おもと史探訪 二面龍

萬年青圖譜  二面龍

明治18年肴舎篠常五郎著 『萬年青圖譜』より
文久元年西京蘭香軒黒川氏ナル者下京七條邊ノ或ル店頭ニ細葉ノ一異種ヲ認メ懇望ノ末愛養セシカ終ニ中心ヲ挾ミ二條ノ甲龍ヲ雙起ス因テ二面龍トス

 

   二面甲龍

二面甲龍系統の代表的品種
1.  二十世紀(にじゅっせいき)
「二面甲竜」の実生で大正三年頃の命名。細葉の縞覆輪であります。

2.日光殿(にっこうでん)
明治五十年頃 「二面甲竜」の実生より生じ、始めは「日光」とよばれていましたが、後に愛知県武豊の榊原氏に依り「日光殿」と改められました。中細葉で覆輪縞に鮮明な二面竜をかけ剣葉を生じます。性質繁殖は中位であります。「二十世紀」は本種に似ています。

3.二面甲竜(にめんこうりょう)
明治の初期に「竜の鬚」の実生より出て、現在の羅紗地系統の原種になっています。細葉で二面竜をかけます。

4. 万宝竜(ばんぽうりょう)
明治十六年 「二面甲竜」の実生より出て 「二面甲竜」の縞覆輪であります。

昭和34年金園社発行 「蘭と万年青の作り方」より

 

 

実親その系譜

いま、羅紗系おもとを作出するのに絶対不可欠な実親として、すでに知られているものに大判をはじめとして、大宝、仁平大宝、大車、金庫、出世鏡、錦福、群宝などがある。これらの実親群を遡ってその源を尋ねてみるうちに、そのほとんどが江戸時代末期に龍の髭の実生とし生えた二面甲龍と偕白髪にある。二面甲龍、偕白髪はともに文久元年の銘鑑にその名を見ることができ、明治時代のはじめは全盛を誇った。

この二種の交配から生えたものに、京都・大辻草生堂が明治20年代に実親の別格貴品として打ち出した黄金花、貴母宝、萬晃がある。
その後、明治40年代には二面龍縞というのができて、大変な人気を得た。代表的なものにはそれぞれ固有名詞がつけられ、正鬼二面、塚原二面、をはじめ、青西二面、高浜二面、江戸七二面、疋田二面、加太二面、佐山二面、大山二面などがそれにあたる。これらは雄木として、交配のためにはなくてはならないものとされた。

大正時代に入ってからは、群宝、錦福、福宝、金庫などが全盛を極めて珍重された。このころに、備中松山出の実親として現れたのが、今の有名な大車であり、ほかに大島、生冠と呼ばれた実親である。
大車は備中松山の持井氏の出した実親で貴宝青の実生であるともいわれているが、その形態からして二面龍縞の一種と考えるのが妥当ではないかと思う。

また、有名な大宝や、宝庫、鳳凰錦、宝鏡などという実親もこの頃できたものである。鳳凰錦もやはり二面龍縞である。大宝を大車の実生であると見る人もあるが、どうもそうではなさそうである。
しかし、いずれにせよ雑種と雑種の交配によってできたものであろうから、そこにはおそらく二面甲龍の性質や偕白髪の性質が流れているものと見てよいであろう。

昭和に移ってからも、当初は前期の実親が中心になっていた。それに新しく加わったものとして祥雲龍がある。出世鏡もこのころ現れたが、まだあまり大きく扱われていなかった。なかでももっとも大きく扱われたのは新しくできた祥雲龍で大宝、群宝も全盛を誇った。

いわゆる二面龍縞として新しくできたものに、栗山二面、鳳凰二面が加わり、雄木として盛んにつかわれていた。昭和16年にはが中心となり、全盛品として剣宝、群宝、金庫、大車、出世鏡といったものが名を連ねていて、ほぼ現在の実親の人気品が揃った。

萬年青実親鏡 第十五号 昭和38年 発行
日本萬年青實生研究会(日本おもと協会実生支部)
新登録 大判

 

ほかにも、錦福や福宝にも人気があり、宝鏡、祥雲龍なども引き続き使われていた。惜しいことにこれらの実親からどのような実生が得られたは、全く記録に残っていないのである。
戦後に至り、大判の出現によってこれに勝てるものはないようにいわれている。
これは愛知県碧南市の生田肇氏が戦前、大宝の実生を育て上げて作り出したものであり、戦後その生えの実生の優れたものを、愛知県西尾市の小田井律樹氏が求めたころからにわかにクローズアップした。この実生が旭翠であり、元小田井実生といっていたものである。

こうしてみてくると、現在大いにもてはやされている縞羅紗を生む実親のほとんどが、折熨斗の系統を継ぐ物は別として、その源は二面甲龍と偕白髪になり、その雑種交配によって得られたものといえる。

 

 萬年青の歴史本より