典類には、
屋周(《質問本草》)
と、オモトの別名として掲載されています。中国側「萬年青根」項目
つまり現代中国の辞典も、別の中国古典ではなく、日本・薩摩で編まれた『質問本草』を出典にしているのです。清国人の回答が薩摩で記録され、後世の中国辞典へ戻った――史料が海を渡って一周したような形です。
「屋の周り」という意味か
漢字だけなら、
- 屋=家・建物
- 周=周囲・まわり
なので、「家の周り」という意味にも読めます。中国でも萬年青は庭や家の周辺に植えられたため、いかにもそれらしい語です。
しかし、『質問本草』には語源説明がありません。したがって現段階では、
- 地方の俗称
- 鄭茂慶個人の呼び方
- 方言の音を漢字で写したもの
- 「屋の周囲に植える植物」という説明を、名称として記録した可能性
のいずれかで、確定できません。
結論としては、
「屋周」とは、1781年に清国人・鄭茂慶がオモトを示されて答えた中国側名称。ただし、中国で広く使われた標準名ではなく、地方俗称または問答上の特殊な記録である可能性が高い。
とするのが最も正確です。これは「萬年青」「藜蘆」「オモト」に続く、かなり面白い第四の名前です。
大本,内篇4巻4冊は乾隆49年貞蔚編,外篇4巻4冊は天明5年薩摩薬園編選,琉球の珍らしい草木数百種を写生して,内外の諸家に質問し,その形状や時季等を記す,末尾に曽槃が「世子麟洲君紹曽祖考之遺志」と述べ,琉球学士呉継志の著を斉彬が刊行し,重豪の遺志を実現したとしている→刊本については562番参照,旧目録ではこの項2条に分つ
