万年青の生存戦略【鳥】【人】

こんにちは、万年青の豊明園です。

今回は、万年青の赤い実の生存戦略についてお話します。

万年青の種の生存戦略 【鳥】

植物は、一度芽が出ると、そこから移動することができません。しかし、種の繁栄を考えるとなるべく遠くにタネを届けたいところです。

そこで、万年青の最初の相棒になったのは鳥です。

万年青の種はどこに、どう運ばれるのか自分の好きな場所に種を運んでもらうのに、どのように進化したのか、私の想像をお話します。

トピックは

万年青の実のでき方と、鳥の食事

赤い実は鳥に食べられたい

種は消化できない!?

フンが排泄される場所と万年青

少し大きな万年青の赤い実

万年青の発芽は砂肝のお陰!?

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では、いってみましょう!

 

 

万年青の実のでき方と、鳥の食事

まず、万年青の花は6月の梅雨前に咲き、7月には青い実が付きます。

その青い実は4-5か月間、見た目はそのままで、じっくりと成熟していきます。

11-12月、霜が降りると、青い実は赤い実に変ります。

では、鳥の食事はどうでしょうか。鳥は春夏秋はたくさんいる、栄養豊富な虫をたべます。しかし、冬場、特に霜が降りるようになると虫は少なくなるため、果実や木の実などの植物食に切り替えて冬を生き延びます。

 

 

赤い実は鳥に食べられたい

お正月の生け花でも、万年青の赤い実はお目出度いことの象徴として使われますが、この赤い実、というのは鳥に食べられたい、という色なんです。

秋から冬には、木の実はどれも1cmほどの赤い実をつけます。鳥は鼻はあまり効かず、赤い実はよく見えるので、森には秋から冬は赤い実が多くあります。特に、緑の葉との補色関係(コントラストが一番強い色の組み合わせ)にある赤は鳥にとっては良く目立ち、鳥に食べられやすいです。

種は消化できない!?

鳥に食べられては万年青は子孫を残せないのでは、と思う方もいるかもしれないが、問題ありません。

鳥は種を包む果肉だけを食べて、種はフンと一緒に排出されます。

フンが排泄される場所と万年青

特に、鳥は飛び立つ時にフンを排泄することが多いですが

これは万年青にとって最高なんです。

日陰を好むシェイドプランツである万年青は

木陰になる木の枝の下に種が落ちると生き残る確率がぐっと高まります。

芽が出たら、自分の好む日陰である確率はとても高いです。

 

少し大きな万年青の赤い実

冬場、赤い実のなる植物はたくさんあります。万年青と同じように縁起の良い南天や千両、万両も赤い実をつけます。南天、千両、万両の実は1センチ未満の小さな実です。そのため、小さな口の小さな鳥に食べられます。鳥が小さいので、小枝に止まってフンをしますので、その下はそこまでの陰ではありません。万年青の実は南天、千両、万両の実と比べると倍以上ありますので、もう少し大型の鳥が食べ、小枝よりも大きな枝でフンをするので、陰になる確率も高くなります。

万年青の発芽は砂肝のお陰!?

また、鳥に食べられる、というのも大切です。鳥は赤い実を丸呑みし、胃の中の砂肝で、赤い実をすり潰して消化していきます。

私たち品種改良をする万年青の豊明園でも、万年青の実は、赤い実をそのまままいても発芽率は非常に悪く、果実である綿をしっかりと取らないと発芽しません。かつ、すこし傷があった方が発芽率は高くなります。

これは、万年青の赤い実が、鳥と一緒に進化してきた証拠でもあります。

万年青の赤い実が、鳥に丸呑みされ、種が砂肝で傷つけられてフンとして排泄されることで発芽しやすくなります。

 

ちなみに、そのまま赤い実が地面に落ちると果肉が残っているので発芽しないかというとそうでもありません。地面に落ちて、果肉が虫に食べられたり、腐っていくことで、次の年に芽が出ることがあります。

 

まとめ

万年青の実のでき方と、鳥の食事 鳥の好物である虫がいなくなる冬に、万年青の実は赤くなります。

赤い実は鳥に食べられたい 秋から冬には森に赤い実をよく見かけますが、赤い実は鳥にとって一番よく目立ち、食べられやすい色です。

種は消化できない!? 果肉のみ消化され、種は消化されずにフンとして排泄されます

フンが排泄される場所と万年青 鳥は飛び立つ前にフンを排泄することが多いですが、そこは木の下。発芽した後はその木の陰になり、日陰を好む万年青にはぴったりです。

万年青の赤い実は少し大きいのは?小型の鳥ではなく、少し大きな鳥が食べることで、より木陰の下にフンをされ、自分に合った場所で発芽できる確率が高くなる

万年青の発芽は砂肝のお陰!?砂肝で綿をしっかりと取り、種が少し傷つくと、発芽率は上がります。

 

こうして、万年青の 種の繁栄の生存戦略として、
鳥に万年青の実の果肉を食べさせ、
種を木の下の木陰に落とさせます。
フンとして落ちた先は、
日陰を好むシェイドプランツである万年青にとっては
理想の場所
そこまで考えてデザインしていたのでしょうか。
万年青はこのように、うまく鳥と共存共栄をして
植物の種として 繁栄をしてきました。

 

次回は、約4000年前からの人と万年青の共存共栄をお話します。

 

●動画解説【万年青の生存戦略】どのように種の繁栄をしてきたか 鳥との共存共栄 万年青の種を日陰に落とす方法

【万年青の豊明園】【Survival strategy of OMOTO】万年青に適した環境は?

 

 

 

こんにちは、万年青の豊明園です。今回は、

人と万年青の共存共栄

についてお話したいと思います。

前回の、万年青の赤い実と鳥との生存戦略、に続いて、

今回は、約4000年前からの人と万年青の共存共栄をお話します。

前回は、エサの少ない冬に、鳥に赤い実を食べさせることで、万年青は繁栄していった。特に砂肝で果肉が取り除かれ、種に傷がつくことと、木の下にフンが落ちることで、日陰の環境を狙っていることをお話しました。

今回は、人を利用した万年青の繁栄の戦略をご紹介します。

トピックは

 

薬草として

4000年前、中国の神農という皇帝が万年青を薬として見出しました。

古代、人が今よりも何倍も、何十倍も死亡しやすかった時代、薬はとても大切なものでした。

ここで、万年青はただ鳥によって種が撒かれるだけでなく、人によって殖やされる、広がるようになってきました。

一説には、1000年前の平安時代から万年青が薬草として使われたとも言われ、江戸時代、幕府直轄の小石川植物園や日本中の藩の薬草園で万年青は栽培され、薬として広がっていきました。

子孫繁栄、魔除けの植物として

また、冬の寒さに強く、お正月の多くの植物が葉を落とす時、万年青は深い緑の葉と、真っ赤な赤い実をたたえ、古代の人には神秘的な力があると考えられました。

特に、多年草で常に緑の葉をみせ、子供である赤い実を守るように生長する様は、子孫繁栄や、邪を払う魔除けの植物として見ていました。

引越し万年青として

400年前、徳川家康公が江戸城に入城する際、万年青をもって一番最初に床の間に置いた、という伝説が示すように、万年青の(神秘的な)力によって、力を借りて、江戸時代が繫栄していくことを願いました。

その証拠に、徳川家康公が祭られる国宝・久能山東照宮、日光東照宮、上野東照宮などの東照宮や、二条城、また、地域の大きな神社である北野天満宮、石清水八幡宮、日御碕神社、英彦山神宮など多くの信仰を集める神社に万年青は彫られています。

引越し万年青、という風習が日本中に残っているように、引越しした先でまず最初に万年青を入れ、万年青のように繁栄するように願っています。この風習で、全国で万年青は殖やされ、子供が新しく引っ越していく先でも、実家の万年青を持っていきました。

生け花として

時代は少しさかのぼり、室町時代には生け花が生まれます。その生け花でも、万年青はすべての御祝い事、結婚する、子供が生まれる、引越し、新築するなどの慶事には万年青を飾らないことはないと言われ、大切にされてきました。この生け花のお花としても万年青は広まります。

園芸として

江戸時代は園芸文化が花開いた時代でもあり、将軍様や大名、豪商、僧侶が日本中の万年青を求めました。江戸時代の番付には沖永良部という万年青が載っていますが、沖永良部島からも万年青を取り寄せるほど、万年青熱は高まっています。

また、変異をしやすいので、珍奇植物としてももてはやされ、一時は一鉢1億円もの価値を生み出しました。園芸として広く愛され、殖やされて、今に続いています。

まとめ

このように、人とのかかわりの中で、

薬草として、子孫繁栄、魔除けの植物として 引越しおもととして、生け花として、園芸植物として万年青は繁栄していきました。今では、世界中の植物マニアが日本にしかない万年青を求め、万年青は世界中に広がっています。

人にとっての価値があることで、鳥との繁栄戦略とはまた違った生存戦略で万年青は繁栄していっていますね。

 

●動画解説【万年青の生存戦略】万年青が愛される理由 引越し万年青 ビザールプランツ 薬草 園芸 魔除け 徳川家康公 生け花 子孫繁栄 江戸城

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