中国最古級の園芸書『秘傳花鏡』に見る萬年青
――千年の吉祥植物は、清代に皇帝の御前へ
萬年青は、古くから常緑の生命力、長寿、家の繁栄を表す吉祥植物として大切にされてきました。
冬にも青い葉を保ち、年を重ねながら新しい芽を生じ、親株から子株へと命をつないでいく。その姿は、昔の人々にとって、家が絶えず、子孫が続き、暮らしが長く栄えることを思わせるものでした。
現在の日本でも、萬年青は引越し、婚礼、出産、開店、新築などの祝いに用いられます。
「萬年長青」
「代々の繁栄」
「家運隆盛」
こうした願いを込めて萬年青を贈る習慣は、今日になって作られたものではありません。
豊明園では、これまでに確認してきた日本・中国の古い文献、伝承、寺社彫刻、暮らしの中に残る習俗などから、萬年青は少なくとも千年以上前から、特別な意味を持つ植物として見られてきたと考えています。
中国・西晋の文学者、左思〔さし〕が三世紀頃に著した『蜀都賦』にも、「蒕」の文字を萬年青と関連づける解釈があります。ただし、古代文献に現れる植物名は、現代の植物分類と必ず一対一に対応するとは限りません。そのため、一つの語だけで萬年青の歴史を断定するのではなく、後世の本草書、園芸書、絵画、工芸品、生活習慣を重ねて考える必要があります。豊明園では、そうした長い資料の積み重ねから、萬年青の吉祥性は千年を超えて育まれてきたものと捉えています。
その長い歴史の中で、萬年青が人々の暮らしにどのように用いられていたのかを、驚くほど具体的に伝えているのが、中国・清代初期の園芸書『秘傳花鏡』です。

『秘傳花鏡』とは
『秘傳花鏡』は、中国・清代の園芸家、陳淏子〔ちんこうし〕が編んだ園芸書です。
康熙二十七年、1688年の序を持ち、全六巻からなります。
草花、花木、果樹、盆栽、庭づくり、種まき、株分け、接ぎ木、植替え、用土、肥料、病害虫など、植物を育てるための知識が幅広く収められています。単なる植物図鑑ではなく、当時の園芸家が積み重ねてきた実際の経験と、植物にまつわる民間習俗を一つにまとめた、園芸百科事典ともいえる書物です。中国哲学書電子化計画では、『秘傳花鏡』の巻立てと本文画像を確認することができます。また国立国会図書館にも、康熙二十七年序を持つ陳淏子訂輯本が所蔵されています。
この本が成立した1688年は、清の第四代皇帝・康熙帝の時代でした。
しかし、『秘傳花鏡』に萬年青が吉祥植物として記録されているからといって、萬年青の吉祥文化がこの時代に始まったわけではありません。
むしろ重要なのは、その逆です。
それよりはるか以前から受け継がれてきた萬年青の吉祥性が、三百年以上前の清代初期には、すでに人々の暮らしの中に深く定着していた。
『秘傳花鏡』は、そのことを具体的な言葉によって確認できる、きわめて重要な記録なのです。
萬年青とごく一部の植物のみ鉢植えとして描かれる
『秘傳花鏡』萬年青条の原文
『秘傳花鏡』には、萬年青について、おおむね次のように記されています。
萬年青、一名蒀。
闊葉叢生、深緑色、冬夏不萎。
呉中人家多種之、以其盛衰占休咎。
造屋移居、行聘治壙、小児初生、一切喜事、無不用之、以為祥瑞口號。
至於結姻幣聘、雖不取生者、亦必剪造綾絹、肖其形以代之。
又與吉祥草、葱、松四品、並列盆中、亦俗套也。
種法、於春秋二分時、分栽盆内、置之背陰處。
俗云、四月十四是神仙生日、當刪剪舊葉、擲之通衢、令人踐踏、則新生葉發生必盛。
喜壅肥土、澆用冷茶。
版本によって文字や語句には異同があります。
たとえば「造屋」が別の字に見える版本や、「幣聘」「行聘」などの表記にも違いがみられます。古典籍を読む際には、一つの活字転記だけを絶対のものとせず、複数の版本を比較する必要があります。
それでも、文章全体の意味は明瞭です。
萬年青が常緑植物として栽培され、家の吉凶、転居、婚礼、出産などと深く結び付けられていたことが記されています。
現代語訳
萬年青は、別名を「蒀」という。
幅の広い葉が株元から群がって生え、葉は濃い緑色で、冬にも夏にも枯れない。
呉地方の家々では多くこの植物を植え、その株が盛んであるか、衰えているかによって、家の吉凶を見た。
家を建てるとき、住まいを移すとき、婚約や結納を行うとき、墓所を整えるとき、子供が生まれたときなど、あらゆる祝い事に萬年青を用い、めでたいしるしとした。
婚姻の結納に際しては、生きた萬年青を用意できない場合でも、綾や絹を切って萬年青の形を作り、その代わりとした。
また、萬年青、吉祥草、葱、松の四種を同じ鉢に並べることもあったが、これは世間に広く定着していた慣習である。
栽培するときは、春分または秋分の頃に株分けして鉢に植え、強い日差しの当たらない場所に置く。
俗に旧暦四月十四日は神仙の誕生日であるといい、この日に古い葉を切り取って大通りに捨て、人々に踏ませると、新しい葉が盛んに出るとされた。
肥えた土を好み、冷ました茶を水代わりに与えるとよい。
「冬夏不萎」――冬にも夏にも青い
『秘傳花鏡』が萬年青について、まず述べているのは、
深緑色、冬夏不萎
という性質です。
濃い緑色をして、冬にも夏にもしおれない。
現代の植物学から見れば、萬年青が常緑多年草であることを記した文章です。
しかし、昔の人々にとって、冬にも葉を保つという性質は、単なる植物分類上の特徴ではありませんでした。
多くの草木が枯れ、落葉樹が葉を落とす冬にあっても、萬年青は緑を失いません。さらに、古い葉を抱えながら株元から新しい芽を生じ、子株を増やしていきます。
その姿に、
長寿。
不変。
再生。
子孫繁栄。
家の継続。
という意味が重ねられたのは、ごく自然なことでしょう。
「萬年青」という名も、単なる名称ではありません。
萬年にわたって青い。
家が長く続く。
人が健やかに年を重ねる。
子孫が絶えず栄える。
植物の姿と名前とが、これほど美しく重なる例は、決して多くありません。
萬年青は、後から無理に縁起を付け加えられた植物ではなく、その生命のあり方そのものが、吉祥の意味を生み出した植物だったのです。
家の吉凶を占う植物
『秘傳花鏡』で特に重要なのが、次の一文です。
呉中人家多種之、以其盛衰占休咎。
呉地方の家々では多く萬年青を植え、その盛衰によって吉凶を見た、という意味です。
「呉中」とは、現在の中国・江蘇省南部から浙江省北部にかけての江南地方、特に蘇州周辺を中心とする地域を指すと考えられます。
この地域は水に恵まれ、古くから庭園、花木、盆栽、文人文化が発達しました。
では、「萬年青の盛衰によって家の吉凶を占う」とは、どういうことでしょうか。
萬年青が未来を予言した、という意味だけに受け取る必要はありません。
植物は、置かれた環境を正直に映します。
光が強すぎれば葉が傷みます。
水が足りなければ根や葉に変化が現れます。
肥料が多すぎても、少なすぎても、葉姿が変わります。
家人が忙しくなり、世話が行き届かなくなれば、植物は静かに衰えていきます。
反対に、萬年青が青々と育っている家は、水や置き場所が整い、人の手が行き届き、暮らしにも一定の落ち着きがあったはずです。
つまり、萬年青は単に吉凶を予言する道具ではなく、その家の環境と暮らしを映す、生きた鏡でもあったのではないでしょうか。
『花鏡』という書名に重ねていえば、萬年青そのものが、家の状態を映す「緑の鏡」だったとも考えられます。
現代の栽培者も、前年と今年の葉を見比べます。
今年の葉が小さい。
葉幅が狭い。
芽出しが遅い。
新根が少ない。
逆に、前年より葉が充実した。
子がよく出た。
古い株が今年も力強く新葉を伸ばした。
その変化から、その年の光、水、肥料、気温、自分の管理を振り返ります。
三百年以上前の人々が「盛衰を見て吉凶を占った」という感覚は、迷信という一言だけでは片付けられません。
植物の姿を通して暮らしを見つめる。
そのまなざしは、現代の私たちにも通じています。
家を建てる、移る、結婚する、子供が生まれる
『秘傳花鏡』には、萬年青を用いる場面として、
家を建てるとき。
住まいを移すとき。
婚約や結納をするとき。
子供が生まれたとき。
墓所を整えるとき。
その他のあらゆる祝い事。
が挙げられています。
現在の日本でも、引越し萬年青という習慣が伝えられています。
新しい家に入る前に、まず萬年青を運び込む。
これは、その土地での暮らしが末永く安泰であるように願う行為です。
『秘傳花鏡』の記述は、これと非常によく似た考え方が、三百年以上前の中国・江南地方にも存在していたことを示しています。
また、萬年青は婚礼と出産にも用いられました。
萬年青は、一株が長く生きるだけではありません。親株の根元から子株を生じ、それを分けて次の鉢へと伝えることができます。
親から子へ。
子から孫へ。
一つの株から、次の世代へ。
その姿が、家系の継続や子孫繁栄と結び付いたことは、想像に難くありません。
さらに、墓所を整える際にも用いたと記されています。
これは萬年青が、単に誕生や婚礼だけを祝う植物ではなく、亡き人を送り、祖先を思い、家の記憶を次の世代へつなぐ植物でもあったことを示しています。
誕生から婚礼へ。
新居から家の繁栄へ。
そして死者を送り、次の世代へ。
萬年青は、人の一生と家の時間を見守る植物だったのです。
実物がなければ、綾や絹で作った
『秘傳花鏡』には、さらに注目すべき記述があります。
婚礼の際、生きた萬年青を用意できなければ、
綾絹を剪りて、その形に肖せて、これに代う
とあります。
「綾」は、美しい文様や斜めの織り目を持つ上質な絹織物です。「絹」は、蚕の糸から作られた布を広く指します。
つまり、婚礼に本物の萬年青を用意できない場合でも、綾や絹を切って萬年青の姿を作り、その代わりとして飾ったのです。
これは非常に重要な記録です。
なぜなら、この段階で萬年青は、単なる栽培植物を超えているからです。
生きた株がなくても、その形だけは必要とされた。
松、竹、梅、鶴、亀は、実物がなくても、絵画、陶磁器、染織、彫刻などに表されることで吉祥の意味を持ちます。
萬年青も同じように、その姿を見ただけで、
長寿。
繁栄。
子孫の継続。
家の安泰。
という意味が伝わるほど、吉祥の象徴として定着していたと考えられます。
実物がなければ、絹で作ってでも置く。
この一文は、当時の萬年青が、数ある植物の一つではなく、婚礼の場に欠かすことのできない吉祥植物であったことを物語っています。
萬年青・吉祥草・葱・松を一鉢に
『秘傳花鏡』には、萬年青を、
吉祥草。
葱。
松。
とともに、一つの鉢に並べる習慣も記されています。
萬年青は、萬年の長青。
吉祥草は、その名の通り吉祥。
松は常緑と長寿。
葱も、伸び続ける生命力や、その名の響きに意味が重ねられた可能性があります。
さらに興味深いのは、著者がこの飾り方を、
亦俗套也
と評していることです。
「俗套」とは、世間で繰り返され、型として定着した習慣を指します。やや冷静な、場合によっては「ありふれた決まり事」という響きも持つ言葉です。
しかし、これは逆に大切な証拠です。
『秘傳花鏡』の著者が萬年青の吉祥性を新しく唱えたのではありません。
著者が記録した1688年以前から、萬年青を祝いに用いることは、すでに説明を必要としないほど一般化していたのです。
三百年以上前にも、やはり萬年青は縁起物だった。
しかも、その時代に始まったのではなく、著者から見ても、すでに古くから続く「定番の習慣」になっていたのです。
これは、豊明園が考えてきた「千年を超えて受け継がれた吉祥植物」という見方を、清代の具体的な生活記録から裏付けるものといえるでしょう。
四月十四日の「神仙生日」とは
『秘傳花鏡』には、不思議な習慣も記されています。
俗云、四月十四是神仙生日
俗に、旧暦四月十四日は「神仙の誕生日」である、というのです。
ここでいう神仙は、『神農本草経』の名に見える神農とは別の存在と考えられます。
神農は、中国古代の伝説上の帝王です。農耕を人々に教え、多くの草をなめて薬効や毒性を確かめたという伝承から、農業、医薬、本草学の祖として尊ばれてきました。
一方、旧暦四月十四日の「神仙生日」は、中国の道教や民間信仰で広く信仰された仙人、**呂洞賓〔りょどうひん〕**と関係する可能性が高いものです。
呂洞賓は、中国の代表的な仙人「八仙」の一人です。呂祖、純陽祖師、孚佑帝君などとも呼ばれます。伝承上、旧暦四月十四日をその誕生日とする説があり、蘇州ではこの日を俗に「神仙生日」と呼び、人々が神仙廟に集まる「軋神仙」という祭りが行われてきました。蘇州の旧暦四月十四日を神仙生日と呼ぶ習俗は、中国江南文化を扱った研究にも記録されています。
ただし、『秘傳花鏡』本文には、はっきりと「呂洞賓」とは書かれていません。
したがって、
『秘傳花鏡』の神仙とは、必ず呂洞賓である
と断定するのは慎重であるべきです。
本文が対象としている呉中・蘇州周辺の習俗と、旧暦四月十四日の呂洞賓信仰が一致することから、
当時の江南地方の習俗からみて、呂洞賓を指している可能性が高い
と説明するのが適切でしょう。
神農は、農耕、薬草、本草学の祖。
呂洞賓は、道教や民間信仰における仙人。
どちらも植物や長寿の世界と無関係ではありませんが、『秘傳花鏡』の「四月十四日」の神仙は、神農とは別の信仰に由来すると考えられます。
古い葉を大通りに捨て、人々に踏ませる
『秘傳花鏡』によれば、旧暦四月十四日には萬年青の古い葉を切り、
通衢に擲ち、人をして踏ましむ
とされました。
「通衢」とは、多くの人が行き交う大通りや辻を意味します。
切った古葉を大通りに捨て、人々に踏ませると、新しい葉が盛んに出ると信じられていたのです。
もちろん、古い葉を踏ませること自体に、新葉を増やす科学的な効果があるとは考えにくいでしょう。また現代では、葉を公道に捨てることは行うべきではありません。
しかし、古葉を切ることそのものには、園芸上の意味があります。
春から初夏は、萬年青が新しい葉を伸ばす季節です。傷んだ古葉を整理することで、株姿が整い、風通しがよくなり、病害虫や株元の状態を確認しやすくなります。
人々は、萬年青が実際に新葉を伸ばし始める季節に古葉を整理し、その作業を神仙の祭日と結び付けたのでしょう。
そして、古葉を家の外へ出して人に踏ませる行為には、象徴的な意味もあったと考えられます。
古い葉を落とす。
前年の衰えを外へ出す。
災いや悪い気を踏み鎮める。
家には新しい葉と新しい運を迎える。
そうした厄払いと再生の意味です。
萬年青は常緑ですが、一枚の葉が永遠に生きるわけではありません。
古い葉を送り、新しい葉を出す。
親株が年を重ね、子株を生む。
姿を保ちながら、内部では絶えず世代を更新する。
萬年青の「不変」とは、何も変わらないことではありません。
変わり続けながら、命を絶やさないこと。
四月十四日の古葉切りの習俗は、その萬年青の生命のあり方を、季節の行事として表したものだったのかもしれません。
冷ました茶を与えるという栽培法
萬年青条の最後には、
喜壅肥土、澆用冷茶
とあります。
肥えた土を好み、冷ました茶を注ぐとよい、という意味です。
昔の暮らしでは、茶の飲み残しや茶殻は身近な有機物でした。茶を植物に与えることは、限られた資源を無駄にしない生活の知恵でもあったのでしょう。
しかし、現代の鉢栽培で、飲み残した茶を日常的に与えることは勧められません。
砂糖や乳成分が入っていれば、カビ、腐敗、虫の原因になります。無糖の茶であっても、鉢の中に成分や有機物が繰り返し蓄積すれば、用土や根の状態を悪くする可能性があります。
古書に書かれた栽培法は、そのまま現代に再現すればよいというものではありません。
当時の用土、鉢、水、肥料、建物、気候、栽培環境は、現在とは異なります。
古書を読む意味は、すべてをまねることではなく、
当時の人が何を観察していたのか。
何を良い株と考えていたのか。
植物と暮らしをどのように結び付けていたのか。
を知ることにあります。
民家の祝い草から、清の皇帝の御前へ
『秘傳花鏡』が成立した清代には、萬年青の意味に、さらに新しい層が加わりました。
「萬年青」という言葉は、「萬年清」と音が通じます。
萬年青。
萬年清。
つまり、清王朝が萬年にわたって続く、という吉語として読み替えることができたのです。
萬年青が清朝によって初めて吉祥植物になったわけではありません。
もともと民間に存在した、
常緑。
長寿。
繁栄。
家の継続。
という意味に、清代になって、
大清の世が萬年に続く
という王朝的な意味が重ねられたと考えるのが自然です。
清代の中国北部では、冬になると庭の多くの草木が葉を落とし、景色は雪と枯木に覆われます。その中で、一年を通して濃い緑の葉を保ち、赤い実を結ぶ萬年青は、室内を飾る植物としてひときわ鮮やかに見えたことでしょう。
豊明園に寄せられた中国の萬年青資料では、萬年青は「萬年清」に通じることから、清の皇室や貴族に好まれたとされています。また、常緑の葉と赤い実を持つことが、冬の室内を祝いの色で満たしたとも説明されています。
萬年青は、民家の婚礼や出産を祝う植物であると同時に、皇帝や王朝の永続を願う植物にもなったのです。
宝石で作られた萬年青
清の宮廷では、天然の萬年青だけでなく、宝石や貴重な素材を用いて作られた盆景が飾られました。
造辦処と呼ばれる宮廷工房で作られたものや、大臣などから献上された宝石盆景の中には、萬年青を主題とする作品がありました。
特に注目されるのが、桶形の器に萬年青を配した意匠です。
一桶萬年青
「一桶」と「一統」は、音が通じます。
そのため、一つの桶に萬年青を飾る意匠は、
一統萬年
すなわち、天下が一つに統一され、その治世が萬年に続く、という意味を表しました。豊明園の記事にも、清宮の宝石盆景に桶形の鉢と萬年青を組み合わせ、「一桶萬年青」によって「一統萬年」を表した例が紹介されています。
ここでは、植物の形、器の形、言葉の響きが、一つの吉祥意匠にまとめられています。
萬年青は「萬年清」。
一桶は「一統」。
一桶萬年青は、一統萬年。
中国の吉祥文化では、このように同音や近い音を利用し、物の組み合わせによって願いを表すことがよくあります。
萬年青は、その名前そのものが、王朝の願いを託すのにふさわしい植物だったのです。
嘉慶帝の傍らに置かれた萬年青
清の第七代皇帝・嘉慶帝を描いた資料には、皇帝の傍らの卓上に、「一統萬年」を表す萬年青の盆景が置かれているとされる例があります。豊明園の記事にも、嘉慶帝の横に置かれた「一統萬年」の盆景が紹介されています。
皇帝の肖像や宮廷の室内に置かれた物には、単なる装飾以上の意味があります。
そこに描かれる器物、花、果実、鳥、動物は、皇帝の徳、国家の安泰、子孫の繁栄、長寿、豊穣などを象徴します。
皇帝の傍らに萬年青を置くことは、
皇帝の長寿。
皇統の継続。
天下の統一。
国家の安泰。
清朝の永続。
を願うことにつながりました。
しかし、ここで大切なのは、宮廷の萬年青と、民家の萬年青が、まったく別の意味を持っていたわけではないということです。
民家では、家族と家の長久を願う。
宮廷では、皇統と国家の長久を願う。
規模は違っても、根にある願いは同じです。
大切なものが、絶えずに続いてほしい。
萬年青は、その人間の普遍的な願いを受け止める植物だったのです。
「霊草恒青、冬夏鮮」
豊明園の記事で紹介している清宮の掛屏には、萬年青を「霊草」として詠んだ御製詩が記されています。
靈草恒青冬夏鮮
惟曰保民欲萬年
細部の解釈には慎重さが必要ですが、おおむね、
霊草は冬も夏も常に青々としている。
ただ民を安んじ、その平安が萬年に続くことを願う。
という意味に読むことができます。掛屏に「冬夏常に青い霊草」と萬年の願いが組み合わされている点は、『秘傳花鏡』の「冬夏不萎」と響き合います。
『秘傳花鏡』では、萬年青は家の盛衰を映す植物でした。
宮廷美術では、萬年青は天下の安泰と民の平安を願う植物となりました。
家から国へ。
同じ常緑の葉に、願いの範囲が広がっていったのです。
萬年青は薬草なのか、吉祥植物なのか
中国における植物文化を考えるとき、薬草と観賞植物、吉祥植物を、現在のように完全に分けることはできません。
一つの植物が、
薬として用いられる。
庭や室内で鑑賞される。
名前や姿に縁起が重ねられる。
祭礼や年中行事に使われる。
という複数の意味を持つことは珍しくありません。
萬年青も、本草の世界では薬用植物として記録される一方、園芸の世界では常緑の観賞植物として育てられ、生活文化の中では吉祥植物として用いられました。
この意味で、萬年青は、
薬草なのか。
観葉植物なのか。
吉祥植物なのか。
という三者択一の植物ではありません。
そのすべての意味を、時代と場所によって重ね持った植物なのです。
ただし、『秘傳花鏡』萬年青条で中心に置かれているのは、薬効ではありません。
冬夏に枯れないこと。
家々が育てていたこと。
家の吉凶を見たこと。
転居、婚礼、出産などに用いたこと。
つまり、ここでの萬年青は明らかに、暮らしに根差した園芸植物であり、吉祥植物として描かれています。
平賀源内と日本の『秘傳花鏡』
『秘傳花鏡』は、中国だけで読まれた書物ではありません。
江戸時代の日本にも伝わり、安永二年、1773年には、
清・陳淏子訂輯
平賀先生校正
として、日本で刊行されました。
この「平賀先生」は、平賀源内です。
源内はエレキテルや戯作で知られていますが、本来は本草学と物産学に深く関わった人物でした。
本草学は、薬草だけを研究する学問ではありません。
植物、動物、鉱物などの名称、形態、性質、産地、用途を調べ、薬用、食用、工芸、産業利用などを幅広く考える学問です。
源内にとって、中国の園芸書『秘傳花鏡』は、単なる花の育て方の本ではありませんでした。
中国で蓄積された植物の知識、栽培技術、園芸文化、生活習俗を知ることのできる重要な資料だったのでしょう。
ただし、源内の関与した『秘傳花鏡』は、現在の意味での「全文日本語翻訳」ではありません。
漢文の原文を基本とし、日本人が読みやすいように訓点や送り仮名、注記などを加えた和刻・校正版と考えるのが適切です。
したがって、
平賀源内が『秘傳花鏡』を日本語に翻訳した
というよりも、
平賀源内が、中国の園芸書を日本の本草家や園芸家が読める形に整え、その受容に関わった
と表現する方が正確です。
『秘傳花鏡』が日本で刊行されたことは、江戸時代の日本において、中国の園芸文化が学ぶべきものとして重視されていたことを示しています。
そして、その書物の中には、萬年青が家の繁栄や婚礼、転居に用いられる吉祥植物として記されていました。
日本の本草家や園芸家が、この記述を読んでいた可能性は十分にあります。
日本の萬年青文化は、中国から来たのか
ここで一つ、慎重に考えなければならないことがあります。
『秘傳花鏡』に婚礼や転居と萬年青の関係が書かれているからといって、日本の引越し萬年青や祝い萬年青が、すべて中国からそのまま伝わったと断定することはできません。
日本には日本独自の、
常緑植物への信仰。
神域や祭礼と植物との関係。
正月に常緑樹を飾る習慣。
家や祖先の継続を重んじる考え方。
武家や商家の家運隆盛への願い。
があります。
萬年青も、日本の風土、信仰、武家文化、町人文化、園芸文化の中で、独自の発展を遂げました。
一方で、中国の園芸書や吉祥文化が江戸時代の日本に伝わり、平賀源内をはじめとする本草家がそれを読んでいたことも事実です。
実際の萬年青文化は、おそらく一本の流れから生まれたものではありません。
萬年青そのものの常緑性。
名前のめでたさ。
株分けによって代をつなぐ性質。
中国の吉祥文化。
日本古来の常緑植物への信仰。
江戸時代の園芸熱。
武家、商家、庶民の家運繁栄への願い。
これらが幾重にも重なり、日本独自の萬年青文化が作られたのでしょう。
文化は一本の川ではありません。
いくつもの流れが合流し、土地と時代によって姿を変えながら、次の世代へ伝わっていくものです。
萬年青そのものと、よく似ています。
『秘傳花鏡』から分かる萬年青の地位
『秘傳花鏡』萬年青条からは、少なくとも次のことが読み取れます。
萬年青は、清代初期の江南地方で広く栽培されていた。
冬夏に枯れない常緑性が、重要な特徴として認識されていた。
家々は萬年青の盛衰を、家の吉凶と結び付けていた。
新築、転居、婚礼、出産、墓所など、人の一生と家の節目に用いられていた。
生きた株が用意できなければ、綾や絹で形を作って代用するほど重要だった。
吉祥草、葱、松と組み合わせた定型的な飾り方が、すでに広く行われていた。
旧暦四月十四日の神仙信仰と、古葉を切って新葉を迎える習俗が結び付いていた。
この知識を収めた『秘傳花鏡』は、江戸時代の日本にも伝わった。
さらに清代には、萬年青が「萬年清」に通じることから、皇室や貴族の間で王朝の永続を象徴する植物として用いられた。
これらを総合すると、当時の萬年青は、数ある観葉植物の一つではありません。
家の繁栄、家族の誕生、婚姻、転居、祖先の祭祀、長寿、王朝の永続までを象徴する、東アジアを代表する吉祥植物の一つだったと考えられます。
三百年前にも、やはり萬年青は縁起物だった
私たちは、萬年青は少なくとも千年以上前から、その常緑の生命力と名前のめでたさによって、特別な植物として見られてきたと考えています。
『秘傳花鏡』は、その始まりを記した書物ではありません。
この本が教えてくれるのは、
三百年以上前にも、やはり萬年青は縁起物であった
ということです。
しかも、その位置づけは曖昧なものではありません。
家を建てれば萬年青を置く。
引越しにも萬年青を用いる。
婚礼や結納にも欠かせない。
子供が生まれたときにも用いる。
生きた株がなければ、絹で形を作る。
家々はその盛衰に、自分たちの暮らしを重ねる。
そこには、すでに完成した吉祥文化があります。
つまり『秘傳花鏡』は、
萬年青がいつから吉祥植物になったのか
に対する最終的な答えではなく、
少なくとも1688年には、その吉祥文化が、すでに日常生活の深いところまで定着していた
ことを証明する書物なのです。
そして、著者がそれを「俗套」、すなわち世間の定番の習慣として記していることを考えれば、その起源はさらに古い時代へさかのぼるはずです。
千年を超えて、人の願いを受け止める植物
萬年青は、声を出しません。
人の願いをかなえると約束することもありません。
ただ、置かれた場所で根を張り、古い葉を抱えながら、新しい葉を伸ばします。
年によって、葉の長さも幅も変わります。
暑い年。
寒い年。
水が足りなかった年。
よく根が動いた年。
人が忙しく、十分に手をかけられなかった年。
そのすべてを株の姿に刻みながら、それでも次の芽を出そうとします。
昔の人々は、その姿に自分たちの家を重ねました。
家もまた、永遠に同じ姿ではありません。
人が生まれる。
子供が育つ。
婚礼がある。
新しい家へ移る。
老いる。
人を送り、また新しい命を迎える。
一つの世代が過ぎても、家と記憶は次へ受け継がれていきます。
萬年青が象徴しているのは、変化しないことではありません。
古い葉を送りながら、新しい葉を生むこと。
親株が年を重ねながら、子株へ命を渡すこと。
姿を少しずつ変えながら、根絶えることなく続いていくこと。
それこそが、「萬年長青」の本当の姿なのではないでしょうか。
中国・江南の家々では、萬年青の盛衰に家の吉凶を見ました。
清の宮廷では、宝石で萬年青を作り、王朝と天下の長久を願いました。
江戸時代の日本では、平賀源内ら本草家が『秘傳花鏡』を読み、日本の園芸文化へ伝えました。
そして現在も私たちは、引越しや婚礼、開店、出産などの節目に萬年青を贈ります。
時代も国も身分も違います。
それでも、人々が萬年青に託した願いは、驚くほど変わっていません。
大切な人が健やかであること。
家族が仲よく暮らすこと。
新しい土地で根を張ること。
商いが長く続くこと。
子や孫の世代まで、幸せが受け継がれること。
萬年青は、その願いを千年を超えて受け止めてきた植物です。
私たちは日々、萬年青を植え替え、水を与え、葉を整え、株分けをしています。
一見すれば、それは普通の園芸作業です。
しかし、その一鉢には、古代中国の文学、江南の人々の暮らし、清の皇帝の願い、江戸の本草家の知識、そして日本の家々に受け継がれてきた祝いの文化が重なっています。
萬年青を一鉢育てることは、一本の植物を所有することだけではありません。
その背後にある長い時間を預かり、次の世代へ渡していくことでもあります。
三百年以上前にも、萬年青は家の吉凶を見守る植物でした。
そのさらに以前から、人々は冬にも青い葉に、生命の絶えない姿を見てきました。
そして今、私たちの目の前にある萬年青もまた、同じように根を張り、新しい葉を伸ばしています。
長い歴史を知った後で萬年青を見ると、その一枚の葉も、昨日までとは少し違って見えるのではないでしょうか。
萬年青は、ただ枯れにくい植物なのではありません。
人が生き、家を守り、次の世代へ願いをつないできた歴史を、その緑の葉の中に抱いている植物なのです。
主な参考資料
陳淏子『秘傳花鏡』康熙二十七年〔1688〕序刊。
陳淏子訂輯・平賀先生校正『秘傳花鏡』安永二年〔1773〕刊。
陳淏子撰『祕傳花鏡』出雲寺松柏堂補刊、文政十二年〔1829〕。
国立国会図書館所蔵『秘傳花鏡』。
中国哲学書電子化計画所収『秘傳花鏡』。
甘靖超「文化資源としてのモチ米食品の多様化――中国江南の都市部を事例として」。
豊明園「蒀即萬年青 中国における万年青」。
記事についての注記
『秘傳花鏡』の本文には、版本によって文字や表記の異同があります。
掲載した原文は、複数の資料を参照し、萬年青条の意味が伝わるように整えたものです。
現代語訳は逐語訳ではなく、原意を損なわない範囲で、現代の読者に分かりやすい表現にしています。
旧暦四月十四日の「神仙」は、江南・蘇州の習俗から呂洞賓を指す可能性が高いと考えられますが、『秘傳花鏡』本文には固有名が記されていないため、断定はしていません。
また、古葉を大通りで踏ませることや、冷ました茶を与えることは、当時の習俗・栽培法を紹介するものです。現代にそのまま行うことを勧めるものではありません。
萬年青の千年以上にわたる吉祥性については、一つの史料だけで断定するのではなく、中国・日本の文献、植物名の変遷、図像、工芸品、寺社、民間習俗などを重ねて検討していく必要があります。本稿は、豊明園がこれまで調べてきた資料と『秘傳花鏡』の記述から、その長い歴史を考察したものです。
