第三回萬年青美術懸賞大會  大正12年

第三回萬年青美術懸賞大會」のポスター

三河おもと同好会  大正十二年三月十八日 (1923年)

淳治郎(豊明園初代)が第三回「萬年青美術懸賞大會」を岡崎市和田の浄珠院で開催しました。

淳治郎が「玉獅子」と「玉獅子の虎」の人気推進五カ年計画の三年目を迎え、併せて、たくさんの「見た目にキレイなオモト」、「時代の好みに合ったオモト」を推奨した豪華なポスターを作りました。

 

大正十二年、玉獅子および玉獅子の虎推進五カ年計画の三年目を迎え、その第三回萬年青美術懸賞大会を、三月十八日に、前年たいへんな評判となった岡崎駅北方の浄珠院の同じ会場で開催しました。
懸賞品目は前回とやや異なり、玉獅子および玉獅子の虎はともかくとして、群雀虎、初菊、美鳳、帽子の図、孔雀甲龍の図、地球宝、世界の図、金龍、鳳、栄冠、縞甲龍、大群雀、日月星、明冠、龍頭、錦龍、瑞鳳、三合丸、とし、ほかに水野らが拝斥していたいわゆる羅紗無地物の春鶴、泰平、羅紗甲龍、金光冠、春駒、折鶴、千龍冠、大正龍、明祥冠、麟鳳、瑞祥も取り上げて巾の広いところを見せています。
また、現在でも名品であります天錦章、根岸の松、錦麒麟、麟王覆輪もふくまれています。

この年、大正十二年九月一日午前十一時五十八分、突如、関東地方を襲った大地震の惨状はよく知られるところですが、このために蒙った関東地方のオモト愛好家や三光園など多くの業者の損失は計り難く、たいへんな痛手を負いました。
豊明園では、この地震による直接の被害はなかったのですが、天候の不順と施肥の誤りから栽培に大きな失敗を招いて意気が消沈し、結局、翌大正十三年はだれもがなんらの活動もできないままに過ぎ去ってしまいました。

孔雀が羽根を広げ豪華な色彩で描かれています。

絵デザイン 石川英鳳

上のポスターの下の部分、萬年青の名前が福巾着の中に書かれています。左側に発起人水野淳治郎(豊明園初代)と書かれています。

文  オモト研究家 芦田 潔

萬年青の歴史本より