京都・平岡八幡宮 花の天井におもと
引越しおもと、お祝いおもとの由来
京都の平岡八幡宮におもとの歴史を探しにいってきました。
この手前には初代若乃花が土俵入りをした土俵があります。
京都の梅ヶ畑にあるので、梅ヶ畑八幡とも呼ばれています。
京都の中心、御所から車で30分、北西方向へ行った場所です。
かわらけ投げや秋の紅葉で有名な神護寺、鳥獣戯画で有名な高山寺がこの平岡八幡宮の奥にあります。近くには瀬戸内寂聴さんのお寺もあります。宮司の佐々木さんの話では、昔はこの平岡八幡宮まで神護寺の土地だったそうです。
歌舞伎の『花舞台霞の猿曳(はなぶたいかすみのさるひき)』(靭猿(うつぼざる))の舞台背景になったそうです。
創建 平安時代 809年12月10日
弘法大師空海(くうかい)が高雄山神護寺(じんごじ)の守護神として自らが描いた僧形八幡神像(そうぎょうはちまんしんぞう)を御神体として 宇佐八幡(うさはちまん)より勧請し、創建されたそうです。
八幡宮に祀られているのは、応神天皇(おうじんてんのう 第15代天皇)で全国にあります。
京都(山城国やましろのくに・現在の京都府南部)で最古といわれるのがこの平岡八幡宮です。
室町時代には、室町幕府第三代将軍足利義満(あしかがよしみつ)や四代将軍・義持(よしもち)も紅葉狩りなどでよく訪れたそうです。
平岡八幡宮 花の天井におもと
本殿は室町時代に焼失したが、足利義満により再建され、現建物は文政9年の修復。内陣天井は極彩色の花絵44面が描かれ、「花の天井」とよばれ、毎年、春、秋の2期公開され、境内は高雄もみじの参道と椿が有名です。
平岡八幡宮の神殿に花の天井はあります。
神殿内は写真禁止なので、入り口にあるこれを写真に収めました。
佐々木宮司のお話では、室町時代に再建した第三代将軍足利義満の大切にしていた薬が描かれていて、この地域が薬の産地でもあったことから桔梗、甘草かんぞう、万年青、芥子けしなどが描かれています。桜や椿、梅、山桜、楓、菖蒲など見ても美しいものばかり。
花の天井の種類
花の天井は江戸時代の末期(文政10年 1827)に再建時、綾戸鐘次郎藤原之信という画工が描いたそうです。もうすぐ200年ですね。
たくさんの実をたたえたすっきりとしたおもと。
室町時代の生け花や、貴族の執事の日記、当時の辞書にも万年青はでてきますが、将軍である足利義満も薬として大切にしていたことがわかりました。
足利義満公の御所(室町第)が花の御所※と呼ばれ、自らも花を愛し、薬を大切にした義満公らしい天井絵。
※花の御所 wikiより
花の御所(はなのごしょ)は、現在の京都府京都市上京区にあった足利将軍家の邸宅の通称(地図)であり、敷地は東側を烏丸通、南側を今出川通、西側を室町通、北側を上立売通に囲まれた東西一町南北二町を占めた[2]。京都御所(地図)がある京都御苑の北西、烏丸今出川交差点を挟んで斜め向かいの一角に位置した[3]。
ますます万年青の魅力、どれだけ昔の人たちに大切にされてきたのかを調べていきたいと思います。
引越しおもと、お祝いおもととして縁起を担がれるおもと
このように、おもとは歴代の天皇や室町時代、江戸時代の将軍にも大切にされてきました。古くはこの平岡八幡宮のように、美しさだけでなく、薬として大切にされ、それが転じて魔除けとして、引越しやお祝いに相手の無事平安を祈っておもとが贈られるようになりました。
おもとの豊明園