六所神社 | 徳川家康公がお宮参りをした神社 | 万年青彫刻 | 観光スポット | 愛知県岡崎市 | 三代将軍家光

おもとは万年青と書き、万年の繁栄を現す

江戸時代を始めるにあたり、徳川家康公が万年青3鉢をその身にたずさえ、最初に江戸城に入城し、床の間に飾り繁栄を祈願した

徳川家康公がお宮参りをした 岡崎・六所神社

岡崎・六所神社にも、おもとの彫刻がありました。 三代将軍家光公が社殿を再建しました。六所神社 安産の神様として祈願をする人が多いです。 

愛知県岡崎市明大寺町耳取44   豊明園から車で15分の場所

楼門  重要文化財 貞享5年(1688年)

松平氏(徳川)発祥の地松平郷の六所神社より祭神の勧請を受けて創建したものです。徳川家康の産土神(うぶすながみ)として江戸幕府の厚い保護を受けました。石段は家康の命日にちなんで17段で作られています。昔は五万石以上の大名しかこの石段より上に上がれなかったそうです。

楼門 重要文化財
貞享5年(1688年)楼門は4大将軍家綱が寄進したものといわれています。

三代将軍家光公の御真筆の『六所大明神』御額

松平氏が三河入国以来、代々崇敬厚く天文11年(1542)12月26日岡崎城にて竹千代君(徳川家康公)ご誕生の折には産土神としてご拝礼になった。
徳川家康公の祖父、松平清康(まつだいらきよやす)が岡崎城入城の際、現在の場所に創建。
※産土神(うぶすながみ)とは、その人が生まれた土地の神様のことで、生まれてから死ぬまで守護してくれる神様です。例え引越しなどで住む場所が変わっても、産土神は生涯守ってくれます。

上 三代将軍家光公の御真筆の『六所大明神』御額

 

拝殿 重要文化財


寛永11年(1634年)三代将軍家光公が再建したものです。
寛永11年から13年(1634~36)にかけて、御普請奉行本多伊勢守と神主大竹大膳久次により社殿および神供所をご造営されました。この時に本殿、幣殿、拝殿を連結し華麗な彩色を施した権現造の社殿が完成。彫刻や色彩が華やかです。

幣殿 おもと彫刻

幣殿の中央右上に彫物のおもと
幣殿とは、神社で、参詣人が幣帛を供進するための建物。 本殿と拝殿の間に設けられる。

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六所神社
ろくしょじんじゃ

金覆輪のおもとに赤い実を付けている万年青彫刻。すこし葉が波うっています。
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幣殿
幣殿の中央右上に彫物のおもと
金覆輪のおもとに赤い実を付けています。
すこし葉が波うっています
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幣殿
幣殿の中央右上に彫物のおもとの裏面
福よかなおもと
 

 

神供所 重要文化財 万年青彫刻

寛永11年(1634年)

神供所 重要文化財 万年青彫刻
 
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神供所 重要文化財
寛永11年(1634年
右から2番目の位置に蛙股の中に2株のおもとが彫られていました。
万年青の歴史

岡崎 六所神社におもとの彫刻を見に行きました

徳川家康が産湯につかった神社
三代目の徳川家光が再建し、額も書いています

400年前に戦国の世の中が終わり、多くの寺社仏閣が再建されました

その時の多くに、中心部や大事な場所におもとの彫刻が彫られています
家康関連ではかなりのものがおもとの彫刻をもっています
家康がおもとを大切にした証拠の一つです

 

おもと彫刻 一覧

●動画解説 【徳川家康公の産土神】【愛知県岡崎 六所神社の万年青彫刻】重要文化財

【万年青の豊明園】【Rokusho Shrine OMOTO sculpture, Ieyasu TOKUGAWA】
今回は、徳川家康公の産土神である六所神社の万年青彫刻、について

おもとは万年青と書き、万年の繁栄を現す

江戸時代を始めるにあたり、徳川家康公が江戸城に入城する際、万年青3鉢をその身にたずさえ、床の間に飾り繁栄を祈願した。

といわれるように、徳川家康公と万年青は深いかかわりがあります。その一番の証拠として、徳川家康公が関わった神社仏閣には万年青の彫刻が、大切な位置にあることがあります。二条城や家康公を神としてまつる日光東照宮や久能山東照宮にももちろん万年青彫刻があります。

今回、徳川家康公がお宮参りをした岡崎・六所神社にも、おもとの彫刻がありました。 豊明園から車で15分の場所

まず鳥居。立派です。後ろは遠くに一の鳥居が見えまして、そこからすぐに名鉄の東岡崎駅があります。岡崎の繁華街ですね。

こちらは手水社 ちょうじゅしゃ。

こちらは六所神社の本殿、幣殿、拝殿、神供所、楼門が重要文化財に指定されていると書いてあります。

こちらは由緒ですね。1542年12月26日に岡崎城で竹千代君(後の徳川家康公)が誕生して、この六所神社を産土神としてお参りしたと書いてあります。

特に、権現造りといわれる本殿、幣殿、拝殿は三代将軍家光が1634年から幕府御大工・鈴木長治が造営したと書かれています。神供所も同年代で、江戸初期、400年前の建物ですね。

では進んでいきます。この石段は家康の命日にちなんで17段で作られています。昔は五万石以上の大名しかこの石段より上に上がれなかったそうです。

こちらが最初の重要文化財、楼門です。4大将軍家綱が1688年に寄進したものといわれています。こちらにも素晴らしい彫刻がありますが、こちらには万年青の彫刻はありません。中は、やはり徳川家にゆかりが深く、三つ葉葵。こちらが、本殿となる六所神社で、ここに万年青の彫刻が発見されました。

その前に、この六所神社は、徳川家康公のお宮参りの神社として有名なので、安産の神様として祈願をする人が多いです。妊娠5ヶ月目の戌の日に無事出産を祈願します。

こちらが、神社の中の万年青彫刻です。 40年ぶりの改修を2018年に終え、当時の鮮やかな色合いがよみがえったようです。この彫刻の右端に赤い実をたたえたおもとがあります。これを発見したときは本当に興奮したのを覚えています。400年前から万年青を神社のここまで大切な場所に置いておいたその意味は万年青を万年の繁栄のために彫られたものと解釈しています。実はこの裏にも全く違ったおもと彫刻があるのですが、今回は。

そして、左を向くと、しんくじょがあります。ここにも、、万年青の彫刻が。となりも最初は黄色い実のおもとかと思いましたが、違う植物のようです。

おまけ。こちらは、権現作りの拝殿から右側に入ったところ。ここに、裏からしか見れない隠し万年青が!実は、万年青の彫刻は隠された場所に彫られていることが多いのです。

万年青彫刻の魅力、六所神社の魅力は伝わったでしょうか?私たち万年青の豊明園は、万年青の愛好家さんと一緒に全国の万年青の彫刻を探しています。ほとんど空振りなのですが、それだけに万年青彫刻が見つかるごとに万年青の歴史がひとつづつわかっていく非常に大切なことです。私はこのおもと彫刻探しが趣味です。是非、寺社仏閣が好きな人、歴史が好きな人、万年青が好きな人、万年青彫刻探しを一緒にしませんか??

 

 

 

三代将軍家光が社殿を再建しました。

愛知県岡崎市明大寺町耳取44

楼門  重要文化財 貞享5年(1688年)
松平氏(徳川)発祥の地松平郷の六所神社より祭神の勧請を受けて創建したものです。徳川家康の産十神として江戸幕府の厚い保護を受けました。
楼門 重要文化財
貞享5年(1688年)楼門は4大将軍家綱が寄進したものといわれています。

三代将軍家光公の御真筆の『六所大明神』御額

松平氏が三河入国以来、代々崇敬厚く天文11年(1542)12月26日岡崎城にて竹千代君(徳川家康公)ご誕生の折には産土神としてご拝礼になった。
拝殿 重要文化財
寛永11年(1634年)三代将軍家光公が再建したものです。
寛永11年から13年(1634~36)にかけて、御普請奉行本多伊勢守と神主大竹大膳久次により社殿および神供所をご造営されました。この時に本殿、幣殿、拝殿を連結し華麗な彩色を施した権現造の社殿が完成。彫刻や色彩が華やかです。
幣殿
幣殿の中央右上に彫物のおもと
金覆輪のおもとに赤い実を付けている万年青彫刻。すこし葉が波うっています。
神供所(しんくしょ) 重要文化財
寛永11年(1634年)
神供所 重要文化財 右から2番目の位置に蛙股の中に2株のおもとが彫られていました。
万年青の歴史

岡崎 六所神社におもとの彫刻を見に行きました

徳川家康が産湯につかった神社
三代目の徳川家光が再建し、額も書いています

400年前に戦国の世の中が終わり、多くの寺社仏閣が再建されました

その時の多くに、中心部や大事な場所におもとの彫刻が彫られています
家康関連ではかなりのものがおもとの彫刻をもっています
家康がおもとを大切にした証拠の一つです