万年青の自生地
索引
書籍上の自生地
万年青は日本、中国、朝鮮半島、台湾に自生しています。
地域差も大きく、いくつかの種として区別され、葉の形、花の形などの変異が大きいです。
自生地は万年青の限界地でもある
自生できるという場所では、その温度、気候に耐えられる、競合にも耐えられる場所があるということです。暑すぎる場所、寒すぎる場所(北海道以北)など、自分の限界を超える場所では死滅してしまいます。
今までは、万年青の自生地は西日本から、北は福島県、もしくは宮城県といわれていました。福島以北の方では、万年青の露地栽培は少なく、温室やムロを作って、そこで育てています。
万年青の南端は沖縄といわれていますが、私はまだ沖縄の自生している万年青は見たことがありません。もし情報ある方、是非ご連絡下さい。薩摩万年青、大葉万年青の本場である鹿児島では広く万年青は楽しまれています。南の鹿児島から北の福島までは高地を除いて万年青は自生しています。
沖縄、石垣島の於茂登岳(おもとだけ)は、沖縄県石垣市にある標高525.5メートルの山である。地元ではウムトゥダギと呼ぶ。『球陽』では宇本嶽、宇茂登嶽と記されている。於茂登岳は沖縄県の最高峰で、正保年間の『正保国絵図』に名前が記された琉球で唯一の山である。 古くから霊山として信仰の中心的存在であり、山名の「ウムトゥ」は「島の大本」を意味するともいう。
大分県北部、国東半島付け根に立つ御許山 おもとやま(標高647m)山麓に鎮座する。本殿は小高い丘陵の小椋山(亀山)山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とからなり、その周りに社殿が広がっている。境内は国の史跡に指定され、本殿3棟は国宝に指定されている。宇佐神宮(うさじんぐう)
↓アメリカ ロングウッドガーデンズの万年青
私がアメリカでガーデナーの研修をしていたときは、-30℃に極々まれになる場所でしたが、そこに万年青の群落がありました。ちょうど私が行ったときに-25℃以下になり、ひどい寒さだったのですが、常緑の木の下で元気に濃い青を見せてくれました。
このことから、日本の万年青の自生地はもっと北ではないかと考えています。東北地方は江戸時代も交易などで栄え、園芸をする文化レベルの高い人も多くいました。-30℃まで耐えられる万年青なら、東北地方でも山の中には自生していてもおかしくないと思っています。
イギリス エディンバラ大学の標本室
世界の標本が集まっている素晴らしい標本室です。エディンバラは京都と同じ1000年の歴史のある伝統の街で、イギリスでは2番目に大きな標本室があります。
私がイギリスでガーデナーとして研修していた時に、推薦状をもらって一日標本室で万年青の標本を探しました。
そこでは、日本の標本だけでなく、中国、タイなどから万年青と万年青に似たRohdea属(万年青の学名はRohdea japonica)の標本がたくさんありました。
Rohdea sinensis
これはもともと、Rohdea japonica(japonicaは日本原産を現す)と同定されていたのが、Rohdea sinensis(中国原産)となった。同じ万年青でも、日本と中国で個体差がでてきたので、学名が変わった。日本の自生地の中でも多種多様な種内の変異がある。
種内変異:人の中にいろんな肌の人がいたり、顔や体つきが違っているがすべて人。同じホモサピエンス(Homo sapiens)
種間変異:同じホモというヒト属だが、種はちがう。ネアンデルタール人など。Homo. neanderthalensis
私の歩いたおもと 自生地
淡路島の万年青の自生地
淡路島 おもとの自生
やはり神々しい姿
寺社仏閣の境内におもとがよく植わっていますが
熱田神宮 久能山東照宮など
それはおもとの浄化する力を借りたいと思ったからでしょうか
南淡路の山の自生地 おもと
徳川家康が平和な世の中が
永く続くよう願って
江戸城入城の際
一番最初におもと三鉢を抱えて
入城したという故事にもあるように
おもとは開運、魔除けの縁起物です
南淡路の山にて
山を登ってちょうど休んだときに
おもとがありました!
淡路島 諭鶴羽神社 原種のおもと
皆様、是非、万年青の自生地を見つけたらお教えください。
万年青の自生地の写真 だいたいの場所をお教えいただけるとありがたいです。
自生地か、そうでないか
実は、今言われている自生地というのは、本当の自生地かどうかは『わからない』といった方が正しいでしょう。
万年青は、引越しおもととして古くから日本の文化として取り入れられたので、多くの人が山に入り、万年青を取りにいったので、里山に万年青は下りてきています。里山の万年青を鳥が食べ、また山に運ばれて万年青は広がっていきます。
人が引越し、嫁入り、婿入りなどで移動するときに万年青も引越し万年青として移動します。そこで、また鳥が食べて万年青が広がるので、万年青の分布は、ただ鳥が広げた分布とは別に、人が動いた分布にも、万年青は広がっていきました。人の手が入っているので、本当の自生地というのは特定しにくくなっています。
実生家の万年青の実を運ぶ鳥
万年青趣味者の多い里山の近くでは、山の中では99.9%あるはずがない、縞の万年青が見つかることがあります。愛知県の万年青の新品種作出が盛んだったころ、山に入ると縞の万年青もよく見つかりました。それは、里山の実生の実を鳥が食べ、山でフンをしたので縞の万年青が生えたといわれています。ただの青い万年青では、実をまいても青ですが、縞柄など珍しい柄物ですと、実から同じような綺麗な柄が出てきます。
修験道 英彦山神宮の正面の万年青
修験道(山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教である。修験宗ともいう。修験道の実践者を修験者または山伏という。 1000-1500年前からある wikiより)
の世界で、特に信仰の厚い九州の英彦山神宮では、正面に万年青の精緻な彫刻が彫られていて、特に大切にされたこと、教義の大本に関わっていることを物語っています。
薬草としての万年青 江戸時代の万年青を採取した記録
万年青は、もっと古くには薬草だったので、多くの薬草園、薬草売り、修験者などが山に入り、万年青を採取して里へ持ち帰りました。一説には、まず薬として広く広まり、その後、常備薬として引越し万年青という風習になって残ったといわれています。
幕府の密命を受けた万年青探検隊
万年青を大切にしたのは、民間だけではありません。徳川吉宗将軍の忍者とも言われる人が作った山にある薬草を調べた地図が残っており、幕府として、薬草として有用な万年青が様々な山をくまなく探索し、万年青を探していたことを示す資料です。薬草のおもと 徳川吉宗将軍の忍者の薬草地図
尾張藩の薬草園 万年青が植えられている
万年青の乱獲!?
江戸時代から現代まで、何度も万年青ブームはありました。一番大きなものは江戸時代の万年青ブームで、現代の価値で一芽一億とも言われる価値が付いたといわれています。
そういったブームが起こると、人のサガなのか、山の万年青の乱獲があります。特に、江戸時代は多くの万年青が山取りのものが多かったので、乱獲されました。そういったことから、万年青の自生地はたびたび人によって荒らされています。現代では400年の万年青の品種改良の歴史から、山取りの万年青が高く評価されることがまずないので現代は乱獲はありませんが、このように、ブームや、薬草といったことで山の万年青は自生地が荒らされています。
鹿害と万年青
現代は、鹿が増えすぎて里の畑を荒らす、といった鹿害が問題になっていますが、実は万年青はこの鹿害に強いです。万年青は薬草なので、実は毒でもあります。鹿が殖え、何でも食べるようになっても万年青は食べられないので残ります。私が歩いた自生地ではほとんど万年青以外はすべて鹿に食べつくされていました。
●動画解説 【万年青の自生地】日本、中国、朝鮮半島、台湾。日本では、福島以南。実生家、引越し万年青、薬草、万年青ブーム
【万年青の豊明園】【Where is the natural origin of OMOTO】