第一回萬年青美術懸賞大会  大正10年

第一回 萬年青美術懸賞大会 大正十年三月十八日(1921年)

三河おもと同好会

無地物と綺麗なオモト
大正八年十一月二十日、水野淳治郎(豊明園初代)は市制施行後間もない愛知県岡崎市北羽根に家屋を新築して転居しましたが、このことなども、さきの『萬年青美術懸賞大会』の成功と全く関わりが無かったとは決していえないようで、栽培所には、当時、一本が四千円もした鳳を十一鉢も置き並べたのを始め、一本三百円ほどの地球宝を百鉢ほど、そのほかおよそ千鉢のオモトを置き並べて、おりました。
そのころ、京都市東洞院通姉小路上ルにあった草生堂大辻久一郎を中心とするグループは、いわゆる無地物といわれる縞柄や覆輪のない羅紗地系統のオモトをもてはやし、珍重していました。
天授龍、春駒、豊公、皇城、折鶴、龍王、金星、天祐、真鶴、明光、鬼威、千龍冠、福寿龍、翠光といった品種がそうですが、この種のオモトは、識別がなかなかむつかしく、たとえば、大辻久一郎自身の筆跡によるラベルがついてないものは品質の保証がされないとか、信用されないといったことが間々あって、功罪相半ばするといったぐあいで、あまり感心されることではありませんでした。
そこで水野淳治郎は、このような不合理なことを是正し、かつは、だれでもが識別のできる萬年青、見た目にも綺麗なオモト、実生でできにくいオモトを推奨することを思い立ち、大正九年五月二十一日の日付けで、大正十年から向こう五ヵ年計画で、玉獅子と玉獅子の虎の二品種を焦点にしぼり、併せて天錦章、日月星、地球宝、富士の雪、錦麒麟、縞獅子、根岸の松、美鳳、および鳳凰といった品種の推奨運動を展開し、栽培を促進しました。

そして、これらの品種を懸賞品目として、その第一回目の萬年青美術懸賞大會を、大正十年四月十三日に、愛知県岡崎市羽根の清風軒で水野淳治郎自身が懸賞会発起人となって、三河萬年青同好会者のみなさんを会主にして開催しました。
豊明園に伝存のこのときのポスターを見ますと第一会萬年青美術懸賞大會と中央に大きく書き出し、玉獅子懸賞目録として三つの懸賞部門が設けられています。
「芋吹きの部」玉獅子
「玉獅子虎の部」
「玉獅子の部」
この他に、貴品懸賞目録として、さきに げた天錦章以下の品種と、稀貴品之部として萬代縞、鳳祥、豊明冠、鳳、千代田の松、長寿楽、鱗王覆輪、慶賀覆輪、国王殿、天光冠、輝鳳冠縞、金紫殿覆輪、明冠および明鳳を挙げ、右上出来之品陳列被下御方ニハ景品ヲ呈ス、とあります。
これらの品種は、すべて薄葉の柄物と羅紗地系統でも覆輪のかかつているもので、一方で愛好者も多いいわゆる無地者を全く無視したものでした。

当時の萬年青美術懸賞大會は1年の準備期間を設け周到な下準備をして大会を開いていました。石版印刷で一年前の大正九年五月二十一日にポスターが配られました。

     文  オモト研究家 芦田 潔

玉獅子 やわらかい獅子芸に白覆輪見せる。

 

当時の賞金と出品規定

玉獅子懸賞品目
芋吹きの部
特別五枚二ッ吹き 金貮百円也
但し同品ツキヤイシタルトキワ抽籤にて渡す
芋吹きと葉半分以上キズモノハ無効

当時の玉獅子の部の懸賞目録

第壹等 金五拾圓
第貮等 金貮拾圓
第参等 金拾圓
第四等ヨリ拾等マデ時計第拾壹等ヨリ三拾等マデ反物外カバン
但し 金額ハ債券ニテ渡す事

 

この時に次の人気運動する品種に特大懸賞を設ける。

群雀花目陳列者ニ金貮百円也
最優等大木 金側時計
第貮等 金貮拾圓
第参等 金拾圓
四等ョリ拾等マデ反物壱反宛呈ス
錦鳳・初菊にも特大懸賞を付ける 

 

萬年青銘鑑  第壹號  大正十一年一月

三河園藝組合 (日本おもと協会三河支部)

萬年青の歴史本より