第二回萬年青美術懸賞大會  大正11年

第二回萬年青美術懸賞大會

「第萬年青美術懸賞大會」のポスターで、発起人淳治郎が42歳の厄除けのために、全財産を投入、萬年青債権を発行して取り組んだときのものです。

三河おもと同好会

玉獅子の虎の人気沸騰

 大正十一年三月十五日に、同じ愛知県岡崎市和田にあります浄珠院で開催された第二回萬年青美術懸賞大会は、発起人の水野淳冶郎(豊明園初代)が俗にいう四十二の厄年にあたるために、とくに厄除けの意味からも豪勢なものとなりました。
懸賞品目の中心であります玉獅子の虎には一等賞に五百円、玉獅子の一等賞百五十円という賞金をつけ、以下二十等までそれぞれに相応の賞金や賞品をつけました。
 このほか、群雀の花芽のある優品には三百円、また花芽はなくとも大きなものに金側時計一個を呈上。
 群雀虎、地球宝、斑実生生根付五歳までのもの、それぞれの一等賞に二百円、瑞鳳の一等賞に百五十円、日月星の一等賞に五十円、以下各等ともそれなりの賞金(品)をつけました。
さらに、いわゆる無地物といわれる羅紗甲龍、泰平、春鶴の三種にも一等賞に百円の賞金をつける余裕をみせていますし、栄冠、麟鳳、根岸松、初菊、金龍の五種や、特別稀貴品の天光冠、千代田の松、鳳、国王殿、明冠、萬代の縞、慶賀覆輪、長寿楽、金紫殿覆輪、鳳祥、豊明冠にも賞を呈上しました。 
これには、一般の人びとはもちろんのこと、オモト界の事情に明るいはずの関係者も驚き、なかには官憲に 訴する者も現われて、地元岡崎警察署の調べがあるなど、大さわぎとなり、同地の有力者でオモト愛好家でもある石川三之助(のちの日本萬年青連合会長)や畔柳善造らの口添えもあって事無きを得ました。

大会当日の三月十五日は、岡崎駅頭から大会場の浄珠院までの道の両側には萬国旗を飾りつけ、会場入口には銘酒四斗樽の鏡を打ち抜いて、だれかれの別もなく来会者に振舞い、いやがうえにも気分を盛り上げました。

玉獅子および玉獅子の虎の推奨懸賞大会も今回が二回目ということで、なかには、玉獅子の虎の値段もこのあたりがヤマであろうかという考えの人たちが、たくさんの玉獅子や玉獅子の虎を売るつもりで会場に持ち込んで来ました。

ところが、会場では、水野淳冶郎が、同じような考えで次々と持ち込まれてくる玉獅子の虎をどんどん買い上げるため、人気はまだまだ続くものと見込み、持ってきた玉獅子の虎を売るどころか、そっとしまい込んだり、反対に買い求めて帰る業者も出て、これは又大変なにぎわいになりました。

当時としては多彩な色使いのポスターで、おもとの玉獅子にかけて獅子を配置し、群雀は雀の絵をつかい、考えたデザインのポスターです。

オモトの値段
水野淳冶郎(豊明園初代)が書き残していますこの年大正十一年二月二十二日に始まる手控えによりますと、いま話の玉獅子の虎は三百五十円とあり、鳳千円・同じく鳳の中吹二鉢二百五十円、錦明鳳の割子五百五十円、長寿楽四百円、同じく天錦章の三歳若親三百八十円、地球宝三本株立八十円、同じく地球宝四歳五十円、同じく地球宝四ッ吹が百三十円、根岸の松七十円、麟王覆輪三百七五円など散見できます。

萬年青銘鑑  第貮號  大正十一年一月

三河園藝組合 (日本おもと協会三河支部)

文 オモト研究家   芦田 潔