萬年青の歴史より 江戸、明治のおもとの名前
おもとの名前はどれも縁起のよい名前が多いですが、江戸、明治の頃の名前は特に特徴を捉えたものが多く、残雪(大きな葉に図がのるのを残雪に見立てた)や、福包(福を包み込むような丸い葉)、水菜虎(水菜のような葉に虎が現れる)など、名前を見ただけでワクワクしてきます。100年、200年と時がたつにつれ、万年青の中でも流行があり、多くの江戸おもと、明治おもとは絶種となっていますが、名前をみてどんなものかを想像しています。
この楊貴妃は、豊明園にて昭和55年作出、平成27年登録の新しい木ですが、明治14年の名鑑にも名前があります。現在の楊貴妃とは全く関係はなく、このときの楊貴妃はすでに絶種になっているので、名前としては2代目になります。いい名前はたとえ品種が絶えようとも、何度も使われていきます。
萬年青の歴史より
おもとの歴史
萬年青の歴史より 豊明園
明治天皇が皇后のために、京都大辻草生堂からお買い上げになったと伝えられるオモト『春駒』の絵
和歌「いさましく栄ゆくすがたとりどりにひとやめつらん千代の春駒」と書は 従三位伯爵冷泉為記による 明治29年
「菊花唐草文染付鉢」
径 8.0㎝ 草生堂 大辻久一郎氏の特別注文品
草生堂 大辻久一郎
大正8年12月20日 草生堂大辻久一郎氏が、大茶人鈍翁益田孝氏の英断で、秋田佐竹家に代々伝わった鎌倉期の作になる「歌仙図」として最古の『三十六歌仙絵巻』を、当時の経済界の錚々たる人たち第一級の数奇者三十七人に分割譲渡されたとき、その中の一人に加えられました。
「五彩八重菊文白鍔鉢」 萬年青の歴史より 豊明園
径 10.5㎝ 江戸時代後期 享保(1716~1736)のころ
幕臣永島次郎太郎墨林(すみもと)は、尾張瀬戸(愛知県)の陶工に初めて「盆」(ほとぎ)という「鉢」を作らせこれを「縁付」と唱えて、さらに「白鍔鉢」とか「黒鍔鉢」と呼ばれる植木鉢を作らせました。
数奇者が集まって「連」や「社」「組」といった愛好家の団体ができたのもこのころからで、永島次郎太郎墨林が主宰する「永島連」は最も有名となりました。
「孔雀丸文黒鍔鉢」
径 10.0㎝ 江戸時代後期 萬年青の歴史より 豊明園
永島次郎太郎墨林(すみもと)を園芸の先生として、色々な斑入りや矮性種の植物を好んだ、大名家をはじめ武家、豪商、文化人など裕福な人たちが集まって「永島連」という組織が出来、そこに集まった人たちを「連中」といいました。ちなみにオモトに「永島」という品種があって、その変化種を好んだのも、このグループが始まりです。
ハサミ跡(窯きず)があります
豊明園