古於茂と那よせ

 

『古於茂と那よせ』    萬年青の歴史P9・10に掲載
天保3年(1832年) 幕臣水野忠暁が選び、絵師関根雲停に描かせた。

 

文政十年の冬、江戸青山 権田原の種樹家金田こと増田金太郎、(号繁亭)が『草木奇品雅見』を出版するにあたって、師として跋語と付録の文章二十五丁を書き与えるなどして、江戸時代随一の斑入り植物の研究家であるとともに、オモト愛好家としても「東都小不老草連」を結成し、その頭領となりました。
天保二年(1831)九月、「四ツ谷水の翁」の名で、全国のオモト愛好家に呼び掛けて、自慢の品々を調べ集め「萬年青之部」と「小不老草之部」に分けて木版墨刷りにした「名寄せ」、仮称『萬年青銘集録』を出しました。現在の『萬年青銘鑑』の原形といるものです。
天保三年(1832)九月十五日と十六日、江戸蔵前前の御蔵前八幡社で「東都小不老草連」の「小萬年青の聚会」を開き、さきに調べた全国オモト愛好家の自慢の品々を含め九十品を出展、それらを絵師関根雲停に描かせ、彩色鮮やかな錦絵刷り『古於茂と那よせ』 『小おもと名寄』 など六枚に仕立てました。

 

 萬年青の歴史本より