おもと  着物

横山大観のおもとの着物
南天に万年青
第65回日本おもと名品展 東京大会
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南天に万年青 横山大観
財団法人 横山大観記念館より
昭和初期に大観夫人のために仕立てられたもので、
横山大観自身がデザインした
東京大会の入口にて展示して頂きました
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南天に万年青 横山大観
財団法人 横山大観記念館より
着物の裏地に万年青を描いたところに江戸の粋を感じます
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 南天に万年青 横山大観

財団法人 横山大観記念館より
このデザインの原画も現存している
万年青が昔から縁起物として
大切にされてきたことがわかります
この着物はとても有名だそうで、
私も東京上野の博物館(東京国立博物館)で
横山大観展をみたとき、数々の代表作にと一緒に
この着物が飾ってあり感動しました
 
横山大観 wiki
横山 大観(よこやま たいかん、正字体:大觀、1868年11月2日明治元年9月18日) – 1958年昭和33年)2月26日)は、日本美術家日本画家常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市)出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術院会員。第1回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章追贈された。茨城県名誉県民東京都台東区名誉区民。本名、横山 秀麿(よこやま ひでまろ)。
1868年(明治元年)、水戸藩士・酒井捨彦の長男として生まれる。府立一中、および私立の東京英語学校の学齢時代から絵画に興味を抱き、洋画家・渡辺文三郎に鉛筆画を学ぶ。1888年(明治21年)、母方の縁戚である横山家の養子となる。東京美術学校を受験することに決めると、急遽結城正明、狩野芳崖などに教えを受ける(その期間は2、3か月程度だったと言われる)。また、受験の際は受験者数300人中、 200人が鉛筆画での受験をし、しかも彼らは有名な師に何年も教わってきたと聞くや、試験の直前に鉛筆画から毛筆画への試験の変更を申請、見事に東京美術学校へと合格した。1889年(明治22年)、東京美術学校に第1期生として入学。岡倉天心橋本雅邦らに学ぶ。同期生には菱田春草下村観山西郷孤月などがいる。
戦後の1951年(昭和26年)に日本美術院会員を辞任、同年に文化功労者となった。大観は1958年(昭和33年)2月26日、東京都台東区にある自宅にて89歳で永眠した。大観の永年に渡る日本美術発展への貢献により正三位に叙せられ、勲一等旭日大綬章を贈られた。なお、は現在もアルコール漬けにされた状態で東京大学医学部に保管されている。